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一章 王子と犬と魔法使い
04
 小さな魔法使いは、あの森の中にある古城に想いを馳せる。
 昔、城のあった場所がまだ「痲蔓の森」と称されていなかった頃、その場所は木々に守られるようにしてあった、美しい花畑だった。美しい景色と甘い香りに囲まれて、いつも少女は涙を流していた。魔女と呼ばれ、たくさんの人からの冷たい目に晒され、少女の心はいつ壊れてしまってもおかしくはなかった。
 いつからだろう、気弱な少女が、呪いの言葉を吐くようになったのは。それらの言葉は、冷たい(やいば)となり、少女自身に降りかかっていたに違いない。
 泣かないで欲しい、とディルディーエはいつも思っていた。寂しいのなら、いつでも少女の傍にいてあげよう。悲しいのなら、ぎゅっと抱きしめてあげよう。
 そう思ったのに、心を閉ざしてしまった少女にディルディーエは、もう二度と会うことはできなかった。


     *


「これは、なんですか。ディルディーエ」
 アサコは丸い食べ物を指差して言った。給仕に来ていた召使いが、その行動に眉を顰めるのが目の端に映り、ディルディーエは小さなため息を漏らした。
「……王子の気遣いは、正解だったらしいな」
 アサコは無意識に口を尖らせた。
 そんなに無作法なことをしただろうか。目の前に並ぶたくさんの料理は、繊細で良い香りを放っている。そのどれもがアサコにとっては馴染みのない料理ばかりだった。いくら美味しそうだとは思っても、正体不明の料理を食べるのには少し勇気がいるものだ。甘い物と思って口にすれば塩辛い物だったりするので驚いてしまう。
 今部屋にいるのは、アサコとディルディーエと、給仕の女性二人だった。イーヴェは、王様やお后様、そして兄弟たちと食事をしているらしい。本当はアサコもその晩餐に呼ばれるはずだったが、イーヴェがそれはまだ早いと言って、料理を部屋に運ばせてくれたのだ。アサコも、そんな大層な人たちと一緒にご飯を食べるなんて考えるだけでも緊張してしまうから、イーヴェに心底感謝していた。
 フォークやナイフ、パンなどはアサコが知るものと殆ど同じだったからよかったが、小さな熊のような動物の丸焼きが出てきた時には、持っていた食器を思わず落としてしまったのだ。
「ディルディーエは、食べないんですか?」
 アサコはディルディーエの前にある、真っ白な皿を見て言った。ディルディーエは、席についてからなにも口にしていない。
「食べない」
 そう言ったディルディーエは、アサコの目に子供らしく映った。本人がアサコの何倍も生きていると真顔で言っているのだ、アサコはそれをできるだけ信じようとは思っているが、その姿はどう見ても愛らしい少女でしかない。大きな兎や羊が服を着て、二本足で歩き回っているくらいなのだ。そんなとんでもないことも、ありえないことではないだろう。アサコは年上であるというディルディーエに、敬語で喋ることに決めていた。
 対するディルディーエは、アサコに対してだけではないかもしれないが、少し偉そうな口調だった。
「それよりも、喋っていないで静かに食べなさい。ここの人間は、食事の作法にはうるさいからね」
 
 小一時間ほど経った頃、イーヴェが二人のいる部屋に戻ってきた。その頃にはもうとっくに食事を済ませていたアサコは、うとうととして「牛になってしまう」と呟き、ディルディーエに「食事をしたあとにすぐ眠ってしまうのは牛ではなく、赤ん坊だ」と突っ込まれている最中だった。
 イーヴェは長椅子に座って微睡むアサコの頬に口付けると、満面の笑みで、顔を顰めて頬を擦るアサコの腕を引っ張って立たせた。
「----------」
「……イーヴェは、何て言ってるんですか?」
「待たせて悪かったと。今から城の案内をしようと言われているが?」
「待ってなかったですと、伝えてください」
「言っても、倍以上の明るい答えが返ってくると思うが、いいか?」
 アサコはむっと黙り込んだ。
 いつの間にか扉の前にいた召使い二人に灰色の外套を着せられ、イーヴェに手を引かれるまま部屋を出た。ディルディーエはそのあとに続く。
 暖炉で火が焚かれていた部屋とは違い、部屋の一歩外は冷たい夜の空気が流れていた。長く薄暗い廊下には、ぽつぽつと灯りが点されている。造り自体は、歪みの城と似ているようにアサコの目には見えた。高い天井は円形で、灰色の古びた丸石が敷き詰められた床と壁。壁には、順序よく燭台が設置されている。あの城と大きく違ったのは、壁に大きな窓が連なっているところだった。大きな庭を挟んで、少し離れたところに町の灯りが見える。
 その光景は、アサコの心の中に小さな寂しさを生んだ。どうして自分はここにいるのだろう、と思う。まだなにも、肝心なことは分かっていない。家に帰りたいと思わないのが、自分でも不思議だった。当然の様に着ている学校の制服は、この場所ではなんだか異質だ。知らない人に囲まれて、知らない場所にいる。それに対して違和感が余り湧いてこないのは、いまだアサコに現実感がないということだろうか。
 いつの間にかぎゅっと握っていた手に、力強く握り返されて、アサコは前を見た。
「--------」
「寂しいかと、訊かれている」
 変なところで鋭いと、アサコは苦笑した。
「わからないです。けど、こんな薄暗いところからあんな灯りを見たら、誰だって寂しくなるんじゃないのかな」
 アサコがそう言うと、ディルディーエは珍しくきょとんとした後、その言葉を王子にも伝えた。イーヴェも、おそらくアサコが言った言葉を殆どそのまま伝えられたのだろう。ディルディーエと同じ反応をして、アサコを見た。
「---------------」
「……緑の天蓋は温かいところで、この城も勿論例には漏れない、らしい」
 渋々といった感じで言うディルディーエに、アサコは不思議になりながら聞く。
「そういえば、どうしてイーヴェは身分の高い花嫁だと都合が悪いんですか?」
「唐突だな」
「唐突に思い出したからです」
 きっぱりと言うと、ディルディーエは小さく肩を竦めてみせた。
「この城にいれば、それもそのうち分かることだ。私の口から言うつもりはない」
「それが分かる前に、わたしが家に帰るかもしれないじゃないですか」
「その心配はないな」
「どうして」
「家への帰り方をお前は忘れてしまっているだろう。迷子は、帰り方を思い出すまで家には帰れない」
「-------------」
 諭すようにディルディーエが言うと、王子が口を挟むようにしてなにかを言った。
「どうやら、王子の目には私がお前を苛めているように映ったようだ」
 淡々と言ったディルディーエは、また肩をすくめた。
 アサコは、自分が家に帰る方法が今のところないのだということに、焦りや不安を覚えることはなく、その事実に少し驚いた。ディルディーエが言うように、アサコ自身が帰る方法を知っているとして、アサコはその方法を思い出そうという思いさえ湧いてこない。
「変なの」
 呟くと同時に、ほんの一瞬感じた驚きさえ、アサコの中では遠いものに変わっていた。
 庭に着いた時には、アサコは少し疲れていた。もともと体がだるかったからかもしれない。ふらふらとしたアサコをイーヴェは心配げに、花壇の端に座らせた。そこから見える景色は、城の中から見たよりも美しかった。少し遠い町灯りはたくさんの小花の様だ。
 高台にある庭からは、アサコがイーヴェに連れられて通った森も見えた。森は、雲を通して降る緩やかな月明かりに照らされてもなお暗い闇に包まれている。その真ん中にぽっかりと空いた穴のように、あの城のある草原が見えた。城は、月明かりに照らされてぼんやりと輝く草原に黒い影を落としている。
「あのお城に、まだお姫様がいるんですよね」
 言いながらぞっとしたアサコは、小さく身震いをする。
「気になるのか?」
「だって、わたし、どうしてかあのお城にいたんですよ。しかも、多分お姫様と同じ部屋で」
「それは私も王子も不思議に思っていることだ。長い間あの城は痲蔓に覆われて誰も近づけない状態だったんだ。それに、お前は王子が見つけた時、体を台の上にはり付けられていた。まさか自分でやったわけではないだろうね」
 とんでもない、という風にアサコは首を振った。そんな変な趣味は持ち合わせていない。
「王子は、姫がお前を台に磔にしたのではないかと考えられているよ」
 あっさりと言われたその言葉に、アサコは干からびていたというお姫様が、自分の体を台にはり付けている想像をして青ざめた。


 部屋に戻ってから、ディルディーエは自室へ戻ると言い残し、さっさといなくなってしまった。アサコはイーヴェも部屋を出ていくと思っていたから、出ていく様子もないイーヴェに対して眉を顰めた。近くでは召し使いが、アサコに着替えさせる為だろう、白いワンピースのような服を持って待ち構えている。王子がいるにも関わらず服を脱がしてきそうなその様子に、アサコは後ずさる。
 イーヴェは、アサコと召し使いがじりじりと無言で格闘している間に、寝台の向こう側で、平然と女性の召し使いに手伝われながら服を着替えていた。その間に、アサコは急いで自分で制服を脱ぐと、呆気にとられた様子の召し使いの手から引ったくるようにして服をとり、さっとそれを着た。 その素早さと言ったら、本当にあっと言うまのことだったから、アサコのいる場所から寝台を挟んだところで、イーヴェはまだ着替えの最中だった。見られていないことにほっとしたアサコはその優雅な様子に、相手が着替えをしている最中だと忘れて、じっと眺めてしまう。
 手伝う召し使いは、イーヴェと同じ年頃だろう。艶やかな金色の髪を綺麗に結いあげている。顔も相当な美人だ。二人がそうしている様は、絵になる。
 その娘は、イーヴェに上着を着せると釦を止める前に、開けた胸にそっと口付けた。 ぎょっとしたアサコは、その光景から目を離すことができなかった。そうしている間にも、娘は何度もイーヴェの肌に唇を落としながら、少しずつ上へと辿っていく。イーヴェの方は、とくになにをするでもなく静かにそれを受けていたが、娘が背伸びしてイーヴェに口付けようとしたところで、ようやく手でそれを制した。
 呆然とその様子を眺めていたアサコと目が合うと、イーヴェは少し困ったように微笑んだ。





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