67.愛しのシャドゥ・ガール 3
「あ~あ、大怪我をして少しは血の気が薄まったかと思えば、あなたは」
「貴様っ!!無礼だろ、ノックくらいしろ!」
何処までも静かなオーガスタに対し、アレクシオンは見るも無残である。半身をぐいと反らせて怒鳴り返したが、どちらに分があるのかは、お互い百も承知の刹那の攻防である。
「小僧ではあるまいし、がっつくのはおやめなさい」
「・・・・・・」
下唇を噛みしめて、青年は顎を引いた。その分光を増した砂色の瞳が情熱の残滓を孕み、金色に光ってオーガスタを睨みつける。自分が悪いと頭では分かっていても、体が付いていかない。まだまだ人間が青いのだ。
オーガスタの目が細められる。
「それにちゃんとノックいたしましたよ?余程頭に血が昇っていて耳に入らなかったと見える。無礼はあなたでしょ?大丈夫ですか?リシェル姫?」
「リシェル!」
オーガスタの脇をすり抜けて、美麗な金髪が走った。白皙の美貌の青年ならぬ美女、フェビアンヌである。その後からアンゼルも続く。普段温厚な彼の口元が怒っていた。
「大丈夫?変な事されなかった?」
「君!・・・よくも約束破って私の大事な姪に・・・」
「大丈夫よ?ちょっとキスが発展しそうになっただけで・・・フェビィも伯父さんも心配しないで、落ち着こうよ」
忽ち狭い部屋を埋め尽くすように集まった人々に対し、すぐさま立ち直ったリシェルが安心させるように頷いた。
「姫、御無沙汰いたしておりまする。早速ですが、この馬鹿者が無体を働いた事を深くお詫びいたします」
オーガスタの陰からひょいと小柄な老人が顔を出した。
「わ!びっくりした。・・・ええ、そうですわね、オーガスタさん、それに侯爵様。えへへ、ちょっと恥ずかしいんですけれども・・・こんばんは。そしてお久しぶりです」
「・・・ったく、もう油断も隙もありゃしない!」
フェビアンは二人掛けの椅子にリシェルを抱え込むように座って、アレクシオンを睨みつけた。相変わらず凛とした男装だが、元々が美女なだけに怒ると非常な眼力がある。
階下の居間。
隅の椅子に押し込められた青年が項垂れている。普段リシェルが伯父やフェビアンと一緒に食事をしたり、芝居について話し合う団欒の空間は今、アレクシオンに対する弾劾の場となり果てていた。
「面目次第もない。・・・つい」
「己を制する事ができなくて、それでも軍人だったと言えますか?」
オーガスタもリシェルの前で情け容赦ない。
「へぇっ!軍人だったの?コノヒト。だって私を男と思い込んでいたんでしょ?状況分析能力も無いんじゃないの!」
リシェルの叔父アンゼルの婚約者で、アンノワール劇場の看板俳優であるフェビアンも、既に大体の事情は聞いていた。だから、エトアールからやって来た人々の人間関係や役職なども把握している。その上で遠慮なくアレクシオンを罵倒しているのだ。
「仰せのとおりでございます、お嬢様」
憎々しげなフェビアンの追及に慇懃に応じたのはアロウ侯爵であった。
「ほんとに無礼な男でございます。『海賊リュドミラン』でしたか、あのお芝居を見てこの老人でさえ、あなたがお美しいご婦人だと言う事は分かったものを、この男は最初からリシェル姫しか見ていなかったものですから、あなたを姫を誘惑する男性だと思いこみ、完全に頭に血が昇ってしまったのでしょう。私からも幾重にもお詫びいたします。誠に申し訳ありませんでした、フェビアンヌ嬢。そして伯父上も」
侯爵の瓢げた口調と所作には人の心を和ませる雰囲気がある。諧謔たっぷりに詫びる彼の様子を見て、雷雲の様な顔をしたアンゼルも、柳眉を逆立てていたフェビアンも次第にその眉間の皺を解いていった。
「侯爵様、何もそこまで。伯爵様だって何も悪気があって・・・」
健気にもリシェルはしおしおと俯いているアレクシオンに同情して言った。
「いやいや、リシェル姫。この男はもう伯爵等ではありませんよ。彼の父上はさっさと内務省に届けを出してしまいましたから、その内貴族年鑑からも彼の名は削除されるでしょう。それにしても、アレクシオン殿、あなたよくも抜け駆けをなさいましたな」
「抜け駆けって?」
「ええ、それがね、お昼の列車でこちらに向かう予定だったのに、待ち切れなかったこちらの紳士が、勇み足で朝一番の列車に一人で飛び乗ってしまったのですわ。あ、紳士でもないか」
「爺ぃ、余計なことを・・・」
最後の一言を意地悪く付け足す老人に、床を見つめたまま青年がぼそりとやり返す。だが、老人も負けてはいなかった。
「ところでアナタ、今後の生活はどうされるおつもりなのです。軍を退役して以降、適当に遊んでいたから手に職ないでしょ?腕っぷしだけで渡っていける程世間は甘くないですよ」
「ふん、心配はない。ここへ来る途中に見た建設現場で、人足を募集していた。最初はそこからだ」
「おや、意外と潔いではないですか。そこまで覚悟ができているとは感心、感心。まぁ、体だけはご立派ですからねぇ、丈夫に産んでくれた親御に感謝なさい。おお、そうそう親御と言えば・・・」
「口の減らない爺さんだ」
隅っこの椅子から文句が帰ってくるが気にも留めずに侯爵は続ける。
「お父上から御伝言を預かって来ましたよ。後で書面も送られてくるでしょうが、取りあえず口頭で構いませんかな?」
「ああ、言ってください。どうせロクなことではあるまい!」
半ばやけっぱちでアレクシオンは応じた。
「ふむ。では・・・コホン」
老人は芝居掛かって咳払いをしたが、そんな所作をすると益々魔法使いのお爺さんに見えると、リシェルはのんびり思った。
「――愚息へ。希望をかなえてやったぞ、ありがたく思うが良い。ダレルノ国境近くにに放置してある別荘とその周辺の土地をくれてやる。これは武士の情けと心得よ。孫が生まれたら見せに来るべし。姫君をくれぐれも大切にせよ。父――――だそうです」
「ふん、余計な事をあのクソ親父が」
「お父さんの事をそんな風に言っちゃあだめですよ~~。ほんのちょびっとだけお会いしましたけど、素敵な方でしたよ?別荘貰えるんですか?ステキですねぇ」
吐き捨てられた言葉を聞き咎めて、部屋の向こうから呑気な言葉が帰ってくる。
「ちっともステキ等ではない!武士の情けだと?んなもん、欲しくもないわ!」
「まぁまぁ。ここは親孝行だと思って黙って貰っておきなさいね。・・・うん、本当言うとお父上に一番似ているのはあなたなんじゃないかと思いますよ。素直でない所なんか特にね」
「それは悪口だな」
「ご明察!けれど、そんな事はまぁ、どうでもいいでしょう。リシェル姫?」
「なんでしょうか?でも、姫はやめて下さい。オーガスタさんも」
「いえ、私共にとってあなたは紛う事無い姫君なのですよ。ね?オーガスタ?」
「御意」
「でね。別口で姫様にもご伝言があるのです。こちらはちゃんとした書面ですが・・・どうぞ、直接お渡しするように申し渡されました」
そう言って差し出されたのは一通の書簡。何度か目にした事がある、王室御用立の封筒だった。
アディーリアからであろう。
「わ!」
贈られてくる品々はエトアールの有名商店が差出人と言う事になっているから、アディーリアから直接手紙を貰うのはダーレに戻って以来、これが初めてだった。リシェルは胸を高鳴らせて封を切った。
懐かしい優雅な筆跡。これをまねるのにどんなに苦労したことか。
『大好きなリリこと、リシェルへ
お元気だろうと思います。私の送った服や靴、アクセサリーなんかは気に入って貰えたかしら?宛名はお店からだけれど、全部私とイビサ、それにカチュアが美容師のシシィと相談して決めたのよ。何か気に入って貰えるものがあると嬉しいんだけど。
こちらはすっかり落ちついてきています。公務もまだ以前の6割くらいの量だけど、大丈夫。ちゃんとこなせているわ。元々仕事は好きなの。歩行訓練も毎日30分ずつやっています。白薔薇宮から暁宮の本会議場までくらいなら歩いても平気よ。
アレクシオンはね、今頃そっちへ行ってるだろうけど、あれから大変だったのよ。大騒ぎして、お父様である元のロシュフォール公爵に正式に爵位を取り下げてもらったり、アロウ侯爵付き護衛官と言う役職も辞してね。私の所にもきちんと挨拶に来たわ。立派な態度だったから、ちょっと私感動しちゃった。無論、即罷免してあげたわよ。
彼、よっぽどあなたが好きなんだわね。今まで、女の為に頭を下げた事なんて一回も無かったのよ。今では母方の姓を名乗っているのだけれど、なかなかできない事だわよねぇ。でも私、言ってやったの。「リシェルを幸せにしないと許さないわよ」ってね。そしたら彼「お任せを」だって。恋って人をこんなに変えるんだなぁって逆に感心しました。
ええ、リシェル。アレックスはあんな風で誤解も受けやすいけれど、根はいい奴なのです。不器用だけど、ちゃんと優しさも感受性もあるわ。ちっとも素直じゃないし馬鹿だけど(あ、失礼)。
だから、リシェル。彼を信じてあげて。リシェルとアレックスが両思いだと知った時の喜びは、今思い出しても顔がにやけるわ。あの時は二人に任せた方がいいと思って、余り口出しはしなかったけれど。
私の大好きな二人だから、きっとうまくいく。これは希望ではなくて、確信なの。
ほ ん と う よ
で、ね?
そんな2人を見ていて、私も一つ決心した事があります。聞いて欲しいの。
私、後三年ぐらいで女王やめます!
さぁどうだ。びっくりした?
今まで話せなくてごめんなさい。
リシェルも少しは聞いたと思うけれど、私の母は病的なまでに心配性でね。ここ数代の王家に連なる男子が比較的早世だったのをずっと気に病んでいて、15歳になる弟、セザールの事を公式の場に一切出さなかったのです。
けれど、彼だって王家の男子。私の病をきっかけに、いつまでも姉である私の陰に隠れている訳に行かないと母を説得してきたのです。母にしてみれば、私の病気も彼女の危惧を加速させる状況だったのですが、セザールは私が病んでしまったからこそ、決心がついたとはっきり言いました。
実は入院中にこっそり母と弟は何度も私を訪ねて来てくれていたのです。公務で忙しくしている間は殆ど会う事も叶わなかったのに、病気になった途端頻繁に会えるなんて、ちょっと悲しいじゃない?そんな事も一杯話し合ったの。
入院中、リリの暗殺未遂があった時ね、母は殆ど錯乱状態になったのですが、セザールは従妹だと言うだけで巻き込まれがだけのあなたが、立派に試練に耐えたと言うのに(勿論私が話したのよ)王家の宗主である自分が逃げてばかりでどうするんだと、根気よく少しずつ話を進めて行きました。
そうして、母も心を開いていってくれたのです。無論彼女にも医師がついていて、その方面の支援もあったんだけどね。
ま、細かい所はいずれ会った時にでも話すわ。
とにかく、これからはセザールと一緒に公務について経験を積ませたり、引き継ぐべき事を確認しながら少しずつ仕事を移譲するつもり。
さて、前置きが長かったけど、ここからが本題。
リヒト(前に話した私の療法士の人よ!)に私の気持ちを打ち明けました。
あなた達二人を見ていたら何もしないで恋を諦めてしまうのが、とっても馬鹿な事のように思えたんです。
私は一人の女としてあなたが好きです。
そう言いました。リヒトは最初大変驚いた顔をして私を茫然と見ていました。それから急に腕を伸ばして、気がついたら私はあの人の腕の中にいました。
僕も一人の男としてあなたが好きです。女王ではない、ただのアディのあなたが。
そう言ってふんわり抱きしめてくれたの。
夢の中にいるってこんな気持ちなんだと思いました。男の人の腕に抱かれたのは幼い頃、父にされた以外では初めてだったのですが、あんなに心地の良いものだったのね。
それから色々二人で話をしました。これからの事等。まだこの先色々ともどかしい問題はあるだろうけど、私は今人生で一番幸せなの。病を得た事ですら、彼に会うための布石だったと思えば、もう辛い思い出ではないわ。
これも全てあなたに会えたおかげだと思います。今まで自分の置かれた世界の中で、最善を尽くす事だけを考えてきた私に違う世界を見せてくれた。私だけでなく、恵まれた才能を持て余してずっと鬱屈していたアレクシオンにも光を示してくれた。
あなただからよ、リシェル。あなたに会えて本当によかった。
アレックスと二人落ち着いたらこちらへ遊びに来てください。私達はまだ始まったばかり。これからも一緒に歩んでいけるのです。ありがとう、リシェル。ありがとう。
愛を込めて 従姉のアディ』
アディ・・・ああ、アディ!
そっと瞼を閉じてリシェルは、優しく気高い年上の従姉の微笑みを思った。初めての恋を諦めようとして伏せた睫毛。敷布の上を滑った指先。
よかった、本当によかった・・・アディ。うん、きっと会いに行きます。
「リシェル!どうした、悪い知らせか?」
はっとリシェルが顔を上げると、アレクシオンの気遣うような顔があった。部屋の隅から辛抱しきれず飛び出して来たのだ。さっきまで散々詰られ、下を向いていたと言うのに、あっさり立ち直ったらしい。
「・・・いいえ?その反対です」
「そうか、よかった・・・急に泣きだすものだから驚いた」
「え?」
リシェルが頬に手をやると確かに濡れている。
「わ!本当だ」
「お前の涙を見るのは何度目か・・・」
最初は舞台の上で、アディーリアの手術を聞いた時に彼女を思って。そしてダーレ会議で攫われた彼女を奪い返したアレクシオンの腕の中で安心して零した涙。あの時は薄暗い倉庫の中で伝い落ちた雫が煤で汚れた頬を縞模様にしていた。ごつい指の背がそっと頬に触れる。
「きれいなもんだな」
あの時も今も。
俺を想って泣いてくれるのだったらもっといいんだが
跪いて屈んだ青年がリシェルの後頭に手を回し、額を寄せた。
「はいはい、そこまでにして下さい」
「そうよ、勝手に触らないでよ!」
「本当に反省しているのかね?離れ給え!」
「ぐ・・・」
しかし、口々に浴びせられる非難にたじたじとなりながらもアレクシオンは今度はリシェルの傍を離れなかった。
「皆さん、もう勘弁してあげて下さいよ。アルは私を心配してくれただけなんです。それにとってもいいお手紙でしたよ?侯爵様はこの事ご存じだったのですか?」
「ええ、陛下から直接お伺いしました」
「お二人はどうなるのでしょう」
「さ、あのお二人ならどんな事でも乗り越えてお行きになると」
リシェルの疑問に答え、莞爾と侯爵は笑った。彼は女王の恋を認めているのだ。アディにはさぞ心強い味方だろう。
「そう・・・そうですよね!」
「なんだ?」
アレクシオンが怪訝そうにリシェルの手に握られたままの手紙に視線を落とした。彼はこの事を知らないのだろう、敢えて知らされていなかったのだろうとリシェルは理解する。
「後で教えてあげます。・・・・・・でもね、今は」
「ん?」
「私達のことです」
立ち上がったリシェルにつられて自らも体を伸ばした青年は、誇らしげに顎をつんと反らせて人々を見渡した娘を惚れぼれと見つめた。白薔薇宮の瀟洒な広い居間に比べると、酷く見劣りのする使い古された部屋。
だが、そんな場所でも女王は燦然と輝いている。人々の注視を受けてリシェルはほんの少し首を振り、豊かな黒髪を揺らせた。
「ねぇおじさん、フェビアン。私お嫁に行くのよ?なのに誰もまだおめでとうって言ってくれないの?」
「リシェル・・・」
「私が自分で決めたの」
にっこり笑ってリシェルは言い放つ。アンゼルは愛娘ともいうべき少女を初めて見るような目で見た。彼女はいつもちょこちょこと彼の周りに纏わりついてきた幼い姪っ子ではもう無い。
「私、この人の事好きなの。ちょっと怒りん坊で、勝手で、我儘なところも全部大好き・・・ね?・・・アル」
ひゅ、と息を呑む青年。彼の愛する大きな瞳は今は殆ど黒く見える。
「お前にそんな事を言って貰えるとは思わなかった」
よく聞けば、結構酷い事を言われていのだが、アレクシオンには前半部分しか聞こえていないようだ。
「リシェル・・・君はもう私の知っている小さなリシェルではないんだね?」
アンゼルは座ったままで可愛い姪と、その傍らに立つ長身の男をしげしげと見つめた。
「亡くなったシエラの娘・・・生まれた時から君を知っているが、あのちいちゃいリシェルはもういないんだ」
「な~~に言ってるの、私はいつでもここにいるじゃない!ただ、ちょっとお嫁に行くだけよ?伯父さんだってお嫁さんを貰うんじゃない」
眩しそうに目を瞬かせた伯父に、リシェルは朗らかに言い放つ。
「そうか、そうだな・・・リシェル、もう少し一緒にいたかったが・・・そうか。これは私の負けだな。おめでとう、リシェル」
「そうね・・・突然で色々びっくりしたけど、おめでとうを言わないといけないんだった。リシェル、おめでとうね。私を男と思い込んでいた、そこの人!リシェルを絶対幸せにしないと返して貰うわよ?」
「約束する」
美青年ならぬ美女の強烈な流し目を平然と受けて立ち、アレクシオンは答えた。
「・・・伯父上もご安心召されよ、あなたの姪御は必ず俺が責任を持つ」
「お願いいたします」
アンゼルはそう言って初めて頭を下げた。丁寧な所作だった。
「さぁ、これで整いましたね?」
にこにことアロウ侯爵が部屋の中央に進み出、オーガスタを振り返る。その様子はやっぱり芝居がかっているとリシェルは思った。
「左様で」
「我々は何もこの青年に嫌味を言いにここまで来た訳ではないのですよ。娘盛りの乙女に無理難題を押しつけたお詫びと、意に染まぬ役割なのに、我々の期待を大きく裏切ってご立派に成し遂せて下さったリシェル様に、心からの感謝を届けに来たのです。アディーリア陛下と・・・そして我々エイティス国民一同から」
「え~~、お礼なら一杯もらいましたよ?箪笥に入りきらないくらい。だからもういいです」
「それはそれで。ははは、欲のないリシェル様らしいが。エィティス王家はこれからもリシェル様の行く末と、アンノワール劇場の益々のご発展を全力で応援致します!」
「・・・それは俺一人の力じゃ、リシェルを幸せに出来んという事か?」
アレクシオンが大変不本意そうに低く呟き、すかさずオーガスタが肯定した。
「おや、よくおわかりで」
「違うでしょ?もう二人とも角突き合いはやめて下さいよ~~。え~~~と、じゃあ、ギシギシいってる客席を幾つか直して貰おうか、伯父さん?お礼ってそう言う事ですか?」
「無論無論。なんでしたら、劇場の建物全体建て替えますが」
「ひゃあ!そんな事をしたら時間が掛かってご贔屓さんから文句言われちゃいます。取りあえず椅子だけでいいです。シーンとする場面でギィギィ音が鳴ったらだいなしだもの」
「ええ、そうだな、リシェル。なんたってアンノワール劇場はダーレ下町一の名物だからな。・・・侯爵様、お申し出はありがたいが、そう言う事で」
アンゼルも首肯し、アロウ侯爵は慇懃に頭を垂れる。
「・・・謹んで承りましてございます。リシェル姫、伯父上様。それから、お二人の結婚式は何時になさいますか?うん、勿論できる限り盛大に・・・」
「わぁ!それも要りません。お式なんて・・・ねぇ?」
「俺は今すぐだっていいぞ」
ぶっきらぼうな口調は照れ隠しであろう。
「ひ~」
この人たち話が通じないと頭を抱えたリシェルだが、ふと思いついてぱっと顔を上げた。
「そうだ・・・どうしてもお式をするなら、日どりはともかく、場所はこの劇場にしたいわ。今度はお芝居じゃなくて本物だけど。だってね、アルの言う事が本当なら、全てのはじまりはここの舞台の上からだったんだし」
「それはいい!」
「素敵だわ」
アンゼルもフェビアンも直ぐに同意した。二人とも急に目が生き生きと輝き始める。舞台人である彼等の頭の中では、既に演出の下書きが出来かけているのだろう。
「左様でございますか。では、せめて花嫁衣装ぐらいはご用意させて下さいませ。でないと、あの方に私どもが叱られます」
「はい・・・ありがとうございます」
「一月後だ」
そう宣言してアレクシオンはリシェルの腰を引き寄せた。
「え?」
「それ以上は待てない。それまでに俺は仕事と住む家を見つける。シシィに衣装はそれまでに完成させろと伝えろ」
「シシィね。あの完璧主義者に文句を言われるのは私なんですがねぇ。まぁ、そうする事に致しましょう」
やれやれとオーガスタは肩を竦めた。
「頼む。いいな?リシェル。お願いだからいいと言ってくれ。俺はもう余り我慢できない」
アレクシオンは益々リシェルに体を寄せて懇願した。
「へ?ガマン?よく分からないけどいいですよ?女優やらせてもらえるなら」
「ううくそ・・・仕方がない。だが、男との絡みは絶対駄目だぞ!」
サマードレスからはみ出た両肩を掴んだ青年が強い口調で念を押す。余りにあからさまな態度は逆効果なのではないだろうか?リシェルは笑いを噛み殺した。
「・・・だ、そうですよ?伯父さん?」
「考えておきましょう」
「う、ふふふふふ」
「笑うな!俺は真面目に・・・」
終に笑いだしたリシェルに笑えないアレクシオンが詰め寄る。
「私だって大真面目ですよ?大好きなのはアルだけです」
「っ!・・・・・・畜生・・・嬉しいじゃないか」
「うん」
「リシェル・・・」
「はい?」
「愛してる」
「はい!」
皆の見守る中、アレクシオンはリシェルを引き寄せて口づけた。今度は誰も咎めず、柔かい拍手が鳴る。
更けてゆく下町の夜、暖かい光と心が寄り添う恋人達を包んだ。
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