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女勇者セレス 作者:松宮星

得るもの失うもの

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五つの道 5日目(2)

 よかった、ようやく会えたわ、ジライと。
 河畔に通い始めて十四日目。
 入れ違いになった時の用心に手紙はグジャラさんに託していたけど、直接、会って話したかった。
 忍の里には戻らないって言っていたジライ。依頼主を殺してしまったし、私の暗殺も止めたと言っていたし……どうするつもりなのかしら……
 でも、こうして、会えたんだから、ちゃんと話さなきゃ。




 場面(シーン)が変わった。夕日を浴びて黄昏色に染まった河が見える。ああ、ここは……セレスが忍者(ジライ)を仲間に誘った場面(シーン)だ。河の側でセレスが忍者と何か話している。
 だが、俺は……
 奴らと距離を置いた木陰に居る。奴らの話も半分ぐらい聞き取れねえし、何かしようとしても介入しづらい距離だ。まあ、口も、体も動かないんだが……完全に脇役の位置に居るな。
 クソ忍者を警戒して護衛役として同行したわりには……離れすぎだぞ、俺。
 俺は……面白くなかったんだ。セレスが仲間を失った忍者(ジライ)に同情しすぎているのが。サリエルに体を奪われたあいつは、仲間を三人斬り、三人とも死なせてしまったと聞いている。気の毒といやあ、気の毒だが……気に喰わんものは、気に喰わんのだ。
《何故、気に入らなかった?》
 ハリハールブダンの思念だ。
 あの女の甘ちゃんぶりが嫌だったんだ。暗殺者があっさり寝返るもんか。嫌になったって金を貰っている以上、仕事を止められるもんか。何で暗殺者に同情するんだ! 何でもかんでも信じるな! 世間知らずの馬鹿女め!
《おまえ……本気でそう思っているのか?》
 そうだ! 俺はセレスのガキっぽいところが不愉快だったんだ! それだけだ!




 知らなかったわ……大僧正様がご病気で、ずっと床に就いていらっしゃるだなんて……
 だから、ナーダ、変だったのね。戦闘中にボーッとしたり、今も夕食をとらないで部屋に籠もってるし。
 心配で心配で、しょうがないのね。無理ないわ。ナーダにとって大僧正さまは、お師匠様であり、父親のような存在……この世で最も尊敬している方だもの。
 ここエーゲラからインディラは遠いわ……
 一刻も早く帰してあげなきゃ! ナーダの顔を見れば、大僧正様もお元気になられるかもしれないし……最悪の場合でも、最期のお別れに間に合わせてあげなきゃ!
 なのに、アジャンったら、どういうつもり? ナーダは放っておけですって? 余計な事は言うなですって? 確かに、今日、私は死にかけたわ。ナーダの回復魔法がなければ死んでいたかもしれない。でも、この世に僧侶は彼一人ではないわ。ナーダに誰か代わりの僧侶を紹介してもらえば、いい事じゃない。
「おまえ、ナーダの顔を潰すつもりか?」
 え?
「勇者の従者となるのは、インディラ僧侶の由緒正しい伝統とか何とか、前に言ってたよな、あいつ。最も力のある修行僧にのみ許される名誉だとも言ってたはずだ。次期大僧正候補のあいつに、その役を降りろと……役不足だからやめろというのか?」
 そんな……私、そんなつもりじゃ……
「名誉よりも育ての親の死に目が大事と思えば、あいつの方から帰ると言い出すだろう。横からごちゃごちゃ口を出すような問題じゃない。あいつの気持ちが固まるまで、ほっとけ」
 正論だ………
 アジャンが正しい。
 私は感情論に走っただけ。状況をちゃんと見てなかった。又、やっちゃったわ……勇者失格ね……
 て! ジライ! どさくさに紛れて何するのよ! 背後から耳に息をふきかけるなって、いつも言ってるでしょうが!
 ぶん殴ってやったのに、ジライはすぐにむくっと起き上がり、片膝をついて跪いた。
「セレス様、さしでがましい事を申し上げますが、今日はもうお休みになられた方がよろしゅうございます。普段の五分の一も拳に威力がありませぬぞ」
 馬鹿……こんな状況で眠れるわけないじゃない。今、私がナーダにしてあげられる事、何かないかしら?
 そんな事を考えていたら、いきなりアジャンに抱きかかえられてしまった。




「キャッ!何するのよ!」
「部屋に放り込む。シャオロン、一応、医者よんどけ。ふぬけたクソ坊主の治癒魔法だけじゃ心もとねえ」
「わかりました!」
 素直な性格のシャオロンが、セレスの身を案じて走り出す。街医者を呼びに行ったんだ。
「放してよ、アジャン!」
「うるせえなあ。いつも言ってるだろ、俺は処女は嫌いだって。ベッドまで行ったって、おまえなんざ、とって食いやしねえよ」
「放して! 自分で歩くわ!」
「耳元でキャンキャン吠えるな、馬鹿」
 セレスを抱えたまま、過去の俺が二階に向かう。クソ忍者はついて来ない。俺にセレスを任せる気のようだ。
好機(チャンス)だ、他の者はいない。襲ってしまえ》
 はあ?
 何、言ってやがるんだ、ケルティの上皇様は。
《この時に殺した願望を成就するのだ》
 くだらねえ事、言うな。この時だって俺は、セレスを襲う気なんてなかった。
《果たして、そうかな? 鎧をまとわぬセレス殿の体はやわらかくって抱きごこちが良いだろう? 胸も豊かだし、尻も肉づきがいい。腕に抱えているうちに、抱きたくなったはずだ》
 バ……馬鹿野郎! ンなわけあるか! セレスは女勇者だ! こいつに手を出したら、『勇者の剣』が怒る。非処女になったら、剣に触れられなくなるかもしれねえ。ケルベゾールドを殺せる唯一の人間が居なくなっちまうんだ! 手なんか出せるか!
《愚か者。今、おまえが居るのは夢の中だ。何をしても現実が変わるものか!》
 !
《今、おまえは話せんし、体も動かん。だが、過去の自分の心に働きかける事はできるかもしれん。過去のおまえの欲望を煽れ。過去のおまえがセレス殿を襲えば、夢が現実から乖離する。夢と現実の食い違いに気づけば、セレス殿は自分が夢の中に居るのだとわかるだろう》
 なるほど……
 そういう手もあるか……さすが、俺より年長のすけべ親父だな。目の付けどころが違う。
《女が欲しければ抱く。名誉が欲しければ戦う。金が欲しくば南から略奪する。それがケルティの戦士だろうが》
 確かに……
 ケルティの戦士の行動は、『欲望に忠実であれ』の大魔王教徒によく似ている。だが、己の享楽の果てにこの地上の破滅を望む大魔王教徒とは異なり、ケルティ人は現世での欲望の達成を栄光と考える。欲望を叶える為に戦士として精進するわけで、欲望は道徳的に肯定されている。
《ためらう必要はない。欲望のままに行動しろ。過去の自分を操り、欲しい女を抱け》
 ふむ。
 セレスの胸……
 セレスの尻……
 そのへんを意識しまくってみる……
 確かに、よさげな体だ。でっかい胸はパイ●りしたら気持ち良さそうだ……むちむちの尻もいい……くびれたウエストも胸や尻を強調している……太腿もしゃぶりつきたくなるようなむっちりさだ……
 お?
 脈拍があがった。
 興奮してきたのか、過去の俺?
 部屋に着いたぞ、ベッドは目の前だ。
 ここで犯らねば、何処で犯る!
 よし!
 セレスのヌードだ! ヌードを意識しよう!
 尻と胸がデカいくせに、セレスは小柄だ。大柄の女も悪かないが、腕の中にすっぽり入る方が好みだ。
 俺の腕の中でセレスが乱れるのか……
 潔癖だから、泣いて抵抗するだろうな……
 嫌がる女と犯るのは趣味じゃねえんだが……
 しかも、こいつは、処女だ……
 絶対、痛がるよな……
 俺のを挿れたら……
 血が……
 赤い……血が……
 血が流れてしまう……
《おい……おまえがその気を無くしてどうする?》
 !
《……セレス殿を起こすのではなかったのか?》
 そうだった……
 ええい!
 気にするな、俺!
 一回、快楽を教えてやったら、堅物だった奴ほど性交(セックス)に溺れるもんだ。俺は後家殺しのあだ名もあるテクニシャン。セレスなんざ、犯りゃあ、イチコロだ!
 ともかく、襲え!
 最初は痛がっても、絶対、後で悦ぶ! 俺ならできる! 痛み以外のものも、たっぷり与えてやるんだ!
 血は……見なきゃいい!
 布団をかけてやりゃあ……見えねえ、多分……いや、見えん!
 大丈夫だ!
 ためらうな、過去の俺! 襲ってやれ!
「何よ、アジャン、赤くなって、ぶるぶる震えて……風邪?」
 腕に抱かれたままのセレスが、けげんそうに俺の顔を覗き込む。邪気が全くない子供か動物のような澄んだ青い瞳で、まっすぐに俺を見つめている……
 その途端、顔を更に赤く染め、過去の俺は勃起してしまった。
 行け! 行け! 行け!
 と、思った時には……
 過去の俺は、セレスの体をベッドの上に放り捨て、足早にドアへと向かっていた。真っ赤な顔で……
「今、シャオロンが医者を呼んでいる! 良いか、おとなしく寝てろよ! わかったな!」
 俺は扉を閉め……
 セレスの視界から消えてしまったのだ……




「アジスタスフニルは童貞の少年のようだ。つき合わされているこちらの方が赤面してしまう」
 ハリハールブダンは溜息をつき、炉に枝をくべた。アジャンと精神感応はしていても、ハリの戦士の体は現実にあり、五感も現実に向けられているのだ。
 狭い仮小屋の中で向かい合っている老人が、愉快そうにホホホと笑う。
「あやつ、セレスに心底惚れておるからのう。すれっからしを装っておるが、これが初恋なのよ。初めて心から好きになった人間をどう扱ってよいのかわからぬなんて、本当、かわゆい奴じゃ」
「………」
「何じゃ? 不満そうな顔をしておるのう」
「……セレス殿の命が失われつつあるというのに、他人の恋路の後押ししかできぬとは……」
「拍子抜けか?」
「と、いうより、自分が情けなくなる」
「起こさねばならぬのじゃ、仕方あるまい」
 老人が愉快そうに笑う。
「働けるだけ、おぬしはマシよ。おぬしが二人の恋を成就させてやれれば、現実との隔たり(ギャップ)に気づき、セレスは目覚める。おぬしの縁結びが無ければ、この世は滅びるのじゃて、恥じる必要はない」
「しかし、さっきはエーゲラの映像が見えたが、今は()だ。セレス殿はアジスタスフニルの立ち会っていない記憶を甦らせている。じきに、バンキグまで行ってしまう」
「ま、ケルティでは、アジスタスフニルはセレスとよう絡んでおった。多分、ケルティで何とかなるじゃろう」 
「………」
 ハリハールブダンは炉に枝をくべ、灰を掻き回した。
「カルヴェル様、一つ伺いたい」
「何じゃ?」
「……何を隠しておられる?」
「ん?」
「何もかも話してもらおうとは思わぬが、生命に関わる大事を隠されているのは気分が悪い。あなたは、セレス殿と共に魔界を彷徨っていたとは教えてはくれたが、何ゆえそうなったかの説明をしていない」
「ホホホ。バレたか」
「俺やアジスタスフニルには話せぬ理由(わけ)があるのか?」
「うぅむ……。まあ、今後の事を考えれば、おぬしには教えた方が良いかもしれぬなあ。アジスタスフニル達には内緒にしてくれるのなら、話してやろう」
「約束する」
「ならば、話そう」
 老人はニコニコ笑っている。
「わしは、おぬしらケルティ人がシベルアから完全独立を果たすまで、もしくはわしが死ぬまで、シベルアへの牽制役をやってやると約束していたが……その約束、守れぬかもしれぬ」
「と、いうと?」
「わし、今世から消滅してしまうかもしれんのじゃ」
「!」
「わしは、自分の体に形代(かたしろ)の邪法をかけている」
形代(かたしろ)の邪法?」
「ホホホホ。おぬしには邪法は教えなかったゆえ、知らぬじゃろ? ま、簡単に言えば、他人の呪いを肩代わりしてやる魔法じゃ」
「他人の呪いを肩代わり?」
 ハリの戦士は瞳を細めた。老人が誰の呪いを引き受けるつもりなのかは、聞くまでもなくわかる。
「歴代勇者とその従者が口を閉ざしているので、侯爵家の当主とインディラ教のごく一部の高僧しか知らぬ事なのだが……大魔王ケルベゾールドは己の憑代に、毎回、嫌らしい罠をしかけてきた。自分の憑代が命果てた時に発動する邪法を仕込んでいるのだ。あやつの憑代を斬れるのは勇者だけ。つまりは、毎回、勇者に呪いをかけているのよ」
「死と共に発動する呪い……今回、ゼグノスが用いたものと同じだな」
「うむ。ゼグノスはケルベゾールドのやり方を真似たのじゃ。もっとも四天王であるあやつの呪は、大魔王のものほどは強制力がない。それゆえ、破りやすいのだが……大魔王の呪はそうはいかぬ」
 カルヴェルは真面目な顔となった。
「何時から、大魔王が邪法を仕掛けてきたのかはわからぬ。大魔王の死と共に発動する邪法の存在に気づいたのは、三代目勇者クラウド殿じゃ。初代に呪がかけられたかは不明であるが、二代目勇者以降、勇者の数だけ呪いはあった。僧侶と魔法使いがうまく邪法を防いだ代もあったが、七回はあやつに好きにやられておる。二代目は従者との殺し合いをやらされるところだったのだ。女魔法使いユーリア殿がケルベゾールドを己の内に封印せねば、最後の一人となるまで従者に転移を続け、二代目に仲間を殺させ続ける気だったのだ」
「………」
「三代目は種無しの邪法をかけられた。子供をなせなくなったのじゃが、三代目には弟がおったので勇者の家系は絶えずにすんだ。四代目は回避。五代目も回避、六代目は発狂、七代目は回避。八代目はそばに居た従者ともども全身から血を噴いて死亡したが、既に跡取りをもうけていたので勇者の家系は守られた。九代目は回避。十代目は短命の邪法をかけられ、翌年死亡。十一代目は失明。十二代目は……先代ランツは邪法をくらわずに済んだのじゃが、邪法自体は発動してしまった」
「何故、勇者ランツは無事だったのだ?」
「……仲間のわしらに内緒で、形代(かたしろ)の邪法を己が身にかけていた僧侶が居たからじゃ」
 老魔術師の顔に、ほんの少し暗いものが差す。
「ほんに馬鹿な奴じゃ。あやつに二の書などやるのではなかった」
「その者は亡くなったのか?」
「生きてはおる。が、今は死んでいるも同じ。ケルベゾールドが次の邪法をしかけてくるまで、邪法は解けぬ。あやつの肉体は、異界に封印されたままなのじゃ」
形代(かたしろ)の邪法とは危険なものなのだな」
「安全な邪法などない」
「その邪法で、今回、カルヴェル様はゼグノスの呪を女勇者様から肩代わりしたのか?」
「そうではない。そうなら、今、わしが眠っておるはず。わしはケルベゾールド戦に備えて己が身に形代(かたしろ)をかけた。ケルベゾールドから確実に呪をかけられるとわかっておるのに、たかが四天王でこの邪法を使い果たすわけにはいかぬ」
「………」
「邪法が発動しかけた時、強制的に形代(かたしろ)を封じたんじゃが、ちと間に合わなかった。それで、セレスと共に魔界に封じられてしまったわけよ。まこと、しくじったわ。ジライには悪い事をした。あの男、ゼグノスの邪法を祓ったが為に命を落としかけている。運良く生き延びたとしても、命が削られたのだ。確実に、寿命を数年縮めたであろう」
「………」
形代(かたしろ)を封じるべきではなかったのやもしれぬ。じゃが、今更言ってもせんない。ジライの事はナーダに任せた。セレスの肉体はシャオロンが守っておる。後はアジスタスフニルがセレスを目覚めさせてくれるのを待つだけじゃ」
「……この危機を乗り越えても、大魔王の呪が待ち構えているのはわかった。あなたがセレス殿の為にご自分を犠牲にするお覚悟なのもわかった。それがあなたの志ならば、口ははさまん」
「うむ。助かる」
「だが、形代(かたしろ)の邪法なぞ使わんでも、大魔王の呪を祓う(すべ)はあるのではないか?」
(すべ)は他にもある」
「ならば」
「他にもあるが、面倒なんじゃ。むろん、防呪結界も張る。それで弾ければ、何の問題も無い。じゃが、呪をかけられたら、祓わねばならぬ。呪を無効にするには、呪の種類を知り、呪を壊す必要がある。時間もかかる。又、大魔王本人の呪にはジライが使った手、闇の聖書による呪の吸収も効かぬ……」
 老人は溜息をついた。
「なぜならば、大魔王が勇者に仕掛ける邪法は、闇の聖書に載ってはいない……闇の聖書が統べていない新たに作りだされる邪法だからじゃ」
「新たな邪法……」
「先代にかけられた邪法がいかなるものかつきとめるだけで、十三年かかった」
「十三年も、か……」
「呪いを肩代わりした者がこの世に居らぬからの、しんどかったわ。大魔王の憑代であった肉体の人生をなぞり、思考パターンを研究し、残した書を漁り、推測の上に推測を重ね、呪の見当をつけるまで十三年、その呪の一部を破るまで更に四年かかった。時間がかかりすぎじゃ」
「………」
「だが、今回は、ケルベゾールドがどのような呪をかけてくるか、ある程度は予測がついている。憑代の情報(データ)を可能な限り集め、魔法の癖もつかんでおる。わしの魔術師としての能力も三十六年前より向上しているし、呪の一部を祓うのに十七年もかからんで済むとは思うが……セレスを呪の餌食にはしとぅない」
「……ケルベゾールドの憑代の正体をご存じなのか?」
「うむ。知っている……セレスが勇者としてエウロペを旅立つ前からの……何処に居るのかも、何処へ移動して、どんな企みをし、四天王をどう使っていたのか、全て知っていた……」
「ゼグノスがケルティで目論んだ血の宴も、ご存じだったのか?」
「具体的な計画は知らなんだが、ある程度は予想がついていた。あやつが魂を分断し、ケルティ人に憑依していくのを見ていたからの」
 ケルティの上皇ハリハールブダンは、真っ直ぐに大魔術師を見つめた。
「知っていながら、動かれなかったのだな?」
「うむ」
 老人は静かに微笑んだ。
「ゼグノスのせいで、多くの血がケルティで流れるであろうことは知っていた。だが、わしはその計画を阻止しなかった。しようと思えばできたのだが、動かず、奴の計画の進行を眺めていた」
「………」
 黒のローブをまとう白髪、白髭の老人は口元を吊り上げて笑った。
「わしが許せぬか、ハリハールブダンよ?」
「………」
「わしが動けば、ハリレーレクは魔に堕ちず、そなたのいとこのハリコルベインやハリグレチル、数多くのハリ族の者が未だにおぬしと共にいたであろう」
「そうだな」
 ハリの戦士は瞳を細めた。ケルティの魔の宴で失った同胞を思い出しているのだろう。
「……あなたが動けば、多くの人間が死なずに済んだ。昔の俺ならば、あなたを悪魔呼ばわりして、実力差も顧みず斬りかかったろう」
 一度、瞼を閉じてから、ハリハールブダンは瞳を開き、大魔術師をその眼に映した。
「だが、あなたのお教えを受けた今ならばわかる。『大魔法使いが何かをすると、周囲にもたらす影響が大きすぎる』。あなたがケルティを救う為に動けば、血の宴よりももっとひどい事態がケルティに、いや、世界にもたらされたのだろう。だから、動かれなかったのだろう? 何もできず静観するしかなかったあなたの心中をお察しする」
「ふふふ」
 老人は杖持たぬ左手で己の髭を撫でた。
「やさしいことを言うてくれる……」
「あなたはセレス殿を救う為に、己が身を犠牲にしようとしている。あなたが悪であるはずがない」
「甘いな。その程度のことで、『悪』ではないと言い切るのは早い」
「だが、少なくとも、俺にとってあなたは『悪』ではない。あなたは、セレス殿の助け手、セレス殿を光へと導く者だ」
 ハリの戦士は枝を折り、炉へとくべた。
「どうあっても、形代(かたしろ)を使われるのだな?」
形代(かたしろ)は呪をセレスから余所(わし)に移すだけ。形代(かたしろ)をきちんとかけておけば、呪の種類が何であれ呪は瞬く間にわしに流れてくる。この手ならばセレスも従者も誰一人傷つかずにすむ。この手が最良。わしは形代(かたしろ)を解かぬ」
「カルヴェル様……」
「今世の女勇者も従者のインディラ僧も、大魔王が呪をもって待ち構えている事を知らぬ。二人に教えぬよう、わしが頼んでおいたからの。じゃから、形代(かたしろ)で、わしが消えても、何も変わらぬ。世界中で好き勝手な事をしておるジジイが姿を見せんようになっても、誰もあやしまんじゃろう」
「……俺が探す」
「ん?」
「セレス殿が大魔王を討伐した後、あなたの無事を確認する。もしも探知の魔法であなたが見つからなかったら、このハリハールブダン命に代えても」
「こりゃ」
 老人は杖の先端で、ハリの戦士の頭をポカリと叩いた。
「そんな事をしてくれと頼んではおらぬわ。おぬしには、ケルティの上皇としてなすべき仕事があるじゃろうが。形代(かたしろ)のことを教えたのは、わしが消えた後のケルティの混乱を防ぐ為。ただ、それだけの為じゃ」
「しかし」
「なぁに、そう易々とはやられぬ。ランツがケルベゾールドを討ってより三十六年……わしも、ただ生きてきたわけではない。世界中の魔法及び邪法を研究し、聖なる武器や魔法道具(マジック・アイテム)を収集し、邪に対抗する準備を進めてきた。ケルベゾールドに負ける気はない。セレスから呪を引き離した後、わしがその呪を封じる。いや、封じてみせる。時間はかかるやもしれぬが、必ず成し遂げる。わしが消えても案ずるな。わしを信じて今世で待っておれ」
 エーゲラでの出来事は、夢シリーズの『夢のつづき』の話です。
 大僧正が病と聞いてナーダが動揺しますが、大事とならず、旅はこれまで通り続くという話でした。
+注意+
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