57.最後のお仕事 前哨戦 3
「伯爵様にしてはよく我慢しましたねぇ」
心底感心したようにオーガスタがアレクシオンに話しかけた。
春とはいえ、北に位置するミスリルの夜はやや肌寒い。それでも最早暖房を必要とする程ではなく、老人のアロウ侯爵でさえ、暖炉に火を入れましょうかとのオーガスタの勧めを断って部屋着で寛いでいる。侯爵は右手の杯越しに青年を透かし見た。
「そこら辺は私も是非見てみたかったですがねぇ」
「失敬な!俺はそこまで考えなしか?いくらなんでも訪問国の王子相手に色恋沙汰で喧嘩を吹っかけたりはせん」
本当は、キャスリークがリシェルにキスをした時、もう少しでぶん殴りそうだったとは、口が裂けても言えないアレクシオンである。あの時は本気で危なかった。全く自制心がついたものだと、自分を褒めてやりたいくらいである。しかし、行動は兎も角、内心までが穏やかだった訳ではない。あれ程油断するなとリシェルに釘を刺しておいたのに。
当のリシェルは部屋に戻るなり、纏わりつくアレクシオンの視線と説教を避けてさっさとイビサとカチュアに入浴の支度を頼み、ただ今、黄金のバスタイム中である。
「優秀でしたね。お二人に注目しながらも、ちゃんと周囲の警戒もできていたようですし。流石は少佐殿だ」
「・・・言うな。お前が教えたことじゃないか」
「できる人は多くはないのですよ。・・・それにしても、陛下のご発言は何か意味があったのでしょうか?」
それは好きな人がいると言った、先ほどのリシェルの発言である。
「さぁな。単に優男王子をかわす為だったかもしらんし・・・あいつらしくはないがな。それについては直接確かめようと思うんだが。さっさと風呂に入りやがって」
「そりゃあねえ・・・夜会が終ってからのあなたの顔をみればねぇ」
老人が楽しそうにグラスを傾ける。彼は彼で末息子を婿にと言う、ミスリル国王の嘆願を、失礼にならぬように気をつけながら断るのに心を砕いていたのだ。経験豊かな元宰相でさえなかなかに気を使う、デリケートな事柄だったらしく、彼はレセプションの間中、殆ど食事も飲み物も摂れなかったのである。
「リシェル姫が敬遠されるのも無理はない」
「俺は別にあいつを責めるつもりはなくてですね・・・」
「まぁいいです。我々だって気になる事ですから、あなたが懸念されるのは無理はない。よいでしょう、姫に直接聞かれたがいい、あなたが適任です。もうそろそろ入浴もお済みの頃でしょう。言うまでもありませんが、夜更けですので長居はされませぬように、あくまで紳士で」
侯爵は物分かりよく頷き、オーガスタも軽く会釈をして青年を促す。
「分かっています」
重々しく応じてアレクシオンはリシェルの部屋へと入って行った。
「でも、まんざら嘘ではないんですよ」
背中に下ろした髪に櫛を入れて貰いながらけろりとリシェルは答えた。
「何だって?どう言う意味だ?」
「何方かを絶対に聞かないで下さるのなら言いますけど、きっとアディは好きな人がいると思います」
「一体誰だ!?そんで、何で分かるんだ?アディが入院する前に何か聞いたのか?」
「だから聞かないでって言ったのに・・・」
「これが聞かずにおれるか!」
「・・・そんなに気になりますか?」
リシェルは寝支度を整えてくれたカチュアにありがとうと目礼をし、部屋を下がるのを鏡越しに見送ってから言った。
「当たり前だ!独身妙齢の大国君主の恋だぞ、何処のどいつが・・・」
「・・・伯爵様にだったらどうしますか?」
少女は相変わらず鏡の方を見ている。鏡の奥に夜着に着かえた婦人に失礼にならぬ距離を保って立つ青年がいる。一方の青年には、長い髪を緩く編んだ娘の白い首筋が間接照明に浮かんでいるのが見えていた。
「は?」
「だから、アディの好きな人が・・・」
「俺ってか?そんなボケはいい」
「・・・いいんですか?」
リシェルは相変わらず鏡に向かって話している。
「俺たちの間には信頼関係こそあれ、昔から恋愛沙汰は無縁だよ。ま、周囲が勝手に騒ぐから、それを利用して目くらましをしていた部分はあるがな」
「そう・・・なんですか」
「なんだ、お前・・・俺たちが噂通り恋人同士だって思ったか?最初に否定したろ?」
「・・・・・・」
リシェルは鏡に映る娘の姿を見ている。
いつも平凡だなぁ、もっとビジンだったらなぁ、と乙女の溜息の原因となるその顔は、今夜は少し微妙な表情をしている。
伯爵様はアディに恋してらっしゃらないの?
アディーリアがアレクシオンに恋をしていないのは同性として割とはっきり分かるが、アレクシオンの方は年上の幼馴染に魅了されていると思っていた。幾度かそれに近い言葉を聞いた気がする。彼は感情表現が不器用なので素直に好きと言えないだけで、本当に愛情や尊敬を感じるのは、アディーリアに対してだけだとリシェルはずっと思い込んでいたのだ。
恋じゃないの?だったら・・・
「おい、こっち向けよ。鏡越しに話すなんて不自然だろ」
リシェルは素直に体の向きを変えた。途端に青年はこっちを向けなどと言うのではなかったと後悔する。娘らしい体の線を無意識に見せつけられて視線が定まらぬ。仕方がないので前方の床に目を落とし、それでも強気に彼は尋ねた。
「で、誰なんだ?アディの恋人ってな」
「う~~ん・・・恋人って訳ではないと思います。公私混同はしない人だから。でもいいなぁって思っている人はきっといると思う。従姉妹同士のカンかな?でも、アディだって女の子だもの、好きな人ができたって不思議じゃないわ。みんな彼女に完璧を求め過ぎなんです。そりゃぁ、よくできた人だけど」
「確かにそれは否めないが・・・じゃあ、あいつはなんとなく好きな奴はいるんだが、それをどうこうしようと言うつもりはないと・・・こういう訳か?」
「今のところは、多分。詳しくは彼女が復職したら、言ってくれると思います。言う必要を感じたら、ですけど。キャスリーク王子のことは気にしなくてもいいと思います。私が嘘を言ったと思ってはいらっしゃらないとは思うけど、彼がそんなことをわざわざ吹聴するとは思えないし、吹聴したところで大した影響もないでしょう?こういっちゃ何ですが、彼はアディに振られたわけだし、なんと言ってもただの非公式な他愛のない会話で、そんなことをお国の偉い人たちが取り上げるとは思えないし。国を挙げての正式な婚約の申し込みも当分は無いと侯爵様もおっしゃっていたし」
「ふん・・・まぁなぁ。普通は酒の上での座興だと思うわな。けど、お前」
「はい?」
「いつの間にかいっぱしの政治家の顔だぜ」
アレクシオンはにやりと口角を上げた。
「は?まさか」
「俺は褒めてるんだ」
「はぁ」
「まぁいい。確かにお前の言うとおりなら、アディの件は別に今すぐ確かめなくってもいいだろう。本当に好きな男がいて、その必要があるならあの人なら適切な時に俺達に打ち明けるだろうよ。ばかげた振る舞いはしない人だしな」
「そうですよ。でも・・・」
女の子としては、切ないだろう。リシェルは自分一人の身ではない女王と言う立場にある従姉を思って切なくなった。しかし考えてみれば、自分も似たような立場ではないか?有力貴族の令息で、エリートで、女性にもてる(と聞く)アレクシオンを好きになってしまったのだから。
「じゃあ、その件はいい。俺から侯爵に言っておく。けどお前!」
リシェルのついた小さなため息には気がつかぬ青年は、次の懸念に関心が既に移っている。
「はい?」
「今日のアレは一体何だ!」
さっき責める気はないと言った舌の根の乾かぬ内にアレクシオンは問いただす気満々のようである。
「アレって、求婚された事ですか?」
「違う。あの馬鹿が申し込んでくることぐらいお前だって分かってたろ?」
「・・・ならキスされちゃった事ですか?」
渋々と言った風でリシェルは答えた。
「そうだ!如何に不可抗力とは言え」
「不可抗力ですとも」
リシェルは威張って背中を反らせた。
「開き直るな。油断するなっていったろ」
アレクシオンは苦り切っている。
「私だってびっくりしましたよ~~。でも、本当に不可抗力だから」
「ちっとも悪いと思ってないな」
「だって、もっと悪いことした人いるじゃないですか~。あれも不可抗力だったんですか?」
「!」
思いもかけない反撃。娘が示唆するのは王宮の地下の洞窟。聖なる泉でのアレクシオンの振る舞いについての事だろう。あれについては後ろめたい気持ちがややある青年は思わず言葉を無くした。
「あれはだな・・・」
「悪い事でしょ?違うんですか?」
「・・・違う」
「ならなんですか?」
「あれは・・・別に悪い気持ちでした訳では」
「じゃあどんな気持ちだったんですか?」
「お前・・・今夜はいやに絡むな」
「絡みますよ。だって、別に好きでキスしたんじゃないのに、私が悪いみたいに決めつけるんだもん・・・アルが」
「う・・・」
不意に名を呼ばれて心臓が一拍跳んだ。この上目遣いは精神衛生上良くない。
「俺はただ・・・お前がほ・・・男にキスされているのを見兼ねただけだ」
「男」の前に「他の」と言う形容詞を付けそうになって青年は焦った。
「自国の女王にそんな振る舞いをされて怒らぬ護衛がいるものか」
「オーガスタさんも怒ってらした?」
「遺憾に思っていた」
何故ここに奴の名が出てくる!と言いたいのを堪えて、アレクシオンはどうにか順当な説明をした。
「そうですか・・・でも、ほんとに不意打ちだったんで・・・キャスリーク殿下の事は嫌いではないんですけど」
「好きではないんだな!」
「ええ。だって・・・」
私はあなたが好きなんだもの
初心な娘は口に出せぬ思いを瞳に湛えて青年を見上げるが、目の前に立つ青年が自分を想って焦れている事には想いが至らぬ。
「ならいい」
「アルは・・・」
自分を見上げてくる瞳を、平静な振りで受け止める。まだ何とかなる。
「何だよ」
「誰か好きな人はいるんですか?」
「・・・いたらどうする?」
目の前にいるんだが――――
「どうというか・・・その方にはお優しくなさるの?」
「え!」
思わず本気で驚いた。目を剥いたアレクシオンを見て少女はしまったという顔をする。自分でも失言だと思ったのだ。見つめあったまま、二人して動揺している。
「あ・・・変な事言ってすみません。もう寝ますね」
「そ、そうだな。もう遅い、居間で侯爵たちもヤキモキしてるだろ。明日から自由国境に出るからな」
「はい・・・お休みなさい」
「ああ・・・・・・ええっと」
アレクシオンは扉の方に向かって行きかけたが、何か思う所があるのか再び戻って来た。
「リシェル」
「はい?」
「そんなに酷いか?」
「は?」
言葉が短すぎて分からない。きょとんとしたリシェルに、少し照れたようにアレクシオンは言い直した。
「いや・・・態度がさ。俺の」
「・・・大丈夫ですよ?」
「言葉が足りないのは分かってるんだ。だが、国に帰ったらお前とゆっくり話がしたい」
殊勝な言葉を覆い隠すように口調と態度は偉そうである。
「お話し・・・ですか?」
「今はいい。だが・・・さっきの話」
「はい」
「今度こそ、気をつけるんだぞ」
「もう大丈夫でしょう?」
「だから心配なんだ。ナハシールにはあいつが出向いてくるだろ。あのエロ親父が」
「エロ・・・エル・シド太子様は素敵な方なのに・・・それにもう奥方様がいらっしゃいます」
「それでもだ。今度キスなんか許したら尻を叩いてやる」
「ひっどぉ」
「だったら気をつけろ、それと・・・」
「ん?」
くいと顎を上げた所にひょいと長身が屈み、唇が触れた。音もなく柔かく重なったそれは、ほんの瞬きする間だけ触れ合い、直ぐに離れる。
「っ・・・!」
「ほ~ら、やっぱり隙だらけだ」
「隙って・・・そんなこと!」
「ま、消毒と思っておけ。ごちそうさま」
「伯爵さまっ!」
「アルだろ、アル。さ、お休み。遅くまで済まなかったな」
そう言ってアレクシオンは軽く頭を下げ、今度こそ部屋を出て行った。後にはぽかんと口を開いたままのリシェルが残される。
もう・・・そんな事するから余計な期待するんじゃないですか。伯爵様の・・・アルの馬鹿!
『国に帰ったらお前とゆっくり話がしたい』
彼は傲慢そうにそう言った。
だったら、私だって話があるわ。見ていなさい。絶対びっくりさせてあげるんだから!伯爵様―――
リシェルは青年が出て行った扉を睨みつける。
勝負です!
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