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女勇者セレス 作者:松宮星

勇者として

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彷徨う光 1話

「………ここ、何処?」


 女勇者セレスは呆然と周囲を見渡した。


 王宮で、スルタン(トゥルク国王)と対面していたはずだ。
『勇者の剣』を背負い、白銀の鎧をまとった勇者の正装で。東国の少年シャオロンと忍者ジライと共に、国王の前に跪いて。
 謁見の間は、大理石の柱廊がめぐる建物―――謁見の館にあった。宝石や寄木細工がはめこまれ金で覆われたアラベスク模様の美しい壁の前には、近衛兵がずらりと並んでいた。部屋の奥には天蓋つき玉座があり、そこに座るスルタンと会話をしていた。
 そう、話しているさなかだったのだ。
 なのに………何故?
 何時の間に、こんな所に………?
 薄暗い照明の、何処かの廊下のようだった。青いタイルや宝石がふんだんに埋め込まれた壁が、遠くまで続いている。
 幾何学的な装飾は、トゥルク風だ。ここも王宮なのだろうか?
 左右は壁と扉。窓が無いせいで薄暗いのか、それとも知らぬうちに時間も流れて夕方になってしまったのか?
 漏れ聞こえてくる音楽。
 はなやかな笑い声。
 明らかに………女性の声だ。
「ハーレムですな、おそらく、ここは」
 忍者ジライが忍の目で周囲に視線を走らせ、セレスとシャオロンを壁際へと誘った。
「シッ」
 覆面の忍者は、口元に右の人差し指を当てる。
「忍法、隠身の術」
 忍者が気を高めて間もなく、カツカツと靴音が響いて来た。
 先の曲がり角から、二人のハーレム衛兵が現れる。アフリ大陸からつれて来られた真っ黒な肌の衛兵は、腰にジャンピーヤ(曲刃の短剣)を差していた。
 三人の横を、衛兵が通り過ぎる。真っ直ぐに正面を見つめたまま。女勇者達が見えていないのだ。
 二人の衛兵が反対の角を曲がって姿を消してから、忍者は安堵の息を漏らした。隠身の効果時間はあまり長くない。術が切れる前に行き過ぎてくれて良かった。発見されれば大事となる。
「移動魔法で運ばれたのでしょうなあ。我等は今、ハーレムに居ります。速やかに脱出しましょう」
「あの………ハーレムって?」
『龍の爪』入り革袋を背負った、道着姿の少年が問う。セレスは困ったように少年を見つめる。
「スルタンの母や妻や側室が暮らす屋敷よ。スルタンと王子以外、男子禁制の場所なの」
「え?でも、さっきの衛兵は?」
 どう見ても男だったが?
「あれは宦官じゃ」と、ジライ。
「………宦官」と、頬を染めるシャオロン。
「シャイナの王宮にも居るじゃろ?ナニをちょん切って、男を捨てた男よ。おなごを孕ませる能力がないゆえ、後宮では宦官が重宝される。ここには、大臣・召使・衛兵の宦官と、数百の女奴隷が居るはず」
「早く脱出しなきゃ」
 母方の祖母―――勇者ランツの妻がトゥルク人だったので、セレスはトゥルクの慣習には詳しかった。
「何をどう言い訳してもダメなの。自分の意志で入ったのじゃなくても、誰かの策略で移動魔法で飛ばされてしまったんだとしても………理由はどうであれ、ハーレムに足を踏み入れた男は死罪なのよ」
「え?」
「誰かに見つかったら、私はともかく………シャオロン、あなたとジライは処刑されるわ」
「え―――っ!」
「罪一等を減じられたとしても、ナニを切られ、男ではなくなるな」と、ジライ。
「え―――っ!」
 己に関わる事なのにけろりとしているジライ、とりみだすシャオロン。
 二人の仲間を見ながら、セレスは溜息をついた。
 頭が痛かった。
 考えれば考えるほど、頭が痛くなってきた。
 どうして、こんな事になってしまったのだろう?


 勇者ランツと大恋愛の末に結ばれたセレスの祖母エリス(改名前の名はエリューズ)は、トゥルクの姫君だった。現トゥルク国王(スルタン)の大叔母にあたる。
 セレスはスルタンと血縁関係にあった。が、王宮には入れないと思いこんでいた。
 同じペリシャ教圏のペリシャでは、異教徒でしかも女のセレスは王宮への立ち入りを禁じられた。ペリシャでは(セレスの宿泊先に現れた)国王の使者より国内での魔族討伐の許可をもらったぐらいで、王宮とはほとんど関わりがなかったのだ。
 トゥルクでも同じような待遇になるのだと思っていたのだが………
 トゥルクのスルタンは違った。女勇者の宿屋までわざわざ迎えを送ってくれたのだ。セレスには青天の霹靂だった。首都タブールに着いてから王宮に書簡を送っていたとはいえ、まさか迎えが来るとは!朝も早い時間、宿屋の前には馬に乗った高官と近衛兵一個小隊がずらりと並んだ。
 だが………
 スルタンがわざわざ迎えを寄越してくれたというのに、宿屋には何故か赤毛の傭兵アジャンも、武闘僧ナーダも居なかった。
 アジャンが朝に宿に居ないのは、まあ、いつもの事。娼館に泊まっているのだろう。しかし、ナーダが無断で宿を空けたのは初めてだった。
 二人ともいないなんて、何か事件?魔族と戦っているのかも?と、心配するセレスに、何処から情報を仕入れてきたのか忍者が教えてくれた。
 アジャンは歓楽街に外泊中、ナーダは寺院関係の者と内密に接触する為に別所に宿をとって移ったのだ、と。二人とももう間もなく戻るだろうとも忍者は言ったが、迎えを待たせるわけにもいかなかった。
 セレスは王宮へ向かう事とした。
 血族とはいえセレスは異教徒。それほど歓迎されるはずはない。ご挨拶を済ませたら、また、街に戻る事になるだろう。何かあったら王宮から使いを送るから宿で待っていてと、二人には手紙を残し、宿の主人に託した。
 高官と近衛兵に導かれ、セレス、シャオロン、ジライは、王都タブールの東―――海の近くの小高い丘に立つ宮殿へと着いた。政府や軍隊の施設、スルタンの邸宅。絢爛豪華な数多くの建物が、三つの中庭を囲むように立っていた。
 セレス達は、最も奥の中庭の第三庭園にある謁見の館まで案内された。この先にあるのはハーレムやスルタンの邸宅のみ。謁見の館まで通されたという事は、大使待遇で歓迎されている事を意味した。
 スルタンは謁見の館の広間―――謁見の間で、女勇者を待っていた。天蓋つき玉座に座るのは、白のターバンを巻き、金銀刺繍の豪華なカフタンをまとった、スルタン。顎髭も不似合いな、年若い青年王だった。十五の年に即位して、まだ二年。即位後一年も経たないうちに大魔王が復活し、若いながらも家臣達の助けを借り、その国難を乗り越えて来たのだ。
 青年王は、今世の勇者が血縁である事を誇りに思っていると笑みを見せ、大魔王教徒を取り締まりきれない現状を嘆き、女勇者に助力を求めた。
 スルタンの歓迎ぶりに、いたく感激していたセレスは、
『私にできる事でしたら、どのような協力もいたします』
 と、二つ返事で答え、スルタンからトゥルクの現状などを聞いていたはずなのだが………
 ふと気がつくと………
 見知らぬ場所―――ハーレムの廊下に居たのだ。
 シャオロンとジライと共に。


 ジライの先導で、セレスとシャオロンは無人の部屋に行き着いた。スルタンの夫人の部屋と思われたが、女主人も奴隷もいなかった。サロンに行ったのか、別室の夫人を訪ねているのか。色鮮やかなトゥルク絨毯(床と部屋の三方の大きな腰掛けに敷かれている)には、人がほんの少し前まで居たようなぬくもりが残っていた。
 部屋の奥の格子窓の先は、テラスと中庭だった。中庭は後宮の女性が陽の光を浴びる事ができる数少ない場所、美しい池と緑豊かな庭園が窓越しに見える。忍者は窓までふわりと移動し、はめ殺しの分厚いガラス窓を探った。窓の中に、テラスへと通じる開閉式の窓が混ざっている。
 それを開けようと、ジライが窓に手をかけた瞬間!
 バチバチバチ!と、稲妻が走り、忍者の体を貫いた。
「ぐっ!」
「ジライ!」
「ジライさん!」
 窓から手を離すと、雷撃魔法は止んだ。
 忍者はその場に片膝をついて、しゃがんだ。
「大丈夫、ジライ?」
「大事ありませぬ、セレス様。少々、痺れただけで」
 ジライはチッと舌うちを漏らした。窓に逃亡防止用の魔法が仕掛けられていたのだ。
「ハーレムのおなごを魔法で閉じ込め囲うとは………あの王、意外と趣味が悪いのかもしれませんな」
「え?」
「本来、後宮のおなごは、奴隷であっても逃げませぬ。王に見初められ子を成し、それが運よく世継ぎとならば、栄耀栄華は思いのまま。おなごの最たる出世といえましょう。後宮は王の愛を得ようと、おなごが華を競う場所。おなごは喜んで後宮に住むのです………本来であれば」
「さっきの雷撃魔法、ハーレムの女性を保護する為の魔法なんじゃないの?」
「ならば、外に仕掛けましょう」
「あ!そうね、たしかに」
「魔法でおなごを閉じ込めているとは、国王の趣味は相当ですな。おなごに嫌がられ逃げられるほどひどいとなると………快楽よりも暴力を好む残虐なS趣味か、魔薬中毒か、糞尿愛好家か、獣姦マニアか………」
「え?」
「え?」
 セレスとシャオロンが目をぱちくりさせる。二人ともジライが使用した単語が理解できないのだ。
「………何でもございませぬ。独り言にござりますれば」
 忍者は室内に視線を走らせてから、女主人の前に跪く。
「セレス様、ここで少々、お待ちくだされ。周囲を探ってまいります」
「わかったわ、気をつけてね」
「シャオロン、これを持っておれ」
 ジライは少年に、掌に載る黒い玉と、茶色の小袋を少年に手渡した。
「火薬玉と眠り薬じゃ。いざとなったら火薬玉でその窓を吹き飛ばして逃げよ。呪模様さえ壊せば、封印魔法も解ける」
「はあ」
「眠り薬は使いどころを考えるのじゃぞ。投げる時は、自分やセレス様にかからぬよう、気をつけよ」
「はい………」
 忍者の姿がフッと消える。すばやい体術で別所に移ってしまったのだ。
 手渡されたモノを握りしめ、少年は溜息を洩らした。
「どうしたの、シャオロン?」
「いいえ………何でもありません」
 少年は強がり、嘘を吐いた。
 本当は………自分がなさけなくって恥ずかしくって、頭に血がのぼってめまいすら感じているのだ。
 額がズキズキと痛む。
 体もだるい。
 シャオロンはそのやさしい顔立ちを曇らせた。
 セレスが何者かの策略で、妖しい場所に飛ばされてしまったというのに………自分はどうして何もできないのだろう?ただボーッとしているだけなんて………
 どうして、自分はジライのようにセレスの為に働けないのだろう?
(オレは、ナーダ様みたいにみんなの為に魔法を使うなんてできないし、アジャンさんみたいに凄い力でみんなを守る事もできない。『龍の爪』を両爪使えるようになったって、全然、だめだ。何も変わってない。お荷物のまんまだ………)
 しょぼんと頭を垂れている少年………
 セレスはそんな少年の背を、革袋におさめた『龍の爪』ごと背後から抱きしめた。
「!」
「あなたが居てくれてよかったわ………」
「え?」
 背後を振り返った少年と、セレスの目が合う。女勇者はにっこりと微笑んだ。
「だって、こんな所に一人で残されてたら、不安で不安でしょうがなかったと思うの。あなたが一緒にいてくれて心強いわ」
「そんなオレなんか………何のお役にも」
 セレスはかぶりを振った。
「前にも言ったでしょ?頑張っているあなたが、私に力を分けてくれるって。あなたが傍にいてくれると、私、頑張れるの。あなたに負けないように、もっともっと頑張らなきゃって思うから」
「…………」
「それに、さっきから、なんか頭が痛いのよ。ここに来てからずっとなんだけど、だんだん、ひどくなってきてて」
「え?」
 頭痛ならば、シャオロンも感じていた。
「セレス様もですか?実はオレも、さっきから頭が………」
「あなたもなの?そう。お互い、一人じゃなくてよかったわね。シャオロン、もうしばらく、このままでいていい?」
「セ、セレス様が、なさりたいように………すれば………いいかと」
 東国の少年が、どきまぎと答える。甘い香りを少年は感じていた。セレスの匂いだ。
「シャオロン、頑張りましょう、絶対、三人とも無事にハーレムから脱出するのよ」
「あ、はい!」
「今までは敵を叩きのめす!で、きたけど、今回は人間相手にかくれんぼだから、ちょっと大変よね」
「はい」
「でも、大丈夫。みんなで力を合わせればどうにかなるわ。絶対、大丈夫。だから、元気をだしていきましょうね」
「セレス様………」
 シャオロンは白銀の神聖防具に包まれたセレスの指に、そっと触れた。
 セレスは慰めてくれているのだ。ジライに嫉妬して能力不足を嘆いていた事までは気づいていないようだが、落ち込んでいるシャオロンをみかね、励ましてくれたのだ。
「すみません、セレス様、オレ………」
「いい、シャオロン?あきらめちゃ駄目よ。絶対、助かる!そう信じましょ!」
「はい!セレス様!」
 と、その時………
 建物をずしん!と揺らす振動が走った。
 何処かで火薬が爆発したような衝撃だった。
 廊下を急ぎ足で複数の靴音が通り過ぎる。宦官衛兵達が爆発の起きた場所に向かっているのだ。
「………ジライさんでしょうか?」
「………そうかも」
 二人は声を潜め、廊下を伺った。


 忍者ジライは天井に張りついて気配を殺し、宦官警備兵たちの会話を盗み聞いていた。
 この建物は異常だ。
 全ての出入り口や窓に、逃亡防止用の魔法が仕込まれているだけではない。
 壁も異様に硬い。タイルの隙間にすらクナイが刺さらないのだ。触れてみれば、見た目と触感が違うのがわかる。壁の手前に目に見えぬ障壁がある。結界魔法の障壁が張られているのだ。館中、全てに。
 結界で建物中を覆うなど、魔力の浪費といえた。宮廷魔術師が二十人態勢で三交代制で働けば結界維持も可能かもしれないが………何故、そんなことをする必要がある?
 虜囚を牢に閉じ込め牢にのみ結界を張る………それが、普通の人間の術師のやり方だ。効率もいい。
 建物全てを己が影響下に置きたがるなど、人間の発想ではない。
 そう思い、腰の『小夜時雨(ムラクモ)』を抜刀し、壁を斬ってはみた。しかし、聖なる武器の刃も、目に見えない障壁に弾かれた。魔族が絡んでいるのだとしても、魔法で障壁を張られていてはその先を斬れない。浄化できないのだ。
 次に火薬玉を用いたのだが、目的は破壊ではない。情報収取の為だった。爆発は、壁を破壊するどころか、表面を焦がす事すらできなかった。予想通りであった。
 火薬の音を聞きつけ集まって来た黒人達が、しばらく周囲を探り、あれこれと話し出した。
 賊か?誰か見かけたか?居ない?まあ、いい、ほっとけ、じきに仲間になる。どっかの馬鹿が、また、迷い込んで、出口を作ろうとして火薬を使ったんだろう。ここに、入口はあっても出口はない。出口など出来ないのに、な。
(出口がない?)
 彼等の口ぶりからすると、女勇者がここに居る事は全く知らないようだった。しかし………
(ほっとけ?じきに仲間になる?)
 嫌な予感がした。
 それに、爆発騒動を起こしたのに、集まって来たのは、黒人衛兵ばかり。女奴隷が一人も来ない。遠巻きに眺める姿も事ない。物見高い性の女性が誰一人現れないのはおかしい。
 サロンからはずっと音楽が流れてきている。女たちは歌舞に興じているようだ。
 ジライは天井をつたい、サロンへと移動した。
 だが、そこには………気弱な者ならば正視できない、現実があった。忍者ジライは眉根を寄せた。
(これならば、スルタンが鬼畜変態だった方が遥かにマシだったな)
 絨毯を染めるおびただしい血。
 所々に、積み上がった死体………ざっと見ただけでも、死骸は三十近くありそうだ。下となっているものは、明らかに腐敗している。その上、遺体は食いちぎられている。手足、指が周囲に散らばっているのだ。
 獣のような声をあげ、欲望のまま猛る黒人達。
 優美に笑う女主人達。
 腐敗臭を消す為に、むせるほど強く焚かれた香。
 楽を奏で、楽しそうに舞い踊る女奴隷達………
(………狂っておる)
 殺される瞬間まで、女奴隷は踊っていた。切り刻まれ、息絶えた後も、死に顔は笑みを浮かべていた。
 その血だらけの遺体に黒人達が群がり、元からあった穴にも新しくあけた穴にも、欲望をつきたててゆく。
 仲間から飛び散った血を浴びながら、踊り子達は何事もなかったかのように踊り続ける。女主人達も上品に笑い続けている。死骸をむさぼる黒人達には目もくれずに。
 遺体も殺戮者も凌辱者も、見えていないのだ。
 そして、遊び終えた黒人も夫人や女奴隷達も、何事もなかったかのように、サロンを後にする。狂気など微塵も感じさせぬ日常の姿をとって。
 ジライは目の奥が痛むのを感じた。忍として、今まで惨たらしい場面には何度も出くわしている。その自分が吐き気すらもよおしているのだ。頭も鈍く痛んでいる。
(この建物………精神系の魔法が働いておるな。おそらくは、洗脳魔法。女達の心を縛り、現実から目をそむけさせておる術。そして、黒人どもを狂わておる術………欲望に惑い、欠けたるモノを欲した時、堕ちるのか?)
 ほっとけ、じきに仲間になる………
 黒人警備兵の声が耳に甦る。
(時をかければ………我もああなると?)
 醜く猛る黒人どもに、ジライは冷たい視線を向けた。
(どこの阿呆の魔法かは知らぬが………させぬ。セレス様に、あやつらを指一本近づけるものか)
 ジライはセレスの待つ部屋へと向かった。もう少し情報も欲しかったが、時間をかけすぎては、セレスもシャオロンも自分も正気を失うかもしれない。
 脱出の手立ては一つ。それが有効かどうかは不明だったが、他にできる事がない以上、セレスの許可をとって実行するだけだ。


 複数の足音が近づいて来る。
 セレスはシャオロンを背後に庇い、扉の陰になる位置にしゃがみ息を潜めた。
 足音が行き過ぎてくれる事を祈ったのだが………
 扉が開いてしまう。
 入って来たのは、この部屋の女主人と三人の少女奴隷だった。
 女主人は、黒髪、浅黒い肌のトゥルク人。少女奴隷達は白人だった。エウロペかエーゲラから金で買われてきたのだろう。
 全員半ば夢を見るような、とろんとした顔をしていた。彼女らの衣服には、赤黒い染みが所々についていたが、まるで頓着していない。
「セレス様」
 ジライの声だ。
 扉の陰に隠れながら、セレスは周囲を伺った。
 女達にはジライの声は聞こえていないようだ。女主人は腰掛けに優美に座り、少女奴隷達は菓子やチャイを運び女主人に仕えている。
「セレス様、隠れる必要はございませぬ。おなご達に我らの姿は見えておりませぬゆえ」
 そう言って扉を閉めた者は………
 薄手のベールを縫い付けたトクルク帽を被り、ショール状の腰布を巻きつけたドレスを身につけ、その下からトゥルク風のゆったりしたズボン、ストッキング、短靴を覗かせている………黒の長髪、浅黒い肌の、女官だ。妖艶と言えるほど美しい。
「………」
「………」
 セレスとシャオロンは、目の前の人物をまじまじと見つめた。
 薄手のベールで顔を隠しているのではっきりとは見えないし、口紅、頬紅、目の縁にも染料を塗って濃い化粧をしているので雰囲気がまるで違うのだが………見覚えのある、切れ長のその瞳は………
「………ジライ?」
 女勇者の問いに、目の前の美女は頷いた。
「え――っ!」
 セレスとシャオロンの驚きの声が重なった。
 二人は慌てて口を閉ざし、部屋の中を伺った。しかし、部屋の住人は予想に反し、セレス達を見てもいない。お茶を楽しんでいる。
「セレス様、この後宮、妖しき術の下にあります」
「え?」
「我等は魔族の結界の内に閉じ込められたのかと」
「どういう事?」
 美女の姿の忍者ジライは、外に通じる箇所には全て脱出防止の封印魔法がかけられている事、建物全体が結界に覆われている事を説明した。
「魔族は、このハーレムのおなごどもを餌に選んで囲っておるのでしょうな。いつでも喰えるように」
 ジライは胸元から取り出したものを、この部屋の女主人めがけ投げる。クナイだった。
「きゃっ!」
 セレスは悲鳴をあげた。
 クナイが女主人の右頬をかすめた。壁にぶつかるや、忍者の武器は不自然な音を響かせ、床に落ちた。結界に弾かれたのだ。
 女主人はホホホと口元に手を添え、朗らかに笑った。鋭い刃が頬をかすったのに、気づいていない。少女奴隷達も同様だ。
「おなご達は心縛られ、偽りの世界に生きております。現実が見えておらぬのです。殺されようが、犯されようがわからぬのです」
「え?殺す?犯す?」
「サロンでは、今、魔族の宴が繰り広げられております。黒人宦官どもが、おなごを犯し、殺し、死体をむさぼり喰っております」
「え?え?え?ちょっと、待って………宦官が?」
「さようにござります、セレス様」
 忍者は神妙にかしこまった。
「おかしゅうございましょ?去勢されたはずの宦官どもに、男性器があるのです。アフリ大陸からさらわれ或いは購われて宦官となった奴等には、やはり憎悪の念があったのでしょう。そこを魔に憑につかれ、魔族の下僕に堕とされたのです。偽の一物を持っておる者らは、全て魔に憑依されている者かと」
「一物………?」と、セレス。
「一物とは男性器のこと。あやつらのアレ、人間のモノではござりません。黒人とはいえ、太く長すぎます。赤子ほどの大きさと言ってはさすがに過言ですが、あれでは巨根のナーダよりも幅が………」
 そこまで言いかけて、ジライは口を押えた。
「ナーダ?」
 セレスが小首をかしげる。
「ナーダがどうかしたの?」
「………何でもございませぬ」
 ジライはコホンと咳ばらいをした。
「………ともかくも、宦官どもは魔族に堕ちております。ぶった斬っても問題はございませぬ。どころか、ハーレムにあやしげな洗脳魔法をかけておる者も、宦官どもの中に混じっているやもしれません。きゃつらがなにゆえ、ハーレムにこもっておるのか、どんな企みをもって魔族が宦官どもを利用しておるのかはさっぱりわかりませんが、もたもたしていては我等も術をかけられてしまいます。宦官どもを殲滅いたしましょう」
「………急いで敵を倒せって事ね」
「あの………」
 少年がためらいがちに、忍者に尋ねる。
「さっきオレ達の前を通った警備兵も………魔族だったんでしょうか?」
 美女は眉をしかめた。
「ハーレムに長く居ると、女は偽りの夢の世界に生きるようになり、男は魔に堕ちるらしい。さっきの黒人警備兵も魔族であろう」
「………」
 少年は納得できないようだった。
「何か気になる事でも?」
「気が………」
「む?」
「魔族の気が全然しないんです………さっきすれちがった警備兵もそうですけど………サロンで魔族がハーレムの女性にひどい事をしているのなら、建物中が、それこそ吹き荒れるような魔の気に満ちていてもおかしくないのに」
 少年はうつむいた。その顔色は白い。
「何も感じないんです………オレ」
 修行不足であろうとあっさりと切り捨てようとした忍者に代わり、セレスが少年の懸念の答えを探す。少年はセレスよりもずっと魔の気に敏い、この世の神秘を見通す目を持っているのだ。その少年が魔の気を感じ取れないのは、敵が上位魔族で魔の気配を絶っているからなのか、或いは………
「………洗脳魔法自体に魔の気を隠す付加効果があるかもしれないわ。中に、聖職者がいても大丈夫なようにね。誰にも気づかれずに、みんなを思い通りにしようとしてるんじゃないかしら?」
 それはありそうな事だと、自分で言いながらセレスは思った。
「それに………」
 セレスは少年の肩にソッと触れた。
「大丈夫、シャオロン?」
 少年がゆっくりと顔をあげる。
「頭痛はどう?我慢できる?」
 後、考えられる可能性は、体調不良による能力の低下だ。少年は口元に微かに笑みを浮かべた。女勇者に心配してもらって申し訳ないと言うかのような表情だ。
「大丈夫です、セレス様、オレ、平気です」
 セレスも頭痛が少しづつ重くなってきていた。本当に時間が無いのかもしれない………急がなくてはと、セレスは拳を握った。
「ジライ、何か作戦ある?」
「ハーレムに居る奴等は全て血祭り、で、術師ももれなく殺し、後腐れがなきようおなご達まで皆殺しにして、とっととこの建物を離れるのが上策かと」
「………絶対、ダメ」
 セレスはぷるぷるとかぶりを振った。勇者の従者になったとはいえ、さすが元大魔王教徒。ジライはめっきり暗黒系の考え方をする。
「宦官達が魔族なら、もちろん倒すわよ。でもね、ハーレムの女性は被害者なのよ?殺すだなんて、とんでもない。魔族を倒して、一人でも多くの方をお助けするのよ!」
「………そうおっしゃるだろうと思ってました」
 ジライはフ――ッとため息をついた。
「今のうちに殺してさしあげるのが情けかと、私は思いまするが………セレス様のご意思に従います」
「?」
「その策でいくのならば………セレス様、お召し替えを」
「え?」
「後宮美女となるのです。シャオロン、おまえもじゃ。おなごになれ」
「は?」
 美女の姿の忍者は、二人を見渡した。
「ハーレムのおなご達の安全を優先するのにござりましょ?勇者一行が暴れておると知れば、宦官ども女を盾に我が身を守るに決まっております。きゃつらに正体をけどられぬよう、一人づつ倒していくべきかと。と、なれば、目立つ姿で人目を引くは、禁物。この場所にふさわしい変装をしなければなりません」
「そうね………」
 セレスはジーッと忍者を見つめた。女装したのは、敵の油断を誘う策だったのだ。
「でも、武器はどうするの?」
 身長ほどもある巨大な『勇者の剣』を持っていたら、すぐに勇者とバレてしまう。隠し持つのも、『勇者の剣』の大きさでは不可能だ。
「『勇者の剣』は、この部屋に置いてゆかれては?セレス様が危機とあらば、その魔法剣、勝手にお手元にまいるでしょう」
「でも………」
『虹の小剣』も『エルフの弓』も宿屋に置いてきてしまった。丸腰ではこころもとない。
 ジライはドレスの裾をめくり、隠し持っていた忍刀をセレスに手渡した。
「申し訳ございませぬが、これで身をお守りください」
「あなたは?」
「私には『小夜時雨(さよしぐれ)』が………あ、いや、『ムラクモ』がございます」
 忍者はドレスの下に聖なる武器も隠していた。
「じゃ、借りておくわ」
 セレスは忍刀を抜いた。ジャポネの刀にしては刀身が短い、軽量な片刃の剣だ。セレスは刃を鞘に収めた。
「シャオロンの爪武器は革袋に入ってるから、大丈夫よね?」
「さようにござりまするなあ」
 忍者は顎の下に手をそえ、首を傾げた。
「しかし、いずれ装備するのですし、ならばいっそ、最初から装備していてもあやしまれぬ恰好をすべきかと」
「あやしまれない恰好?」
「踊り子にございます」
「踊り子………」
 呆然とするセレスとシャオロン。ジライはうきうきと声を弾ませた。
「セレス様も踊り子にいたしましょう!踊り子ならば、一人より二人!二人で歩いている方が自然ですから!実はさきほどの探索で、よさげな衣装も見つけてあるのです!すぐにも!すぐにも踊り子となれます!洗脳魔法が働いている今、魔族との戦いは時間との勝負!変装に迷い、時間を潰してはいけません!」
「そうね………」
 妙な熱意をもってそう力説する忍者に、セレスは反論できなかった。
「任せるわ、変装の衣装を持って来て」
「承知!」
 ジライは、うっとりと虚空を見つめた。
「あああああぁぁ、踊り子!セレス様の踊り子姿!何とも………心躍るぅ………」
「は?」
「しかし、惜しい!このジライ、後、十、若ければ、ご一緒に踊り子に変装できたものを………この年になりますと、いかんせん体型が………」
「いいわよ、別に同じ変装しなくても」
 セレスは首を左右にひねった。踊り子ってどんな格好だったかしら?と。
「どうぞ、セレス様、大船に乗ったつもりで、このジライにお任せを。とびっきり美しい踊り子にしてさしあげますゆえ♪」
+注意+
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