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女勇者セレス 作者:松宮星

ケルティの闇と光

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極光の剣 6話

 その夜、ホルムはこの冬一番の冷え込みとなった。
 ケルティ南部のホルムとて、十一月も下旬ともなれば雪が舞い始める。静かに天から降る雪が、街並みを、庭園を、王宮を白く飾っていった。
 その雪の中から……
 刺客は現れた。


 凄まじい轟音に驚き、セレスは寝台から上体を起こした。
 周囲は闇だ。
 しかし、庭園に面した壁が壊れているのはわかった。窓硝子は砕け、寒風と雪が部屋に吹き込んでいる。
 何が起きたのだろう?
 殺気を感じ、身構える前に……
 セレスのすぐ目の前で、剣戟の火花が咲き、水飛沫が飛び散った。セレスめがけて振り下ろされた刃を、何処からともなく現れた忍者が『ムラクモ』で受け止めたのだ。
「セレス様、お下がりください!」
 闇が濃くてよく見えない。
 ジライは相手の剣を『ムラクモ』で押し返そうとしていた。だが、敵の剣は巨大で、びくとも動かない。
「あ……」
 目を凝らし、セレスは刺客をよく見ようとした。だが、見えるのは闇ばかりだ。
 敵は殺気を隠そうともしていない。叫ぶかのように、凄まじい気を撒き散らしている。
 よく知った男の放つ気だ……
「……違うわ」
 セレスはかぶりを振った。
 これは夢だ……
 夢に違いない。
 闇の中の暗殺者は……見知らぬ男だ。そう思いたかった。
 けれども、セレスよりもずっと夜目の利く忍者は、無情にもこう叫んだのだ。


「セレス様のお命を狙うとは……乱心しおったな、アジャン!」


 アジャンの大剣を受け止めてはいたが、足場が柔らかな寝台の上の為、踏ん張りがきかない。長くはもたないと判断し、ジライは忍法を放った。夜の警護の時には、毎回、必ず気を練っている。大技も五回までなら使える。
「忍法かまいたちの術!」
 凄まじい風の嵐が、傭兵の周囲を切り裂き、吹き抜ける。風の忍法は直撃した。しかし……傭兵は変わらぬ力で大剣を押してくる。
 ジライは舌打ちを漏らした。カルヴェルより買った、祝福の魔法をアジャンは刃にかけているのだろう。今、アジャンに魔法は通じない。祝福の魔法は、魔族の力のみならず、あらゆる魔法を無効化にしてしまうのだ。
 忍であるジライには見えた。
 赤毛の戦士の表情は、嬉々としていた。剣を振るうのが楽しくてたまらないという顔だ。傭兵は、更に刃に力をこめてくる。
 押し返された『小夜時雨(ムラクモ)』が、ジライの額にぶつかりそうだった。
 ジライの腕がぶるぶると震えた。
 引くわけにはいかない。
 彼の背後には女勇者がいるのだ。あまりの出来事に驚き、寝台の上に固まって動けずにいるセレスが……。
 ジライが引けば、刃は彼女を斬り裂くだろう。
「忍法かまいたちの術!」
 ジライは効かぬはずの忍法を放った。だが、それは傭兵を狙ったものではなかった。
 アジャンが体勢を崩し、よろめく。風の忍術は、傭兵が佇んでいた床を粉々に砕いたのだ。
 後方に飛び退りながら、愛刀を右手に、セレスを左の小脇に抱え、ジライは走った。
 寝台を踏み越え、赤毛の傭兵が迫って来る。
「セレス様! お気を確かに!」
 セレスを抱えて走り、素早い体術で攻撃を避けながら、ジライが叫ぶ。
「アレは敵です! 斬らずば殺られます!」
「敵……」
 呆然とセレスがつぶやく。
「私の……敵?」
 目を大きく開き、力なく頭を左右に振っている。
「違うわ……彼は……」
 目の前の現実が信じられないのだ。
 心が折れている……ジライは覆面の下の顔を歪めた。
 土台、無理な話なのだ。戦えるはずもない。暗殺者であったジライにすら情をかけた心優しい彼女なのだ、味方に刃を向けられるはずがない。
 突然、アジャンはぶんと大剣を後方に振り回した。
 悲鳴が響く。
 マリーだ。セレスの召使役の中年のくノ一。背後からアジャンに襲いかかろうとして、斬り捨てられたのだ。


「マリー……? 今の悲鳴……マリーよね?」
「斬られました」
 ジライが事実のみを伝える。
 セレスは震えた。
 アジャンは本気なのだ。
 本気でセレスを殺す気なのだ。
 セレスを斬る為に……女忍者を倒したのだ。
「ジライ……ごめんなさい、もう、大丈夫」
 セレスは眉をしかめた。
 自分が戸惑っていたせいで、マリーを犠牲にしてしまったのだ。
 勇者である自分が……戦いを忘れたせいで……
「下ろして、私も戦う……」
「『勇者の剣』をお呼びください」
「ええ」
 セレスを床に下ろし、即座にジライは床を蹴った。
「アレは私めが始末をつけます。どうぞお身をお守りくだされ」
「ジライ?」
 周囲は闇だ。二人が何処にいるのか、セレスにはわからなかった。
「待って、ジライ、私が戦うわ!」
 敵に操られているにせよ、憎しみからの襲撃にしろ……
 狙われたのは女勇者たる自分なのだ。
 アジャンの心を受け止めないまま、守られていていいはずがない。
『勇者の剣』を呼び寄せ、鞘から抜く。
 剣戟の音が聞こえる。
 二人が戦っているのだ。
 だが、音はすぐに場所を変えてしまう。激しく動いているのだ。何処にいるのかがわからない。
「やめて、ジライ! 殺さないで! お願い! 絶対、アジャンを殺さないで!」


 剣を交わせば、『小夜時雨(ムラクモ)』より聖なる水が飛沫となって散る。
 アジャンは、水は避けようとはせず、その身に浴びていた。浄化の水を恐れていないという事は、少なくとも魔に憑依されているわけではないようだ……少なくとも、今は。
 ジライは、上段・下段と変化をつけて仕掛けた。が、全て防がれる。右手の『小夜時雨(ムラクモ)』で斬りかかるにあわせ、左手でクナイを投げても、アジャンは難なくよける。
 距離をとっての遠隔攻撃でも同じだ。同時に投げた三本のクナイも、頭上よりのつるべ落とし或いは大小の弧を描き背後等死角をつく手裏剣すらも、全て弾かれる。
 赤毛の戦士の勘のよさは異常だ。
 夜目のきかぬ常人であろうに、まるで見えているかのように動く。
 アジャンは、今、女勇者ではなく、ジライを狙っていた。
 好敵手を前に爛々と目を輝かせ、笑いながら両手剣を振るう。
 アジャンが走り寄って来る。わざとその場に止まりその刃を待っていた忍者は、距離を測ってから、懐から煙玉を取り出し、床に投げつけた。


 ボン! と広がる黒煙と目潰し。
 慌ててアジャンは身を引き、目を閉じた。黒煙と目潰しの粉を浴びれば、涙も咳も止まらなくなる。目鼻が全くきかなくなってしまうのだ。
「セレス様!」
 居間からシャオロンの声がする。隣の客室(ゲスト・ルーム)に居た少年が駆けつけてきたのだ。
「女勇者セレス様、ご無事にござりますか?」
 居間から近衛仕官アレクセイの声もする。気配は複数だ。アレクセイがセレスの客室(ゲスト・ルーム)の鍵を開け、シャオロンや警備の兵士を伴って来たのだ。
 アジャンは笑った。
 遊び足りなかったが、仕方がない。
 引き時だ。
 煙幕をつっきり、窓へと走る。
 四方から飛来する手裏剣やクナイ。
 黒煙に乗じて忍者が襲いかかってきているのだ。
 だが、その攻撃も防ぐのは難しくない。
 敵意は光として感じる。アジャンは己を狙う攻撃の全て、その軌跡がわかるのだ。
 日の光の下でも闇の中でも同じだ。
 目を使わなくても、全てが見える。
 黒煙は薄れつつあったが、目潰しの効果はまだあった。まだ刺激臭が強い。
 しかし、出口も近い。雪と風が吹き込む窓の残骸まで、もはや遠くない。
「待って、お願い、行かないで!」
 左の真横から女勇者の声がした……
 泣きそうな声だ。情にもろい女勇者は、仲間の変心に心を痛め、それでも仲間を信じようと走り寄って来たのだろう。
 アジャンはにやりと笑い、一歩前に踏み出し、横薙ぎに大剣を振り回した。声の主を斬り裂くべく。
 女勇者は殺さなければいけない……
 殺してやらなければ……
 しかし……
 手ごたえがない。
 宙を切っただけだ。
 足元から敵意を感じる。
 罠にはまった。
 先ほどの声の主は、女勇者ではなかった。
 忍者ジライの声だったのだ。


 覆面の下に会心の笑みを浮かべ、ジライは『小夜時雨(ムラクモ)』を振るった。
 狙いは傭兵の脛だった。
 勘の鋭いこの男を仕留めるには虚をつくしかない。セレスの声真似で相手の足を止めさせた後、ジライは床すれすれに身を低くし、奇襲に出たのだ。
『小夜時雨(ムラクモ)』の刀身から、雨が降る……
 周囲の床に、聖なる水が飛び散った。
 しかし、『小夜時雨(ムラクモ)』は何も斬れなかった。ただ、むなしく宙を薙いだだけだった。
 アジャンの足があるべき位置に何もない。
 消えている。
 脛から腿へと、徐々に消えていっている。
「む?」
 殺気を感じ、ジライは床を蹴って後方に飛び退った。
 腹まで消えた赤毛の傭兵が、両手剣を振り下ろしたのだ。
 距離を開き、その刃を避けきったのだが……
「くっ!」
 ジライは顔を歪め、膝を折った。右胸から左腹にかけて斜めに傷が走っている。大剣はよけたのだが、剣圧――アジャンの気で鎖帷子ごと斬られたのだ。懐から金属が転がり出る。拳ほどの大きさに丸めていた大風車が、からくりが半ば解けた中途半端な形のまま床に落ち金属音を響かせる。大風車が二つも真っ二つに割れていた。手裏剣が身代わりとなってくれねば心臓まで斬られていただろう。だが、傷は浅くはない。鮮血が忍装束を染めてゆく。
 ジライはすばやく周囲を見渡したが、赤毛の戦士の姿は何処にもない。消えたのだ。おそらく移動魔法で……
「ジライ!」
「ジライさん!」
 黒煙も晴れ、近衛兵達の燭台の明かりに、寝室が照らされた。
 駆け寄って来る女勇者と東国の少年を横目で見つめ、ジライは身を小さく折り傷を左腕で覆った。深手である事を隠し、割けた服から見える白い肌を隠す為に。
「賊には逃げられました……周囲を探ってまいります」


「なっ!なに言ってるの!あなた、怪我してるじゃない!」
 ジライの左腕は血に染まっていた。傷口をおさえているのだ。血の量からいって、軽傷ではない。すぐにも治療が必要な事は、セレスにもわかった。しかし、
「シャオロン……我はしばらく戻れぬ。セレス様の護衛、任せた。お側を離れるでないぞ」
 との言葉を残し、忍者ジライはすばやい体術で姿を消してしまった。
 あの怪我で動けるなんて……
 あの怪我で、アジャンを追いかける……?
 セレスの顔から血の気が引いた。ジライが死んでしまう……この上、ジライまで失いたくない。だが、セレスの足では忍者に追いつけない。彼を捕まえられるのは同じ職業の者だけだ。
 セレスは周囲を見渡した。騒ぎを聞きつけて現れた近衛兵や女官に混じり、くノ一のローラとシャオロンの召使役の忍が二人いた。胸の前で両手を組み合わせ、セレスは三人にすがった。
「ジライを止めて……お願い、治療が先よ……」
 三人のナーダの部下達は目を交し合い、静かに後退していった。人目のない所まで下がってから、忍の技を使う気なのだろう。
「女勇者セレス様、お怪我はございませぬか?」
 二枚目の近衛少尉アレクセイが背後から、自分が着ていたコートをセレスの肩に羽織らせた。その親切に接して初めて、セレスは寝巻きの貫頭着姿で、『勇者の剣』を握り締めて佇んでいたのだと気づいた。乙女らしい恥じらいから、セレスの頬が朱に染まった。
「ありがとうございます、アレクセイ様」
「セレス様、あなたの侍女は重傷なれど、命に別状はございませぬ。使用人部屋で治療しております」
 マリーが無事と聞いて、セレスは微かに笑みを浮かべた。けれども、
「魔族の襲撃でもあったのでござりましょうか? ご説明いただけませぬか?」
 アレクセイの問いに、セレスの胸は泣きたいほど痛んだ。女勇者はきゅっと拳を握り、うつむいた。
「私の命を狙い、賊が侵入したのです。ですが……敵が誰かはわかりませんでした……」


 アレクセイはセレスの為に、別の客室(ゲスト・ルーム)を急ぎ準備した。
 その部屋で、襲撃について改めて質問されたが、セレスは何もわからないの一点張りで通した。暗闇での襲撃だった為、アレクセイは何の不審も抱かず、セレスの説明を受け入れた。護衛の人数を増やす事、ホルムの街にいるナーダやアジャンに使いを送る事を約束し、人の良い近衛仕官は廊下へと下がっていった。
「セレス様……?」
 二人っきりになると、シャオロンはつぶらな瞳で真っ直ぐにセレスを見つめた。
 セレスは涙をこらえ、少年に抱きついた。
 女勇者一行は、この王宮では常に監視されている。
 先程の襲撃も覗かれていた可能性が高い。襲撃者を自分やジライが『アジャン』と呼んでいた事も、ケルティ新王朝には筒抜けかもしれない。
 けれども……
 それでも、今は……
 襲撃者がアジャンであった事を、この少年に話すわけにはいかなかった。
「大丈夫ですよ、セレス様、絶対、大丈夫です」
 少年が女勇者を励ます。
「ジライさんは一流の忍です。無茶はしませんよ。必ずセレス様の元に戻って来ます」
 セレスは少年を抱きしめた。何も言わず、ただ抱きしめた……


 寝台のそばの灯りが、サイドテーブルの上の額縁の中の絵を照らす。
 私物としてエウロペからセレスが持って来た絵――ナーダがセレスの為に描いてくれたものだ。
 絵の中でセレスは……シャオロン、ジライ、ナーダ、そしてアジャンに囲まれ幸せそうに笑っていた。
 絵を眺めているうちに……セレスの頬を一筋の涙が伝わった。


 まんじりともしないまま、夜は明けた。
 寝不足で体がだるいのだが、眠れないのだ。セレスは布団の中で溜息ばかりをついていた。
「……すっかり呆けてますねえ、セレス」
 唐突に、寝台のそばから声をかけられた。
 驚いて上半身を起こすセレス。すぐ近くのソファーで横になっていたシャオロンも、ガバッと体を起こしていた。
「ナーダ!」
 扉の開閉はなかった。どうやって部屋に入って来たのかさっぱりわからなかったが……そこには、ターバンを頭に巻き、毛織のコートを身に着けた武闘僧ナーダがいた。その背後には、いつもと同じ忍者装束の忍者ジライが佇んでいる。
「ジライ! 良かった、無事だったのね!」 
「申し訳ございませぬ、セレス様、賊めは逃がしました」
「馬鹿! そんな事、いいわよ! あなた、怪我は?」
「どうという事はございませぬ。かすり傷にござりますれば」
「嘘! 怪我を見せなさい!」
 セレスは寝台から飛び降り、ナーダの横をすりぬけ、ジライに飛びかかり襟に手をかけた。脱がす気なのだ。これには、さすがの忍者も慌てて抵抗する。
「おやめください、セレス様! お気を静めくだされ!」
「重傷のはずよ! 怪我を見せなさい!」
 ジライの襟を握り締めたまま……セレスはポロポロと大粒の涙をこぼし始めた。
「……怖かったの。あなたまで失ってしまいそうで、本当、怖かったんだから……」
「……セレス様」
「もっと自分を大切にして……」
「………」
「返事は? これは命令よ!」
 キッ!と睨む女勇者に対し忍者は覆面の下の瞳を細めた、微笑むかのように。
「は! 心得ました!」
「セレス、ジライの怪我は本当にもう大丈夫です。私が治癒しましたから。あなたがおっしゃる通り軽傷ではありませんでしたが、傷口を塞ぎ、折れた骨も繋ぎ、疲労回復の魔法もかけました。まあ、もっとも、血肉と骨がなじむまで二、三日はかかるので安静にしててくれなきゃ困るんですがね」
 後半は忍者に聞かせる為の台詞だったが、セレスに捕まっている忍者はあさっての方向を見つめて武闘僧を無視している。
 ナーダは溜息をついた。
「だから、痴女じゃあるまいし、殿方の衣服を脱がそうとするのはやめなさいな。はしたない」
「ぐ」
 セレスは顔を赤く染め、ジライの襟から手を離して、急いで顔をぬぐった。涙まで揶揄されないように。
「ああ、そうそう。マリーの怪我も癒しておきました。彼女も、もう、日常生活を送る分には問題ありません」
 ふと見ると、シャオロンがガウンを手にそばに立っていた。礼を言って受け取り、セレスは寝巻きの上からガウンを羽織った。
「ジライにも手伝ってもらってこの部屋の周囲に結界を張り、幻術をかけています。監視役の目に、偽りの現実が見えるよう細工したんですよ。監視者は眠っているセレスとシャオロンの幻を見ています。千里眼の魔法で覗いても幻が見えるだけです。だから、今なら遠慮なく何でも話せますよ……アジャンの事も、ね」
 ナーダはセレスとシャオロンの顔を順に見つめ、もう一度溜息をついた。
「アジャンは……出奔しました。行き先は、遥か北のアジ族の聖地の森と思われますが、足取りはつかめていません。確かな事実はアジャンは出奔した……それだけです。しかし、状況から見ると……行きがけの駄賃に、ゲオルグを殺害し、セレスの命を狙ったように見えるのです」
「え?」
 勇者一行をホルムまで案内する役目を負い、十日ほど同じ馬車に同乗していた、あの太った軍人を……アジャンが殺害?
「ゲオルグさんを殺した? アジャンが? どうして?」
「アジャンがやったとは断定しませんが、動機は充分すぎるほどあるんですよ。あなた方には内緒にしていましたが、あの軍人、アジャンの父親の仇の一人なのです」
「………」
「覚えていますか、アジャンが馬車の中で激情に駆られゲオルグを斬ろうとした日の事を? あの時、品性下劣なゲオルグは部族王を蛇で処刑した話を楽しそうに話していたでしょ?」
「ええ」
 覚えていた。あれは、セレスにとっても、非常に不快な話だった。
「ゲオルグが最初に蛇の処刑で殺したのはアジ族の王アジクラボルト……アジャンの父親です。アジクレボスの曾孫うんぬんは詐称で、アジャンは本当は、ケルティ生まれで、アジ族の総領なのです」
「そう……」
 セレスは驚かなかった。むしろ、そうと聞いて納得した。アジャンはケルティ人だったのだ。故国への拘りがあるからこそ……この国に行くと決まってから、あれほど暗い顔をしていたのだろう。
「アジャンの父、シャーマン王アジクラボルトは、『謀反の疑いあり』との噂だけで処刑されたました。当時、国民のシベルア教への改宗を進めていたケルティ新王朝とシベルア教会は、ささいな理由で、簡単に部族王を処刑していたのだそうです。宗教の要であるシャーマン王の権威を地に落とす形で、むごたらしく処刑していたのですよ」
「………」
「アジクラボルト王の蛇の腹裂き刑執行には、ゲオルグも関わっていました。アジャンに怨まれて当然です」
「お父様が亡くなって……それで、お母様とお姉様も殺されるのね?」
 ナーダが微かに眉をしかめる。
「そうです」
 セレスがアジャンの母と姉の死を知っていた事をいぶかしく思ったのだろう、ナーダは糸目でジッとセレスを見たまま、話を続けた。
「アジはケルティ新王朝に恭順していると……その姿勢を示したかった一部のアジ族が暴走したのです。シャーマン王の家族を皆殺しにしようとね。アジャンは幼い弟と妹を連れて故郷の村から逃げおおせましたが、母親と姉は幼い子供達の逃亡の時間を作る為に家に残り殺されたようです。母親は病気だったらしいんですがね……最後まで片手剣を離さなかったそうです。姉も病の母を庇い勇敢に戦ったそうです、十三才だったとか」
 セレスの胸が痛む。
 それで、あの映像となるのだ。
 弟達を守る為に戦ったけなげな少女は、辱められ、殺されたのだ………
「親の庇護も家も財もなく……村から逃げた時、アジャン、七つだったそうです。本人だってまだ子供だったのに、弟達を守護しようと戦い続け……できる事は何でもやったそうですが……妹さんは風邪で亡くなり、弟さんも凍死したそうです」
「弟さん……」
 と、つぶやいたのはシャオロンだった。東国の少年は複雑そうな顔をしていた。
「でも、アジャンは今更、家族の仇をとる気はないと言っていました。仇を討ったところで、もう誰もいないのだから、と。私もその言葉を信じていましたが……昨晩、娼館で発見されたゲオルグの遺体は……大量の蛇を飲み込んでいたのです」
「!」
「娼館に入ってすぐの事でした。相方の娼婦が小用でほんの少し部屋を離れた間に、つまり、二、三分の間に、ゲオルグは殺されたのです。娼婦の悲鳴を聞きつけて部屋に入った私は……彼の遺骸を目にした時、およそ場違いな事を考えてしまいました。この季節に、これほど大量の蛇を何処から運んできたのだろう、ってね。口や食い破られた腹や胸から、蛇が次々に這い出てきていました。二十匹はいましたね」
「………」
「だけど、おかしいんです。この処刑では、受刑者はなかなか死ねないはずです。みせしめの為、受刑者を苦しみのたうち回らせる為の処刑方法ですから。蛇が胃から脇腹を食い破ってでてくるまでには数時間かかります。娼婦が小用で部屋を離れただけの短い時間じゃ、蛇を一匹飲み込ませるのが関の山。犯行は不可能です。大量の蛇を飲み込ませるだけで相当時間がかかりますし、蛇を物質転送魔法で一度に胃に送ったのだとしても二、三分じゃ蛇は人体を食い破れません。時間を操る魔法を嗜む、魔族か超一流の魔術師でなきゃあの犯行は不可能です」
「魔法?」
 セレスの顔が少し明るくなる。
「じゃあ、アジャンは関係ないわ。魔法なんか全然、使えないもの」
「いいえ、セレス様」
 と、ジライがかぶりを振る。
「先程の襲撃の折、引き際にアジャンめは移動魔法で消えております」
「え?」
 口元を押さえるセレス。
 武闘僧も言葉を添えた。
「ええ、セレス。今、アジャンの周囲には魔法の力があります。そばに魔法を使える協力者がいるのだと思うのですがね、まだ確認がとれてません。ともかくも、彼の行動に魔法が関わっています。昨晩、彼は窓のない娼館から姿を消しました。彼の部屋はゲオルグの隣室で、三階建ての建物の三階でした。移動魔法を使わなきゃ、姿を消せませんよ」
 自分で書いておきながらなにですが、アジャンが斬ったのが大風車で本当に良かったと思います。火薬玉なんかを斬ってたら……ジライの死なばもろともの自爆で、アジャンも死亡してたなあと……。忍者の懐にはクナイやら手裏剣やら火薬玉やら煙玉やら暗器やらがいっぱいです。
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