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女勇者セレス 作者:松宮星

勇者として

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暁のくノ一

 暗殺者であった東国忍者が女勇者一行に加わった。


『このジライ、卑しき忍なれど、セレス様の尊きお心に触れ、あなた様こそ主人と確信いたしました。あなた様から報酬をいただく意思はございませぬ。ただ、お側に侍る事をお許しください。以後、陰ながらセレス様につき従い、セレス様をお守りする事をお許しくだされ』


 そう忠誠を誓い跪く忍者の手を取ってセレスが立ち上がらせたのは、まあ、いつもの事。セレスは世間知らずのおひとよしのお姫様。その脳天気さにはうんざりしていたが、文句を言ったところで、一向に改まらない。
 シャオロンが、尊敬する女勇者に絶対服従をしてしまうのも、いつもの事。
 だが……


「何で、おまえまでのほほんとしてやがるんだ、ナーダ?」
 宿屋の一室で、赤毛の傭兵アジャンは緑の鋭い眼差しで、威嚇するように武闘僧を睨んだ。
「暗殺者が寝返るなんざ芝居に決まっている。しかも、野郎、無報酬で働くとほざいて、金品はおろか、宿もいらん、食事も食わんときてる。タダで命懸けで働くなんざありえん」
「……ご自分の物差しで何事も判断しようとするのは、あなたの悪い癖ですよ、アジャン」
 語気を強めている戦士に対し、武闘僧はのんびりと諌めるように話す。
「確かに、報酬を拒んでいるのは問題だと思いますがね。彼が生活費や武器、火薬などの消耗品をいかなる方法で手に入れているのか……ためこんだ貯金を崩しているのならいいのですが、非合法な手段でお金をつくってる可能性もありますよね、強盗とか窃盗とか詐欺とか。なにしろ、元大魔王教徒だし、裏で何やってるか」
「ンな事はどうでもいい!」
「よくないですよ、従者が犯罪なんかしてたら大事です。バレたら、せっかく『女勇者セレス』で盛り上がった勇者の評判が地を這う事になります。せめて、生活費だけでも受け取るよう、セレスから説得してもらいますかね」
「ナーダ! 何故、おまえは奴を仲間と認める? あれは暗殺者だぞ! 何で奴をセレスと二人っきりにしたりしやがる!」
 武闘僧はフーッとため息をついた。
「安全だと思うからですよ、アジャン」
「……きさまにまで、セレスの脳天気さが移ったのか?」
「彼は安全です、それがわからないなんて、あなた、今、ご自慢の勘が鈍ってるでしょ?」
「なに?」
「冷静になってよく見てください。抜け忍となった彼には、セレスを暗殺する必要はないんです」
「だが、それこそが芝居かもしれん」
「依頼主を殺してしまったのに? あなたが彼を気に喰わないのは、疑わしいからじゃなくて、他の理由じゃないんですか?」
「他の理由? 何だ?」
 ご自分の胸に手を当てて考えてくださいと言ってから、武闘僧はにやりと笑った。
「猪突猛進型正義の味方のセレスには監視役をつけようかと思ってましたので、彼が傍にはりついてくれるのなら好都合です。セレスへの忠義心も、私やあなたと違って満ち溢れてますしね、シャオロンと同じぐらいあるでしょう」
「………」
「私の調べたところ……まあ、あなたも調べていたようですが、彼は夜になるとセレスの寝所のそばに潜み、一晩中、セレスを護衛しています。セレスにも私達にも内緒で、ね。その行動が怪しいといえば怪しいですが、殺す気ならもうとっくに殺していますよ。彼は、単にセレスを守りたいだけです」
「無報酬で、か?」
「報酬なら貰ってるはずですよ、愛しい女を守る生きがい……それが彼の報酬です」 
「………」
「不服そうな顔ですね。『愛』のみで生きる人間を信用できませんか?」
「できん」
 やれやれとナーダが肩をすくめる。
「世界中の娼館で愛をふりまいている癖に、愛を信じられないなんて、かわいそうな方ですね、あなたも」
「うるせえぞ、クソ坊主」
 ナーダはにっこりと微笑んだ。
「ま、何にせよ、私やあなたよりも彼の方が護衛役に適しています。もと暗殺者ですから、賊の手口もお見通しでしょ? この際、任せちゃっていいんじゃないんですか? その方が楽ですし」
「ケッ!」
 これ以上は話すだけ無駄。ナーダは仲間にひきこむのは無理だ。赤毛の傭兵は、一人で忍者の尻尾を捕まえる覚悟を決めた。


 忍者ジライは、常に一行と行動を共にしているわけではない。昼の移動中は姿を見せたり見せなかったり。物陰に潜みついて来ている事もあれば、周囲にまったく気配が無い事もある。それでいて、宿に着くと必ず屋根裏などに居たりするのだ(セレスが呼ぶと姿を見せるし、時々、セレスの背後をとって驚かせているようだ)。
 忍の里の者と接触している可能性が高いのは、昼と思われた。


 砂漠の国と謡われるペリシャも、北部山岳地帯は高所にあり、緑も多い。季節が過ごしやすい春である事も、旅を楽にしていた。
 首都イスファンを目指し、勇者一行は緑輝く森の街道を進んでいた。
 赤毛の傭兵アジャンは、ふいにそれまで木に登りついて来ていた者の気配が消えている事に気づいた。
 東国の少年シャオロンに、『後から追いつく。先に行け』とのみ伝えて、アジャンはぎりぎりまでジライの気配を感じていた辺りまで馬を返し、周囲を探った。
 アジャンには動物的な勘があった。理屈抜きで真実に近づける、全てを見通す目といおうか。
 木の幹に馬を繋ぐと、アジャンはやぶ草だらけの、森の中へ入って行った。なるべく音を立てないよう気をつけても、足場が悪すぎる。こすれる度に、草をざわめかせてしまう。忍者に気づかれぬよう近づくのは不可能だった。
 と、そこへ……
 黒い影が現れた。
 全身を黒装束で覆った覆面の忍者だ。しかし、その体は小柄だ。ジライではない。
「きぇぇぇぇぇい!」
 甲高い声で気合を入れると、忍者は背の忍刀を抜き、アジャンへと斬りかかってきた。
 女の声だった。
 アジャンは刀を身をかわして避け、相手の動きを見た。素早い動きで、女忍者はアジャンの急所を突こうとする。
 しかし……
「あああっ!」
 相手の右腕をむずっと掴み、アジャンは忍刀を奪った。それならばと女は懐に手を入れようとしたが、中から何かを取り出させる前に、左手もつかんでその動きを奪う。
「女、おまえ、ジライの仲間だな?」
 覆面から覗く瞳が、キッ! とアジャンを睨む。睫毛の長い、艶っぽい瞳だった。が、黒目が大きくまだ何処か幼い印象を漂わせている。その瞳が……涙に濡れていたのだ。
「抜け忍など、もはや仲間ではないわ!」
 女は激昂し、わっと泣き出した。
「殺せ! 今すぐ、あたしを殺せ!」
 ポロポロと涙を流す女。忍とは思えないその感情の激しさに、アジャンはひどく驚いた。
「その者を放せ、アジャン」
 赤毛の傭兵は眉をしかめた。ジライに……何時の間にやら背後をとられていた。背後から回された手が、喉にぴったりとクナイの切っ先を押し当てている。
「放さねば、殺す」
「ほほう。勇者の従者仲間を殺すってのか?」
「きさまなぞ仲間ではない」
 冷然とジライが言い放つ。
(われ)が忠誠を誓ったのは、セレス様、ただお一人。セレス様の為だけに我はある。セレス様の周りに居るだけの者など、もとより眼中にないわ」
「セレス! セレス! セレス! セレス! セレス! セレス!」
 アジャンの腕の中の女忍者が、狂ったように女勇者の名前を呼んだ。
「どこがいいのよ、あんなトウモロコシ頭の女! ジライを顎で使う、お高くとまった嫌な女じゃない! あんな奴より、あたしの方が百倍も千倍もあなたを愛しているわ!」
「……セレス様の悪口を言うな」
「馬鹿ぁ!」
 女忍者がめちゃくちゃに、アジャンの腕の中で暴れる。
「……おい、クソ忍者、痴話喧嘩なのか?」
 アジャンが半ば呆れて尋ねると、
「痴話喧嘩などではない」
 忍者はフンと鼻を鳴らした。
「とうの昔にこやつは捨てたのだ。男女の仲ではないわ」
「ジライ……」
 女忍者の声がせつなげなものに変わる。そこで、忍者ジライは非情にもこう言ったのだった。
「何度言えばわかるのだ、アスカ。我は、おまえにはもう飽きたのだ。おまえとの遊びは終わったのだ」
「………」
 ぶるぶると震え、女忍者は嗚咽を漏らした。
「わかったわ……わかったわよ。あなたは、あたしより、あの女がいいんでしょ。わかったわよ」
「里へ帰れ、アスカ。いつまでも我につきまとっておれば、おまえまで抜けたかと里に疑われる」
「帰るわよ! 帰ればいいんでしょ!」
 深く息を吐き、ジライはクナイの切っ先に少々力をこめ、赤毛の戦士を脅した。
「その女を放せ」
 赤毛の傭兵は舌打ちを漏らし、女忍者の両手を放してやった。やっぱり痴話喧嘩じゃないかとぶつぶつ文句を言いながら。
 女忍者は、掴まれていた両腕をさすりながら、少しづつ後ずさってゆく。
 ジライはアジャンの首に、まだクナイを向けていた。女忍者が完全に立ち去るまで、傭兵の動きを止めておく気なのだ。このアスカという名の女忍者をジライが大切にしている事は、アジャンにも伝わった。憎まれ口をたたいているのも、女忍者を里に帰らせる為なのだろう。
「最初は、連れ戻そうと思った。でも、あなた、依頼主まで殺しただなんて……そこまでやっちゃったら、お父様、決してあなたを許さない……里に戻れば処刑、逃げても死ぬまで追い忍がつく……だから、」
 アスカは目元を歪ませた。
「あなたを殺してあたしも死のうと思ったのに……それが無理なら、あなたに殺してもらおうと思ったのに……あなたが惨殺されるところなんか見たくないから……なのに、どうして」
 涙に濡れた瞳が、まっすぐに愛しい男を見つめる。
「どうして、殺してくれないの?」
「おまえは殺さぬ」
 ジライは女と視線を合わせようともしない。
「他の誰が刺客で現れようとも、我はためらわぬ。しかし……おまえだけは殺しとうない」
「……意地悪」
 アスカは跳躍し、木の枝に飛びついた。
「いいわ。あなたが好きに生きるのなら、あたしも好きにする! あなたの一番大切なものを、あたしがメチャクチャにしてやるわ!」
「アスカ?」
「……女勇者を殺してあげるわ」
 そのまま木を渡り、アスカは森を走った。その目指す先には、セレス達が居るはずだ。
「よせ、アスカ! おまえではセレス様にかなわぬ!」
 クナイをしまい、ジライも忍の身軽さで木を駆けのぼり、女忍者の後を追った。
 一人残された赤毛の傭兵は、二人の消えた方角を見つめ、溜息をついた。追うのも馬鹿らしかったが、女忍者がセレスを殺すと息巻いていた以上、護衛役として無視するわけにもいかなかった。馬が待つところまで取って返し、急ぎ街道を走った。


 かなり離れた位置からでもセレス一行に女忍者が戦いを仕掛けた事はわかった。が、どんな様子なのかはさっぱりわからなかった。煙玉の黒煙がもくもくと広がる中、馬のいななき、剣戟の音、セレスやシャオロンのものと思われる声が響く。
「女勇者セレス! お覚悟!」
 女忍者アスカの悲痛な声の後……
 悲鳴が響き……
 黒煙の中から飛び出て来たアスカの体が、地面に転がった。おそらくジライに弾かれたのだろう。
 同じく黒煙の中から現れた忍者装束に覆面の男が、女忍者を冷たく見下ろす。
()ね」
「………」
 煙はだいぶ薄れ、咳きこむシャオロンや、顔を押さえるセレスやナーダが馬を落ち着かせている姿が見え隠れする。
 アジャンは馬を止めた。睨み合うジライと女忍者のすぐそばで。
 女忍者は、おもむろに顔をアジャンへと向けた。覆面の下の瞳は未だに涙に濡れている……
「あたしは、あなたの言いなりになんかならないわ、ジライ!」
 言うが早いか……
 女忍者は覆面を外したのだった。
 豊かな黒髪が宙を舞う。
 涙に濡れた艶やかな美貌が、そこにはあった。
 切れ長の瞳を細め、アスカは、アジャンへと微笑みかけたのだった。美しくも、哀しげに。
 その瞬間……
 ジライから殺気が広がった。
 赤毛の傭兵は下馬し、背の大剣を抜いた。アスカを狙う『ムラクモ』を、すんでのところで受け、女忍者の命を守る為に。
「退け、アジャン」
 先ほどまでとはうってかわり、ジライの瞳は冷酷な色に染まっていた。
「素顔を見られては、忍は忍として生きられぬ。掟に従い、そやつは殺す」
「掟? どこの掟だ? 抜け忍のおまえが、抜けた里の掟とやらを守るのか?」
「それが……忍たるものの道なのだ」
「馬鹿野郎! 抜けたって言うんなら、何もかも捨てろ! 里の掟なんざ持ち出すんじゃねえ!」
「………」
「第一、俺が素顔を見たせいで女が死ぬんじゃ、寝覚めが悪い……俺は、女子供が死ぬのは好かん」
 アジャンは、アスカの小柄な体をひょいと抱き上げ、その顔を胸に埋めさせた。目の端で見ると、セレス達はまだ目がよく見えていないようで、ぽろぽろと涙を流しながら顔を押さえている。
「この女は俺が預かる」
 アスカを抱いたまま馬に乗り、アジャンは目指していた方角と反対へと街道を走って行った。


「どうして邪魔したのよ、この朴念仁!」
 アジャンの腕の中で、アスカは泣きわめいていた。
「ジライに殺してもらおうと思ったのに!」
「ほっとけ、あんな薄情な奴」
「薄情?」
「おまえを殺そうとした。つまらん掟の為に、な」
「違うわ……彼は情けをかけてくれたのよ」
「情けだと?」
「ええ。忍にとって、正体を知られるのは死に勝る恥辱なのよ。あなたに顔を見られている今、おぞましくって、恥ずかしくって……気が狂いそうだわ」
「忍者は素顔を人に見せないものなのか?」
「そうよ。忍者である限りね。任務をおびて潜入する場合は他人になりきるわ。この顔を人前で晒しても、それは演じた役の仮面に過ぎない。でも、今は……あなたは、あたしをくノ一だって知っている。くノ一の顔を見られているのよ。舌を噛んで死んでしまいたい……」
「俺にはよくわからん考え方だが……」
 赤毛の傭兵は、ぼりぼりと頭を掻いた。
「おまえのような美人が、ジライの馬鹿のせいで死んでしまうのは許せないな」
「馬鹿? 馬鹿ですって! ジライの悪口を言うなんて許せないわ!」
「あいつは、馬鹿だ」
 きっぱりと、赤毛の傭兵は言い切った。
「おまえを捨ててセレスに走るなんざ、馬鹿も馬鹿! 大馬鹿だ!」
「え?」
「ジライは馬鹿以外のなにものでもない。俺なら間違いなく、おまえを選ぶ」
 きょとんと目をしばたたかせた後、アスカの顔がくしゃっと歪む。
「おまえの方が良い女だ」
「うっ……」
 アジャンの腕の中で、女はワーッと大声を上げ、わんわん泣き出した。まるで子供のように。
「あんな世間知らずの胸糞悪い女より、おまえの方がいい。美人だ。それに、かわいい。男の為に全てを捨てる潔さもグッとくる。おまえの方が、絶対、いい女だ」
 泣きじゃくる女忍者に、優しくアジャンは語りかけた。
「あんな見る目のない男、おまえから捨てちまえ。おまえには、もっといい男がふさわしい」


 安宿の一室で、アジャンはアスカの細い体を抱いた。
 東国の女は腰のくびれが少なく、胸が小さい。子供のような体型だったが、アスカのベッド・テクニックは手慣れたもので、そこらの娼婦よりもずっと巧みだった。
「ジライはね……あたしの初めての男なの」
 抱かれながら、アスカはポツポツと身の上を語った。話してすっきりしたいのだろう。
「いつも冷たくて、意地悪で、そっけないんだけど……あたしだけが特別だった。どんなわがままでも聞いてくれたの。……時々、本当めったにない事なんだけど、あたしと二人っきりの時にだけ、嬉しそうに笑う事もあったわ。あたしの黒髪にキスしてくれて……氷みたいな冷たい顔が、春の陽だまりみたいに優しくなるの……あの顔、大好きだった」
「ジライの素顔って、どんなんだ? おまえがそれほどイカれるぐらいなんだから、結構いい男なんだろ?」
 アスカは静かにかぶりを振った。
「……言えないわ」
「ほう。やはり、おまえ、いい女だな。振られても、昔の男に義理を尽くすなんざ泣かせるじゃないか」
「違うわ……そうじゃなくて……余計な事、あたしが言うと、あなたの命が危うくなるから」
「何?」
「あなたがジライの人相を知ってしまったら、彼、間違いなく、あなたを殺すもの」
「ケッ! 無茶苦茶な男だ」
「その残忍なところが、又、いいのよ」
 ほうとため息をついてから、過去のいろいろな事を思い出したのか、アスカの瞳にじわぁと涙が浮かぶ。
「だから、あたし……彼にもっともっと気に入られたくて何でもしたわ。剃毛に、金環、割礼でしょ、性感マッサージに女装レズプレイ、3P、4P、乱交に、それからSもMもやったげたし、彼がスカ●ロに興味を持った時には嫌だったけど協力したわ……なのに……なのに……」
 泣きながら、アスカはアジャンの胸に抱きついた。
「そこまでしてあげたのに、あたしを捨てるだなんて!」
 アジャンは……
(あのクソ忍者……むちゃくちゃ変態だったのか)
 と、思いつつも顔には出さず、女忍者の髪をやさしく撫でてやり、気持ちが落ち着くのを待った。
「おまえ、幾つだ?」
「十八」
「何だ、そんなに若かったのか。俺は二十六だ」
「オジサンね」
「まあな。長く生きてる分、おまえよりは人生経験が豊富だ。だから、一言言わせてもらうが……」
 アジャンは緑の目を細め、何もない宙を見つめた。
「俺は目の前の敵はぶっ潰して生きてきた……だが、勝負を捨てた時もある。この世の中には、決して曲がらないものがある。幾ら抗っても、幾ら工夫をこらしても、人の力じゃどうしようもないものが、この世には存在する。そういうものに出会った時は……」
「出会った時は?」
「そんなもの最初からなかったんだと……すっぱりと、忘れちまうんだ」
「………」
「拘れば拘るほど未練が残り……自分がみじめになるだけだ……」
 アジャンの脳裏に雪景色が甦った。
 降りしきる雪と……
 腕の中の冷たい弟……
 遥か昔に捨てた故郷……
 思い出すまいと心を縛っていたものを、魔族に術をかけられ、克明に思い出してしまったあの日……
 最愛の弟アジャニホルトを死に追いやってしまったのは……
 赤毛の傭兵の顔に自嘲が浮かぶ。
 これ以上、思い出すものか。父が、母が、姉が、妹が……何故、死んだのかは覚えている。だが、その日の感情は、捨てた。忘れるよう、心を縛った。
 思い出したところで……もはや、誰もいないのだから。
「忘れる……」
 アスカは激しくかぶりを振った。
「忘れるのなんか無理よ、ジライは、あたしの全てだったんだもの」
「なら、手っ取り早く、身近な快楽に走るんだな」
「身近な快楽?」
「うまいもんたらふく食って、いい男と寝て、着飾って遊びまくって……何でもいいから気持ちのいい事をしまくるんだ。そのうち、マシな何かが見つかるだろうよ」
「あなたにはあるの、そのマシな何かが?」
 アジャンは瞼を閉じた。
 心の中の吹き荒ぶ雪を憎みながら。
 ゆっくりと緑の瞳を開け、赤毛の戦士は口元に笑みを浮かべた。
「さあな。あるような……無いような……。だが、こうやって、いい女と寝ると、生きているのが楽しくなる。おまえの、本当、最高だぜ」
「……あなたのも逞しくて素敵よ」
 アスカはクスッと小さく笑った。
「ジライのよりも逞しいわ」
「だろ?」
「でも、性交(セックス)は彼の方が上手ね」
「なに?」
 赤毛の傭兵はムッとして、女忍者に挑みかかった。
「俺が下手かどうか、その体で確かめてみろ」
「下手とは言ってないわ、あなたもいい線いってるわよ。でも、ジライの方が」
「うるさい」
 アジャンは女忍者の唇を唇で塞ぎ、その子供のような胸を乱暴に鷲掴みにするのだった。


 暁に染まった街道で、二人は別れた。
 国に帰ると言う女忍者に、赤毛の傭兵は、
「ジライがくたばったら、奴の首を土産に忍の里に遊びに行く」と、言って、彼女を笑わせた。
 アスカは昇りゆく太陽に向かって街道を駆けて行った。
 しばらくその背を見送った後、アジャンは次の街をめざし、馬を走らせて行った。


 その日の夕方、赤毛の傭兵はセレスらに追いついた。勇者一行は次の街の宿屋に逗留し、アジャンの到着を待っていたのだ。
 宿屋のカウンターで宿泊名簿を確かめている時、アジャンの背後に音もなく忍者ジライが現れた。忍者は覆面の下の瞳を細め、探るように赤毛の戦士を見つめていた。
 宿帳を宿屋の親父に返し、アジャンはゆっくりと女勇者の部屋を目指し、その後を忍者がついていく。
「……女は故郷へ帰った」
 独り言のようにぽつりとアジャンがつぶやくと、ジライも抑揚のない声で呟いた。
「さようか」
「昨夜はとびっきりの東国美女とよろしくやった。すんげえ別嬪だったんだが、どうも、俺は人の顔を覚えるのが苦手でなあ……どんな顔だったかは忘れちまった。まったく思い出せん。あ〜あ、もったいねえ」
「……一応、礼を言うべきなのであろうな」
「礼? 誰が誰に? 気色悪いことをぬかすな、裏切者」
 アジャンは振り返り、右の人差し指をジライへと指した。
「はっきり言っておく。俺はおまえを信頼せん。女勇者の暗殺は、確かに止めたのかもしれん。だがな、おまえを味方とは思わない」
「………」
「組織を裏切った奴は、二度三度と裏切りを繰り返すもんだ。俺はそういうクズをさんざん見て来た。俺はおまえがいつ裏切ってもいいように、ずっと刃を構えているぞ」
「……好きにすればよい。我はきさまの信頼などいらぬ。セレス様にさえ信じていただければ満足ゆえ」
「ケッ!」
 アジャンは、このかわいげのない変態忍者と『股兄弟』になってしまったのかと思うと不快だった。
 そんな話をしている間に、アジャンはセレスの宿泊部屋まで着いてしまった。
「アジャン、お帰りなさい♪」
 迎え入れてくれたセレスは、何時になく機嫌が良かった。アジャンに椅子を勧め、シャオロンに水差しを運ばせる。
「どうぞ」と、シャオロン。
「すまんな」
 喉が渇いていた赤毛の傭兵は、杯を受け取り、ごくごくと水を喉に流し込んでいった。
「でも、驚いたわ、アジャン。あなたが敵の命を助けるだなんて……」
 セレスがにこにこ笑っている理由がわかり、アジャンは顔をしかめた。戦いの場において、敵の身の上を知るや同情し、見逃すのはもっぱらセレス。赤毛の戦士は、何時もセレスのその詰めの甘さを非難し、セレスの非常識さを蔑む発言を繰り返していたのだ。
「たとえ命を狙ってきた人でも、事情を話せばわかりあえるものよね。大魔王教徒だって人間なんだし」
「アジャンがあのくノ一を助けたのは、美人だったからじゃないんですか?」
 窓辺の武闘僧は腕を組み、一人、納得するかのように頷いていた。
「目潰しのせいで私にはまったく見えませんでしたが、美人だったに決まっています」
「むちゃくちゃ良い女だったぜ、セレスの百万倍は良い女だったぞ」
 ジライへの嫌味のつもりでそう言い、アジャンは水の入った杯を煽った。
「ふ〜ん、美人なの?」
 おとしめられた事など全然気にせずに、セレスはにっこりと微笑んだ。
「私も会いたかったわ、ジライの妹さんに」


(…………………………)


 ブ―ーッッ! と口の中の水を、アジャンは吹き出してしまった。
「キャっ! いや! 汚いわね!」
 正面に座っていた為、水をかけられたセレスが不快そうに怒る。シャオロンは慌ててタオルを取りに行き、ナーダは我関せずと窓の外を眺めていた。
「いっ、……いもうとぉ?」
 アジャンは震えながら、セレスに手ぬぐいを渡している忍者を指さした。
「妹っていっても……義理かなんかだろ? 親の再婚相手の連れ子とか……」
「いや」
 ジライがけろりと言う。
「アスカは父母を同じくする我が妹。競走馬でいうところの、全兄弟でござる」
「………」
 バタンと机の上につっぷすアジャン。
「アジャンさん、どうしたんですか?」
 横からシャオロンが心配そうに声をかけた。が、濡れた顔をぬぐいつつ、セレスは、
「疲れがでたんでしょ、ほっときなさいな、シャオロン」
 と赤毛の戦士を無視して、忍者に話しかけた。
「あなたに妹さんが居たなんて知らなかったわ」
「はあ。私の父はたいへん好色で里中に異母兄弟が居るのですが、父母を同じくする者はアスカただ一人……他の者はともかく、あれは我が宝……目に入れても痛くないと思っております」
「お兄さんを連れ戻しに来たのよね、アスカさん。兄妹の絆っていいわねえ」


(違う……あの女は恋人を取り戻しに来たんだ)
 アジャンは頭を抱えていた。
 今まで世をすねていろいろとあくどい事もやってきたものの、変態忍者に比べれば自分はずっとまともなのかもしれない……そう思いながら。
『暁のくノ一』 完。

次回は『英雄の墓―――ペリシャ編』、舞台はペリシャ。
シャオロンの話です。
+注意+
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