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37.戦う女王陛下 2
 
 
 



「御機嫌よう・・・聖女王陛下」

「・・・はじめまして」



感情の籠らない男の声に、リシェルは横になったまま、そう答えた。言ってからそろそろと身を起こす、さっきからどのくらい眠ったのかは分からないが、嬉しい事に頭はだいぶすっきりしていた。



どのくらい眠っていたんだろう



冬の陽は早くも暮れはじめ、がらんとした部屋は陰気に翳っていた。窓に貼られたテープの隙間から見える外の様子から、おそらく5時頃だろうとリシェルは見当をつける。とすれば、あれから又2時間ほど眠った事になる。

「・・・流石はエイティス聖王家の女王様だ。肝が据わっておらるる。自分を攫ったならず者に初めましてと来たもんだ」

「ありがとうございます。・・・ところで、あなたは誰ですか?」

リシェルは寝台から足を下ろし椅子に腰かけるように座ったが、男は腕を組んで立ったままである。顔は下半分を布で隠しているので殆ど目しか見えない。背はそれほど高くはないが、がっちりした体格で腕っぷしも強そうだった。

顔こそ覆っているが、後はダーレ下町の市民が着る平凡な服装をしている。肌は浅黒く、髪は黒く、明らかに異邦人である。最近このような人物を目にした事のあるリシェルには、男の出身が直ぐに分かった。

「国境の東から来られたんですね」

「左様。ふん、この肌色だからすぐ分かるな。俺はハラスと言う」

男はすらすらと答えた。明らかに偽名だろう。だが、リシェルは頷いて見せる。

表情は読めないが、少なくとも彼は怒ってはいなさそうだ。下手に騒いで刺激せず、静かに話をしてみたらいいのかもしれない、とリシェルは考えた。



少なくとも今は・・・怖くない。大丈夫



自分の感情を頭で確認する。その時がきたら、遠慮なく怖がらせて貰うかもしれないが、今はその時ではないのだ。

「ご気分は?陛下」

ハラスと名乗った男はからかうような丁寧さでリシェルに訪ねた。おそらく彼はリシェルが一度目を覚ました事を知らないのだろう。ならば、少し気だるそうな様子を見せた方が、油断させるのにいいかもしれない。

「少しふらふらします」

「外科手術用の麻酔薬を使ったからな。効果は短いが、その分強烈だ。余り動かない方がいい」

親切めかして言っているが、リシェルの体調など気にしていないに違いない。リシェルは気分が悪いように見せかけるため、枕もとの壁に凭れた。さぁ女優魂の見せ所だ。

「・・・ハラスさん?何でこんなことを?」

「当然の質問だな」

ハラスはリシェルから目を逸らし、少し考えていたが再び向き合って口を開く。

「あんたの言うとおり俺達は、東の自由国境地帯を行き来する部族の一員だ。あんたを攫ったのは国際会議の決定を無効にし、俺たちの要求を呑んで貰う為」

「要求?」

「まぁ、これは知って貰っても大事ないから言うが、俺達は大陸横断鉄道の東への延長を阻止したい」

「・・・」

「前から噂には聞いていたが、今回の会議で、東の国境直前までの路線延長が確定したんだろ?」

男は言いながら上着のポケットから下り畳んだ紙を取り出すと、リシェルに向かって広げて見せた。

「今朝の読売りだ」

そこには大きく『大陸横断鉄道、延長決定!新たに南北線敷設』と大きな字で見出しが打てたった。今朝リシェルは新聞を見ていないが、もうこんな記事が出ているのだと、感心する。読売りは市民の情報源だ。

「・・・そうらしいですね」

「俺たちはそんな事になって欲しくない」

「ですが、取りあえず最終地点は、エイティス国内に留まる予定なので・・・」

「だから、部外者は口を出すなと言うのか!」

「・・・っ!」

男が初めて声を荒げ、リシェルは思わず首を竦めた。アディーリアならこんな風にはならないかもしれないが、ハラスは別に気にも留めずに続けた。

「お前たちはいつもそうだ。自分達の理屈が全て正しいと思い込んでいる。ソンムの郊外は直ぐに国境じゃないか。そんなところまで延長路線が完成したら、2年後の会議で自由国境までの延長が直ぐに決まってしまう。いうなれば、これはそうなる事を確信した上での決定だ」

「山岳地方の人たちにも鉄道延長の希望は多いと聞いていますが」

ここでジャハン国の事を持ち出してよいものかどうか分からないリシェルは、慎重に言った。

「確かに。新し物好きの奴らや、豊かになることしか考えない奴らはそう思っている。だが、所詮はあんた等平原諸国に騙されているんだ。最初の数年ぐらいはいい思いが出来るかもしれないが、直ぐにすっからかんにされちまい、後には資源も民族の誇りも失っている事に気づく」

「そうはならないように会議を開いたのだと思うんですが」

「平原諸国の奴らの会議を平原地方で行い、平原だけに通じる取り決めをしたと言うだけの話だ」

確かに会議の場にはいてそこで話し合われている事を理解しようと努力し続けた。しかし、リシェルには付け焼刃の知識しかないし、ましてや政治的な判断などできない。何とか女王らしく振舞って、それらしい言葉を捻りだすしかないのだ。

何故なら―――



何故ならリシェルは女王ではないから。もしも此の事が露見したら、彼等はどうするだろうか?用無しだと放り出されるならまだしも、余計な事を知られたと判断されたら命も危ないかもしれない。

「そうじゃないか?」

「・・・」

女王でも、政治家ではない普通の少女のリシェルには、直ぐにはどう言い返すべきは分からないので黙るしかなかった。それに変に言い返して怒らせるのも怖い。エイティス国の女王を誘拐して時点で彼等の気持ちなど決まっている。今更どんな理想を振りかざしても、平原地方の理屈など彼等は受け付けないだろう。

彼等は自分達を信じていないし、敵だと思っている。

「あの平原かぶれのジャハンの太子等、我々から見れば噴飯ものの拝金主義者だ」

「エル・シド閣下を知っているのですか?」

「勿論個人的には知らん。だが、奴は国を平原諸国の様に造り変えようとしていることを知っている。山々に暮らすものの誇りを失った裏切り者だ」

ハラスは吐き出すように言った。

「私には誇り高い人の様に見えましたが・・・」

おそるおそるリシェルは言ってみた。

「奴が大切にしているのは自分の誇りだけだ。奴の言うとおり鉄道をジャハンまで延長してみろ、傍目には便利で美しい異文化がどっと入り込み、我らの土地を席捲するに決まっている。嘗てあんたたちは、戦争と言う形で俺達の富を奪った。今度は商売と言う隠れ蓑を被っただけで同じ事をしている。どちらも我々の誇りと独立を傷つけ、益はない」

「交易は不要だと言うのですか?」

「全くは否定しない。だが、平原諸国に主導権を握られるのはまっぴらだと言っている。確かに我々の国は貧しい、しかし目の前の黄金に目を眩ませるほど矜持を失ってもいない。鉄道の延長は不要だ」

「・・・それで私をさらったと言う訳ですか?」

「あなたには申し訳ないと思う。だが、俺たちの力は小さく、他に手立てはなかった」

たった今、矜持と言う言葉を吐いた男は語気が少し弱めて答えた。流石に後ろめたいのかもしれない。しかし、リシェルはだるそうな演技を続け、それ以上は云い募らなかった。

「それで・・・いつまでここにいればいいのでしょうか?」

「それは分からない。だが、あなたが大人しくしている限り、手荒な事はしないと約束する。当面の命の保証も」

「後は交渉次第と言う訳ですか?」

「そうなる。今頃あなたの仲間は大騒ぎをして対策を練っているだろう」

「・・・」

そうかもしれない。今頃は侯爵が捜索の指揮を取っているのだろう。だが―――本当にその保証はあるのだろうか?

結局のところ、リシェルは女王ではない。だから、例え彼女の身に万一の事があってもエイティス国の礎は揺るがないのだ。アディーリアの病の事は知られてしまうかもしれないが、手術は成功し、女王は回復に向かっている。後の事は何とかなるだろう。

平凡な娘一人、いろんな厄介と危険を冒して助け出さなくとも、事件その物を黙殺してしまえば、何の騒ぎにもならない。彼女が死んでしまった所で、究極には誰も困らないのだ。



って、わああああ~~~!今、すごく嫌な事考えなかった?



思わずリシェルはぶんぶんと首を振った。はっとなって見るとハラスが怪訝な顔をしてこちらを見ている。

「あ・・・すみません」

しかし、彼はリシェルの態度を勘違いしたのか、急に怖い顔になった。

「おかしなことは考えるな・・・もっともこの状態では何もできはしないだろうが。室内は動き回っていいが、この建物にはまだ仲間がいて、扉の外にも常時見張りがいる。窓ガラスを割ろうとしたり、叩いたりするようなら遠慮なく拘束させて貰う。こちらから聞かれない限り、誰にも話しかけてもいけない。お前と話をするのは俺の役目だが、今はこれ以上話をする必要はない」

ハラスはそう言って立ち上がった。

「直ぐに食事を持ってくる」

扉が閉まり、リシェルは翳りかけた部屋の中に取り残された。



・・・まだ、怖くはないみたい・・・でも、助けに来て貰えるのかな・・・



ふと、脳裏をよぎる青年の面影。しかし、果敢にリシェルはそれを振り払った。立ち止まって考え込んでしまうと勇気が挫ける。今ここで必要なのは嘆く事ではなく行動だった。

リシェルはそっと立ち上がって目星をつけておいた暖炉の前で身を屈める。使い残りの薪さえなく、ひょいと金網を外すと煙突を覗きこんだ。



思った通りだ



小柄なリシェルは労せずして、小さな炉から上を見上げる事が出来る。こう言う下宿屋は、駆けだしの俳優達が住まいにしている事が多く、友人として彼らの部屋を訪れていたリシェルはその造りを良く知っているのだ。煙突は天井や壁の裏で隣室や階下のものと合流していて、上方に四角く切り取られた空が見えた。

リシェルはそこまで確認すると、金網を戻し、もう一度寝台に戻った。煤で汚れた手指を上掛けの裏で拭う。そうしてリシェルは再びぐったりと壁にもたれかかった。

程なく扉が開き、ハラスが顔を出す。

「・・・お疲れの様だな。だが、俺達があんたを非人道的に扱った等と証言されない為にも食事は置いておく。食べたくなったら食うがいい」

「ありがとうございます・・・」

ハラスがテーブルの上に食事を置くのへ弱々しく答え、男が去るとリシェルは直ぐに起き上がった。



多分これでちょっとは時間稼ぎが出来たと思うんだけど。多分あの人は私が食事を終えるまで入って来ないと思うし・・・



逃げるなら今しかない。

もしかしたら夜の闇に紛れて何処かへ連れて行かれるかもしれないのだ。今なら彼等も油断している。

リシェルは華奢なハイヒールを脱いで寝台の下に投げ込む。こんな靴は役に立たないのが分かっていたからだ。しかし、こんな薄いストッキングをはいた素足同然のままでもいけない。リシェルは滑る素材のストッキングを破り捨て、シーツを掴むと端を食いちぎり、一気に引き裂いた。薄い安物だった事が幸いし、更に引き裂くと、ゲートルの様に素足に巻きつける。そして敷布を上手く丸めて上掛けで隠し、人が寝ているように偽装する。こんな物でも多少は目くらましになるかもしれない。

そしてリシェルは立ちあがった。

テーブルには冷たいシチューと、水が置かれている。緊張の所為か、お腹は空いていなかったので皿の方は無視し、横に置かれていたコップから取りあえず水だけ飲んだ。又少し気分がよくなった気がする。それに勇気を得て、思い切って暖炉の下に潜り込み、狭い煙突に向かって身体を伸ばす。金網を元に戻して立ち上がると、腰の辺りまで煙突にすっぽり嵌ってしまった。小柄なリシェルでも両手の肘が曲がるほどの狭さだ。しかし、手足を突っ張ってよじ登るにはそれでいい。



さぁ、海賊リュドミランの冒険よ!



リシェルは最初背中を壁に押しつけて両手を煉瓦に突っ張り、足を持ち上げた。芝居をやっていた頃はキレのいい動きを見せる為、少しは鍛えていたのだが、ここ二カ月ほどは思いがけない運命の展開で余り体を使う事がなかったが、仕方がない。



剣戟練習でちょっとは鍛えたし、自分を信じて頑張るのよ、リシェル!



貴婦人にはあるまじき姿勢で煙突を昇り始める。擦れた煤が狭い空間を舞った。思わず喉に絡んで咳き込んでしまいそうになるのを懸命に堪える。隣室にはおそらくハラスの仲間達がいるだろう。壁越しの音は意外によく響く。まさか一国の女王が煙突をよじ登っているとは想像できないだろうが、物音を立てて様子を見に来られてしまっては一貫の終わりだ。



うう、キツい



天井裏まで登れば隣室の煙突と繋がる為、広さは倍になる筈だった。そこまで行けば、おそらく煙突掃除用の足場が付いているので登るのは楽になるだろう。

火災防止のため、下町の住人はひと冬に一度は煙突掃除を行う。普通は炉の方から近くの煤をこそげ落とし、上部は屋根から下りて煤払い用の大きなブラシでこする訳だから、途中までは足場が付いているのが普通なのだ。リシェルの家では専門業者に頼んでいたから、実際に掃除した経験はないが、子どもの頃は毎年煙突掃除で出る煤を器に入れ、壁に落書きをして遊んだものだった。



ええい、煙いわね。文句を言ってる場合じゃないけど!



ぐいと肘を突っ張る、煤で上等のスーツが台無しになるだろうなとちらりと思った。










「言え!陛下は何処だ!」

アレクシオンは怒りのままに詰め寄った。ガタガタ震える女は尋問に使われる事になった院長室の一角に這いつくばって震えている。

「し、知らない!私はお金をもらって頼まれただけ!相手の男の名も知らないっ!帽子を深く被っていて顔も見なかった。お金を渡されて、成功すればこの倍額をやると言われて・・・」

「誤魔化すと為にならんぞ!俺は女を殴った事はないが、シラを切りとおすようなら容赦はせん!」

「ひいいいいっ!本当ですっ!私の知っているのはそれだけなの!」

「伯爵。おそらくその女の言うとおりだと思います」

激高するアレクシオンの背後からオーガスタが声を掛けるのへ、彼はぎらりと振り返り、火の様な目で睨みつけた。

「連中は綿密に計画を練っていたらしいですから。まぁ、ツキもあったかもしれませんが、ここまでは取りあえず迅速な行動だった」

「・・・っ!」

アレクシオンだとて、そのくらいは分かっている。しかし、今のところこの女が唯一の手掛かりなのだ。焦燥感が募り、何かせずにはいられない。

オーガスタによって既に連絡が行き、侯爵と首相はこの非常事態を知っている。首相は議事堂を離れず、ダーレ当局と交渉に当たる事になるが、侯爵は既にダーレ市警察本部に出発している。この病院でするべき事が終わり次第、アレクシオン達もそこへ駆けつける手はずになっていた。

この時点でリシェルがいなくなってから約30分。アレクシオンやオーガスタの素早い対応によって既に非常線が張られ、ダーレ市内から出ようとする人間や物資は厳しい検問を受けねばならない。

こんな僅かの間に、ダーレ市内から脱出できるとは思えない。如何に綿密な計画を立てていたとしても。

「・・・市長夫人によると陛下は自分から化粧室に入られたそうです。これは予想だが、おそらく陛下が化粧室を使われなくても、何らかの方法で陛下を誘導する手はずになっていた筈です。そうだな、女」

オーガスタの声は静かだったが、聞く者が身震いするほど冷たかった。

「は・・・はい。初めは化粧室の近くで陛下の服に薬を零し、私が洗い流す予定でした」

女はもう観念したらしく、自分から喋り出す。

「私の役目はそこで終わりだと言われました。決して殺人とかではないからと・・・そう言われて引き受けたんです。お金はこれです・・・黒い手袋をしていました」

そう言ってポケットから沢山の札を引き出したが、誰もそんなものに興味を示さない。

「男に何か特徴はなかったか。どんな事でもいい、体格とか、声とか」

「背はそれほど高くなく・・・肩幅が合ったように思います。服装は労働者が着る様な上着とズボンで・・・。後は帽子に眼鏡、手袋・・・そう言えば色が黒かったかも・・・」

「・・・そこまでして肌を隠すとなると、何か特徴的な事があるのかもしれない」

「例えば、黒髪、黒瞳・・・浅黒い肌とか・・・か?」

畳みかけるようにアレクシオンが問う。人種か国が特定されるなら、これから齎されるであろう、要求も予想がつく。そしてその対応にも。今のように、どの組織だか、国だか断定できない現状よりも余程いい。

「断定はできませんが、可能性としてはありますね。報告によると、伯爵の通報があって病院を封鎖した僅かの間に院内から出たものはたった一人。看護服を着た男が、緊急用の出入り口から、汚れたシーツの入った籠を押して出ただけだとか」

「そこにも見張りはいた筈だ。何故黙って通したんだ?」

「一応誰何すいかはしたそうですが、正式な業者の手形をもっていたそうですし、緊急用の出入りは認められていたので、何かの手術の後始末だと思って通したようです。この男も矢張り、業者が着るすっぽり体を覆う衣服を身につけていて、流石に顔は隠してなかったようですが、業務用の帽子をかぶり、色は黒かった・・・らしい」

オーガスタが考え込むように言った。

「警備のプロなら荷物の点検ぐらいはすべきだ。そいつは即刻首にしろ!」

声に苛立ちを募らせてアレクシオンは怒鳴った。

「・・・彼はダーレの護衛要員でした。ですから、陛下の事は顔ぐらいしか知らなかった・・・つまり、陛下があんなにも小柄で、人一人が運べるくらいのシーツの籠に隠されているとは思わなかったのでしょう」

「敵は知っていたのにか!」

ダン!と大きな拳が壁を打つ。女がひいと身を縮こめた。



リシェル・・・無事でいろ・・・!



爪が食い込むまでぎりりと握りこんだ。















突っ込み処はやんわりと~~。
本家サイトにも一つお話を上げました。甘い番外編ですが、本編を知らなくてもニンマリ出来ると思います。
また、みてみんにもイラストを一つ上げました。
http://1370.mitemin.net/i10403/
よければドゾ!

  




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