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女勇者セレス 作者:松宮星

ケルティの闇と光

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極光の剣 10話

 毎晩、セレスはシャオロンと一緒に眠った。『東国のこわっぱとの約束にございますゆえ』と、何故だかガルバが二人が寝入るまでそばに控えているので、気になって眠りにつくまで多少、時間がかかったが。


 あの夢ではない、普通の夢を見ることもあった。
 それは、大抵、悪夢だった。
 笑いながら、アジャンが両手剣を振るう。
 その目を血のごとく赤く輝かせながら。
 彼の体からは黒い魔の気が煙のごとくゆらめきのぼり、全てのものを黒く染めてゆく。
 違う夢では、アジャンと剣を交わしていた。彼の巧みな剣技の前になすすべなく、セレスの体は両断される。
 アジャンから一方的に責められている夢もあった。シルクドの王宮で『おまえの事が虫唾が走るほど嫌いだからさ』と、感情をぶつけられた時のように。だが、彼が何と言っているのか聞こえないのだ。何を怒っているのかがわからず、謝る事すらできない。
 夜中にふと目覚め、涙を流す日もあった。
 アジャンの苦悩を何故、自分は見過ごしたのか……
 彼が自分の前から居なくなる前に、何故、彼の心のうちを聞かなかったのか……
 自分を責めずにはいられなかった。
 けれども……
 これ以上は、もう見過ごさない。
 彼を一人にはしない。
 彼を魔には堕とさない。
 仲間として、彼を迎えに行くのだ……


 夢の中に、アジャンの姉のアジンエリシフと父親と思われる戦士が現れる。
 アジンエリシフは、堪えられなくなったのか、涙を流すようになっていた。泣きながら怒鳴っていた。
 赤髪の戦士も深刻な顔で何事かを言っていた。
 けれども、残念な事に、彼等の言葉がセレスにはわからないのだ。
 セレスの声も相手に届かない。
 彼らはセレスではない、誰かを見つめて、その誰かに何かを訴えているのだ。
 何となくだったが、アジンエリシフは『行ってはいけない』と引き止めているように、セレスには思えた。
『北に疾く戻れ』と、以前、夢で語りかけてきた戦士は、引き止めている感じではない。が、非難するかのように、容赦のない目を前方に向けている。
 アジャンは、今、北へ向ってはいけないのだろうか?
 彼らの言葉が理解できない自分が、歯がゆかった。
 夢の最後は、決まって森の景色だ。
 セレスは風となり、森の中を走る。トウヒやアカマツなどの常緑樹の森だ。寒冷地になると森が無くなって寒さに強い潅木や草ばかりが生え、最北の地にはコケ類しか生えないと、老忍者ガルバが教えてくれた。『極光の剣』が眠る森は、セレスの予想よりは南寄りにあるようだ。だが、雪の積もった白い樹木が何処までも続く景色は、美しいが寒々しいものだった。
 森の奥には洞窟がある。
 大岩によって、入口が封じられた洞窟だ。大岩には不思議な文字が刻まれていた。アジに伝わる古い言葉――魔法の文字なのだ。


 ある夜……
 いつも通り宿屋のベッドで夢を見ていたセレスは、悲鳴をあげ覚醒した。
「どうなさった、女勇者様?」
 隣のベッドで眠っていた老忍者がすばやく起き上がって、サイドテーブルの灯りをつける。
「……セレス様?」
 目を細め、むっくりと少年も体を起こす。
「あ……」
 セレスは寝台に座って、口元を押さえ、ぶるぶると震えていた。
「急がなきゃ……」
 そして、まなじりを決し、老忍者に尋ねる。
「目指す森まで、後、どれくらいなの?」
 老人は首をひねった。
「天気に恵まれれば、後五日ほどかと」
「五日? それじゃ駄目だわ! 遅すぎる! 今すぐ行かなきゃ!」
 セレスが苛立たしげに首を左右に振る。
「どうしたんですか、セレス様?」と、シャオロン。
「森の奥の洞窟の大岩に……手が触れたの」
「夢で?」
「ええ。手首に金属の腕輪をした、大きな手だったわ。アジャンの手よ。あの不思議な文字が刻まれた大岩を、探るように触れていたわ。アジャンは、もうあの洞窟まで行っているのよ。でも、今のままでは駄目なの。今のアジャンがあの大剣に触れたら……死ぬわ」
「セレス様?」
「アジャンは死ぬわ! だから、アジンエリシフさんは止めていたのよ! 『アジの神を信じぬ者に、神の祝福は訪れない』、お父様はそう言っていたわ! ようやく……あの二人が何を伝えようとしていたのかわかったのに……こんな事って……」
 セレスは真剣な表情で、老忍者を見つめた。
「五日もかかったら手遅れになるわ。何か手はない?」
 老忍者は、ごくっと唾を飲み込んだ。女勇者は夢に踊らされている。夢の中で目的地に赤毛の傭兵が居たからといって、それが事実かどうか定かではない。それに、その夢の映像とは、いつのものなのだ? たった今、アジャンが大岩を触ったとでも言うのか? 夜中に、森を移動して洞窟まで辿り着いたとでも?
 しかし、彼女は何の疑念もなく、夢を真実だと思い込んでいるのだ。
「女勇者様、橇での移動時間は増やせませぬ。雪を甘く見ては死にますぞ」
「でも、私はあそこへ早く行かなきゃいけないのよ! お願い、考えて! 何か方法があるはずよ!」
 女勇者の青の瞳が射るように、老忍者を見つめる。その激しい瞳に、老人はたじろいだ。それは、うむを言わせぬ、絶対者の瞳だった。
「いかような手段を用いようと、我々の足では目的地まで五日はかかります。時間を縮める事はできませぬ。ですが……」
「ですが?」
「魔法ならば……」
「あ」
 セレスとシャオロンが顔を合わせた。
「移動魔法!」
 移動魔法が得手のカルヴェルは、昨日はインディラ、今日はエーゲラと、間の二つの国を飛び越えて魔法で移動している事すらあった。
「そうね! 移動魔法なら、すぐにも森へ行けるわ!」
「でも、誰が移動魔法を使うんです? カルヴェル様がいてくだされば、すぐに移動できるでしょうが……今、エウロペでしょ? カルヴェル様と連絡をとる方法ってあるんですか?」
「……ないわ」
 セレスは視線を、老忍者に向けた。
「ねえ、ガルバさん、あなた、移動魔法を……使えるわけ……ないわよねえ?」
「はい。私めは忍にござりますれば、そのような高等な魔法とは縁がございませぬ」
「そうよね……だったら、この辺に魔術師協会はない?」
「ありませぬ。都会でなければ、魔術師協会支部は無いのです。村々に(まじな)い師ならばおるかもしれませぬが、あれはピンキリですから、全く魔法を使えぬ者の場合もあります」
「うううう」
「ですから……ここは魔術師や(まじな)い師を頼るよりもむしろ……シャーマン王にすがるべきではないかと」
「シャーマン王?」
 セレスは目をぱちくりとしばたたかせた。
「この辺に、シャーマン王がいるの?」
「はい。この辺は、昔よりアジとハリの領域。ケルティ新王朝に恭順を示したハリの部族王ハリビヤルニは、この宿の近くの村より部族を統括しております。シャーマン王の下であれば、それなりの魔法使いが居るでしょう」
「ハリ族……」
「現存する十二の部族の中では中堅ですな。部族の歴史は古いのですが、人口が少ないようで。アジと祖先を同じくする一族だとか」
「あっ!」
 シャオロンが声をあげた。
「ドラゴン船に囲まれた時、そういえば、アジャンさん、言ってましたよね、アジャンさんのあの言葉は、アジとハリの部族方言だって。親戚筋の方なら、事情を話せば助けてもらえるかもしれませんね?」
「……そうね」
「いや、事情は話してはなりませぬ」
 老人が口をはさむ。
「アジクラボルト王の長子の生存も、それがアジャンである事も、『極光の剣』を手に入れようとしている事も、決して口になさらぬように。ハリの部族王は、今はケルティ新王朝の小役人も同然の身分。下手な事を話しては、女勇者様が王宮を抜け出した事がバレてしまうやもしれませぬ。交渉は私にお任せを」
 セレスは瞳を細めた。
 ガルバの言うとおりなのかもしれない。
 しかし……
 赤髪の戦士は前に夢で、こうも言っていたはずだ。
『ハリと共に光を導け』と。
 ハリ族の元へ向うのは……運命だったのだ。
「行きましょう、ハリ族の元へ」


 翌日の昼前には、ハリの村の前に、セレス、シャオロン、ガルバは着いていた。
 雪深い森に囲まれた静かな地に村はあった。が、周囲が高い木の塀に囲まれているので中の様子を窺う事はできなかった。
 一行が門に近寄ると、物見櫓(ものみやぐら)の上から、門番の白髪の男が何用かと大声で尋ねてきた。
「アジ族の事で火急の用がある。魔族の魔手から、ケルティを守るためにご助力いただきたい」
 と、ガルバはケルティ語で叫び返した。
 さほど待たされることもなく、堅固な木の扉が開かれた。その内側に、ハリの村があるのだ。
 門番を背後に従えて内より現れたのは、左目に黒い眼帯をした茶髪の壮年の男だった。毛皮の衣服ごしからもわかる逞しい体つきだ。網目模様の柄、青銅の鞘の片手剣を腰に佩いている。ハリ族の戦士なのだ。戦士は、トナカイ橇の行商人風の一行の前まで進み、背後の村を庇うかのように橇の前に立ちはだかった。
「俺の名はハリハールブダン。ハリの戦士長だ。旅人よ、名を伺おう」
 男がケルティ語でそう尋ねると、老忍者ガルバが口を開くよりも早く、セレスがシベルア語で答えを返していた。
「私は今世の女勇者、勇者ラグヴェイの末裔、セレスと申します。同道しているのは私の従者シャオロンと協力者のガルバです。アジの血筋を守る為、ケルティ新王朝の王宮を抜け出して来ました。私達には、偉大なるハリ族の助けが必要です。どうか、移動魔法の使い手をご紹介ください」
 トナカイの手綱を持っていた老人が、ぎょっとして女勇者を振り返った。現在、ケルティ新王朝に恭順している相手に、何故、そんな馬鹿正直な名乗りをあげるのか? 愚の骨頂だ。新王朝に罪人として引き渡される可能性もあるのに。
 門番はいぶかしそうにセレスを見た。シベルア語がわからないようだ。しかし、ハリの戦士長は、セレスのたどたどしい発音のシベルア語を理解し、彼女に合わせ言葉をシベルア語に切り替えた。
「おまえが女勇者だと? 嘘をつくな」
「今は『勇者の剣』を人に預け、商人に変装していますが、私は勇者一族のセレスです。大魔王ケルベゾールドを討つべく、エウロペより参りました。ハリの戦士様、どうぞ、王にお取次ぎを……。私の従者にアジの者が居ります。彼を救う為に、移動魔法の使い手の助力がいるのです。どうかお願いいたします」
 ハリ族の戦士長――ハリハールブダンは隻眼を細め、フンと鼻を鳴らした。
「お断りだ」
「え?」
「知らんようだから、教えてやる。ハリはアジと訣別した。この二十年、誇り高きハリは薄汚いアジとはつきあっておらん。アジの為などに、我らは小指一本動かさん。パンの一欠けらを恵むのすら御免だ。お引取り願おう」
 相手のシベルア語が不思議とセレスには、よくわかった。聞き取れる。この国の誰のシベルア語よりも耳に馴染む。
 そのまま立ち去ろうとする相手の背に、慌ててセレスは尋ねた。
「何故です? ハリとアジは同じ部族言葉を話す近しい一族じゃないんですか?」
 ハリハールブダンは足を止め、振り返り侮辱の表情を見せた。
「近しかったさ、先王アジクラボルト様の時代までは、な」
「え?」
「異国の女。従者に尋ねてみろ。アジが先王アジクラボルト様とそのご家族に何をしたのか。私欲の為に同族を殺す卑怯者など、この国の男ではない。俺がアジならば、恥ずかしくて自ら命を絶っている。アジカラボスなど潜王だ、俺は王とは認めん」
「先王アジクラボルト!」
 セレスは身を乗り出した。
「赤髪の戦士の方ですよね? アジャンのお父様だわ! あ! アジャンというのは偽名で、えっと、アジンエリシフさんの弟で、アジャニホルトさんの兄が、私の従者なんですけど……」
「なに……?」
 ハリ族の戦士長は、不思議なものを見るかのようにセレスを見つめた。
「おまえ、今、何と言った? 」
「え?」
「……アジンエリシフだと?」
「ええ。私の従者はアジンエリシフさんの弟です。今は本名を伏せ、アジャンと名乗ってます。エーゲラ国の一番の傭兵でした。燃えるような赤い髪の、とても逞しい男です。身長ほどもある大剣をとても巧みに扱います」
「待て、女」
「え?」
「おまえの心を見せろ。俺は微弱ながら神より力を賜っている。人の心を読む力もある。触れればわかる。おまえの語る言葉が真実か否か」
「……あなたは、シャーマンなんですか?」
「シャーマン戦士だ。祭りごとより剣の方が得意な、二流のシャーマン戦士だがな。女、おまえの言葉が真実なら、助力しよう。だが、偽りであったのなら、アジンエリシフの名を口にした罰でその舌、切り落とさせてもらう」
「あなたは……アジンエリシフさんの……?」
「許婚だった。二十年前の話になるがな」
 セレスは目の前の戦士を改めて見つめた。三十代後半ぐらいの、逞しい隻眼の男。この男が、アジャンの姉のおさげの少女の許婚だったとは……
(この方にお会いできたのは……アジンエリシフさんのお導きに違いないわ。ううん、それだけじゃない。この方の言葉がわかるのも、きっとアジャンのお姉さんが助けてくれているのね)
 セレスは右手をハリ族の戦士へと差し出した。
 目を半ば閉じ、口で何かを詠唱してから、ハリ族の戦士はセレスの右手を掴んだ。むずかゆいような、あたたかなような感触にセレスはとまどった。が、ハリハールブダンはすぐにセレスの手を離し、破顔した。
「女……いや、女勇者セレスよ、おまえの言葉を疑った非礼を許せ。神よ、偉大なる御心に感謝します! アジクラボルト様の息子が生き延びておったとは! その者こそアジの正統な後継者! 『極光の剣』を継ぐ者だ!」
「『極光の剣』……」
「部族神よりアジが賜った、アジと神との契約の証だ」
「あ」
 セレスの脳裏に、洞窟に眠る大剣が甦る。
「お願いです! 私達を『極光の剣』が眠る洞窟まで移動魔法で送ってください! 今、アジャンはあの大剣に触れてはいけないんです! 彼を止めなくては!」


 ハリ族の村には木製の建物が五十ほどあったものの、どれもあまり大きくなく、二階建てなのは家畜小屋や倉庫ぐらいだった。村の中心にある建物が部族王の館だが、ホルムの王宮でセレスが使っていた三間続きの客室(ゲスト・ルーム)と同程度の広さしかなかった。その横の唯一の石造り建物シベルア教会の方が、むしろ大きいぐらいだ。
 セレスは一行を窺う視線を意識した。往年は武器を取って活躍したであろう老人、かくしゃくとした老婆、働き者の中年女……仕事の手を休める事なく、彼等は闖入者たちをじろじろと眺めていた。
 ハリハールブダンは、セレス達を部族王の館に案内した。館に入る前にハリの戦士は、
「王には俺が話す。お前達は口をきくな。王の側には、ケルティ新王朝のスパイやらシベルア司教が居る。部族神に関わる話をするわけにはいかん。俺に任せてくれ」
 と、自嘲的に笑った。ハリ族はシベルア教に改宗し、ケルティ新王朝に恭順し納税の義務も負っている。しかし、この隻眼の戦士のアイデンティティーは部族に帰属し、部族神を信仰しているようだ。
 シャーマン王の館は、中央に大きな炉のある一間の館だった。埃っぽくて換気が悪い。炉にともった揺らめく炎の明かりが、部屋を支える二本の柱、炉の側のベンチ、壁に吊るされた武器や毛皮、壁に立てかけられている移動式の家具を照らしていた。所々に間仕切りの板があった。王の館というよりは集会所のようだった。
 館の北側に置かれたシベルア風の布張りの椅子が、玉座のようだ。間仕切りの裏から現れた白髪の老人が、大股でその椅子に座る。ハリビヤルニ王だ。近習とシベルア司教が、その横に並んだ。
 炉を挟んだ王の向かいのベンチに座るよう言い残し、ハリハールブダンが王の元へと進み行く。
 ハリハールブダンが王と話す間、セレス達の前には移動式の細長いテーブルが組み立てられ、パンと醸造ビールがふるまわれた。昼食には少し早い時間ではあったが、セレスもシャオロンもありがたくパンをいただいた。しかし、ビールを口にするのにはためらいがあった。飲んだ事がないのだ。断っては非礼だとガルバに耳打ちされ、セレスは頑張って苦い酒を飲み、シャオロンもビールを嘗めた。酒が体に回ると、雪で冷え切っていた体がポカポカとあたたまった。
「そういえば、ダンルとバイトゥーキはどうしたの?」
 セレスの問いに、老忍者が答える。
「あやつらは他部族の村に向わせております。ハリとの交渉がうまくいかなかった場合の用心に移動魔法の使い手を探させております。ま、こちらの話がまとまりましたら、鳥を使って連絡をとって引き上げさせますが」
「そう。ありがとう、ガルバさん。本当、さすが、忍ね、頼りになるわ」
 恐縮し頭を下げながらも、『さすが』なのは女勇者様の方ではないかと老人は思っていた。
 バカ正直すぎる彼女の無茶な行動は、さまざまな偶然が重なった為、ハリからの協力が得られる方向へと事態を向かわせている。
 ハリの戦士長であるハリハールブダンがあの場に現れねば……彼が話を聞く気になってくれねば……側にシベルア教会の者がいたならば……事態は最悪の方向へ向っていたかもしれないのだ。
『心のおもむくままになした事が全てうまくいく時ってあるじゃないですか、そういう時、人は神の愛を受けているのですよ』
 昔、主人から聞いた言葉を思い出した。
『それは、無意識に神の声を聞いて動いているようなもの。託宣を受けているも同然です。残念ながら私にはそんな時は訪れた事ありませんけれどね……でも、誰かがそうなっている時、どうすればよいのかはわかります。決して邪魔をしない事。その人の前に障害があるようなら取り払ってやって、進むべき道を進ませてあげる事……それが天より才を与えられなかった人間がなすべき義務なのですよ』
 非凡な存在でありながら、自分を凡人と言い切っていた主人。あの時、主人は、自由に生きながら天意にかなう道を進める者を羨んでいた。自由奔放に生きる嵐のような勇者が傍らに居たからこそ……
 思い出に浸っていた老人は、ハリハールブダンの接近に気づき、正気へと戻った。
「おまえ達、王の許可は下りた。北の集落に案内する」


「北の集落は俺の農場だ。冬は閉鎖しているが、そこで越冬する長老と息子達がいる。シャーマンとシャーマン修行中の子供だ。そこに居るハリレーレク叔父上が移動魔法を使える」
 セレス達のトナカイ橇での移動となり、案内役としてハリハールブダンが手綱を取った。彼にセレスは尋ねた。
「シャーマンは村を離れて修行するものなのですか?」
「いや、ここ数十年のことだ。王の側には常にケルティ新王朝の者がいる。部族神への義務を果たす者は、王の側を離れて神を祭るしかない。神への奉仕は王族の義務だ。時代が変わろうとも怠るわけにはいかん」
「え?」
 神への奉仕が王族の義務? 叔父や息子に祭りごとを任せているという事は、ハリハールブダンは……
「ハリハールブダン様は王族なのですか?」
「ハリビヤルニ王の長子だ」
「長子! では、次代の王ですね」
「違う」
 右手で橇の手綱を握ったまま、ハリ族の戦士は左手で己の左目を指した。黒い眼帯で覆われた左目を。
「我々の掟では『欠けたる者』は王になれぬ。神に仕える資格が無いからだ。片目の俺は生涯、王に仕える戦士長、気ままな身分だ。新王朝の監視も俺にはつかん。俺は王にはなれない体だからな」
 ハリハールブダンは快活に笑った。
「新王朝庇護下の王! 傀儡の王! なりたくもないがな!」
「今、アジャンと行動を共にしているアジの戦士達は、『極光の剣』をアジャンが手に入れればケルティ新王朝を転覆できると信じているようなのですが……」
 セレスはためらいがちに尋ねた。
「そんな事、可能なのでしょうか? 『極光の剣』が凄まじい破壊力のある聖なる武器なのだとしても……大剣は大剣です。アジャン一人では一国の軍隊に勝てません」
「『極光の剣』を武器として使うのなら、むろん、そうだ。だが、祭器として使えば話は別だ」
「え?」
「ハリとアジの祖は兄弟だった。ハリとアジは同一の神を頂く一族。古の時代、この地を統べていたのは我らだ。我ら二部族はケルティで最も古い一族。神より、ハリは知恵を賜り、アジは武力を賜った。ハリとアジが心を一つにし、各々の一族に伝わる祭器をもって願えば、神が再臨し、邪悪を討つ……そんな口承が伝わっている。単なる言い伝えかもしれぬ。だが、アジクラボルト様の長子はそれに賭ける気なのだろうな」


「アジャンがそんな事を考えているのだとしても……それにはハリの協力が必須なのですよね」
 セレスはぎゅっと拳を握り締めた。
「ハリの意志はどうなのです……? あ、いえ、ハリハールブダン様自身はどう、思われます?」
 トナカイ橇を操るハリ族の戦士の背に向かい、女勇者は尋ねた。
「アジとハリの祭器を揃えたいとお思いですか? 部族神を召喚し、ケルティ新王朝を滅ぼしたいと……そう願われますか?」
「フッ、くだらぬ!」
 隻眼のハリ族の戦士は、軽く頭を振った。
「既に五十年前に、その話の決着はついているのだ。当時のハリとアジのシャーマン王が決めたのだ。地上の争いは人間の責において行われるもの。神にすがるべきものではない。シベルアからの侵略者には、戦士の誇りをもって人間が己が力で戦うべきだと」
「……そうだったのですか」
「あの時、ハリとアジは滅びの道を選んでしまったのだ。今更、祭器を揃え神を召喚したとて、手遅れなのだ。ハリとアジ両部族はそう遠くない未来に消える」
「え?」
「セレス殿……先ほど、村をご覧になって気づかれなかったか? 若者や子供がほとんど居ない事に」
「あ?」
 セレスは口元を覆った。見かけたのは老人と老婆に、中年女性だけだったが……
「子供は八つになると、新王朝の役人に強制的に近隣の街に集められ、シベルア式学問所の寮に入れられる。義務教育とやらは十二の年に終わるのだが……シベルア式教育に染まった子供は村に戻ってこない。ハリを捨て、ケルティ新王朝の民となり街で生きる道を選んでしまう。学問所で斡旋されるままに、街で仕事に就いてしまうのだ。ハリの誇りよりも、便利で小綺麗な街の生活の方が子供達には魅力的なようだ」
「………」
「いずれハリの血は絶える。いや、ハリだけではない。今、残っている十二の部族、その全てが滅びるのだ。継ぐべき子らを失って、な」
「………」
「『欠けたる者』は学問所に行く義務を免除されるので、身障者を装う若者や子供がわずかながら村に残っている。だが、軍隊と渡りあえる数ではない。神降ろしをしケルテイ新王朝を倒せたとしても、ハリに統べるべき民はいない。未来はない。ハリの栄光は、もはや過去のもの。我らはもう昔日には戻れぬのだ」
「……新王朝に迎合しろとは言いませんが」
 ハリ族の戦士の背を見ながら、セレスは思いついた事を口にのぼらせていた。
「シベルア式文明を受け入れつつ、ハリの精神を貫く事はできないのですか?」
「どうやって?」
 ハリハールブダンは鼻で笑った。
「新王朝は我らの文化を蔑視している。我らの神を否定し、自然と共にある我らの暮らしを貧しいと嘲笑う。俺に言わせれば、奴らは恐れを知らなさ過ぎる。満ち足りる事を知らず、自分たちの都合のいいように森を切り開き、自然を支配しようとしている。我らとは異質すぎる」
「でも、ハリ族から新王朝の民となった者には、表面はどうであれ、ハリの魂が受け継がれていると思います。ハリの子供達は、ハリと新王朝、両方に帰属しているのではありませんか?」
「……さて、どうか」
「いいえ、きっとそうです。古えにはもう戻れないのだとしても、新たなハリならばつくれます。ハリ族の前には滅び以外の未来もあります。未来は一つではないのです。状況さえ変われば、あなた方と新王朝が歩み寄る事だって可能ではありませんか?」
「状況が変わる? どんな風に?」
「新王朝があなた方の自治を完全な形で認め、信教の自由を保障すれば……」
「………」
 しばしの沈黙の後、ハリの戦士は声をたてて笑った。
「ありえぬ話だ」
「いいえ! ハリハールブダン様! この国は生まれ変わらなければいけません! 神の手によってではなく、人の手によって! その為に微力ながら、私もお手伝いいたします!」
 あまりにもセレスが決然と言い切るので、ハリ族の戦士は肩越しに頭だけ振り返り……そして、目にした、煌くような青の瞳を……何ものも恐れない勇者の顔を……
「この国では、今、魔族が暗躍しています。魔が人の悪感情を煽り、目を曇らせているのです! 魔を滅ぼし、人々の心に希望と善の意識を取り戻させましょう!」
 しばらく、その美貌はまぶしげに見つめていたが、ハリハールブダンは右目を細め、顔を前方に戻した。
 セレスの言葉など、この国の現状を知らない異国人のたわごとに過ぎない。
 けれども……彼女の純粋な正義感は不愉快ではなかった。
 森を抜けると、視界が開けた。
 雪野原の先に、木造立ての建物が固まっているのが見えた。ハリ族の北の集落だ。ハリハールブダンの農場で、彼の息子や親戚筋のシャーマンの才がある者が固まって暮らしている。
「……おかしい」
 目を細めて農場を見て、ハリハールブダンはトナカイに鞭をくれ、先を急がせた。
「何がおかしいのです?」
「煙が無い。この季節、暖炉の火を絶やすはずはないのだが」
 セレスも身を乗り出し、遠方をみやった。
 その横で、老忍者ガルバの目配せに頷き、東国の少年シャオロンは背の革袋より『龍の爪』を取り出し装備した。
 もう間もなく、橇は北の集落に着く……
+注意+
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