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女勇者セレス 作者:松宮星

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五つの道 4日目(1)

「……見えなかった」
 夜明け前、仮小屋で目覚めたアジャンは開口一発そう言うや舌打ちをした。同じ小屋で眠っていたハリハールブダンが寝袋から体を出し、けげんそうに尋ねる。
「何が見えなかったのだ? 夢か?」
 その場合、『見えなかった』ではなく『見られなかった』という表現が正しいのだが。
 アジャンは赤毛をボリボリと掻き、何でもねえと不機嫌そうに顔をそむけた。


 眠る度に、アジャンはセレスの夢を見ていた。
 闇の中で、光の結界に包まれ胎児のように身を丸め、全裸でセレスは眠っていた。しかし、最初、彼女は三歳ぐらいの幼児だったし、次の夜でも十歳前後。幼女趣味はないので、裸を見ても何とも思わなかった。
 夢を見る度に、セレスは大きくなっていった。昨晩の彼女など、子供(ガキ)というよりは少女だった。まだまだ食指が動く年齢ではなかったが……
 おとといまでは、はっきり見えていた裸身が、昨晩はよく見えなかった。光の輝きが増し、内にいるセレスの体の辺りがボヤけていたのだ。顔のあたりはおとといと同じ光度だったので、表情もわかったというのに。
(どういうこった? 女勇者様が恥ずかしがって隠してるのか? 俺が見てるって気づいて? て、事は……あの女、意識があるのか?)
 何となく……アジャンは面白くなかった。
(ケッ! あの馬鹿女、俺の事を、裸の女と見れば見境なく襲う色魔とでも思ってやがるのか?)
 大金を積まれたって、くそ忌々しい女勇者になんぞ手を出すものか! 俺は処女は嫌いなんだ! と、ブツブツ独り言を漏らす赤毛の戦士を、ハリの戦士は眉をしかめて見つめていた。
 昨日からこの男と同じ犬橇に乗ってケルティを走っているのだが、シャーマン能力の高い赤毛の戦士は直感だけで行動し、すぐに己の世界に浸ってしまう。同行者の存在を忘れてしまうのだ。
 ハリハールブダンは、赤毛の戦士の邪魔をしないように静かに犬達に餌をやり、旅立ちの準備をしようと思った。今日も、又、目的地の知れぬ旅をしなければならないのだから。



 ナヴィアスの要塞――河沿いの、頑健な岩作りの五階建ての建物は黒いものどもに囲まれていた。さまざまな物に憑依した千とも万ともつかぬ魔族だ。
 要塞の中には魂を封印された女勇者が居り、無防備な状態で眠っている。彼女を殺さんが為、魔族達は集ったのだ。光に吸い寄せられる蛾のごとく……。
 木、岩、水、雪、氷、獣、鳥、人……この世に存在する何かに宿ることで、魔族は現世に干渉する能力を得ている。
 しかし、魔族の能力は、宿主の技量によって制限される。魔界で高位の力を誇っているものでも、知性が低いものに憑けばそれに見合うほど愚かとなり、木に憑けば火が弱点となり、水に憑いて干上がればこの世から消滅してしまう。
 どれほど力の強い魔族であっても、この世界に出現した時点で、この世界の理の支配を受けるのだ。
 要塞の側にひしめいているのは、無機物や知性の低い動物等、ろくでもない器に憑いたモノばかり。自我の強い人間に比べ憑依は難しくないのだが、その分、それに憑いて出現してもたいした力は使えない。できるのは、瘴気を撒き散らし、人を殺し喰らうことぐらいか。魔界での能力がいくら高かろうが、そんなものに憑いた時点で『下級魔族』と断じられるほどの弱い力しかこの世にもたらせなくなるのだ。
 だが、下級魔族の数は時と共に増すばかり。女勇者を殺す為に、魔界の住人も手段を選ばず、憑依しやすいものに憑いて数を頼りに攻めてきているのだろう。
 彼等は、強力な結界で守られた要塞を、遠巻きに眺めていた。要塞の周囲には強力な結界が張られている。下級魔族では、それを破ることはできないどころか、結界に触れる事すらかなわない。触れただけで浄化されてしまうからだ。
 要塞の中に極上の獲物が居るのに中に入る事すらかなわず、魔族は苛立ち悔しがっていた。その思いは瘴気となって広がっていった。瘴気は、要塞の周囲の常緑樹の森を枯らし、森に居た鳥や小動物の命を奪い、雪を黒く染め、徐々に強まっている。女勇者を殺すまで魔族は増え続け、飽くことなく瘴気を撒き散らし続けるのだ。


 その小物魔族の群れの中に、忍者ジライは潜んでいた。
 魔族の能力で女勇者の気配を探し、ジャポネから移動魔法で渡って来たのだが……
(近寄れぬ……)
 魔をその身に宿しているジライは、要塞を守る光輝く結界をその目に映していた。ジライに憑いているのは、高位の魔族ばかり。あの結界に触れても、多少ダメージを喰らうだけで浄化される事はない。やりようによっては結界を強引にねじあけ中に入る事もできよう。
 しかし、要塞の中には数多くの聖職者が籠もっており、要塞の常として内部には魔封じの結界が何重にも張り巡らされているはず。下手に中に入れば、高位の神聖魔法の餌食となるか、魔封じに封印されて身動きがとれなくなるかだろう。現在のジライの性質が、魔そのものである以上。
(せっかく四の書を手に入れたというのに……)
 セレスに近づけねば、邪法を祓う事はできない。
 だが、黒の気を封じて幻術を用いて人の振りをしても無駄だろう。聖職者ではないグジャラにすら正体を見破られてしまったのだ。要塞の中にはバンキグ人の聖職者、神秘を見通す眼を持つアジャンやシャオロン、インディラ僧のナーダが居るのだ。全員をあざむけるとは、到底、思えなかった。
 ジライは己が胸を押さえた。周囲に瘴気が満ちているせいか、体内の魔族がはしゃぎ、熱の塊のようになって激しく暴れている。ともすれば、意識を奪われそうだ。


 百人の兵士と三人のシベルア司教に二十人の司祭、十人の宮廷魔法使いを、ルゴラゾグス国王はセレス護衛の為に、要塞に詰めさせていた。
 シャオロンは彼等の厚意に甘え、充分な食事をとり、昨夜は眠らせてもらった。手元に『龍の爪』を置いて、セレスの寝台のすぐ側のソファーに横たわって、火急の折には戦えるよう準備を整えた上ではあったが。
 四人のシベルア司祭に囲まれた寝台の上で、セレスは眠っている。いや、彼等の魔法によって生かされている。ただ眠っているだけのような穏やかな顔をしているが、魔法で身体機能を維持してもらわなければ、セレスは死んでしまうのだ。
 その痛々しい姿を目にするのは辛かったが、シャオロンは自分ができるただ一つのことをひたすら続けていた。
 いざという時には命に代えてもセレスを守る! 自分ができる事はそれだけだから何があってもやりぬく! その為にお側を離れまい! 少年は覚悟を決めていた。
「シャオロン殿……」
 背後からためらうように声がかけられる。振り返ると、そこにはナーダの部下の老忍者ガルバが居た。


「どうしました、シャオロン? 何かあったのですか?」
 インディラの王族姿のナーダが、糸目を驚いたように丸め、東国の少年を見つめた。片時もセレスの側を離れまいと護衛に徹していた少年がセレスの部屋を出て、三階も下の廊下の外れまでやった来たのだ。革袋に入れた『龍の爪』を背負って。何事かあったとしか思えなかった。
「……お話があります、ナーダ様」
 シベルア語でそう言ってシャオロンは、ナーダと一緒に要塞を回っていた者達に会釈をした。シベルア司祭三人と魔法使い二人、それに兵士五人だ。ナーダは彼等と共に要塞内の魔封じや結界を点検し、助言を与え、結界の張り直しや魔族相手の警備についての指示を与えていた。
 インディラ教の総本山で育ったナーダは魔に対抗する術を数多く知っていた。信仰する神は異なっても、邪悪を祓う方法にはさほど違いはない。司祭達はナーダの知識の深さに舌を巻き、素直にその助言に従って魔法使いと共に要塞に魔法をかけなおしていたのだ。
「少々、お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
 シベルア司教達は頷きを返し、ナーダに要塞の地図を見せ、今後、点検する箇所を教えた後、立ち去って行った。
 彼等が廊下を曲がり、その姿が見えなくなってから、少年はキリリと眉をひきしめて、大柄な武闘僧を見上げた。
「ナーダ様、寝てください!」
「は?」
「ガルバさんから伺いました。昨日から、ルゴラゾグス国王陛下と難しいお話をなさったり、警備隊長に魔族との戦闘のコツを伝授したり、大僧正様宛にお手紙を書いたりで、ほとんど寝てないんだとか! 今朝も早くから警備の見直しで要塞の中を歩き回られているそうですね。駄目ですよ、休まなきゃ! そんなんじゃ倒れてしまいます!」
「……シャオロン」
「前に、セレス様もおっしゃってました! 寝て休めて必要な時に動けるよう体調を整えておくのも武人の心得だって!」
「………」
 真剣な顔の少年に対し、ナーダはにっこりと微笑んだ。
「ご心配をおかけしてしまったようですね、すみません……ですが、今は休むわけにはいかないのですよ」
「ナーダ様!」
「あなたもアジャンもジライも、セレスの為に自分ができる最善の事をしているのです。私も私ができる事をやらなくては……。バンキグの方々は魔族との戦闘経験が乏しい上、聖なる武器の振るい手はルゴラゾグス国王しかいらっしゃいません。魔族との戦闘で、聖なる力を持たない人間はどうやって己が身を守ればいいのか、神聖魔法を使う聖職者をどんな形で支援すれば良いのか、経験と知識をもってお伝えする必要がありました。それに、結界や魔封じの見直しは、この要塞の人間全員の生命に関わる大事。点検は早いほど良いのです。今は眠ってなんていられませんよ」
「だけど!」
「大丈夫ですよ、シャオロン、ちゃんと仮眠はとっています」
「でも!」
「まあ、自分でもちょっと無理をしてるかなあって自覚はあるのですが、あと二日なんですから、気力でもちますよ」
「あと二日?」
「ええ、この騒動、明後日にはカタがつくはずです」
「明後日?……どうしてですか?」
「だって」
 ナーダは小さく笑った。
「アジャンとジライが何処かで何かをしているんですよ。彼等は私一人では五日しかセレスの体を維持できない事を知っています。ルゴラゾグス国王の援助がいただけたので、今は五日以上、セレスの体を生かせますが、彼等はその事を知りません。二人にとっての期限は、セレスが倒れてから丸五日後、つまり、明後日の昼までのままです。明後日の昼までにはセレスは目覚めるはずです。彼等が意地でもセレスを起こすでしょうから」
「………」
 少年は口元を緩め、笑みを作った。
「そうですね……オレも、そうだって信じてます。アジャンさんとジライさんが、セレス様の為に必死で働いているんですから……明後日には、絶対、セレス様はお目覚めになっているんだ」
 少年の黒いつぶらな瞳に、じんわりと涙が浮かぶ。気を張り詰めすぎ、硬くなっていた体からも少し力が抜ける。少年は右腕で急いで目の周りをぬぐった。
「明後日には決着がつくんだったら、尚更、ナーダ様はお休みになるべきです!」
「え?」
「体を休めて、体力と魔力を回復しなきゃ駄目ですよ! 明日、要塞の外の魔族をやっつけましょう! セレス様の為に頑張ったアジャンさん達の通り道を作らなきゃ!」
「シャオロン……」
「一緒にアジャンさん達を迎えましょう。今は無茶しないで、休んでください。お願いです」
「………」
「結界と魔封じの点検が終わったら、絶対、寝てください! 絶対ですよ!」
「あ、でも……」
「何です!」
「昼食後に、ルゴラゾグス陛下の戦斧の鍛錬にお付き合いをする約束が……魔族戦を前提とした戦斧の使い方を伝授しようかと」
 シャオロンは身を乗り出した。
「そんなの、オレがやります!」
「へ?」
「異種格闘戦になっちゃいますけど、『龍の爪』でオレが王様のお相手をします! 魔族との戦闘のコツをお教えして、気を放出しすぎないように注意(アドバイス)すればいいんでしょ?」
「……ええ、まあ、そうですね」
「なら、オレでもできます! オレに任せてください! オレはぶきっちょだし、ナーダ様みたいに何でも上手にこなすなんてできません! でも、オレでもできることは中にはあるんです! ナーダ様、何でもかんでもお一人で背負わないでください! オレやガルバさんやみんなをもっと使ってください! お願いします!」
「シャオロン……」
「そりゃあ、オレじゃあ、何やっても下手くそだと思うけど……下手くそすぎてご覧になったら、ナーダ様、イライラしちゃうかもしれないけど、ちゃんとやる事はやります! 下手なのは大目にみてください! オレに任せて、ナーダ様、少しおやすみになってください!」
「………」
 少年を静かに見つめ、武闘僧は静かに微笑んだ。
「本当に……あなたは大きくなりましたね」
「え?」
「出会った時、あなたの命は消えかけていましたし、目覚めた後、全てを失ったあなたはとても深い傷を負った……あなたは私にとって、ずっと守り導くべき存在でした。でも、今のあなたは、とても逞しい……。頼りがいのある従者仲間です」
「ナーダ様……」
 ナーダはにっこりと微笑んだ。
「あなたの言うとおりにします。眠りましょう。陛下のお相手は、あなたにお願いします」
「はい! 任せてください!」
「でも、良いのですか、セレスの側を離れて? あなた、セレスにずっと付き添っていたのでしょ?」
「……オレがいない間は、ガルバさんがセレス様の護衛をしてくださいます」
「ガルバが?」
「それに、神聖魔法の使い手が四人もセレス様のお側にいらっしゃるんです。オレなんかが、ちょっとぐらいお側を離れても、セレス様は大丈夫ですよ」
 口ではそう言っていたが、少年の表情は暗く、握り締めた拳も内面の不安を表していた。仲間(ナーダ)の為に、無理をしているのだ。本当は、片時もセレスの側を離れたくないのに。
 けなげな少年の肩を叩き力つけようと、ナーダが動いた時だった。ドタバタと派手な足音を立てて、カラドミラヌが廊下の角から現われたのは。
「居た! ナーダさん! お小姓も一緒か!」
 背に戦斧をしょったバンキグの若者だ。ひどく焦っているようで、ナーダの右腕をぐいっと掴み、元来た道を引き返そうとする。
「物見(やぐら)に行こう。大変なんだ」
「大変?」
「あんたの部下の忍者が、無茶苦茶やってるんだ。ともかく、見てくれ」



 犬橇を操るアジャンの背、周囲に広がる雪の森、厚い雲から漏れる光を見渡し、橇にどっかりと腰を下ろしているハリハールブダンは両腕を組んだ。
「方角からすると……ホルムに向かっているようだな」
「そうかもな」
 振り返りもせず、答えるアジャン。
 ハリのシャーマン戦士は溜息をついた。
「ホルムまで移動魔法で送ろうか?」
「いや、いい。ホルムが目的地かどうかまだわからん。このまま橇を走らせてりゃ、そのうち止まりたい場所に着くだろう」
 何処へ向かっているのかわからないとはやっかいな勘だとこぼし、ハリハールブダンは瞼を閉じた。今はアジの戦士を手助けすべき時ではないようだ。ならば、魔力で周囲を探りつつ、カルヴェルを求め世界中に探知の魔法を飛ばそうと、彼は左手の指輪に助力を願った。



 深く陥没した大地の上に、忍者ジライが佇んでいた。
 凄まじい重力球を続けざまに放ち、そこに存在していた魔族ごと大地をえぐったのは他でもない、彼なのだ。ジライはさまざまな魔法を使う。魔族は、重力球に押し潰され、或いは火炎で焼かれ、或いは雷、水、風等に巻き込まれて動きを奪われたところを、聖なる武器とその武器から生まれる聖なる水によって浄化されていた。強力な魔法を使う魔族でありながら、聖なる武器を振るう忍者。彼を恐れ、潮が引くように小物魔族が周囲から離れて行った。
 けれども、忍者は容赦なく逃げゆくものどもを攻撃し、『ムラクモ』で斬っていた。武器が放つ聖なる水は、振るい手にとっても脅威だったが。水が体にかかれば、ジライとて浄化されてしまう。風の魔法を駆使して、水が飛ぶ方向を調節し、ジライは『ムラクモ』を操った。
 派手な動きで魔族を葬り、要塞から注目を集める為に。


「あの忍者、ノリエハラス様のお気に入りのあいつだろ? あの格好はそうだよな? あんたの部下だろ?」
 要塞の最上階の物見櫓に昇ったナーダとシャオロンは驚いて身を乗り出し、凍河の側の枯れた森の近くで魔族と対峙している者を見つめた。東国の忍者装束に、雨を降らす聖なる武器。あの場で戦っているのは忍者ジライに間違いなかった。しかし……
「ジライさん……一体、どうして……」
 シャオロンの顔から血の気が引いた。この世の神秘が見通せる少年の眼には見えるのだ。仲間(ジライ)の体に憑依している何百という数の魔が……
「ジライ……」
 ナーダは唇を噛み締めた。仲間(ジライ)から爆発的に広がっている黒の邪悪な気……凄まじい瘴気……。人間が放てるものではない……ジライは魔に堕ちたのだ。
「魔族を倒してくれるのはいいけど、ああ派手に地面に穴を開けられちゃあなあ。やり過ぎだろ、あれ」
 魔の気に疎いカラドミラヌがとんちんかんな事を言う。
 二人の司教を連れ、ナーダよりも体格のよいルゴラゾグス王も、物見櫓に昇って来た。
「勇者の従者殿。おまえ達の仲間にしか見えぬあの男、司教様は魔族だと断言しておられるのだが?」
 要塞中を震わせかねない大声だった。赤銅色の髪の王に対し、ナーダはかぶりを振った。
「何が起きたのかはわかりません。ただ、あの男が女勇者様を裏切り魔に走るなどという事はありえません。あの男は女勇者様に深い忠誠心を抱いていました。女勇者様を裏切るぐらいならば、死を選ぶはずです」
「ナーダ様! あれを!」
 シャオロンが指差したのは天だった。
 天に紙に書かれたように巨大な黒い文字が浮かんでいる。共通語だった。
『アジャン、ナーダ、シャオロンへ。
 セレス様をお救いする(すべ)あり。
 他を交えず話がしたい。
 外に参れ。
 この身は黒く堕したが、セレス様への思いに変わりはない。彼の方をお救いしたい。
 協力を乞う。               ジライ』
 ナーダとシャオロンは食い入るように天を見つめた。
「何と書いてあるのだ?」
 ルゴラゾグス国王の求めに応じ、ナーダは天に浮かぶ文字をバンキグ語に訳して伝えた。が、天から顔をそむけることはできない。眉をしかめ、涙を堪えるような顔で、ひたすら天を見つめ続けていた。
「……行きましょう、ナーダ様!」
 拳を握り締めたシャオロンが仲間(ナーダ)へと迫る。
「ジライさんの体には魔族がいっぱい憑いてますけど、セレス様をお救いしようと必死に頑張って、それで、きっと、ああなっちゃったんです! 何か理由があるんです! オレはジライさんを信用します!」
「ええ……わかっています」
 辛そうに瞳を伏せるナーダに、シャオロンは更に近寄った。
「シャダム様もおっしゃっていました! 『共に戦う仲間を信じよ』って! 『友が闇に堕ちたように目に映ったとしても、信じ続けるのだ』って!」
「……あなたの言うとおりです。私もジライを信じていますよ」
 ナーダは左手で目元を覆った。魔族に憑かれながら自我を保ち、魔の能力すら意のままに操っているという事は……ジライと魔は融合し、同化しているのだ。
 神聖魔法では、もはや分離は不可能。神聖魔法を用いれば、ジライ本人まで浄化し、消滅させてしまう。そして、魔を体に宿していれば、いずれ……人は人でなくなる。神の庇護を失い、魔界の住人となってしまうのだ。
 僧侶であるナーダには、ジライの未来が見えていた。


 結界の一部を解いてもらって、ナーダとシャオロンは要塞の外に出た。ジライが近辺の小物魔族を浄化しているので、結界が解けても魔に内部まで侵入される恐れは無かった。
「セレスの側に残ってもいいのですよ、シャオロン。二人揃って危険に身を投じる必要はありません」と、ナーダ。
「危険なんかありませんよ。仲間に会いに行くだけですから」と、少年はにっこりと笑う。
「ルゴラゾグス国王様とガルバさん、それにシベルア教会の司教様や司祭様がいらっしゃるんです。オレが居なくても、セレス様は大丈夫ですよ」
 二人の前に……ゆっくりと、東国忍者が近づいて来る。黒の気をたなびかせながら……
 二人と向かい合う形で、ジライは足を止めた。
「アジャンはどうした?」
 ジライの声は常と変わらなかった。
「アジャンは西に向かいました。西にセレスを救う(すべ)があると言って、ね。シャーマンとしての勘のようです」
「ほう。それは頼もしいな。我が力及ばなんだ時は、あやつがセレス様を救ってくれるわけか」
 覆面から覗くジライの目が笑みを形づくる。目の色は血のように赤かった……
「ジライ……あなた、何故、そんな体になったのですか? 魔族に体を乗っ取られたのではありませんね。魔族と取引をしたのでしょ? どんな契約をもって、その体に魔を棲まわせたのです?」
「おまえらと別れてすぐに、魔を呼び出し、たきつけた。五日のうちに我を精神的に殺してみせよと、な。内なる魔が我が精神を凌駕した瞬間、我は死に、魔族はこの体を手に入れる事になっておる」
 強張っていたナーダの顔が、ほんの少しだけやわらなか表情となる。
「では……五日間……あなたが自我を保ち続ければ、魔の呪縛から逃れられるわけですね。五日後、つまり明後日の昼には契約が解け、あなたの体から魔は消えるのですね?」
「……明後日の昼まで、正気を保てるとも思えぬがな」
「ジライ!」
「我の事などどうでもいい。まずは話を聞け。呪を祓うには、呪を理解し、呪に合わせた祓いをせねばならぬ。その理屈はわかるな? この前も言うたが、ゼグノスの憑代の体にあった血文字がよう見えなかったので、セレス様にかけられた呪の種類がわからなかったのだ。こうとなっては、通常の方法では祓いは不可能……そこで、あらゆる邪法を統べるこの世で最も邪悪な魔法道具(マジック・アイテム)を利用する事とした」
 魔族の能力を使い、ジライは異次元から獣の毛皮で覆われたぶ厚い本を呼び寄せた。宙に浮かぶ本より、奔流のように瘴気が広がる。ほんの少し瘴気に触れるだけで、肌に刺すような痛みすら走った。
「ナーダ、きさまならば知っていよう。これは大魔王の闇の聖書……この世に三冊しか現存しておらぬ本。その内の一冊だ」
「これが?」
 ナーダは嫌悪と共に本を見つめた。初代ケルベゾールドが四人の従者(四天王)に与えた四冊の邪法指南書。暗黒魔法とも呼ばれる邪法の全てが、記された本だ。強力な術がかけられている為その内容を文字に写す事ができず、闇の聖書を手に入れようと、大魔王の信者達は血で血を洗う戦いを繰り広げているという噂もあった。三百年前、七代目勇者ロイドがその内の一冊を浄化したので、大魔王の聖書は三冊になったと聞いてはいたが……実物を見るのは初めてだった。
 ジライは四の書を再び異空間に戻した。長く側に置いておくと、瘴気の影響を強く受けすぎる。内なる魔族に活力を与えすぎてしまうのだ。
「闇の聖書は邪法の全てを統べている。書を持つ者に、全ての邪法を司る力を与えるわけじゃ。つまり、」
 ジライの目が妖しくきらめく。
「書を持つ者が望めば、既にかけられた邪法の効力を消す事もできるのだ」
「あ」
 シャオロンが拳を握り締め、一歩、前へ進み出る。
「じゃ、セレス様にかけられた邪法も祓えるのですね?」
「さよう」
 ジライは頷きを返した。
「書を持つ者の技量と生命力に負うところも大きいが、邪法ならば全て祓えるはずじゃ」
 ナーダは眉をひそめた。
「では、セレスにかけられた呪が、邪法ではなかったら? 神より人が与えられた魔法……その系統の呪だったら、闇の聖書では呪いは」
「祓えぬな」きっぱりとジライは言い切った。
「じゃが、ゼグノスの憑代は血文字を用いていた。何らかの邪法を用いていたのは確実。それは闇の聖書にて祓える」
「しかし」
「そう、ゼグノスの呪が、邪法と魔法を掛け合わせた新しき魔法であった場合……呪は祓いきれぬ。セレス様にかけられた呪は半ば残ってしまうじゃろう。しかし、残るのは魔法なのじゃ。大魔法使いの御力にすがれば、ちゃちな呪など解けるじゃろう」
「カルヴェル様を頼れって事ですか?」と、シャオロン。
「カルヴェル様でもケルティの上皇でもいい。大魔法使いの魔力ならば、ゼグノスの呪に勝るはず。ナーダ、シャオロン、そういうわけじゃ。要塞に籠もっている連中に、事情を話し、我を内に入れるか、セレス様のお体を外に運び出すか決めて欲しい。見ての通り、我は魔を宿しており、時が経てば経つほど内なる魔を制御しきれなくなる。はようしてくれ。我はセレス様をお救いしたい。(われ)が魔に屈する前に、全てを終わらせたい」
「………」
「ジライさん!」
 唇を噛み締め、うつむくナーダ。驚くシャオロン。二人の顔を見渡してから、忍者は言葉を続けた。
「大魔王の闇の聖書を使う時には、シベルア教会の者に立ち会ってもらっても構わぬ。周囲に結界を張られてもよい。じゃが、術の邪魔だけはしてもらいとうない」
「ええ……わかっていますよ、ジライ」
 ナーダは顔をあげ、穏やかな笑みを浮かべた。
「シベルア司教様達には手出しを控えていただきます。インディラ教大僧正候補である私と、神秘を見通す目を持つシャオロンの二人で、あなたを見張ります。術の邪魔はしませんが、二人の目から見てあなたが魔に屈したとわかった時には……」
 ナーダは糸目を更に細め、生まれて初めて心より愛した男を……静かに見つめた。
「あなたを殺しましょう。セレスの命を守る為に、女勇者の従者として、あなたを浄化してあげます」
「そんな! ナーダ様!」
 シャオロンが責めるように、武闘僧を見上げる。
 しかし、東国忍者はさも当然だと言わんばかりに武闘僧に頷きを返し、
「その時には、頼む」
 と、言葉短く、己の死を辞さない覚悟を示すのだった。
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