2.芝居小屋で見つけたものは 2
「・・・ゼル伯爵?シュトレーゼル伯爵、どうされたな?随分ぼうっとされておるようだ。貴公にしては珍しゅう。・・・余程先ほどの舞台がお気に召したかな?」
面白がっているようでもあり、からかっているようでもある声にアレクシオン・ヴァン・シュトレーゼルは、はっと我に返った。目の前の粗末な卓には手つかずの料理と酒が所狭しと並べられている。
「これは失礼、アロウ侯爵殿、いや別に・・・少し考える事がありまして。今日の午後の懇談会の一件で」
「ほぉ~~、こんな時まで。いやはや、貴公は仕事熱心ですなぁ。しかし、食事の際に難しい事を考えるのは消化に悪いですぞよ、いくら貴公が頑健な若者と言えな。せっかくの旨そうな料理なのに、美味しく頂いてやらにゃぁ。まぁ、年寄りには少々こってりしているようじゃが」
「・・・そうですな」
アレクシオンは迷惑そうに相槌を打った。それ以外にしようがなかったからだ。
「そうですとも」
愉快そうに老アロウ侯は言って梟のようにほほほと笑う。これだからこの老人は苦手だとアレクシオンは思った。饒舌で、抜け目がなくて。その心の奥底まで見透かすような、薄青い瞳を避けるように杯を手に取る。
「まぁ取りあえず、乾杯ぐらいしませんかな?せっかくこんな珍しいところまで足を伸ばしたのだから」
「これは失礼を。では・・・」
伸ばさせたのはあんたじゃないか、と言う言葉を呑みこんでアレクシオンは一人で飲もうとしていた杯を眼前に翳した。
「乾杯」
安物のグラスがカチンと軽い音を立てる。
「素晴らしいダーレの夜に」
老アロウは意味ありげにそう付け加えて片目を眇めた。
ダレルノ公国、ダーレ市。
商業と物流で成り立つ小さな国で、アレクシオン達の属する隣国エイティス聖王国とは現在、友好関係にある。その首都ダーレは人口3万の小さな街だが、商都の名に恥じぬ繁栄ぶりであった。
二人が夜を過ごしているのは、下町の劇場の隣にある劇場付属の料理店「黒猫亭」である。観劇が終わった客達が食事をしたり、もっと軽く一杯引っかけたりしに訪れる場所で、下町にある割にはまともな料理を出すと評判の店で客筋は悪くない。店は繁盛しているようで、気楽な服装の老若男女で混み合っている。辺りには濃厚な揚げ物や煮込み料理の香りに満ち、時折グラスを触れ合わせる音が響いていた。彼ら二人が陣取っているのは貸し切りにした一番奥の小部屋だった。
二人の男の内、年取った方はすっかり白くなった髪を後ろで結わえた小柄な老人で、まるで良き魔法使いのように柔らかな皺の寄った顔に、ユーモラスな光を湛えた水色の瞳が若々しい光を宿している。一見好々爺に見えるが、この老人は聖王国の前宰相で、隠居した今も聖王家のご意見番として、内外に影響力を持つ、アロウ侯爵、ヨハネイス・サムエルセン・ヴァン・アロウ、その人であった。彼は痩せた体を趣味の良い衣服に包み、品良く酒の杯を口に運んでいた。
そして―――
もう一人の男。アレクシオン・ヴァン・シュトレーゼル。
彼も人目を引く存在であった。ただ単に目立つという意味ならアロウ老侯爵よりも数段勝っていただろう。
均整のとれた長身と、砂色の髪の下で鋭く光る同色の瞳。磨き抜かれた刃物が美しいと言うのなら、彼の容貌はまさしくそれであった。見る者に怖れと威圧を与える鍛え上げられた鋼鉄の美。
老アロウは今更ながらに感心したようにその無表情を眺めた。つい先ほど滅多にないほど茫然自失としていたグレイの瞳には今、何の感情も読み取れない。
「・・・で?」
「で?」
「そろそろ種明かしをしていただきたい。ご老人」
「種明かし」
老人ぱ如何にも無邪気そうに、ぱちくりと目を見張った。まったく意外な事を聞かれたとでも言うように。
「お惚けになるのは無しにして貰いましょう。陛下の名代でダレルノくんだりまでやってきて、忙しい外交の合間に、わざわざこんな下町の劇場まで俺を引っ張りだしたのには余程の深い訳があるのでしょうな」
でなければ、絶対納得してやるもんかと言わんばかりにひん曲げられた、薄い唇。
給仕を断っているので手酌で酒を注ぎ足すと、アレクシオンはじっくりと腰を据えて飄々とした老人を見据えた。本気で睨みつけられると、大抵の男なら怯んでしまう強い視線にも意に介さず、老人は機嫌よさそうに料理を突いている。
「あ、結構いけるね、これ。医者には脂っこいもんは控えろとは言われておるのだけど、出張先でくらい羽を伸ばさにゃあ・・・あ、そんな怖い顔せんで、伯爵。せっかくの男前が台無しじゃよ。はいこれ」
老人は串焼きが盛られた皿をアレクシオンに差し出した。
「・・・」
この老獪な元宰相に正面からぶつかっても馬鹿を見るだけだ、本人がしゃべる気になるまで待つしかない。そう判断したアレクシオンは諦めたように脂のこってり乗った串料理に手を伸ばした。程良く焦げ目のついた肉の間に大きく切った野菜が幾種類も並び、さらりとかかったソースの味が絶妙だ。双方、暫し無言で肉を毟る。
「深い訳ねぇ・・・まぁ、確かにあんたのおっしゃる通り意味が無いことも無いが・・・それよりも取りあえずは噂で評判の舞台を見たかったんだよ。そんで、護衛も兼ねて、日頃そう言う風雅の趣味の全くなさそうなあんたを引っ張り出したと言う訳で。これ、ホント」
暫くしてやっと老人は話を繋いだ。
「・・・ハタ迷惑な話だ。俺は忙しいのに」
この老人の闊達な性格をよく知っているアレクシオンは遠慮なく嫌味を言った。案の定、悪びれた様子は全くない。
「おやぁ、そうなの。その割にはかなり夢中になっておられたように見えたが・・・」
次にスパイスのきいた粗挽き肉の包み揚げにフォークをぶっ刺しながら、老アロウはにこやかにアレクシオンを見た。さっきから見ているとこの老人が食べているのは肉類ばかりだ。本当に医者から止められているのだろうか?そもそもそれからして本当かどうか疑わしい。老人はやや黄色くなった前歯(絶対に自前だ)で、もっちりとした揚げた皮を引きちぎった。全くよく食べる爺ぃだと彼は思う。しかし、まったく油断のならない爺ぃでもあるのだ。
「・・・・・・確かにこんな場末の小汚い芝居小屋にしては、まぁまぁ面白い演目だった事は認めます・・・と、言うか、俺はそもそもこんな劇場に足を運ぶのが殆ど初めてなのだから、他の演劇と比べるべくもないが」
「まぁ、そう言わず。あの黒髪の女優はなかなか可愛らしかったじゃないかな。声もきれいだったし」
「そう・・・だったかな。随分小さいという印象しかないが・・・ああ、剣の使い方は全くなっていなかった」
アレクシオンはなかなか思い出せないように眉をしかめた。老人はじっとその様子を観察している。
「・・・何か?ご老人」
黙ったまま眺められるのに辟易してアレクシオンが尋ねる。どうせ自分から何か野暮な答えを期待しているのだろうと思っていると、意外に真面目な様子で逆に質問された。
「・・・あの娘、誰か似ているとは思いませなんだかな?」
「は?似ている?誰に?」
全く想定外の事を尋ねられ、アレクシオンは思わず食べる手を止めて老人を見つめた。一体何を言わそうとしているのだ、このクソ爺ぃは。
「おや、分かりませんか?我々の良く知っている人物ですよ。あんなに似ているのに切れ者と評判の貴公が気付かないとは・・・」
「・・・知っている?」
アレクシオンは本気で考えたが、あの小さな女優に似ている人物を誰も思いつかなかった。しかし、老アロウは意味も無くこういう事を聞く人間ではない。何か魂胆があるに違いないのに、残念ながら彼にはその意図も、似ているという人物も思いつかなかった。
「申し訳ないが分かりません。そもそも俺は、役者の顔などあまり覚えていなくて・・・」
「・・・仕方がありませんなぁ・・・じゃぁ、本人に登場して貰いましょう」
「なんだって!?」
アレクシオンは思わず腰を浮かした。
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