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女勇者セレス 作者:松宮星

勇者として

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黄昏の河 2話

 赤毛の戦士アジャンは、あっけにとられていた。
 女勇者の従者になってからいろいろとあっけにとられてきたが、今回のはなかなか強烈だった。
 今、勇者一行は、インディラ王宮の謁見の間で国王と対面していた。国王の前に(玉座からかなり離れた位置だが)、まるで家臣のように跪いて座っているのだ。
 豪奢で壮大な謁見の間。部屋の中央には赤い絨毯が走っており、左右にずらーっと貴族が並んでいるのも威圧的だ。その部屋の最奥に天蓋つきの玉座があった。周囲を近衛兵が固め、国王に風を送る側仕えが優雅に孔雀の羽の扇子を扇いでいる。
 で、その玉座の国王なのだが………
 ターバンまでを白で統一したチュニック姿。あまり華美な装飾は好まないようで、宝石はほとんど身につけていない。ターバンから漏れる髪と口髭は黒く、外見から察するに年齢は四十代前半ぐらいだろう。
 赤毛の傭兵は上目づかいに国王を盗み見るのをやめ、自分の斜め前に座っている人物に目をやった。しかし、僧衣のその者は澄ました顔をつくっており、その表情から内面を伺う事はできなかった。
 ならば、と、セレスを見てみる。白銀の鎧姿の女勇者は、国王に、この国での活動の自由を願い、魔族と大魔王教徒の情報を求めている。顔をあげているので、国王を見ているはずなのだが、まったく動揺していない。普段通りだ。
(こいつ………国王の顔を見てねえのか?お姫様は相手の顔をじろじろ見ねえってか?けど、気づくだろ、普通は。ったく、呆れるほど鈍い女だ………)
 国王は女勇者に、活動の自由を保証し、情報の公開を約束した。ウッダルプル滞在中は王宮に宿泊するよう伝え、女勇者に下がるよう命じる。
 謁見中、国王は、一度も自国から勇者の従者になった人物に声をかけなかった。労いの言葉もなく、挨拶すらなく、その名を呼ぶことすらしなかったのだ。


「おい、ナーダ、ちょっと待って」
 足早に廊下を歩いていた武闘僧が立ち止まり、振り返る。内面を隠そうともしない、不機嫌そうな顔で。
「何か用ですか、アジャン?」
「用もくそもねえ、おまえ、王族だったのか?」
 ナーダはアジャンの背後へと視線を向けた。セレスやシャオロンがついて来ていないか確認したのだ。
 セレスはシャオロンと共に、彼女用の豪奢な部屋で落ち着いている。アジャンとシャオロンの部屋も、護衛しやすいようにと、その続きに準備されていた。しかし、ナーダの為の部屋はなかったのだ。
『大僧正候補様は寺院にご宿泊にございましょう?ウッダルプル支部は、王宮より、歩いても一時間ほどの距離。それとも、馬車をご用意いたしましょうか?』
 と、にこやかな顔をつくりながら、侍女は嘲るように武闘僧を見つめていた。
 馬車を断り、『明日、又、来ます』と言って武闘僧はセレスと別れ、一人、猛烈な勢いで廊下を歩いていたのだ。それを、赤毛の傭兵が呼び止めたわけなのだが………
「ここで話すと、何もかも筒抜けですよ。もっとも、インディラに居る限り、私の周囲には監視役やら護衛役やらで忍者がごまんとつきますけどね」
「おまえ、国王の弟なのか?」
 アジャンの問いに、ナーダは口元を歪め、冷めた笑みをつくった。
「まあ、そう考えるのが普通でしょうね」
 糸目を更に細め、皮肉な笑みを浮かべる武闘僧。その様子から、アジャンは思い違いをしていた事に気づけた。
「………国王の息子なのか?」
「顔、見ればわかるでしょ?」
 ナーダは肩をすくめた。
「私は現国王が十代の頃に生まれましたのでね、兄弟でも通る年の差です」
「………瓜二つだったな。国王はおまえみたいにバカでかくないし、年くってるが、そっくりだった。おまえに髪と髭がありゃ、ますます似る。同じ糸目だし」
 ナーダは溜息をついた。
「だから、王宮にはあまり来たくなかったんですよ、あなた方にうるさく騒がれるのが嫌だったんです」
「けど、セレスは気づいてないぞ」
「え?」
「多分、シャオロンも。馬鹿正直にずっと頭を下げてたから、国王の顔、まともに見てねえな、あれは」
「………そうですか。あの二人が鈍くて、たいへん嬉しく思います。私が誰に似ていようが、どうでもいい事です。世俗なぞ、私にはもはや縁のないものなのですから」
「だが、おまえ、国王の実子なんだろ?何で坊主なんてやってるんだ?」
「ありふれた理由です。説明なんかしなくても、わかるでしょ?」
「………まあ、だいたい、な」
「なら、それで充分でしょ。私は七つの時、亡き母の勧めで、王宮を捨て、清らかな信仰の道を選びました。王位継承権を放棄して、心安らかな日々を手に入れたのです。王族だった事など、もう忘れましたよ」
「ふん」
 赤毛の傭兵は面白くなさそうに、顔を歪めていた。
「王子様から上級僧か………なるほど、ね。おまえが貨幣単位とか、下々の事を知らなかったのも、当然か」
「昔の事を持ち出さないでください。覚えましたよ、小銭の数え方くらいは」
「七つで王宮を追われたか………ふぅん、七つで、か」
「………アジャン、頼みますから、その話、やめてくれませんか?王宮での事は、もはや過ぎ去った過去なのですから」
「なあ」
 赤毛の戦士は睨むかのように、武闘僧を見つめていた。
「おまえ、不幸に酔いしれてるだろ?」
「は?」
「世の中の不幸を全部しょいこんだような顔しやがって………気に喰わん、見てるだけでムカついてくる。実の父には無視され、召使の女にさえ馬鹿にされ、王宮中がおまえの敵。確かにおかわいそうかもしれねえが………」
「………」
「王族から上級僧だぁ?結構なご身分じゃねえか!え?」
「………」
「おまえより不幸な人間なんて掃いて捨てるほどいる!おまえ、食うものも食えず、寝る場所もなく彷徨った事ねえだろ?たった一つのパンのために殺されかけた事も、ただの風邪で死んでしまう肉親も見た事もなく、臭くて暗い貧民窟にすら居場所のないみじめさも知らねえ………」
「………」
「ピカピカの御殿から、インディラ教の頂点の総本山に移って、バカ僧侶どもにちやほやされてたんだろ?なぁにが、かわいそうな元王子様だ!アホらしい!」
 武闘僧は静かな瞳で、赤毛の傭兵を見つめ返した。
「………そうですね、多分、私は不幸な子供時代を送ったわけではないのでしょうね」
「ったりまえだ」
「毎日のように暗殺者に狙われ、食事に毒を盛られ、国王の夫人や召使達の誹謗中傷の的にされていましたけれど、ね。忠義の部下が持って来てくれる飲食物以外は口にできず、痩せ衰えた私は歩く事すらままならなくなり、心労のあまり病床に就いた母は医者にも診てもらえず亡くなりました。でも、きっと、私は幸せだったんでしょう!」
「おい、ナーダ………」
「昔の話はもうしたくありません!ここにも居たくありません!しかし………戻っては来ますよ、明日には、ちゃんとセレスの元へ。寺院で情報収集をして、座禅でも組んで少し心を落ち着けてきます。私の敵は大魔王ケルベゾールドと魔族です。王宮の人間ではありません。そんな事はわかっています。でも、どうにも修行が足りなくて………」
 ナーダは己の右の拳を左の拳で受け止めた。
「ここに居ると心が乱れるのですよ」
 再び歩き始めたナーダ。その背に向かい、アジャンは、声をかけた。
「ナーダ」
 振り返った相手に、赤毛の傭兵は彼にしては珍しく頭を下げた。
「すまん。調子に乗って言い過ぎた」
 それに対し、武闘僧は、
「構いませんよ、不幸自慢なら、多分、生まれも育ちも非常に高貴な私では、七つの年から苦労なさったあなたにかなわないでしょうし」
 と、いつもの通り言わなくても良い事まで言ってから、
「気にしていません。だから、あなたも忘れてください」
 と、言って手を振る。
「王宮での情報収集は任せましたよ」
「ああ」
 ナーダが近づくと、王宮の召使達は露骨に進路を変え彼から離れてゆく。その孤独な背を、赤毛の傭兵は見送った。


「ナーダ様!」
「おお、ナーダ様だ!」
「ナーダ様がインディラに戻られたぞ!」
 ナーダがインディラ寺院ウッダルプル支部に足を踏み入れてじきに、蜂の巣をつっついたような騒ぎとなった。あらゆる建物から僧侶達が現れ、勤行や参詣者への説法を放り出し、ナーダの元へと走る。
「あちらにおられるのが、大僧正候補様じゃ」
「おお、ありがたや、ありがたや」
 と、参詣者達も遠巻きにナーダに対し拝礼している。
 僧侶達が後から後から押し寄せる騒ぎの中、ナーダは僧侶達に勤めに戻るよう諭し、苦笑を浮かべていた。
 しかし、内心は喜んでいた。門付近の祠より奥は、異教徒や女人は立ち入りを禁じられている。僧侶はむろん、参詣者も男ばかりだ。ナーダは心洗われる思いで、周囲を見渡した。彼等の純粋な敬意(と、愛情)は王宮でささくれだった心を充分すぎるほど癒してくれる。
「ジャガナート僧正様にお会いしたいのですが」
 ナーダがそう言うと、ご案内します!私が!私が!と、僧侶達は色めきだった。
「大丈夫です。ウッダプルプル寺院支部で半年、ジャガナート僧正様のお教えを学んだ事がありますから、ここの造りは知っています」
 では、先触れをいたします!お部屋まで侍僧としてお供いたします!いや、私が!いやいや、私が代わりに!
 と、次々に名乗り出る僧侶達をナーダはにこやかに見つめた。寺院はまさにこの世の極楽。慕ってくれる僧侶は、十代から年配者まで。恋の相手もよりどりみどり。アジャンは同情してくれたようだが、きらびやかな王宮に、ナーダは爪の垢ほども未練はなかった。


「ナーダ様、よくぞご無事に戻られた」
 ウッダルプル支部の僧正ジャガナートは、恰幅のいい体を豪快に揺らして、地が震えるほどの大声で笑った。六十を超えた今でこそインディラ一の武闘僧の座をナーダに譲っていたが、逞しい筋肉で全身を覆う、その姿は、現役の拳闘士のようだ。
 ナーダは一時期拳法の師であった僧正に、恭しく礼をとった。
「ジャガナート僧正様もお変わりなく、お元気そうで何よりでございます」
「おお、わしは病に縁のない男ですからな」
 僧正は、ムキムキの筋肉を誇示するようなポーズをとった。上級僧の衣が無ければ僧侶には見えないし、老いも微塵もうかがえない。
 自分の侍僧とナーダのお供を自称してついてきた僧侶達を下がらせてから、ジャガナートは上座の円座についた。次期大僧正候補ではあるものの、現在は無位でジャガナートの弟子でもあったナーダは、向かい合う形で下座に座る。
「ナーダ様、少しおやつれになったのではありませぬか?」
「そのように見えますか?」
「見えますな。女勇者にくっついての旅、さぞや難儀でありましたでしょう。女の下で………九カ月でしたかな?こきつかわれたあげく、未だに大魔王の本拠地もつかめない。その上、王宮に挨拶に参られたとあっては、さぞや欲求不満をためておられるはず。さ、さ、遠慮なさらず、早う、総本山の大僧正様の元に泣きつきに行かれるがいい」
 と、ジャガナートはガハハと笑う。
 他の誰かに同じ事を言われれば、ナーダはカチンときて、二倍も三倍も侮辱の仕返しをするだろう。けれども、拳法の師の性格を熟知しているナーダは、わざと怒らせようとしている相手の手にはのらず、にっこりと笑みを浮かべた。
「滞在中、一度は、大僧正様の元へご報告に訪れようとは思っています。しかし、先に為すべき事をきちんと為しますよ。しばらくは、ウッダルプルで女勇者様の従者として働きます」
「ほうほう、大人になられましたなあ、ナーダ様」
「ありがとうございます。それで、少々、お伺いしたいのですが………『ウズベル』について何かわかりましたでしょうか?」
「ウズベル………大魔王四天王の一人との事でしたな」
 緊急連絡手段(荷物に携帯している魔法道具マジック・アイテムの神像。それを手にして呪文を唱えると、同じ造りの神像を持つ者と心話で話せる)を用いて、ナーダは拳法の師に、シャイナの荒野での大魔王四天王サリエルとの戦闘の顛末を伝えていた。
「インディラに居ると、サリエルに憑依されていた男が言っておりましたが」
「わしも、国中の寺院と連絡をとり、忍の者を使って、あれこれ調べさせたのですが………」
 ジャガナート僧正の顔がしぶいものとなる。
「正直、報告できるような事はありませんな。あまりにも動きがなさすぎて」
 僧正は腕を組んだ。
「数百といたこの地に現れた穢れたものどもは、全て浄化しました。大魔王教徒どもの三回の反乱も、軍隊に制圧されましたし。神のご加護のままに、インディラは平穏そのもの。わしの目の届く限りにおいては………ですがな」
 文書にしたものをナーダの部下ガルバに託した、他情報とあわせてまとめてじきに持ってくるだろうと、僧正は言う。ジャガナートはナーダの非公式な部下の存在を知る数少ない上級僧だ。
 幼いナーダとその母を暗殺者から守ったのが、忍者ガルバとガルバに乞われて寺院付き忍者を貸与したジャガナートであった(当時はウッダルプル寺院副僧正だった)。ジャガナートは、僧侶ナラカの友人で、忍者ガルバとも昔から懇意なのだ。
「それで、ですな………こちらからお尋ねしたいのですが、王宮はいかがでしたかな?」
「あいも変わらず胸くそ悪い場所でしたね」
 ナーダの僧侶にあるまじき発言を、僧正は咎めず、豪快に笑って首を左右に振った。
「それはもう、よくわかっておること。そうではなく、魔族が巣食っている感じはなかったかと伺いたい」
「魔族が王宮に?」
「居てもおかしくはない。あそこと寺院は、ナーダ様のご出家以後、二十二年に渡り不仲ですからな。宗教儀式でもない限り、僧侶はほとんど出入りせん。大魔王復活直後は、王宮へも魔族を浄化をしに赴いたものだが………その後は出入り不要と門前払いされております。魔族が巣食うにはもってこいの場所でしょう」
「………」
「ずっと疑わしく思っておりましたが、わしの配下では内部を探れませんでなあ、王宮付き忍者軍団がてごわすぎて………そこへ、ナーダ様、あなたがいらっしゃった。女勇者の従者としてあそこに出入りできるあなたが現れた事こそ、神の御采配。内部を探ってはくれませぬか?」
「私に間諜をやれと?」
「ナーダ様からの報告通りウズベルとやらが『新たな魔人を造る』役目を担っておるのなら、インディラの何処かに魔人製造工房があるはず。収集した死体をしばらく保管しておく為のそれなりの設備も要る。ならば、ある程度の広さも必要。と、なると、王宮はまさにうってつけではありませぬか?僧侶の目の届かぬ、広い場所なのですからな」
 ナーダは師の推理を拝聴していた。
 ジャガナート僧正は腕自慢なだけでなく、(見かけによらず)知恵者で老獪な人物なのだ。王宮の睨みが強いウッダルプルで、寺院が勢力をそがれずにすんでいるのも、彼の功績なのだ。
「上位魔族の中には黒の気を消せる者も居りますし、目くらましも使っておるでしょう。気で探るより、直接、目で探られた方がよい。森やら離宮やら後宮やら、探らねばならぬ所はごまんとありますが」
「ジャガナート様………まさか、後宮まで覗いて来いとは、そこまではおっしゃいませんよね?今の私が後宮に足を踏み入れたら、死罪ですよ」
「どこを調べるかは、ナーダ様にお任せします」
 僧正はにやにや笑っている。
「大僧正候補のあなた様から見てあやしい場所を、ぜひ」
 面白がって弟子をからかっているのだ。
 ナーダは嘆息した。
「仕方ありません………引き受けましょう」
「おお、さすがはナーダ様」
「ですが、捕縛されたら、ジャガナート様のご命令だってバラしますからね。一緒に縄についてくださいよ」
「一蓮托生か!よいでしょう。探ってもらえるのなら、何とでも。どう考えても一番あやしいアソコを探れず、いらいらしておったのです。中で妙な事件も起きておるようですし」
「事件?」
「事件に関しての報告ならばいっぱいあがっておりましてな、お話できます。あれは、昨年の五月、ナーダ様が女勇者の従者となられてから一カ月と少し経った頃………」


 セレスは手にしていた紙を素早く折り畳んで、左の掌の中に隠した。ぶつぶつと文句を言いながら、赤毛の傭兵が近づいて来たからだ。
「ったく、いけ好かねえ宮殿だぜ」
 女勇者の為に準備された部屋に、セレスとシャオロンしか居ないのをすばやく見とってから、アジャンは吠えた。
「通行禁止!公開禁止!異教徒との会話は禁止!禁止!禁止!何でもかんでも禁止だ!三カ月前までの古い情報しかない報告書を貰って、どうしろって言うんだ!」
「今、最新の情報を頼んでるから、じきに」
「じきぃ?何時だ?一週間後か?一か月後か?ンなもの待ってたら、大魔王にこの大陸は乗っ取られちまうだろうよ!」
「アジャン、落ち着いて。明日にはナーダが戻って来るわ。寺院なら、この国について、もっと詳しい情報があると思うの。だから………」
「ケッ!」
「ねえ、気晴らしに娼館にでも行って来たら?」
 赤毛の傭兵はぎょっと眼を開き、女勇者を見つめた。
「何だって?」
「えっと、そのぉ………ここに居て、ストレスためても、しょうがないし………街に情報収集がてら出かけるのがいいんじゃないかしら?」
 セレスは、しどろもどろに焦っている。
 赤毛の傭兵は顔の左半分を歪め、女勇者を括目した。
「へぇぇぇぇ。お珍しい事もあるもんだ。俺の娼館通いを煙たがっていたお姫様が、娼館に行けだと?何をたくらんでいやがる?」
「あら、いやねえ、何もたくらんでないわよ。娼館じゃなきゃ、酒場でもいいわ。ストレス発散さえしてくれれば」
「酒場だぁ?」
 アジャンは大声をあげた。
「馬鹿か、おまえ!インディラにまっとうな酒場なんかあるか!」
「え?」
「インディラじゃ、おおっぴらに酒を販売してないんだよ。食いもの屋に行けばメニューにゃあるが、別室に隔離されて、野郎同士、(つら)をつき合わせてこそこそ隠れ飲まにゃいかん。女抜きで酒飲んで何が楽しい!」
「そうなの?」
「ああ!ちくしょう!だから、俺は今までトゥルクまでの仕事しか受けなかったんだ!ペリシャ教が国教でもトゥルクはいい加減なお国柄で、旅人をあてこんだ酒場もいっぱいあるが………ペリシャでは酒は罪悪………で、インディラでは建前上は制約が無いが、実際は飲酒禁止だ!やってられっか!ったく!」
「お酒が駄目なら………やっぱり、娼館かしら」
 セレスは愛想笑いを浮かべた。
「ねえ、娼館に行って来なさいよ。それがいいわよ。ね?」
 赤毛の傭兵はフンと鼻で笑った。
「………わかった、そこまで言うのなら行ってやる」
「それがいいわ!」
「ただし!夕方には帰って来る」
「え?そんなに早く?」
 アジャンは、じろりとセレスを睨んだ。
「今日はクソ坊主が居ないからな、シャオロンだけに護衛を押し付けるわけにはいかん」
 気にしないでくださいと言う少年を手で制し、アジャンはセレスにびしっ!と指をさした。
「俺が居ないからってフラフラするなよ。この国のどっかに、大魔王四天王が居るんだろ?大人しくしてろよ、いいな?」


「て、アジャンさんが言ってたのに………いいんですかセレス様、王宮を離れちゃって」
 不安そうに尋ねる少年に、セレスは微笑みを見せた。
「仕方ないわ。急用ができたんですもの」
 女勇者も東国の少年も、変装用にフードマントを目深に被り、ウッダルプルの街を馬で進んでいた。
 セレスは王宮に『勇者の剣』を置いてきており、白銀の神聖鎧も身につけていない。シャツとズボン姿で、腰に『虹の小剣』を差し、『エルフの弓』と『エルフの矢筒』を背負っている。
 シャオロンは道着姿で、『龍の爪』を革袋にしまって背負っている。装備するのに時間がかかるが、人ごみの中で長い爪を剥き出しにはできない。
 セレスは街の地図を持ってきてはいたが、まったく見ていない。見る必要もないのだ。ウッダルプルの街路は整然と整備されているし、目的地の建物があまりにも巨大で街並みに埋もれないのだから、迷いようもない。
「大きいですねえ」
 シャオロンが素直な感想を口にする。
 インディラ寺院ウッダルプル支部。森と神殿からなるその寺院は、王宮に匹敵する広さだった。
 本殿以外にも大小の建築物が塀越しに見える。そのどれにも、壁面や外装にびっしりと彫刻が彫られている。古来からこの地に伝わる神話、神々、天地創造の図、始祖バラシンの一生、聖人と称えられる僧侶の偉業など。聖なるもので聖域を隙間なく埋め尽くそうとしているかのように、どこを見ても精緻なレリーフがいっぱいだ。
 寺院の正門のある通りには、かなり遠くから露天が並んでいた。花輪や香、果物、菓子などの供物や、蝋燭などの儀礼道具、魔法道具などを扱う店ばかりだ。通りを行き交うインディラ人のほとんどが参詣者で、皆、正門をくぐってゆく。
「ペクンのより大きいですよ」
 すごいなあ、上には上があるんだ、と、素直に感心するシャオロン。 
 その目前に、白い封筒が差しだされる。
「はい」
「え?」
「これ、ナーダに届けて来て」
「え?え?え?」
 シャオロンは受け取ったものと、セレスの顔を見比べた。
「今すぐ………ですか?」
「ええ。今すぐ」
「けど、ナーダ様、おっしゃってましたよ、ここ、異教徒は門の辺りまでしか入れないって」
「でも、あなたは男だし、ペクンで、ナーダのお供で寺院の中にも入ったんでしょ?私よりずっと、寺院に詳しいはずだわ。お願い」
 セレスは手を合わせた。
「急用なの。これをナーダに直接、渡して欲しいのよ」
「………」
 シャオロンは困ったように、セレスを見つめた。
「だけど、セレス様をお一人にするわけにはいきません。オレ、護衛役ですから」
「あら、大丈夫よ」
 セレスはにっこりと笑みを浮かべた。
「私、この辺で待ってるから。寺院の門前では、暗殺者も大魔王教徒も仕掛けてこないわよ。少しでも騒ぎが起きたら、中から逞しい武闘僧がいっぱい駈けつけて来るんですもの。こんな所で、敵も戦いたくないはずだわ」
「………でも」
「大丈夫。何かあったら王宮へ戻っているわ。私の姿が見当たらなかったら、王宮に向かってね」
 シャオロンが何を言おうが、セレスは聞き入れてくれない。
 根負けし、東国の少年は手綱をとった。
「オレ、すぐ戻って来ますから。セレス様、絶対、ここに居てくださいね!」
 寺院の正門からで馬で入る事はできないし、入った所で異教徒(シャイナ教徒)のシャオロンが行ける場所は限られている。僧侶専用の裏門に回り、事情を説明した方が良い。シャオロンは塀沿いに正門とは反対の方角へと、馬を走らせて行った。
 シャオロンの姿が小さくなってから、セレスはすまなそうにポツリと呟いた。
「ごめんなさいね、シャオロン」
 そして、馬を脇道へ向け、寺院の前から走り去ってゆく。
 その後を、赤髪の男が騎乗で追いかけて来ている事にも気づかずに。
+注意+
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