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女勇者セレス 作者:松宮星

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五つの道 3日目(2)

 アジャンは手綱を引き、移動魔法で現れた者の近くに犬橇を止めた。
「そっちでも何かあったみたいだな」
「うむ……実は」
 移動魔法の使い手は、重々しく溜息をついた。
「カルヴェル様が消えられた。昨日、城や別荘、縁者、全ての心当たりを当たったのだが、この地上の何処にもおられぬ。探知の魔法にすら、何の反応もない」
 茶の髪、茶の瞳の壮年の男。腰に戦士らしく剣を佩いてはいたが、彼はケルティ(いち)の大魔法使い、世界でも三本の指に入るであろう実力者であった。
 ハリの部族王ハリハールブダン。現存する十二部族を束ねる上皇でもある。先祖から受け継いだ魔法道具(マジック・アイテム)『知恵の指輪』と大魔法使いカルヴェルの指導によって凄まじい実力のシャーマン戦士となった彼には、大国シベルアさえ一目を置いているのだ。
「おとといの昼……俺の側にいたカルヴェル様の分身が唐突に消えたのだ。今までにも分身はちょくちょく居なくなっていたのだが、あの時、分身は妙な消え方をしたのだ。たとえるのなら、炎に焼かれる紙だ。巨大な力に飲み込まれたが為、形を散じた……そんな感じたった」
「……ジジイ、死んだのか?」
「そうやもしれぬし、この地上に関わる暇が無くなる大事に巻き込まれたのやもしれん」
「………」
「分身の消滅は気にはなったが、俺も忙しくて、な。そのうち戻られるかもしれんと思い、放っておいた。ところが、じきに来客があった。人気のない部屋に、そやつ、ふいに現われたのだ。『カルヴェル様は何処だ?』と」
 ハリハールブダンはパチンと指を鳴らし、空より取り出したモノを魔法でアジャンの手元へと運んだ。折りたたまれた紙だ。
「客が持ってきた手紙だ」
「読んでもいいのか?」
「うむ」
 手紙に触れようとして、アジャンは眉をしかめた。微かではあるが、手紙から瘴気を感じたからだ。自らの気をもって邪気を圧倒し、手紙の穢れを祓う。
「ほほう」
 ハリハールブダンが意外そうにアジャンを見つめる。
「何時の間に、浄化魔法が使えるようになった?」
「浄化なんてご大層な真似はできねえよ。邪悪をその場から、どかしてるだけだ」
「魔を退ける力……なるほど。『極光の剣』の加護か」
 アジャンは紙を開いた。ケルティ語で、セレスがゼグノスの邪法に囚われ魂を奪われた事、肉体はナーダの魔法で維持している状態だが援助の手が差し伸べられなければ五日後にセレスの命が尽きると記され、勇者一行が現在居るバンキグ北東部の地図が添えられていた。手紙の差出人の名前は……
「ジライ……」
 赤毛の戦士は、『極光の剣』と対になる魔法道具(マジック・アイテム)の所有者に尋ねた。
「あの忍者、おまえの所に行ったのか?」
(うつわ)的にはホルムで女勇者と共にいた忍者だった」
「なに?」
「だが、中身は闇の者だった。あまりにも禍々しかったので、存在を感じた途端、つい反射的に浄化してしまった」
「……殺したのか?」
「浄化した。と、言っても分身だったがな。すぐに同じ姿の者が現われ、『カルヴェル様に手紙を届けて欲しい』という思念と手紙を残し、移動魔法で消えた」
 アジャンはホッとした。が、慌ててすぐに頭を振った。クソ忍者がどうなろうがどうでもいいじゃねえかと、低くつぶやきながら。
「あの馬鹿、セレスの事となると見境ねえなあ。魔に魂でも売ったのか……ったく、どう始末をつける気なんだ?」
 俺ぁ知らんぞと、赤毛の戦士は不快そうに眉をしかめた。
「……その手紙を読んでから、どうしようか迷っている」
「ん?」
 ケルティの上皇は、眉をしかめていた。
「その手紙の内容が事実である事は、千里眼で確認した。このままでは、セレス殿は亡くなってしまう。セレス殿は恩人だ。本当ならばすぐにも駆けつけ、身体機能維持の魔法も俺が引き受けたいのだが……俺はセレス殿の旅に介入できん。カルヴェル様と約束しているのだ、セレス殿が大魔王を倒すまで彼女の旅を魔力で援助しない、と」
「なんだって?」
「……セレス殿の旅に俺がかまければ、ケルティは再びシベルアの支配に屈するやもしれぬ。だから、やめろとの事だった。だが、それだけではないと思う。大魔法使いが何かすると、影響が大きすぎるのだ。特に、俺のような新米魔法使いは怖いぞ。加減を知らんからな。胡桃を割るのを手伝おうとして、その者の家どころか村ごと全てを真っ二つにしかねん。俺がセレス殿に何かすると、事態がマズイ方向に転びかねない」
「ふん?」
「俺は直接の援助はできん。ならば、せめてカルヴェル様と連絡をとろうと世界中を彷徨ったのだが、見つけられなかった。女勇者一行は、大魔術師様のご助力なしで、この危機を乗り越えねばならぬようだ」
 ハリの戦士は、アジの男を正面から見つめた。
「窮地の女勇者を残し、おまえがあえて西を目指す理由を問いたい」
「ケルティに行きゃあ、あの女を起こせる」
「ほう」
「俺の勘がそう告げている。だから、西を目指している。けど、何処でどうやって起こすのかなんて聞くなよ。具体的にどうやるかなんざ、俺にだってわからんのさ」
「以前、カルヴェル様は、シャーマンとしての能力は、おまえの方が俺よりも百倍強いとおっしゃっていた。おまえの勘がそう告げているのなら、その通りなのだろう」
 ハリハールブダンは左手をかざし、二の指の金の指輪をアジャンに示した。
「『知恵の指輪』と対をなす剣を持つおまえは、俺の半身も同じ。俺は『女勇者セレスは支援できぬ』立場ゆえ、俺の半身であるおまえを助ける事にする」
「俺なら助けて良いのか? オレはセレスの従者だぜ。ジジイに後で叱られるかもしれんぞ」
「構わんさ、俺の中では理屈は通ってる」
「政務は? ほっぽり出していいのか?」
「問題ない。分身を置いて来た」
「ケッ」
 ジジイ並のバケモノになりやがってと毒づくアジャン。
 それに対してハリハールブダンは、自分の魔法は『知恵の指輪』より与えられたかりそめのものに過ぎないし、どんなに指輪に頼ろうともカルヴェル様の足元にも及ばないと真面目な顔で答えたのだった。
「通行許可書があるとはいえ、入国審査と手続きに時間をわずらわされるのは嫌だろう? ケルティまで移動魔法で運んでやる」と、ハリハールブダン。
「助かる」
「それで、アジスタスフニル、何処へ送ればいい?」
「国境ぞいなら何処でもいい。適当な所に、犬橇ごと運んでくれ。そこに行きゃあ行ったで、どっちへ行けばいいのか、多分、わかるはずだ」
 ハリハールブダンは小さく吹き出した。おまえの能力は便利なのか不便なのかわからぬなと、呟きながら。



 闇の中に蠢く肌には、きつく縄が絡まっていた。後ろ手に縛られ、両の乳房の上下に縄を巻きつけられた細い女体。少女のような体つきだったが、彼女が漏らす鼻にかかった甘い声には女の色気があった。
 宙を見つめる黒い切れ長の瞳はとろんと濁り、形の良い唇からはだらしなく唾液が流れていた。
 刺激を受ける度に、その白い裸体が身悶える。長い黒髪がばっさりと宙に舞う。縄が食い込んだ柔肌にかかる乱れ髪。ぞくぞくするような色っぽさがあった。
 そんな女を、がっしりとした体格の男が見つめていた。布団の上にあぐらをかいて座っているその肉体は、鍛えられたものであったが、皮膚にはたるみがあり、薄くなった頭髪も顎鬚も体毛も白い。若かりし頃は二枚目だったのだろうその鋭い顔にも、深い皺が刻まれていた。
 老人と言っていい年齢だった。しかし、その体は逞しく、好色な笑みを浮かべる顔にも生命力があふれており老いを感じさせない。
「もう降参か?」
 男によって女は理性を奪われていた。きつく巻かれた縄は、彼女の内の熱い熱を煽るばかりだ。
「もう……もう、だめ……無理よぉ……もう」
 せつなそうに男を見つめ、女は媚びる。
「解いて……ねえ、早く……もう許してぇ……」
「しょうのないやつめ」
 言葉とは裏腹に、老人は嬉しそうな顔をしていた。
「いつまでたっても、房中術の技は半人前じゃが」
 老人は背後から女の頬に口づけた。
「ほんに、おまえはかわゆいのう、アスカ」
「あぁ……お父様……」
 正気を失わされているくノ一アスカは、甘い吐息を漏らし、緊縛された裸体を悩ましげに揺さぶった。
 そんな彼女の体を愛しそうに腕に抱き、老人は鋭い視線を部屋の隅の闇へと向けたのだった。闇に潜むように、部下が蹲っている。
「お(かしら)様、シャイナの新大魔王教団より心話にて連絡が入りました。例の書の価格について交渉したいと」
「ほう」
 老人は手を止めることなく、闇を見つめ続けた。
「幾らと申しておる?」
「前回の申し出の価格に十億上乗せした上で、シャイナ教団の最高幹部の座を約束するとの事」
「ふん、くだらん。女勇者に潰された後にできたにわか教団の幹部なんぞになりとうはないわ」
「では断りましょうか?」
「ペリシャの大魔王教団が提示している金額を教えてやれ。三日待つ。その間に、わしを納得させられる額を示せねば、あの本はペリシャ教団のものになると脅しておけ」
「承知」
 闇に潜んでいた気配が消える。
 そのまま老人は腕の中の者を執拗に手や口で愛でた。焦れて身もだえ、卑猥な言葉を口にする相手の反応を楽しむかのように。
 間もなく、先程消えた気配が戻って来た。
「報告いたします」
 部下がそう口にした時には、老人はもう動いていた。腕の中のくノ一を突き放すや、枕元の刀掛けに手を伸ばし、抜いた鋭い刃で闇に潜んでいた部下の首を刎ねたのである。
 血飛沫をあげて倒れゆく体を見もせず、老人は、つづいて床に向かい『氷柱』の忍法を放った。床下に潜んでいた襲撃者は、ことごとく氷の柱に閉じ込められ凍りついた。
「お見事」
 頭上より声がした。老人は刀を握ったまま、天井を睨みつけた。屋根裏に複数の気配がある。闇のものの気配に混じり、忍の気があった。忍の気はよく知っている男のものだった。次期任忍者頭と目されながら里を抜けた裏切り者――白き狂い獅子ジライだ。
「やはり、お頭は一筋縄ではゆきませぬな。そこな者どもを近づけて、きゃつら同様、あなたにも術をかけて傀儡に堕としたかったのじゃが……大人しゅう諦めましょうぞ」
「ジライ……抜け忍の分際で里に戻って来るとはな。よほど命が惜しゅうないとみえる」
 抜け忍は発見次第、殺す。それが里の掟だ。けれども、今、老人に戦闘の意志はなかった。一対一では勝ち目が無い。忍術・忍法・邪法・体術・剣術……全て、相手の方が勝っている。
「で、何の用じゃ? 幾重にも張られた罠をかいくぐり、監視網をだまし、ここまで来た理由は? わしを傀儡に操り、里を乗っ取りたかったのか?」
「今更……」
 クククと天井から低い笑い声がする。
「お頭、取引に応じていただけませぬか?」
「ふん?」
「わが望みはただ一つ……」
 そこで一呼吸おいてから言葉を続ける。
「大魔王教の闇の聖書……四の書をしばし貸していただきたい」
 理性を失っているアスカが緊縛された裸身を摺り寄せてきた。だが、老人は娘を邪険に突き飛ばし、無言のまま天井を睨み続ける。
「三日のうちに、必ずお返しする」
「必ず?」
「さよう。三日もあれば用は足りる。我としても、それ以上は希書など手にしとうはござらぬ。大魔王教徒垂涎(すいぜん)の魔法書など、いらぬ騒動を招くだけ。忍には不要の書物」
「………」
「あなたは、口約束など信じる御方ではない。血文字にて誓約書をしたためましょう。制約に背いた者には、死に勝る責め苦が無限に与えられるように」
「………」
「三日の内に我が命を堕とした場合には、即座にあなたのお手元に戻るよう物質転送の魔法もわが手のものにかけさせておきまする。四の書がお手元から離れるのは、長くて三日。シャイナやペリシャの教団との取引の邪魔はいたしませんし、四の書が里より流出したなどと外部には漏らしません。お頭の不利益となる事はせぬと約束いたします」
「きさまに四の書を渡して、わしに何の益がある?」
「多大な利益がございます」
 天井から快活な声が響いた。
「私の話にのってくだされば、里が滅びずにすみますゆえ」
「なに?」
「お頭、この里の約半数の者が既にわが術中に落ちております。我が為に罠を外し、結界を解き、この屋敷への道を開いてくれたのは里の者達……我が傀儡にございます。時が経てば経つほど、我が下僕の数は増えます。いずれは里全体が我が手に落ちます。いかなお頭とはいえ、里中の者に襲われては無事にすみますまい。又、あなたが部下どもを殺せば殺すほど、里は戦力を失い、ひいては弱体化してゆくのです。忍の里の機能を保つ為にも、我が話にのるべきかと存じます」
「何の術で部下どもをたぶらかした? 傀儡の邪法でも幻術でも洗脳でもなさそうだが?」
「それはお教えできませぬな。ですが、取引に応じてくださるのなら、里の者にかけた術を解きましょう。我が支配から解放してやります」
「その言葉を信じろと言うのか?」
「誓約書をしたためます。四の書を三日ほど貸与していただく返礼に、今、我が用いている術を禁術とする事を誓いましょう。誓いを破れば相応の罰が下ることにいたしましょう。そうですな、『この身が千々に砕け絶命する』という罰でいかがでしょう?」
「………」
 忍の里の頭領は夜着を羽織り、立ち上がった。
「よかろう、話にのってやる。誓約書を書け」


 血文字にて誓約書をしたためている間、天井裏からジライは下の様子を窺っていた。
 しつこく身をすりよせてくるアスカを殴り、(かしら)は彼女の上半身を(いまし)めていた縄を切っただけですげなく追い払った。きさまの相手をしている暇はないと。
 長時間縛られていた為、腕はろくに動かないようだったが、アスカは部屋の隅に転がり、火照った体をおさえようとしていた。
 正気を奪われ、せつなげな喘ぎ声を漏らす妹。ジライは憐れに思い、眉をしかめた。彼女は『(かしら)のお気に入り』……頭専用の玩具なのだ。仕事が無い時は老人の気まぐれのままにいたぶられるのが日常。
 その姿を目の当たりにして自分が動揺している事に、ジライは少なからず驚いていた。
 欲望に忠実であれ……
 弱者をいたぶるは強者の特権……
 支配を厭うならば刃を持ち強者となれ……
 大魔王教の教えであり、忍の里の常識であった。
 弱者ゆえに強者に踏みにじられる者の姿など、里中に溢れている。弱者とはいえアスカは、里一の実力者の所有物。数多くの男の相手をしなければいけない『女』達より、遥かに恵まれた立場にある。
 けれども、今、アスカの姿を目にするのがつらいのだ。不思議なほどに……。望まぬ快楽に溺らされ、せつなげに喘ぐ彼女の姿に心が痛む。
 セレスの元に一年以上いて自分は少しおかしくなっているのかもしれない、ジライはそう思った。
(アスカにも憑いてやればよかった……)
 ゼグノスの憑依方法を真似、ジライは里の人間を傀儡とした。体に憑いた魔族の数だけ己が魂を分断して分身をつくり、触れ合うだけの接触で魔族の能力をもってして里の人間に憑いたのである。人から人へ。ジライは憑依体の内で魂を更に分断し、里の人間の体内に次々に入り込んでいった。
 厳しい掟に縛られている忍者は誰しも不満を抱いていた。自由への憧れ、上役への憎悪、不当に扱われ出世できぬ現状への怒り、常に死と隣り合わせの任務……満たされぬ思いを抱いたまま、忍は里に拘束されている。彼等の悪感情を煽るのは簡単だった。
 憑依した者を操って里の防衛システム――魔封じ・結界・罠を壊させ、里への侵入に成功したのである。
 この憑依方法は、魔族を体に巣くわせている今だからこそできる邪法。魔族との契約は二日日後の昼に切れるので、実は後二日半しか里の人間を支配できないのだが、ジライはそんな事はおくびにも出さず、邪法を二度と使用しないと誓う事で忍者頭から四の書を借りようとしているのだ。
 書き上げたものを物質転送魔法で、忍者頭の手元へと送る。老人は血で書かれた文面を確かめてから、左手の甲を傷つけ、右の二の指につけた血で誓約書に自分の名前もしたためる。
「ねえ……お父様ぁ……お願い」
 アスカが、畳の上で体を丸めたまま、忍者頭をせつなそうに見上げる。
「もう我慢できないわ……あたし……」
「こちらに来い、アスカ。働いたら望みをかなえてやる」
 ふらふらと近寄って来た娘をぐいとひきよせ、その喉に老人がぴたりとクナイを押し当てる。
「!」
 身を乗り出すジライ。アスカは喉に切っ先をむけられたまま、ぼんやりと空を見つめている。老人は天井を見つめニヤリと笑った。
「しばらくそこで見ておれ。手を出せば、これの命はない」
 気を高め、老人は何もない空から、古びた厚い本を取り出した。獣の毛皮のようなもので覆われた表装の、黒い気を吐き続ける本――四の書だ。誰にも盗まれないよう、邪法で異空間に封印していたのであろう。
 黒い瘴気を爆発的に広げる本を、老人は一糸まとわぬ娘に持たせた。自らそれに触れるのを避けているのだ。
「ジライに渡してやれ」
「………」
 アスカはうつろな瞳で手の中の本を見つめた。何と言われたのかわかっていないようだった。頭によって性欲だけを高められた今の彼女には、まともな思考力がない。
「その本をジライに渡すのだ。おまえの愛しい兄に、な」
「……ジライ」
 アスカの頬をポロポロと涙が伝わってゆく。
「ジライは居ないわ……抜けたもの」
「戻って来たのだ。今、そこに居る」
「ジライ……?」
「ジライ、四の書、受け取りに来い」
 忍者頭が少し下がる。クナイの先端をアスカの喉より下ろしたが、仕舞う気はない。娘の背後に立ち、何時でも彼女の急所を狙えるようクナイを構えている。
 老人の顔が天井に向いているのだと気づき、アスカも天井を見上げる。
「ジライ……?」
 涙を流しながら、アスカが嬉しそうに笑う。
「そこなの? 戻って来たの? 里の忍者に戻るのね? 女勇者を捨てて、あたしの所へ帰ってきてくれたのね」
 ジライは舌打ちをした。
 アスカは四の書を握り締めている。物質転送で本だけを運ぶのは不可能だ。しかも、四の書の邪悪な気を浴び続ければ精神力を弱められているアスカは容易に黒の気に染まってしまう。長く持たせては危険だ。彼女の命にかかわる。
 二人の前に姿を晒す気はなかったのだが、仕方が無かった。ジライは天井の板を外し、音も立てず、ふわりと畳の上に飛び下りた。
「ジライ!」
 覆面に黒装束だったが、素顔が見えなくても愛する男を間違うはずがない。右手に闇の聖書を握り締めたまま、アスカは愛しい兄に抱きつき、両腕を相手の背に絡ませた。
「嬉しい……もう離さない……愛しているわ、ジライ。あなたは、いつも『愛している』って言わせてくれなかったけど……ずっと、ずっと好きだったの……初めて抱いてもらった時から、ううん、初めて会ったときから、あなただけを見つめてきたの。ずっと、あなたが好きだったの」
 アスカは感情の起伏が激しく、激しやすい性格ではあった。しかし、これほど感情を露にするのは珍しい。理性のタガが外れてしまっているのだ。
「抱いて、ジライ……昔みたいに、うぅ〜んと、あたしを可愛がって」
「アスカ、本を渡せ」
「いや! 抱いてくれなきゃ、絶対、いや!」
 泣きそうな顔で、アスカが甘える。
「まずは本を渡せ。それは、おまえの手には余る。死ぬぞ」
「渡せばいいの? 渡せば抱いてくれるのね?」
「アスカ、何を言うても、無駄じゃ。その男、女勇者を捨てて来たわけではない」
 アスカのすぐ横に、忍者頭は立っていた。にやにや笑いながら、クナイを高々とあげ、ジライに見せつけるようにアスカの背に切っ先を向けている。
「くだらぬ口は開くなよ、ジライ……聞き苦しい言葉は、欲しゅうない」
「………」
 どういうつもりだ? ジライは忍者頭を睨みつけた。
 アスカの命を盾に、何を企む?
 忍者頭は娘に揶揄するように言う。
「ジライは女勇者を愛している。あの女だけを愛し、愛に惑い、里を捨てたのだ。もう二度と、里には戻ってこぬわ」
「……そんなことないわよね? あたしの所に戻ってきてくれたのよね?」
 必死にすがりついてくるアスカ。
「ねえ、そうだと言って、ジライ! あたしのために帰って来てくれたんだって!」
「たわけが」
 老人がカラカラと笑う。
「おまえなど、ただの道具よ。忍者頭直属の部下、頭お気に入りのくノ一……役立つ駒ゆえ、そやつ、おまえを抱いたのだ」
「違う……あたしは特別だった……ジライは『我が宝』ってあたしを呼んでくれた……あたしだけが、ジライの特別だった」
「そう! おまえは特別だ! 最も役立つ駒! だから、大切にされたのだ!」
「あ」
「おまえは愛されてなどおらんのだ! 昔も今も、な! ジライが愛しておるのは、女勇者ただ一人! おまえは利用されただけだ!」
「!」
「ぐっ!」
 ジライはよろめいた。右肩から胸にかけて激痛が走ったのだ。
「あ……」
 全裸のアスカが、へたりとその場に座り込む。
 ジライの胸を刃が貫いていた。毛皮の生えた奇妙な形の刃だった。
 アスカがジライに憎悪を感じた瞬間だった、彼女の右手にあったものが形を変えたのは……
 ジライなんか死んでしまえばいい! と、嫉妬に狂ったアスカが願った通りに、本は刃となりジライの体を貫いたのだ。
 老人は勝利を確信していた顔を歪め、けげんそうに抜け忍を見つめた。傷口から血が一滴も流れ出ない。右肩から胸にかけて、刃で貫かれているというのに……
「その体……きさま、魔族に身を売ったのか?」
「……さて、いかがでしょうなあ」
 苦痛に顔を歪ませながら、ジライは右手で胸を貫く刃に触れた。もとの姿に戻るよう、心で命じながら。ジライの体を貫いていたそれは、瞬く間に元の姿に戻り、ジライの右手に収まった。大魔王の闇の聖書は、持ち手の意のままに形を変える性質のものだったのだ。
「くぅぅ……」
 傷は魔族の再生能力によって塞がった。が、憑依者の命を救った事により、魔は活性化してしまった。ジライの血肉に一層、馴染んでしまったのだ。
「さすが、我が父……まともにやり合っては勝てぬゆえ、えげつない策できましたな。何も知らぬアスカの恋心を利用して我を狙わせるとは……」
 (ちち)を睨んだ後、泣きながら茫然と自分を見上げている妹にジライは瞳を細め覆面より笑みを覗かせた。
「泣くな。おまえになら何をされても構わぬ……この傷がモトで命を落とす事になっても悔いはないわ」
「ジライ……」
「達者での、アスカ。おまえの望みはかなえてはやれぬが、おまえはこの世にただ一人の妹……我が宝じゃ。愛しく思うておる」
 愛しい……? アスカの切れ長の瞳から涙があふれた。ジライから愛の言葉を贈られたのは初めてだった。
「……では、四の書、お借りいたす。里の者にかけた邪法は明日にも解きまする」
 ジライは姿を消した。
 それが体術なのか忍法なのか、魔族の力を借りた移動魔法なのか、忍者頭にはわからなかった。



「おぬしがセレスか? ほうほう、これは、これはエリス様似の別嬪さんじゃのう。面倒くさいゆえ弟子なんぞ欲しゅうなかったが、おぬしが相手なら、ちょいとの間なら遊んでやってもよいぞ」


 ランツおじい様と一緒にケルベゾールドを倒した英雄――当代随一の大魔術師カルヴェル様……俗世との関わりを厭いエウロペの山の頂上のお城で世捨て人として暮らしていらっしゃる方の元に私は弟子入りした。
 神聖魔法を習う為だ。
 国王陛下付きの近衛兵になるには、聖騎士の叙勲を受けなければいけない。聖騎士は騎士の中の騎士であり、神聖魔法をもって邪悪を退ける魔法騎士でもある。私が真剣に聖騎士を目指しているのだと知って、お父様がカルヴェル様にお手紙を書いてくださったのだ。今世の女勇者に、神聖魔法の手ほどきをして欲しいと。
 そうなったのは……私が他の聖騎士見習いの方々とご一緒に修行ができなかった為でもある。エウロペ教会に滞在し司祭様達からお教えを受けるなど……女の身では不可能だから。
 山の頂にある不思議な城で、私は一ヶ月を過ごした。
 歌を歌う植物、勝手に歩き回る家具、おしゃべり好きな蝋燭、食べても食べても減らない食堂の豪勢な食事、執事役を勤める意思を持った石像、警備役の合成獣(キメラ)、魔族なのに邪悪さは欠片も無い悪戯好きの使い魔……
 カルヴェル様の魔法に支配された城は、常識では考えられない世界だった。城中の全てのものが生きていて、それぞれが好き勝手な事をしているのだ。だが、恐ろしくはなかった。魔法生物も使い魔も、皆、陽気で楽天的な性格だったからだ。彼等は私を客人としてもてなし、剣術の稽古の相手にも、話相手にもなってくれた。


 魔法の師となってくれたカルヴェル様は……
 お師匠様は……
 とぉ〜ても、変な方だった。


 黒のローブが似合う白髪と白髭、深い皺の刻まれた柔和なお顔……最初はその外見通りの、人徳者かと思ったのだけれど……
 お師匠様は悪戯好きで、私をからかってばかりいた。真面目な顔をして嘘をつくのだ。『魔法習得には絶対、必要!』と、言ってセクシー・ポーズを私に教え、ことあるごとに口にするのも恥ずかしい格好を私に強要したのだ。
 Hな性格だったのだ。
 でも、魔法教師としての技量は、すさまじく非凡だった。魔法素人が魔法を習得するには、時間がかかる。一つの呪文を覚えるだけで、半年から一年かかるのが普通だ。しかし、私は初期魔法とはいえ、たった一ヶ月六つの神聖魔法を習得できた。
 全てお師匠様のおかげだった。
 それに、お師匠様はいつもニコニコ笑っておちゃらけてばかりいたけれども……本当に大切な事は大事にする方だった……
 女である事を恥じていた私……
 勇者の剣を持てない自分を嫌っていた私……
 世の人々にそしられ、お姉様にご心配をおかけしているとわかっていても、それでも、勇者になりたいとあがいていた私……
 そんな私に救いの言葉を与えてくださったのだ。
「勇者なんぞ、やりたくなければやめるがいい。やめるのは簡単じゃぞ。好きな男をつくり、その男の子を孕めばよい。子をなせば、剣なんぞ振るえなくなる」
 そう聞いて、私は怒った。誰かが『勇者の剣』の守り手とならなければいけないのだ。大魔王が復活した時、剣の振るい手がいなければこの世は滅びてしまう。お姉様が男子をなすまで、その子が大きくなるまで、私は勇者でいる義務があるのだ。
「ならば、おぬしの姉が男子を産めぬ時はどうする?」
 勇者を続けるだけだ。お姉様が女の子をもうけてくだされば、その子が男子を産むまで……
「じゃが、セレスよ、おぬしの姉が一人の子ももうけられない未来もありうる。その場合、おぬしの死と共に勇者の血は絶える。ケルベゾールドを倒せる唯一の人間を失えば、この世は魔族のものとなるであろう」
 そんな恐ろしい未来……考えたくもなかった。
「だが、そうとなったら、そうとなった時のことよ。おぬしも、おぬしの姉も気に病む必要はない。この世は神の理に支配されておる。勇者の血筋が続くか否かも、神の思し召し。今、勇者の家系に男子が居らんのも神の御意思じゃ。おぬしがおなごとして生まれてきた事には必ずや意味がある。だから、その身を恥じるでない。心のおもむくままに生きよ」
 心のおもむくまま……
「世の犠牲となって勇者をやる必要はない。嫌ならやめよ。おぬしが嫌々勇者をやっても神はお喜びにならぬだろうし、そんな人間が世を救えるはずもない」
 私は……
 勇者になりたい!
 人々を……
 いいえ、愛する者達を守りたい!
 愛する者たちが幸せに暮らせる世界を守りたい!
 私は犠牲じゃない!
 なりたいから、勇者になるのだ!
 勇者であり続けるのだ!
 そう叫ぶと、お師匠様はニッコリと微笑まれた。
「ならば、勇者として生きるがよい。勇者の剣を持てずとも、おぬしは勇者じゃて」 
 忍の里では、ほとんどの場合、子供は親元で育てられません。ジライとアスカは別々に育っています。 
+注意+
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