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女勇者セレス 作者:松宮星

得るもの失うもの

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五つの道 2日目

 子供が胎児のように体を丸め、眠っている。水中にいるかのように癖のある長い金の髪を宙に靡かせながら。
 生まれたままの姿だ。膨らみのない平坦な胸。健康そうだが細い体。たよりない手足……
 あどけない、かわいらしい顔だ。ふっくらとした頬が幼さを際立たせている。
 子供は眠っている。
 穏やかな顔で。
 子供の周囲は球形にキラキラとまばゆく輝いていた。新雪に光が当たったかのような眩しさだ。
 けれども、その球の外は……
 闇と瘴気に満ちていた。
 空も大地も海も無い、闇だけが広がる空間。生きとし生けるものは、存在しない。そこで蠢いているのは、魔族だけなのだ。
 闇と魔は判じ難い。何処からが闇で何処からが魔なのか……
 黒の霧とも靄とも思える形の無い魔物達が、さながら砂糖に群がる蟻のように、光に吸い寄せられ群がってゆく。光の中の子供を喰らおうとして。
 光球に触れると、魔は形を散じ、消滅する。光球が放つ光は浄化の光なのだ。
 近づけば浄化されるとわかっているのかいないのか、魔族はひたすら子供を目指す。次から次へと代わる代わる子供に近寄り、消滅してゆく。
 大波のごとく襲い来る黒の気……
 子供を守る光球を食い破ろうと、魔族が押し寄せている……
 果てる事なく……


 赤毛の傭兵アジャンは瞼を開け、寝袋から体を起こした。
 彼を主人と認め彼の周囲を取り囲むように丸まっていた犬達が、主人の動きに気づき頭を上げる。
 手近にいた黒と白のブチ犬の頭をポンポンと軽く叩いてから、赤毛の戦士は『極光の剣』を背負い、旅立ちの準備を始めた。
 三本の白樺の枝で支柱を作り、周囲にトナカイの毛皮を巻きつけただけの簡易テント。テントの中の休憩も終わりだ。もう夜明けの時間。
 二日目の朝となったのだ。
 再び西を目指さねば……
 炉の火を消しながら、アジャンは思った。
 夢は、真実を見抜くシャーマンの血が見せたものだろう。夢は教えてくれた、セレスの生存を。
 光球に守られ、セレスは闇の世界を漂っていた。魂が喰らわれていない以上、復活は可能だ。彼女の魂を狙う魔族に周囲を囲まれている危険な状態ではあったが、アジャンが辿り着くまであの光球が彼女を守り続けるだろう。
 あの闇の世界は……魔界なのだろうか?
 闇のものはセレスを狙い、襲いかかり、光に呑まれ、消滅していた。
 あの世界で浄化されると、どうなるのだろうか?
 この世で浄化された場合、魔族は魔界に強制送還されるだけだ。聖なる武器や神聖魔法で浄化できるのは、魔族と憑代との縁だけなのだ。
 しかし、あの世界では魔は何にも憑依していなかった。
 あそこで死ねば、完全なる消滅……真の死となるような気がした。根拠はないが、そう思った。
 だが、そうだとしても、魔は死を恐れていなかった。大魔王を滅ぼせる唯一の存在『勇者』を喰らうべく、突進を続けていた。光球の威力を弱める為に……
 何千何万何億の魔を浄化し続ければ、いつかは、光球も、その守護の力を失うかもしれない。
 いつかは女勇者の元に、魔の手が届くかもしれない……
 一刻も早く彼女の元に辿り着き、彼女を解放してやる。それが自分の役割なのだろう。
(しかし……)
 夢を思い出し、赤毛の戦士は苦笑を浮かべた。
(ガキだったな……)
 夢の中のセレスの魂は、子供の姿をしていた。
 手足は短く、胸はぺったんこ、お腹もぽっちゃりしていた。
 三〜五歳といったところだろう。
(ガキみてぇに無垢ってことかよ……)
 わけもわからず苛立ち、舌打ちを漏らす。
 テントをめくり外を見ると、雪風となって宙を舞う銀の髪の乙女達が嬉しそうに集まって来た。冬の化身の乙女達は一斉に西を指差した。
 ケルティの方角を……



「ほら、あの子供が……」

「あの細い子供が? 勇者? 本当に?」

「『勇者の剣』を背負ったら潰れてしまいそうですね」

「先代勇者ランツ様は七つからあの剣を振るえたそうですが、あの子は剣に触れる事すらできないとか」

「まあ、女ですからなあ」

「今、ケルベゾールドが復活したら、この世は終わりですね」


 人前に出るのはきらい……
 みんな、冷たい目で見るんだもの……
 名ばかりの勇者なのは、言われなくても知ってる……
 でも、しょうがないじゃない……
 私しかいなかったんだから……


『勇者の剣』の守り手は、みんな、勇者。『今世の勇者』と呼ばれ、尊敬される。
 けれども……
 死後も勇者とされ、勇者に数えられるのはケルベゾールドを倒して、世界を救った者だけ……
 ランツおじい様をふくめ、十二人しか勇者様はいない。 
 十二人の勇者様はすばらしい方々ばかりだった。侯爵家の歴史を家庭教師から習った。歴代勇者様のお話を聞くのは大好きだった。みなさま、すっごい冒険をして、従者仲間と助け合って、大魔王を倒したのだもの。いつも、わくわくした。
 でも……
 いつも、ちょっぴり悲しくもなった。
 ご先祖様にあこがれて、がんばっても……
 女の私は勇者になれないから…… 
 侯爵家に男子が生まれその子が大人になるまでの間は、私は『勇者の剣』の守り手、『今世の勇者』なんだけど……
 私なんか要らない気がする。
 だって、『今世の勇者』なのに、一度も、『勇者の剣』に触った事がないんだもの。
 触れようとすると、みんなあわてて止める。
『勇者の剣は女を嫌う』……だから、触っては駄目なんだって……

 お父様は、まずは体を鍛えなさいとおっしゃった。
「七つからあの剣を振るえたのは、ランツ様ぐらいなんだよ、セレス。あの剣は、未熟な腕の者が持つととても重たくなるそうだ。侯爵家の中には剣に認められず、生涯、『勇者の剣』を背負えなかった方もいらっしゃったとか。焦ってはいけないよ。両手剣を自在に操れるように修行を積みなさい」

 お姉様は私を抱きしめておっしゃった。
「あなたが頑張ってることは私がよく知ってるわ……お願いだから、無茶して体を壊さないでちょうだい。心無い人達のそしりなんか気にしちゃいけないわ……あなたは女の子なのに……本当にとても頑張っているわ」

 ボッチェおじいさん達はヤシキにいる時は、年ごろの友達のいない私とよく遊んでくれた。
「セレス嬢様、勇者ってのは、ただ腕っぷしが強けりゃいいってもんじゃありません。悪だったら、それがどんなお偉いさんだろうが叩き切る。守ると決めたらそれがどんな身分の低い女でも、娼婦だって命がけで守る。ランツ様は、そういうお方でした。まずはセレス嬢様の『正義』を見つけなせえ。その『正義』を貫く為に生きる、それが『勇者』ってもんじゃないですかぃ?」

 侯爵家のみんなが、私を愛し、はげましてくれた。
 でも、私はずっと私がきらいだった。
 女である自分が大きらいだった。
 男になりたかった……


「よくぞ、参った、女勇者セレスよ。おまえに会える日を予は心待ちにしていたのだぞ」
 びっくりした。
 公式な訪問じゃないけど……
 信じられない。
 国王へいかが玉座からおりられて、ひざまずく私の手をとってくださるなんて……
 まだ八才の女の子を『勇者』と呼び、『勇者』としてもてなしてくださるなんて……
 お父様といっしょにお茶の席に招かれる。
 カチコチの私に、国王へいかは親しげにお声をかけてくださる。
 頭がまっしろ。
 何が何だか……
「そなたの祖父ランツは、予が皇太子であった頃、剣術指南の教師であった。だが、ランツは剣術ばかりでなく、もっと大切な事を予に教えてくれたのだ……王宮の中しか知らなかった予を、ランツは内緒で何度も外へ連れ出してくれた」
「外へ……」
「クリサニアのさまざまな区画に予を連れ行き、さまざまな職業の者の生活を見せてくれた。民が何を求め何を求めぬのか、民に比べ我々王侯貴族がいかに恵まれた生活をしているのか、尊敬すべき聖職者の方々の中にも残念なことに弱者に対する慈悲の心に欠ける方がいらっしゃること、市井に埋もれる才ある人間の存在、クリサニア滞在中の異国人から見たエウロペ、異国の話……王位に就く者が知らねばならない事、しかし、王宮という高みから見下ろしていては決して見えぬものをランツは予に教えてくれた」
 国王陛下がやさしくほほえまれる。
「ランツが居たからこそ、今の予はある。ゆえに、今度は、予の番じゃ。セレスよ、今世の女勇者よ、女の身で『勇者』たろうとするのは難しかろうが、そなたはこの世になくてはならぬ存在、この世の希望である。そなたの為の助力であれば、予は喜んで何でもしよう。困った時は、何なりと予に相談するがよい。そなたの成長を心待ちにしておるぞ」


 涙がこぼれた。
 何っておやさしい言葉……
 成長を心まちにしてるだなんて…… 
 初めて言われた……
 お父様やおねえ様やヤシキのみんな以外で、私に期待をかけてくださったのは……国王へいかが初めてだった。
 ハンカチで涙をぬぐう私を、国王へいかとお父様がなぐさめてくださる。
 決めた。
 私の『正義』が、初めて、形となった。
 聖騎士になろう。
 聖騎士の資格を得て近衛兵になって、国王へいかをお守りするのだ。
 国王へいかは国民の声をとりあげ善政を施す名君と称えられているお方。その『正義』がランツおじい様の教えによって生まれたものならば、『正義』が悪に滅ばされぬようお守りするのが『今世の勇者』の私の役目だろう。
『勇者の剣』を持てない、ただの女だけれども……
 心から強くなりたいと思った……



「……夜が明けましたね」
 狭い仮小屋の中に、朝の光が漏れ入ってきている。
 ナーダ、シャオロン、ガルバは大きく息をついた。今日ほど、朝日が頼もしく思えた事はない。朝の訪れと共に、闇を祓う光の力によって下級魔族の数は確実に減るはずだ。
 昨日夕方から明け方にかけて、仮小屋のある広野は雲霞のごとく押し寄せる黒の気に埋め尽くされた。千とも万ともつかぬ魔族が、女勇者の肉体を狙ったのだ。
 武闘僧ナーダが小屋の周囲に結界魔法を張っているので、魔が小屋の内に入り込む事はなかった。しかし、この世のものではないおぞましいもの達の声に囲まれ、迫り来る瘴気を感じながら一晩を過ごしたのだ。結界を張り続けていたナーダはもちろん、睡眠をとったはずのシャオロンでさえ疲れを感じていた。
「……行きます」
『龍の爪』を装備し、シャオロンが小屋の出入り口へと向かう。
「残ってる魔族を倒してきます。魔の数が多すぎると、結界の威力が弱まるんでしょ? 昼間のうちに数を減らして起きます」
「大丈夫ですか、シャオロン? あなた、あまり眠れなかったのでしょう?」と、ナーダ。
「大丈夫です! オレ、元気なのが取り柄ですから!」
 疲労しているようではあったが、少年の目には力強い光があった。
「魔族はオレが倒します! オレにできるのはそれだけだから、力いっぱい頑張ります! ナーダ様、結界を一部解いてください! オレ、外に出ます!」
「……可能ならば次元通路破壊を優先してくさい」
「はい!」
「自在に次元通路を開けられるのは高位魔族のみですし、四天王クラスでもなければ、無限に通路を開き続けるなんて真似できないはずです。通路の数が減れば、ここに現われる魔族の数自体が減ります」
「はい! 次元通路と高位魔族を狙います!」
「……ある程度の数をこなしたら、戻って来てください。いっぺんに全部やろうとはしてはいけません。通路の数も、魔族の数も多すぎます。シャオロン、冷静さを失ってはいけませんよ。疲れたらすぐに戻るのです。充分な休息をとってから、また倒しに行けばいいことですし。無謀な戦いは禁物ですよ」
「はい! ナーダ様!」
 微かに開いた結界の口から、少年は外に飛び出した。
 人、動物、植物、岩、雪に憑ついた魔族達が待ち受ける外へ、と。
『龍の爪』をふるい、両手から魔を千々に砕く竜巻を生み出し、放つ。縦横無尽に魔族の間を駆け巡る竜巻の動きにあわせ、少年は雪を蹴って走った。
 女勇者の肉体を狙う不埒な魔族を滅ぼす為に。
 少年が外に出てすぐに老人が、主人に目配せを送ってくる。
 ナーダはセレスに背を向け、目を閉ざした。沸かした湯で濡らした布を用い、老忍者がセレスを清潔にする。
 まずは一日が過ぎた……後四日のうちに、全ての決着がつくことをナーダは祈った。



 夜は魔の刻……
 魔の能力が増幅する時間……


 忍者ジライは、闇に紛れ森に潜み、眼下の盆地を見下ろしていた。そこには原生林の暗い木々が広がっているように見える。
 だが、それは幻術だ。幻の森がそこにあるべきものを覆い隠しているのだ。
 盆地にあるのは、原生林ではなく、東国忍者の里なのだ。
 東国忍者は、報酬次第でさまざまな仕事を世界中で請け負う。護衛や尋ね人捜索などのまともな仕事の他に、諜報・暗殺・誘拐・騒乱・破壊活動・窃盗等さまざまな非合法活動も行う。その仕事の迅速さ正確さには定評があり、忍の里への依頼はひきをきらない。
 しかし、同時に、忍の里には敵が多かった。同業者組織、聖職者、時の権力者等が、さまざまな理由で忍の里の壊滅を望み、里は数え切れぬほど襲撃されてきた。
 だが、襲撃を受ける度に里の防衛機能は充実していった。物理・魔法結界が強化され、罠が見直され、警備の死角・盲点についての研究が進み、警備役の配置が吟味され、洗練された迎撃システムが整えられていった。
 今では城一つ落とすよりも、忍の里を攻め滅ぼす方が難しいとさえ言われている。不用意に里に忍びこめば、死が待っているも同然だった。
 忍の里の一員だったジライとて、例外ではない。侵入自体はさほど難しくないのだが、監視網からは逃れられない。里中に侵入者探知の魔法と罠が張り巡らされているというのに、里の約五分の四では魔法が使えないのだ。魔法無効の結界の下では、移動魔法・隠身・幻術は無効化されてしまう。隠密活動など不可能なのだ。
 更に里には、神族・魔族の侵攻すら想定した、神封じ・魔封じの結界すら張り巡らされている。今、魔封じに捉えられれば、身動きすらかなわなくなるだろう。
 その上、日々、改良されてゆく侵入者よけの罠が里の中でも周囲でも待ち受けている。
 まともに侵入しては、四の書を盗むどころか、忍者頭の屋敷まで辿りつくことすらできないだろう。
 ぴくりと頭を動かし、ジライはすばやい体術で木の上から姿を消した。
 気配を消して近づいて来る者がいる。
 覆面の下のジライの顔に笑みが浮かんだ。やって来たのは、外での仕事を終え里への帰途についている東国忍者。
 獲物だ。


 木々を渡って移動していた東国忍者は、何者かに背後を取られ、地に叩き伏せられた。
 敵か! と、東国忍者はクナイを抜き反撃しようとしたのだが……クナイを抜いた瞬間、自分が何故、地面に落ちているのかわからなくなっていた。立ち上がり周囲を見渡したが、敵の気配も仲間の気配も無い。足を滑らせて木から落ちたのだと合点し、更に注意深く辺りを見回した。こんな姿を仲間に見られていたらたいへんだ。どれほど馬鹿にされるか……だが、幸いな事に周囲に人の気配はなかった。安堵の息を漏らし、彼は里を目指した。
 襲撃を受けた事などすっかり忘れて……


(六人目……)
 忍の里周囲の森の別の場所に、ジライの姿があった。いや、正しくはジライの分身がいた。そこから北西、北東の位置にもジライの分身がいた。昨晩から、里への帰還ルートに何体もの分身を置き、里の人間を捕まえているのだ。
 外からの侵入が難しい以上、内から警備システムを壊すしかない。その為の傀儡を、これで六人、手に入れたわけだ。
 精神力を鍛えている忍者相手に洗脳は、ほぼきかない。やり方次第ではできない事もないのだが、時間がかかりすぎる。
 そのため、ジライは洗脳以外の方法を用い、己の手足として動かせる者を増やしていた。先日、その方法は魔族から教わっている。魔を憑かせている今、その手を使わない手はない。
(後三日半……)
 愛しい女勇者の面影を心に甦らせて、ジライは唇を噛み締めた。
(明日の夜には……勝負を決める)



 二日目の夜も更けた。
 簡易テントの中で眠りに就いた赤毛の傭兵アジャンは、又、セレスの夢を見ていた。
 夢の中のセレスは成長していた。
 胸はふくらみかけているものの、体つきは細く、手足もひょろひょろ。
 顔もまだ幼さが残っていたが、赤い唇は愛らしく、閉じられている瞳の睫もハッとするほどに長い。女性と呼ぶには早すぎるが、子供でもない。大人への階段を昇り始めた、まほろばの時期の少女だ……
 少女のセレスは、やはり胎児のような格好で光の球の中で眠っていた。
 セレスの周囲には……
 蠢く闇が迫っている……
 昨晩よりも、闇は勢力を増しているように思われた。



 お姉様が結婚し、義兄(おにい)様が家族に加わった。
 義兄様は、エウロペ一の両手剣の使い手ジェイナス様の高弟で、国王陛下づきの聖騎士。騎士らしい高潔な人物だった。
 私は義兄様に剣の稽古をつけてもらい、騎士の心得を教えてもらった。義兄様は国王陛下の近衛兵になりたいという私の夢にも理解を示してくださって……
 義兄様が大好きで、私はよく義兄様の後をついて歩いた。あまりにも義兄様に私がベタベタしすぎるものだから、お姉様は冗談まじりに「私のお婿さんを取らないちょうだい」って笑っていたっけ……


 ある日、私は……
 ソファーでうたた寝をしていて、偶然、義兄様とお姉様のお話を盗み聞いてしまった。お二人の位置からでは、鉢植えの大きな観賞植物に隠れ、私は見えなかったのだ。
「かわいそうな子……」
 お姉様の声は震えていた。
「お医者様は痕は残らないとおっしゃっていたけれど、でも、顔よ。顔に怪我をしたのよ、あの子……女の子なのに……あんなに綺麗な顔をしているのに……」
 その前の日、私は剣の稽古の最中に負傷し、右手と額に包帯を巻いていた。しかし、剣の稽古に怪我はつきもの。私は気にしてなかった。
 でも、お姉様は『セレスが顔に怪我をした』事に、ひどくこだわっていた。
「本当なら、長女の私が『勇者の剣』の守り手になるべきだったのに……私には剣の才が無いっておじい様がおっしゃって、それで、セレスが……あの子が私の代わりに」
 シクシクとお姉様が泣く。
「あんなに素直で優しい子なのに……何も悪い事をしていないのに……このままじゃ、あの子、一生、何処へも嫁げないのよ。一生、男として生きていかなきゃいけないのよ。ひどすぎるわ……」
「アリシア、早く子供をつくろう。侯爵家に男子が生まれれば、セレスも剣の守り手の任から解放されるのだろう?」
「でも、その子が剣を振るえるようになるまで、セレスは守り手のままなのよ。あの子が自由になるのは十五年後? 二十年後? そんな年齢になってしまったら、良縁は望めないわ……私のせいであの子は不幸になるのよ」
「決めつけるのはやめなさい、アリシア。セレスは美しくやさしくけなげな子だ。人一倍努力家だし、誰からも愛される性格をしている。子をなし育てるのも女性の道の一つだが、あの子は聖騎士となり近衛兵となっても、満ち足りた幸せな人生を送れるだろう」
「やめて! そんな事、言わないで! 近衛兵なんて夢、あの子に見させないでって、私、お願いしてるのに!」
「アリシア……」
「昨日の怪我は軽かったけれど……このままでは、いつか、セレスは顔に大怪我を負うかもしれない……もうやめて……あの子に剣の稽古なんかつけないで……あの子は女の子なのよ」
 泣きじゃくるお姉様を、義兄様が慰める。
 ショックだった。
 勇者にふさわしい人間になろうと、ひたすら体を鍛えてきた私を……
 お姉様は悲しい気持ちで見つめていたのだ。
 ランツおじい様が、私を『勇者の剣』の守り手にお選びになったのには、たいした理由はないと思う。大人しくておやさしい性格のお姉様より、外遊びが好きだったお転婆な私の方が、荒っぽいことに多少は向いている……その程度だと思う。
 けれども、お姉様は、ずっと私に負い目を感じていたのだ。
 私が『今世の勇者』として生きねばならなくなった事に……


 勇者として生きようとしても……
『勇者の剣』に触れる事すら許されず……
 体を幾ら鍛えても……
 ろくに筋肉のつかない女の体のまま……
 戦士として生きようとすればするほど……
 お姉様を傷つけてゆく……


 どうすればいいのかわからなかった……
+注意+
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