west sea side sunset 2
朝六時に僕は目を覚ます。
いつも通りの朝六時。
僕はなるべくいつも寝る時間を一定に保っているので、
目覚ましをかけなくても自然に六時に目覚める事ができる。
空は実に素直に晴れ渡っていたし、
朝としては悪くない朝だったが気分は最悪だった。
もちろん昨日の出来事のせいだ。
彼女は無事なのだろうか。
きっと彼が言ったように、肉体的には無事なのだろう。
しかし彼女は今、致命的な欠落をしている。
僕はその欠落した部分をあるべき場所に戻す為にこれから彼女に会い、
そして彼に会う。
夕焼けという名の男に。
夏が近い事と、もう一つの理由によって僕は寝ている間に普段より多くの汗をかいていたので、シャワーを浴びてその汗を洗い流す。
幾らか気分は晴れた気がしたが、そんなものはふかふかのソファーに誰かが軽く指でつけた窪みと同じだ。
すぐにそれは元に戻るための運動を開始し、あっという間に元に戻ってしまう。
僕はソファーに対して、そしてソファーに窪みをつけた指に対して、
幾らかずつの同情をする。
シャワーからあがった僕はりんごを一つ、軽く洗って齧る。
しゃりしゃりと口の中で心地のよい音がこだまするが、
僕にはその確固たる音よりも、これから起こるであろうことに対する、
漠然とした不安の方がリアルなものに感じられた。
りんごを食べながら、
僕は今日着ていくべき服について考える。
今日はきっとハードな1日になる。
でもその前に彼女に会うのだ。
意識は無いとはいえ、それなりの格好をしていく必要がある。
僕はりんごを食べ終える。
クローゼットから薄茶色のシックなシャツと、
リーヴァイスのホワイトデニムを取り出す。
どちらも彼女と二人で買いに行ったものだ。
僕は彼女の素敵な笑顔を思い出す。
着替え終わった僕は居間に戻り、会社に電話をした。
昨日の夜、母親が倒れ危険な状態になった為何日か休みが欲しい、
と僕が言うと電話の向こうの上司は、「有給も十分に残ってるし、状況が落ち着くまで休んでいいよ」と、いつになく優しい声で僕に言った。
すみません、ご迷惑をお掛けします。
どの程度かかるか分かり次第追って連絡致します。
と言い僕は電話を切った。
僕は今まで休日以外に休みを取る事もなかったし、
忙しい時期であれば休日も返上して仕事をしてきた。
仕事自体も出来うる限り迅速に、丁寧にきちんとこなしてきた。
なので唐突な休みを取る事も難しい事ではなかった。
僕は電話帳を引っ張り出し、もう一つの架けるべき電話番号をその中から探す。
「はい、○○病院受付です」
電話の向こうの男性が眠そうな声で言う。
「すみません、そちらの病院の面会時間は何時からですか?」
「当院へ入院中の患者様へのご面会は11時からとなっております。
ご来院の際、ナースステーションへ声をお掛けください」
「わかりました、どうも」
がちゃん。と電話の向こうの相手が電話を切る。
夜間受付のバイトの大学生かなんかだろう。
彼の発する言葉はどれもマニュアル通りの適切な言葉だったが、
言い方は実に投げやりなものだった。
11時までまだ3時間近くある。
僕は居間のソファーに腰を下ろし、目を閉じる。
僕は彼女について考える。
そして次に僕は彼女の「大事な部分」が欠落してしまった肉体について考える。
何も無い部屋で青白い光を放つ非現実的なソファー。
彼女はそこに腰掛けている。
僕は彼女にゆっくりと歩み寄り、静かな交わりを持つ。
魂を欠いた彼女の肉体と。
僕は彼女の耳に口付けをし、
首筋にキスをし、
次に乳房にキスをする。
そして小さなへそにも。
そこで彼女はゆっくりと首を僕の方に傾ける。
肩に掛かっていた髪が僕を目掛けて緩やかに、静かに垂れ下がる。
魂を失くしたはずの彼女の口元がささやくように言う。
「ねえ、あなたをずっと愛していたのよ。
それは本当。
今だって愛してる。
あなたを、そしてあなたの街を。
あなたの周りにある全てのものを。
そしてあなたが私を深く愛してくれている事も分かってる。
あなたは本当に、本当に深く私を愛している。
でも、私にはまだ行かなければいけない場所があった。
あなたには悪いと思ってる。
でもね、これは私やあなただけの問題じゃないのよ」
「例えば、夕焼けさん?」
「そう、夕焼けさん。
彼の為でもあるわ。
でも彼のせいじゃない。
彼を憎んではいけないわ」
「分かってる」
「彼はいい人よ。
多少無駄な事を言い過ぎるけど、
悪意はまったくないわ。
ただ少し素直過ぎるだけ」
「妖精だものね」
彼女が優しく微笑む。
時間の流れが一瞬減速し、
そしてまた元通りになる。
それは認識できうる最小の単位の時間だ。
「さあ、そろそろ時間よ。
あなたなら出来るわ。
私は今までただの一度だってあなたを疑った事はないし、
あなたはそれにいつも答えてくれて来た。
自分を信じて」
僕は彼女の魂に口付けをする。
彼女が道しるべとして残していった、
わずかな魂の欠片に。
僕はゆっくり目を開ける。
ほんの数分の出来事のようだったが、
時計の針はもう10時半を回っていた。
僕は一番履き慣れた白いナイキのスニーカーを履き、
家を出る。
11時少し過ぎに病院に到着した。
僕はナースステーションで彼女の病室の場所を聞き、
もっとも早い道を選んでそこへたどり着く。
病室の部屋番号を確認し、静かにドアを開ける。
確かに彼女はそこにいた。
まるで死んでいるように、静かにそこに横たわっていた。
後ろ手にドアをゆっくりと閉め、
彼女に近づいて呼吸をしている事を確かめる。
大丈夫だ。
呼吸はしている。
その呼吸はとても規則的なものだったけど、
同時にとても危ういもののように感じられた。
まるで等間隔に並べられた、とても薄いガラスの管のように。
僕は彼女の髪を撫でながら、彼女の首筋を見る。
そこには僕がさっきした口付けの跡が確かに残っていた。
僕は声に出して彼女に言った。
「じゃあ、行ってくる」
振り返るとそこには夕焼けがいた。
ドアは閉まっている。
「いつからそこに?」
彼は僕から目を反らし、そして少しの間、空中にある僕には見えない何かを目で追ってからまた僕の目を見る。
彼が昨日とは別人のような静かな口調で言う。
「悪いとは思う。
二人きりにしてやれなくてさ。
でもこれも俺に与えられた任務のうちなんだ。
すまないね」
「いいよ」
と僕は言う。
小さく笑みを作ろうとしたが、うまくはいかなかった。
夕焼けが眉を八の字にして昨日より幾分人懐こく微笑む。
「時間がない。さあ、行こう」
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