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女勇者セレス 作者:松宮星

ケルティの闇と光

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極光の剣 9話

「あああああああ、セレス様、どうぞご無事で……雪国は冷えます故、汗をおかきになったらすぐにおぬぐいください。放っておいては凍傷となります。手足の指、鼻、耳は凍傷になりやすぅござります。特にご注意を。それと、コレを……忍者の携帯用カイロにございます。これを(わたくし)と思い、肌身離さずお持ちくだされ」
「あ、ありがと……」
 アジャンの襲撃の翌日、日中のうちに支度を整えたセレス達は、闇夜に紛れて王宮より旅立つ事となった。セレス用の客室(ゲスト・ルーム)の居間に集まって打ち合わせを終えたら、出発だ。
 しかし、セレスは別離を惜しむ忍者ジライにめいっぱい捕まっていた。セレスは毛皮の帽子に毛織のケープ、長い上着にズボン姿。青年商人の変装だ。腰に『虹の小剣』、背に『エルフの弓』と『エルフの矢筒』を装備している。対するジライは、いつもの覆面に忍者装束だ。
 一方……
「あああああああ、御身様、どうぞご無事で……食事には必ず毒味役をお忘れなきよう。それと、御身様、ここは異国にございます。お一人で行動してはなりませぬぞ。必ず部下をお連れください。それから」
「はい、はい、はい、はい」
 すがりつく老忍者(こちらも商人風の恰好)を、ナーダはおざなりに相手をしていた。老忍者の過保護が恥ずかしいのだ。三十歳を越えたナーダを、老人は未だに子供扱いする。
 ジライは、セレスの右手に恭しく頬擦りをしていた。いつものセレスであれば、こんな事されたら、すぐにでもジライを蹴り飛ばすのだが、今夜でしばらくお別れとなるので、鳥肌を立てながら我慢しているのだ。
 横目でジライは、東国の少年を見つめた。少年もセレスと同じような恰好で、『龍の爪』入り革袋を背負っている。
「良いか、シャオロン、一命を賭してでもセレス様をお守りするのだぞ」
「はい! ジライさん!」
「セレス様は、少々、お(なか)がお弱い。お食事はできるだけ温かく。それから先程渡した、傷薬、血止め、鎮痛解熱剤、整腸剤、眠り薬、痺れ薬は有効に使え」
「はい!」
「セレス様はおなご故、冷えは大敵じゃ。月のものの時の雪中行軍は控えよ。殊に二日目と三日目は、な」
「……はい?」
「忘れるでないぞ、セレス様の次の月のものの予定日は」
「何で、あなたがそんな事を知ってるのよ!」
 ボカン! ドカン! ゲシッ! と……結局、セレスに殴られ蹴り飛ばされるジライであった。
 倒れたままぶるぶると震えていたジライに……東国忍者を嫌っていたインディラ忍者ガルバが手を差し出した。
「きさまの大切な女勇者は、このわしが守る。老いたりとはいえ、かつてはインディラ(いち)と謡われたわしじゃ。そこらのへなちょこ忍者よりは、よほど役に立つわ」
「……ご老体」
 ジライはハシッ! と、ガルバの手を握った。
 ガルバは、うむと頷いてみせる。
「その代わり、よいな? きさまは御身様をお守りせよ。御身様はいずれはインディラ国王となられる貴いお体! 魔など近づけるでないぞ!」
 忍者達は互いの手と手を結び合った。主人を交換警護と、利害が一致した為、仲良くなりかける二人。その二人の間に、ターバンを巻いた武闘僧が割って入る。
「ガルバ! 私は国王になんかなりません! 何度言ったらわかるんですか! あああああ、もう、うっとーしい! あなた方は寝室の方に移動してください! あっちも結界が張ってありますから! 私はセレスと話があるんです!」
「ですが、御身様」
「行ってください!ついでに、ジライ、あなた、そろそろ影武者用変装をしたらどうです? セレスがいるうちに変装の微調整をした方がいいでしょ?」
「……うむ」
「あの……ナーダ様、オレは?」
「ああ、シャオロン、あなたはここに居てください。ジライとガルバは寝室へ。早く」
 不承不承、二人が隣室に移ってから、ナーダは大きく息を吐いた。二人の忍者の愛情は暑苦しすぎる。三人は視線を交わし、苦笑を見せ合った。
「セレス、シャオロン、こちらの心配はしないでください。国境を不法に越えて、ガルバの部下の忍達がぞくぞくとやって来て、ホルムの街で待機してますから。アジャンやシャオロン、それにジライの影武者は部下達にやらせます。あなた方が戻って来たら、すんなりと入れ替われるようにね」
「アジャンの失踪の件、新王朝にバレてないの?」
 セレスの問いに、ナーダは肩をすくめた。
「表向きは、ね。でも、知ってると思いますよ。間諜が昨晩の襲撃を上役に伝えているはずですから。でも、こちらがアジャンの影武者を用意して、知らんふりを決め込んでいる以上、向こうも強くは追求できません。やると、私達を覗いている事実を認める事になりますので。それとなく探りをいれてくるでしょうから、のらりくらりとかわしておきますよ」
「……あなたに任せておけば大丈夫ね」
 セレスは首をかしげ、今のうちに聞いておくべき事を全て聞いておこうとした。
「ねえ、情報屋組織とは連絡ついた?」
「組織とは連絡できてますよ、アジ族関係の方と会えないってだけで。アジソールズはホルムに居るみたいなんですがねえ。他のアジ族の方は、アジャンと共に北を目指してるんじゃないでしょうか」
「ゲオルグさんの殺人事件の方はどうなってるの?」
「どうもこうもないですよ。『事故死』扱いで、あっさり終わりました。『殺人』などなかった事になっています。事件を担当した警吏、無能で事なかれ主義の方だったんで、状況的にかなり異常な現場で面倒な捜査をしたくなかったんですよ。ゲオルグは人望のない方ですし、真相を探ろうとする動きも起きないんじゃないでしょうか」
「じゃあ、アジャンが殺人犯として手配される事はないのね」
 セレスが安堵の息を漏らすと、
「その事なんですけど……ゲオルグさん殺害と、アジャンさん、無関係だと思います」
 と、東国の少年がはっきりと言う。
「だって、アジャンさんなら、敵は剣で叩き斬るはずです。蛇を口に入れて殺すなんて……しかも、二十匹も入れるなんて、アジャンさんがやるわけありません。そんなまわりくどい殺人、アジャンさん、絶対、嫌いですから」
「……そうね」
 セレスの口元に笑みが浮かんだ。
「そうよね、あなたの言うとおりだわ。アジャン、短気だもの。まだるっこしいの、大嫌いだったわ」
「セレス様、オレ、信じてます。アジャンさんは、絶対、魔に堕ちてません。セレス様のお命を狙ったのも、ジライさんやナーダ様の部下のくノ一を斬ったのも、何か理由があるんです。その理由は、今はわかんないけど、わかんなくても信じる事はできます。オレ、アジャンさんを信じ続けます」
 そう言う少年の顔には、清々しい笑みが浮かんでいた。
 セレスは、何の迷いもなくアジャンを信じるシャオロンに激しく胸を揺さぶられ、同時に信じきれずにいる自分を情けなく思った。
「何か……伝えたかった事、シャオロンに言われちゃいましたね」
 ナーダがクスッと小さく笑った。
「セレス、覚えてますか? この王宮についた時、王侯貴族との交渉ごとを引き受けてあげる代わりに、後であなたにお願い事をしたいって条件出したの」
「ええ……覚えてるわ」
「私、こうお願いするつもりだったんです。『アジャンが魔に堕ちたように見えても、ぎりぎりまで彼を信じて光に導いてください。けれども、セレス、あなたの命を犠牲にして彼を救っても、それは真の救いではありません。あなたか彼、いずれかが死ななければならない時は、尊厳を持ってアジャンを殺してあげてくだい』ってね」
「ナーダ……」
「ナーダ様……」
 ナーダの笑みが苦いものとなる。
「アジャンが失踪するんじゃないかって随分前から、私、予想していたんですよ。けれども、止められませんでした。私じゃ、駄目なんです。私もアジャンも悲観主義者ですからね、二人で居ると陰々滅々、とことん暗い考えになっちゃいます。あなたかシャオロンでなければ、彼は救えません。出会った時から、アジャンは闇ばかりを見つめていました。彼は仲間の中で最も魔に近しかった。魔に堕ちやすかったんです」
「アジャンさんが魔に近しい?」
 不思議そうにシャオロンが尋ねる。
「ジライさんじゃなくてって?」
「ジライは大魔王教徒でしたし邪法も使えますが、彼の行動基準は善悪を超越しています。己を捨て去る忍ですしね、めったな事じゃ魔に誘惑されませんよ。心が清いあなた方も、ね。仲間のうちで最も危なかったのがアジャン、次が私ですよ」
「あなたが?」
 唖然として、セレスが尋ねる。
「僧侶なのに?」
「僧侶となって大僧正様のお教えを受けたおかげで、魔に堕ちずに済んでいるのです。でなきゃ、母を死に追いやった第二夫人とその一族を憎み、母を見捨てた父を怨んでいた私は、醜い憎悪の塊となって魔にふさわしい姿に堕ちていたでしょう」
「ナーダ……」
「もっとも」
 武闘僧の笑みが晴れやかなものに変わる。
「あなた方と旅をして、いろんな体験をして、私も変わりました。今は心から善でありたいと思っています。善でいなければいけない理由もできましたし、ね」
「理由? どんな?」と、セレス。
 ナーダの頬がポッと赤くなる。
「プライベートな事なので、内緒です」
「あら」
「まあ、ともかく……セレス、あなたが死んでしまったら、大魔王を倒せる人間がいなくなります。何があっても、あなたは死んではいけません。でも、アジャンを簡単に切り捨てたりもして欲しくない。闇を見つめながら生きてこなければいけなかった彼を、あなたなら理解できるはずです」


「入ってもいいですか?」
 ナーダは寝室の扉をノックした。
 ナーダが善でいなければいけない理由は、ナーダが心より愛を捧げている相手――忍者ジライにあった。その傍らに立って共に戦う為にも、不幸な生い立ちであった彼の魂を癒す為にも、ナーダは常に光と共にありたいと思うようになっていた。
 老忍者ガルバが扉を開けてくれる。まだジライは変装中との事なので、セレスとシャオロンを居間に残し、ナーダだけが寝室へと入った。ジライは、主人のセレスにも素顔を秘している。影武者たるべく変装している途中ならば、セレス達を入れるわけにはいかないのだ。 
 中に入ったナーダは、ぎくりとした。手鏡を持った、腰まであるウェーブのかかった金の髪、青い瞳、赤い唇の麗人が、寝台にあぐらをかいて座っている。寝台の上には化粧道具、大小の手箱、ブラシなども散らかっている。襟の立ったゆったりとしたレースのネグリジェが、筋肉質の手足や喉仏を隠しているので、どこをどう見ても女性にしか見えなかったが……そこに居るのは間違いなく……
「ジライ……?」
 震える指で、寝台の人物を指差すナーダ。そんな主人に、老忍者は意地の悪い笑みを浮かべてみせた。
「いやあ、こやつ、若いわりに、変装術も見事。思わずしゃぶりつきたくなるような美女にございましょう?」
「……ガルバ」
「おお! しかし、御身様には女嫌いの病がございましたなあ。残念至極にござりますな。男狂いの病も、あの美女相手では眠りにつきましょうし」
 ハッハッハッ! と、明るく笑う老人を、ナーダは糸目でじろりと睨みつけた。老人はおどけて肩をすくめてみせた。
「女勇者様を入室させてよくなりましたら、合図をお送りください。それでは」
 鼻歌まじりに出て行く部下。ナーダはムッとした表情でその背を見送っていた。が、
「あああああ、似ておらぬ!」
 寝台の人物が特大の溜息をついた。手鏡を見る美女は、非常に不満そうな顔をしていた。
「セレス様の愛らしい美しさを再現できぬ! あの澄んだ瞳、ふっくらとした頬、可愛らしく挑発的な赤い唇は、(われ)には無理じゃ!」
「……でも、どう見ても女性ですよね」
 ナーダの頬はひくひくひきつっていた。目の前に居る人物は愛する男なのだが……鳥肌が立ちかけているのだ。大嫌いな化粧の匂いも漂っているし。
「目も……青いですね」
「ん? 薄いガラスを入れておる。だが、目は塞いだ方がよいな。ナーダ、包帯を出せ。目の病という事にしよう。さすれば、包帯に顔が半ば隠れ、ごまかしやすくなる」
 武闘僧が包帯を用意している間に、美女の姿の忍者は眼から膜のように薄い青いガラスを取り出していた。
「でも、ジライ、目が見えないんじゃ、何かとご不便なのでは?」
「我は忍じゃ。日常生活を送る分には支障はない」
「そうですか?」
「魔族との戦闘ともなれば、見えねば困るだろうが……平時であれば、盲目でもきさまを守ってやれるぞ」
 包帯を渡そうとベッドに膝をついたナーダは、どきりと胸をときめかせた。美女の顔をつくってはいても、常と変わらずジライの黒の瞳は刃のように鋭く美しかった。その上、ジライに『守ってやる』などと言われては……
「ん? どうした?」
「いえ」
 武闘僧は、はにかむように微笑んだ。
「しばらく……私達、二人っきりですね、ジライ」
 ズベシャアアァァ!と、次の瞬間、ナーダを床の上に蹴り落とされていた。
「阿呆! 気色悪い顔で、気色悪い台詞をぬかすな!」
「いえ、あの、ここで、あなたをどうこするつもりはないんですが……二人っきりって、何かときめく言葉だと思いません? まあ、部下達もいますけど。ドキドキしちゃいます」
「やかましいわ! こっちは不幸じゃ! 留守居役を命じられたのだ! 当分、セレス様のお側に侍れぬ! あのお美しさを目にする事も、殴っていただく事も、罵倒していただく事もかなわぬのだ!」
「二人で頑張りましょうね、ジライ♪」
「寄るな! スケベ坊主! 殺すぞ!」
 その後しばらく、ナーダは愛する男の八つ当たりで、さんざん殴られ蹴られまくったのだった。


 ジライが目の周囲に包帯を巻き終えてから、ナーダはセレス達を部屋に招き入れた。
「すごいです、ジライさん! セレス様みたいです!」
 シャオロンは褒め称え、セレスは感嘆して、布団をかけベッドの上で上半身を起こしている人物を見つめた。
 セレス本人と並べば、確かに、さまざまな違いが目につく。頬はセレスよりやつれており、顔の輪郭も違う。けれども、実物がそばにいなければ、誰の目にも寝台の上の人物こそ『女勇者セレス』と映るだろう。
「すごいわ! ジライ、さすがね!」
 セレスの賛辞に、ジライは口元をにこっと綻ばせ、
「ありがとうございます、セレス様、うれしいですわ」
 と、セレスの声で返事を返す。
 ジライの変装は完璧だ。
 心置きなくこれで北へ向かえる。
 そう思うセレスに、普段通りの低い声で、忍者はこう助言した。
「二つ、お伝えしたい事がございます。一つは、アジャンの剣圧。あやつは武器に気を込め放つ事がございます。直進しかしてきませぬが、あれの剣の前に立つのは危険です。何時、気を放たれるかわからぬのですから、警戒を怠りなく」
「わかったわ」
「いま一つは、アジャンの勘の鋭さ。アジャンめと斬り合う事となりましたら、セレス様、まともに剣を交わしませぬように」
「まともに剣をかわしては駄目……?」
「はい。アジャンの勘のよさは異常です。あれは、敵の太刀筋が読めるのです。いえ、全ての攻撃が見えると言うた方が正しゅうございますな。まともに仕掛けても、無駄。あれは全てよけます」
「……じゃあ、どうすれば」
「虚をつくしかありませぬ。アジャン本人ではなく、その足元や周囲を攻撃するが良いかと。足場を奪い、落石や倒木等であやつの動きを封じるのです。罠をしかけておくのも有効かもしれませぬ。ともかくも、まともに剣を交わさぬ事。お気をつけください」


 ナーダは、セレスが所持する『虹の小剣』を中心に結界を張った。姿隠しと消音効果のある結界だ。半日は保つ。結界に守られて、セレス、シャオロン、ガルバ、ガルバの部下のダンルとバイトゥーキは、王宮を離れ、夜の闇へと消えて行った。


 翌朝、セレス達はホルムの魔術師協会を訪れ、ケルティ北部の宿場町フィオニスまで移動魔法で運ばれた。
 何故、フィオニスに来たのかと尋ねるセレスに、老忍者が説明した。ホルムからの急ぎの旅では、北へ向う場合はフィオニス、西ならばトスベル、東はタジスティンまで跳ぶのが普通なのだそうだ。ホルムからフィオニスまで順天であれば馬で三日の距離。移動魔法は決して安いものではないが、雪が増える時期は利用者も多い。国内通行許可書等必要な書類さえあれば(むろん、セレス達のものは偽造したものだが)、目立たず、あやしまれず移動できるのだそうだ。
 フィオニスで橇の準備をすると言う老人に、更にセレスは尋ねた。何故、目的地まで跳ばないのか、と。それに対し、老忍者はそんな常識的な事も知らないのかと呆れたような顔で、こう説明した。
「そんな長距離移動をすればいらぬ注目を浴びましょうし、第一、それほどの距離を跳べる者が協会に居ますかどうか。移動魔法は魔力消耗が激しく、使える者が少ないのです。跳べる距離も、並みの魔法使いでは一つの街を越えるぐらいが限界。我々をフィオニスまで運んでくれた先程の魔術師も、言っておりましたぞ、魔力が枯渇したからこれから三日フィオニスで休暇だと。移動魔法は、ほんに選ればれた者にのみ許されたこの世の恩恵。荒使いしておるのは、魔力が膨大なカルヴェル様ぐらいです」
 魔法ではなく普通に進みましょう、と、老人はダンルのみを残し、バイトゥーキと共に姿を消した。これより北は雪が深くなってゆくので、多頭びきのトナカイ(そり)で進むのだそうだ。


 ガルバは琥珀商人、セレスはその息子、シャオロンは側仕えの少年。ダンルとバイトゥーキは下男役だった。が、ガルバの部下の二人は必ず一緒にいるわけではなく、情報収集の為に、よく姿を消していた。
 人の良い気さくな商人を装うガルバが、現地人との交渉を一切引き受けてくれたので、言葉が不自由なセレスが苦労する事はなかった。セレスがしゃべれない理由を、喉の病だとか、母を亡くした心因性の病だとか、頭を打って記憶喪失になってるのだとか、その場その場で適当な嘘をついているようだった。
 一刻も早くアジャンに追いつきたいとセレスは焦っていた。が、あまり速くは進めなかった。冬の雪国の旅は天候に左右される。雪や風が強い日は橇を走らせられないのだ。その上、一行が人里を離れると、それを待っていたかのように魔族の襲撃があるのだ。『虹の小剣』や『エルフの弓』、『龍の爪』をもってすれば何なく倒せる小物ばかりだったが、毎回、数が多く、倒すのに時間がかかった。魔族に足止めされているのではないか? そんな気すらした。
 北へ進むほど、人々の生活は貧しくなっていった。立派なのは領主の居城、シベルア教会ばかりで、街道で軍隊を目にする事も多くなっていった。
 何度か村で、はりつけ刑にされ野晒しとされた死骸を目にした。雪に半ば以上埋もれた死骸は、肌着しかつけていなかった。死因は凍死。『謀反を企てた咎で処罰する』と、立て札が立てられていた。
「宿屋の女将の話によりますと、処刑される者の大半は抵抗運動者ではなく、たんなる税金滞納者らしゅうございます。他の滞納者への見せしめの為、役人に袖の下を渡せないほど貧しい者が野晒しの刑にされるようです。まあ、もっとも、処刑をまぬがれた者も、追徴金を含めた税金を最終期限までに払えねば、監獄に送られて重労働につかされ処刑されるよりもひどい地獄に堕ちるとか。エウロペの国境付近にはドラゴン船がよう出没すると聞いておりましたが、納得いきましたわ。略奪でもせねば、貧しい村々は税金を払えぬでしょうからな」
 ガルバの説明に、セレスはただただ怒るばかりだった。アジャンの故国は、何と無残に蹂躙されているのだろう。きらびやかだった王宮に比べ、北は困窮に喘いでいる。


 旅の間、東国の少年は随分と無口であった。が、ある日、宿屋でセレスと二人っきりになった時、窓の外の雪舞う荒野を見つめながら、こう言ったのだった。
「セレス様……この国、おかしいです」
 この国の惨状を目にしてきたセレスは、すぐに頷きを返した。
「私もそう思うわ」
「何か……どこも、黒いんです。暗い靄がかかってるみたいに」
「え? それ、どういう事?」
 悪政を非難しているわけではなさそうだ。
「オレ、ホルムに着いてからずっと、あそこに大物の魔族が居るんだと思ってたんです。あそこ、すごく歪んでいたんで」
「歪んでいた?」
「えっと……うまく言えませんが、オレの目にはすごく汚く見えたって事です。汚泥の上にベタベタに生クリームを塗りたくって作ったケーキみたいな……そんな感じにホルムの街も王宮も見えたんです」
「そう。何となく、あなたの言いたいこと、わかるわ」
「ほんとうですか」
 説明が通じたので、少年はホッとしていた。
「力の強い魔族が居るんだと思って探したんですけど、オレの力じゃわかりませんでした。それで、アジャンさんに相談したんです。あ、だから、アジャンさんの失踪前の話なんです。アジャンさん、こう言ってました。この国は、今、悪意に踊らされているんだって。昔はここまでは、歪んでなかったって」
「ここまで歪んでなかった?」
「えっと、つまり、昔も、シベルアから来た移民の人がひどい事してたらしいんですけど、大魔王の復活のせいで、よけいひどくなったんじゃないかって。そのぉ」
「大魔王復活後に、新王朝のケルティ人への迫害が輪をかけてひどくなったのね?」
「はい。そうみたいです。あの時、アジャンさん、ナーダ様みたいに難しい話をいっぱいしてくださったんだけど、難しすぎて……。チューショー的に言うと、この国は、今、魔族に飲みこまれているのだそうです」
「チューショー的? ああ、抽象的に、ね」
 セレスは首を傾げた。
「魔族に飲み込まれてるだなんて、そんな表現を使うぐらいだから、相当ひどい状態って事よね。大魔王復活後にケルティ人への迫害がひどくなったんなら、妖しいのはシベルアからの移民、殊に国王陛下や摂政、有力貴族達って事になるけど……あなた、前に言ってたわよね、彼らは人間だって」
「はい。あの王宮で会った方々は、皆、黒く歪んでましたが、魔に堕ちてはいません。人間でした」
「黒く歪んでるって、魔族の影響を受けてるって事?」
「……たぶん」
「この国の中枢に位置する者で会ってないのは、シベルア大司教ぐらいよね。大司教が大物魔族なのかしら」
「その可能性もあるって、アジャンさんはナーダ様に伝えていました。でも……違うような気もします」
「え?」
「ホルムが妖しいって感じたのは、あそこが魔の気がやたら濃かったからです。でも、今、こうやって北に向っているのに……気配が変わらないんです。ずっと、ねっとりと濃い黒の気が周囲に満ちています」
「……なぜ?」
「わかりません。ホルムだけが黒の気が濃かったんじゃなくて、あの日を境にケルティ中の黒の気が強まったんじゃないかって、そんな気もしてます。女勇者のセレス様がこの国の中枢に着いたから魔族が本気になって動き出したのかも……。この国は魔族に飲み込まれて、腹の中におさまっちゃってるから、だから何処でも同じなのかもしれません。どこにいっても黒の気だらけだから、ケルティにいる全ての人が悪影響を受けてひどい事をいっぱいしてるのかも」
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