west sea side sunset 3
「で、僕達はまず何をしたらいいんだろう?」
病院の廊下を歩きながら僕は夕焼けに訪ねる。
「ええとね、あんたの悪いところだ。
論理的、かつ合理的な思考、行動理念は実に素晴らしいと思うが、
あんたはそれを優先させる為にいつでも事を急ぎ過ぎる。
よく人からそう言われないかい?」
僕はその事について少し考えてみる。
「いや、誰かにそう言われたのは初めてだよ」
「ふむ、そうか。
じゃああんた自身はどう思う?
その事について」
僕はその事についてまた少し考えてみる。
「確かに、夕焼けさんのいうとおりかも知れない。
僕は往々にして結論を急ぎ過ぎる。
でも、その事で判断を誤るほど僕は馬鹿じゃないし、
決断を誤らない程度の時間は惜しまない事にしてる。
そして間違いじゃないのなら、
結論がどんなものであれそこにたどり着くのは早い方がいいと思ってる」
「でも」
と夕焼けが言って立ち止まる。
「でも。
あんたいっつもそれだ。
でも、でも、でも、でも。
何にでも、「でも」。
あんたは頭の中でいつだってそう言ってる。
そしてそれが染み付いて、
必要以上に多くの場面で『でも』って言っちまってる。
もちろん自分の主張と違う事を相手が自分に望んだ時、
きちんと相手に反論する事は必要だ。
だがね、さっきも言ったようにあんたは判断を手っ取り早く、
計算式を単純化してインスタントにしすぎちまってる。
その単純化された計算式で通用する範囲でなら、
その判断の速さは武器になるだろうさ。
でも。
あえてここで俺は『でも』と言わせてもらうよ。
本当に大事な問題には、そんな安易な略式の判断力は通用しないんだよ。
あんたは時として、あんたが認識出来ている事より多くのことを、
その判断の計算式に織り交ぜなきゃいけない。
特にこれからそういう場面は飛躍的に増える事になる。
少なくとも俺と一緒にいる間はね。
だからあんたはもっと慎重になるべきなんだ。
なにを判断の計算式に組み込むか、
なにを判断の計算式から除外するか。
その選択を慎重におこなった方がいい。
この事をきちんと覚えておかないと、
きっとあんたは大事なガールフレンドを永久に失うことになる。
いいね?」
相変わらずの早口だったが、昨日のような強い感情の表れは感じない。
僕は彼に対して『でも』と言ったのはそもそもこれが初めてだった気がするが、
彼の言い分そのものは素直に僕を納得させるものだった。
僕に向けた単純なアドバイスだ。
「分かった。これからは気をつけるようにするよ」
「まあ、それが分かったならこれからは俺に対して、
あんまり『でも』って言わない事だ。
あんたが『でも』っていうべき場面はもっと後にきちんと用意されてる」
「うん」
僕が素直に彼の言う事を聞いたことで、
彼は幾分機嫌を良くしたようだった。
僕達は再びエレベーターに向かって歩き出す。
「で、これからどうするのか、と聞いたね?
それは俺にも分からない。
俺達二人でこれから見つけ出さなきゃいけないんだよ」
「ちょっと待って。
それについて夕焼けさんは何かしらの事を知っていて、
それで僕を手助けしにきたんじゃないのかい?」
彼はまた立ち止まり、
やれやれ、といった風に肩をすぼめて眉を八の字にする。
「いいかいあんた、昨日も言ったろう?
俺がいくら妖精だからって都合よく天から導きの声が聞こえてきたりなんてしやしないよ。
そんなもんが聞こえてくるなら、こんな背広来て朝から晩まで働かなくてもいい方法をまず授けてもらうよ」
彼は一つ一つの言葉に対して、大きな身振り手振りでジェスチャーを加える。
外国の映画に登場する小男が往々にしてそうするように。
「俺に分かっているのは、
何かしらの方法を用いて、あんたのガールフレンドの失われた魂を、
そしてそれに付随するあらゆるものを、あるべき場所に戻さねばならないという事だけだ。
目的をきちんと遂行する為には、
目的に対してまず方法を探し、次にそれを検討し、
妥当であるようなら努力を惜しまず行動に移す。
この法則はあんたら人間だって同じだろう?
今の俺達には、現状と目的の部分しか明らかにされていないのさ。
それに対する方法は俺達で見つけ出さなきゃならん。
そこで、だ。
俺達はまずここから東へ向かうべきだと思うんだ。
分かるかい?
お日様の昇る方角だ。
昔から、全てが始まるのは大抵東からって相場が決まってるんだ。OK?」
「うん」
「時間は多く残されていないけど、
急ぎすぎて着手する順番を間違えると、より多くの時間を掛けなければならなくなる。
まあそれはともかく、そんなところに突っ立ってないでエレベーターに向かおうぜ。
ぼさっとしてる時間は俺達にはないはずだ」
と言って夕焼けはまた歩き出す。
歩みを止めたのは確か2度とも彼だったはずだけど、と僕は思う。
もちろん声には出さない。
彼女が言ったように彼に悪気は微塵もないのだ。
僕達はエレベーターにたどり着き、乗り込む。
「駐車場に俺の車が止めてある。
そいつを使って手っ取り早く東にあるはずの『しるし』を見つけ出そう」
エレベーターが1階に着く。
夕焼けが出て、僕が出る。
入れ違いに、いかにも不健康そうな青い顔をした若い男がエレベーターに乗る。
手に見舞い品らしきものを持っていたので誰かの見舞いに来たのだろうが、
途中ですれ違った他の入院患者よりは彼のほうがよほどこの場所にお似合いだな、と僕は思った。
僕達は駐車場に着き、彼の車に乗り込む。
古い黒のワゴンRだった。
彼の汗やら体臭やらが染み付いていて、むっとした匂いが車内に充満している。
6月なので窓を全開にして走行できるのが唯一の救いだ。
「どうだい、これがあんたのガールフレンドを助ける為に用意された、
俺達のレスキューモービルだ」
僕はなんて言っていいのか分からなかったので、
黙って次の言葉を待つ。
「こいつに初めて出会った時、俺はびびっときたね。
魂が呼応したんだよ」
と言い彼はハンドルを軽く叩く。
この彼にはいささか窮屈なワゴンRと彼が呼応する様を僕は想像してみた。
僕とこのワゴンR 、
もしくは彼と流行りのワンボックスカーよりは、
確かに幾分似合っているように思えた。
「しかし、東に行くって言っても、
どこまで行けばいいんだろう?」
と僕は尋ねてみる。
「そんなのは俺には分からんよ。
着いたところが行くべきところだ。
今の俺に言えることはそれだけだよ。
あ、そうだ、あんた朝飯は食べてきたかい?」
「りんごをひとつだけ、齧って来たよ」
「そうかい、それだけじゃ腹減っちまうだろう。
まず東に向かう前に腹ごなしをしよう」
夕焼けの提案で近くにあったファミリーレストランに入る。
そこは僕の家から最も近いところにある大手チェーンの大衆向けレストランだった。
けれど僕は基本的にこういったチェーン系のレストランを利用しない。
だからこれが初めての利用だ。
僕達が入ると、大手チェーン店の従業員とは到底思えない、
実に優雅な雰囲気を持った30前後の男が、「いらっしゃいませ」と丁寧な発声で、
完璧な角度のお辞儀をしながら言った。
もちろん優雅な笑顔もセットだ。
僕は煙草を吸わない事にしているが、夕焼けが煙草を吸いたいと言うので喫煙席を選ぶ。
さっきの男が実に完璧なタイミングでオーダーを受けに来る。
「俺はハンバーグステーキにするよ。
あとオレンジジュース。
あんたは何にする?
腹減ってなくても、何か食べておいた方がいい。
なんせあんたにはこれから重要な任務があるんだからな」
コーヒーだけにするつもりだったが、彼の言い分にも一理ある。
「じゃあサンドイッチとコーヒーを」
「かしこまりました」
実に心地良い声のトーンだった。
「ファミリーレストランにしては随分優雅な雰囲気の店だな。
なんだか落ち着かないよ。
俺はもっと雑然としてるところの方がいいな」
と夕焼けが言う。
僕は最初こそ面食らったが、
こういう雰囲気のファミリーレストランも悪くないな、と思う。
少しして料理が運ばれてくる。
彼が料理を並べる仕草も、やはりとても優雅だった。
「事は今日中に片付くとは限らない。
あんたもその事は覚悟しておいた方がいい」
むしゃむしゃとハンバーグステーキを食べながら夕焼けが言う。
「一応会社には何日か休みを取る許可をもらっておいたよ」
と僕が言う。
「まあ、そうだね、仕事をする上での責任もあるだろうが、
それとガールフレンド、大事な方は明白だものね。
もし事が思ったようにはかどらなくて、
好ましくない立場に立たされることになったとしても、それでもあんたには今十分な時間が必要だ。
それを惜しんだらきっとあんたは一生後悔する事になるし、
その後悔を企業は拭ってくれないからね」
「うん」
「それと」
と夕焼けが言う。
さっきまでと雰囲気が少し違う。
また昨日のような、空間の密度が歪められる様な感覚だ。
「あんた、この場所をきちんと覚えておいたほうがいい。
記憶に『しるし』をつけるんだ。この場所という目印を。
俺達はこれから始まりの場所を目指す。
物語はもちろんそこからスタートする。
『始まりの場所』からね。
だがね、本来物語には語られる部分の他に、
大抵の場合語られるべきスタート地点の前に、
きちんと覚えておくべき種類の起点があるんだ。
それを起点として、機軸として物語のスタート位置は決められるし、
それ以降の展開にも深く関わってくる。
語られる事のない序章。
いいね、この場所を、さっきの、
名前をなんて言ったかな?
あの優雅な店員を、きちんと覚えておくんだ。
出来れば出る時にでもネームプレートを確認して、
名前を覚えておいたほうがいい。
ここはその起点となる場所だ。
それは昨日のバーでもなければ、
あの病院でもない。
ここなんだ。
あんたみたいな種類の人間は大抵その起点を、
昨日のバーと勘違いするんだ。
それこそさっき俺があんたに言った、
判断するべき材料の見間違いだ。
もちろんあのバーにもいくつかの重要なエピソードは組み込まれていた。
でも起点を定める時、見なきゃいけないのはそこじゃない。
その事をきっとあんたはまだうまく理解できない。
それをきちんと見極められるのが妖精ってわけさ」
彼がにやりと笑う。
僕は多分何かを言うべきなのだろう。
でも言うべき言葉は僕の手の届く範囲に存在しない。
あるいはそれが届く範囲にあったとしても、
空間の密度が不均一なせいで自分とそれとの距離を計る事が出来ない。
そうである以上僕はためらいがちな沈黙を一つずつ暫定的に積み上げてゆくしかない。
暫定的沈黙。
「まあ、今のあんたには分からんだろう。
とにかくここを、そしてさっきの優雅な従業員を覚えておけばいい」
「うん」
僕はやっと沈黙を破る事が出来た。
状況としては暫定的に。
行為としては決定的に。
「さて、じゃあそろそろここを出ようか。
ちんたらしてる時間は俺達にはない」
僕達は出口へ向かう。
精算の際にはまた例の優雅な男が現れる。
優雅な笑顔を携えて。
僕は彼のネームプレートを見る。
安住。
ネームプレートにはそう書かれている。
僕はその名前を忘れないように、きちんとその記憶にしるしをつけて置く。
「2681円になります」
と安住が言う。
僕は財布を取り出し、
そこから3000円を取り出す。
夕焼けは「悪いね」といいながら財布を取り出す仕草も見せない。
まあいいさ。
僕は安住から319円のおつりを貰う。
彼の手渡す仕草がとても優雅だったせいで、
僕はその事に気を取られて10円玉と1円玉を何枚か床に落としてしまう。
とっさに安住がしゃがんでそれを拾い集め、僕に手渡してくれる。
「申し訳ありません」
と安住が柔らかな口調で言う。
心の篭った、それでいて大袈裟過ぎないパーフェクトな謝罪だ。
僕はいえいえ、と言う。
精算を終えて店を出る時、安住が「お気をつけて」と僕らに向けて言った。
僕はその事に幾らか疑問を感じたが、昨日から僕の周りで起こってる出来事に比べれば、それは些細な事であるように感じられた。
そう、ファミリーレストランの従業員が去る客に「お気をつけて」と言う事など、
それに対する違和感など今の僕にとっては実に些細な問題だ。
僕達は店を出て夕焼けのワゴンRに再び乗り込む。
そして東へ向けて走り出す。
しばらくの間夕焼けは言葉を発する事もなくひたすら車を走らせ続ける。
いくらか窮屈だけど、お似合いの運転席にその身を沈ませて。
僕は前方の景色をぼんやりと眺める。
行き交う車や、通り過ぎる信号、建物を眺め、
横断歩道を渡る人々を眺める。
それを頭の中でひとつのボウルに入れ、適度に混ぜ合わせる。
そして名前や教訓の無いただの風景がそこに出来上がる。
30分後、唐突に夕焼けが口を開く。
「なあ、あんた、ちょっと腹減らないか?」 |