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用務員さんは勇者じゃありませんので 作者:棚花尋平

第四章 立ち寄った地で

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95-知らぬは客人ばかり

 龍華国(ロンファ)内陸、白霧山(バイウーシャン)遺跡に直結した街に石造りのひときわ大きな建物があった。
 街の中心部から路地裏に入った先にあるそれは、立地条件の悪さとは裏腹に鮮やかな朱色の門や精緻な緑青色の格子文様が施された窓や扉が目立っていた。そこに裕福そうな者たちがふらりと中に入って行く。
 ここは龍華国北部で指折りの茶館、『湖州茶館』である。所属する芸女たちの待機所であるが、ここで商談をすることもできた。

 奥行きのある一階は商人や芸女たちで騒がしいが、二階は階下の喧騒以外はしんと静まっている。その二階に高価な山水画や骨董品、ミド大陸からの輸入品なども並べられた一室があった。
 そこに、二人の男がいた。
 一人はこの茶館の主である林清(リンチン)。腰の低そうな中年男性であるが、林清が直接芸女を差配するわけではない。芸女を直接管理するのは『豆婆』と呼ばれる元芸女で、火にかけた乾燥豆が爆発するよりも激しく芸女を叱咤し、仕事をさせる。茶館の主は芸女を相手にするよりも、芸女を呼ぶような社会的に地位の高い者を相手にすることが多く、比較的腰の低い者が多かった。
 もう一人は林清の後ろ盾である王伯(ワンブゥ)といって、でっぷりとした体つきに不似合いな鋭い目つきは、ぎらぎらとした野心と貪欲さを隠そうともしていなかった。
 王伯はかつて痛み止め、麻酔薬として合法であった『酔仙薬』をミド大陸との貿易開始直後に買いつけ、それを売り捌いて得た資金元手に一気に成り上がった豪商である。今では役人から中小商人まで多大な影響力を誇っていた。

「――あの芸女はどうなった」
 王伯の威圧するような声に林清は心臓を鷲掴みにされたような錯覚を覚えながら答える。
「わ、王伯様のお力添えで周辺の金貸しや商人の多くは手を引きました。先日の遺跡もつつがなく。期限内に返済は無理かと存じます」
「目障りな閻の爺もことが金の問題では手も足もでまい」
「……一つだけ噂があります。耶律(イェリュ)が閻を介し、大星という若い弟子に何か依頼をしたと。……そ、その大星という者は辺境を回る商人なのですが、王伯様の警告を無視して美児に力添えをしているようです」
「……耶律に、身の程知らずの若造か」
 王伯が吐き捨てるように呟いた。
 耶律巫賢(イェリュウーシェン)。変人で偏屈として名高い商人で、王伯に屈しないだけの後ろ盾があるようで、王伯の制御が利かない人物の一人であった。ただ安易に戦いを仕掛けてくるような短絡的な人物でもない。行動原理のよく分からない、面倒な人物であり、ある意味では無害な人物でもあるといえた。

「……耶律は放っておく。――だが、若造のほうは始末してしまえ」
 美児の近くに男がいるというのが気に入らなかった。
 一代で財を築き上げた王伯にとって、金でどうとでもなる娼女や芸女などはもう飽きてしまった。
 どんなに褒めようとも、贈り物をしようとも、決して身体を売らない、山野に咲き誇る気高い百合を手折る瞬間こそが愉悦なのである。


 嫉妬に染まった恐ろしげな顔を、俯き加減の林清がちらとのぞき見る。
 壊さないでくれればいいのだが。そんな思いとともに頭の中では金勘定しかなかった。
 借金のカタに手に入れた美児を王伯に引き渡す。王伯は一度手折ってしまえば興味を失くし、茶館に払い下げてくれるはずだ。
 そうすれば龍華国北部、いや龍華国でも指折りの芸女である美児を、そしてあわよくばその弟子である宵児(シァォニ)も手に入れることができる。
 黒天千尾狐を見世物として、宵児と美児を売りだせば茶館としての名声も儲けも今までの比ではなかった。

「そ、それと、もう一つ」
「……なんだ」
「どうもその男の近くに、黒天千尾狐と同程度の妖獣を従えた外国人の男がいるらしく、よく美児を呼んでるようです」
「馬鹿馬鹿しい。そんな話を信じているのか」
「しかし、宵児共々何度も呼んでいます。あの気難しい黒天千尾狐を抑えているとしか考えられません」
 王伯は心配し過ぎる林清を鬱陶しく思いながらも、林清の言葉を吟味する。万が一、ということもある。

「……仮にそんな妖獣が存在したとして、何か問題があるか? しょせん、ただの客に過ぎん。借金を返済してこないのだから、その客にもそんな財力はないのだ」
 美児たちに対し、暴力といった直接的な手段をとっていないのは大星と閻老師の存在もあったが、それよりも人の世の理の外にある黒天千尾狐を警戒してのことだった。
 仮に黒天千尾狐が暴走して王伯たちを襲えば、万が一がある。
 もちろんそんなことができるのは一度きり。今のところは危険性がないとして都政使から黙認されているが、そんなことをすれば黒天千尾狐に討伐命令がかかるのは必定である。
 万が一を考えて黒天千尾狐を暴走させないように、面倒だが美児の父親に借金を負わせたのだ。もちろん腕利きの護衛は十分に雇っている。一度の襲撃さえ凌げば、あとは丸裸だ。どちらに転んでもいいようにしてはいるが、わざわざ危ない橋を渡る気はなかった。

「……それは、確かに」
「いけすかない外国人が通ぶって、芸女の尻を眺めているだけだ」
 決して触れられぬゆえに、芸を楽しむことが高尚だと思い込むことで満足した気になっている。
 だが王伯には触れて、手折るだけの力がある。侠帯芸女の意地、生意気な女の鼻っ柱などへし折ってやれるだけの力が。
「邪魔なら適当に金で引き抜け。奴等は金を与えればなんでもする。きかんようなら、少し脅してやれ」
「……分かりました。それと、居留地側が美児の弟子に慰労会への出席を求めたようですが、どうにかなりませんか?」
 外国人居留地は商船が来なければ基本的に暇である。それこそ退屈過ぎて、墓場と言われるほどに。ゆえにそれをどうに解消するため、定期的に各国の商館長や職員が集まる慰労会が開催されていた。
 そこに呼ばれることは芸女に、いや茶館にとって一種のステイタスであった。
 いつもは主要な茶館に声がかかり、茶館同士で相談し合って腕利きの芸女を派遣していた。
 茶館に所属していない芸女が慰労会に招かれるなど、名のある茶館にとっては沽券にかかわる事態であった。

「あれはどうにもならん。どこで聞いたか黒天千尾狐を連れた芸女を指名しておる。なに、分を弁えているなら、いつものように芸女のほうから断ってくるだろうよ」
 どこにも所属しない芸女とはいえ、名のある茶館を全て敵に回せば街に居辛くなるのは分かり切っている。茶館に所属しない芸女の多くは慰労会に招待されても辞退することがほとんどであった。
「ですが、宵児は侠帯芸女として名高い美児の弟子です。どうにも不安で」
「……適当に噂を流してやれ。あれの素性は知っているはずだ」
「おお、なるほど。そう致します」
 王伯は鬱陶しげに答えると立ち上がり、部屋を出て行った。





「――やります」
 居留地で開催される慰労会での演奏はいつも美児が断っていた。
 だが、これから宵児は独り立ちして生きていかねばならない。美児に万が一があったときは、独りで生きていかねばならなかった。
 多少なりとも客あしらいを覚えてきた。居留地の客層もそれほど悪いものではない。
 懸念としては大きな茶館に目をつけられることだが、すでに美児の件で目はつけられている。ある意味でどさくさまぎれではあるが名を売るいい機会でもあった。
 だがそんな状況を美児が説明する前に、宵児は即答した。

 外国人に反感を持つ宵児は受けないと考えていたが、返ってきた予想外の答えに美児は少し驚いていた。
「――やらせてください」
 宵児は自分に言い聞かせるように、もう一度言い直した。
 美児に甘えていた自覚はある。これまでも直す機会はあったが、他愛のない過去に拘って直そうとしなかった。ずっと美児と一緒にいればいいと思っていた
 だが美児の借金が判明した。
 無力な自分に、直そうと思っても客あしらいすらも出来ない自分に苛立った。
 それに、もし黒陽に連中を襲わせることができたら、全て終わっていたかもしれない。
 だが、できなかった。
 黒陽との付き合いは長い。
 父と母が死んだあとは各地を流されていたが、おそらく黒陽がいなければ死んでいた。黒陽も小さかったが、冷たい雪の中で黒陽の温かさがなければ凍死していただろう。二人でどうにか捕まえた小さなネズミを焼くことすらできなかったはずだ。
 美児にも恩がある。
 もし美児が拾ってくれなければ娼女にさせられたか、それとも山野で獣のように暮らし、いつか黒陽に討伐がかけられて野たれ死んでいた。美児の温かさは父母の死以降、人を信じられなかった宵児に人の世で生きることを思い出させてくれた。
 黒陽と美児。
 どちらも捨てられなかった。
 そんな己が、あの連中の次に苛立たしかった。

 そう、なによりも、あの連中が憎らしかった。
 半ば縁の切れていた美児の父親に借金をさせて、払えないなら借金のカタに美児をよこせと言ってきたのが、今年に入ってからのことだった。そのときにはもう証文の期日は迫っていた。
 寝耳に水とはこのことであったが、証文が本物である以上は借金を返す以外に抗う術はなく、しかし蹄金千枚など払えるわけもない。
 今まで呼んでくれた者たちも連中に目をつけられるのを恐れて近寄らず、侠気のある者はそれでも呼んでくれているが、本業の方に影響が出始めているという。

 慰労会での演奏に同意したのは、そんな連中への報復であった。
 そして、なんの心配もいらない。自分はもう独り立ちできるのだと、美児に示したかった。
 だけど、万が一、美児に何かあれば。
 黒陽に奴等を殺してもらって、一緒に逃げよう。
 宵児はそんな覚悟を胸に、慰労会への出席を受けたのだった。





 嫌な客としての仕事の前に、いつもの夜店で蔵人は大星と話しあっていた。
 最近は蔵人が行くと、いやアズロナが行くと夜店の老人が開店前にも関わらず店を開けてくれる。というより、近くを通りかかったら引きずり込まれたというのが真実であった。
 アズロナが老人と戯れているのを遠目にしながら、蔵人と大星は粗末な長机を挟んで向かい合う。
「――おれはしばらくここを離れるが、仕事のほうはよろしく頼むよ」
 大星はこれからすぐに岩奇街を出て、龍華国内陸での仕事に向かうという。
「約束だからな。まあ、宵児と黒陽が客あしらいを覚えるかどうかまでは俺の仕事の範疇にないから保障はできんが」
「それは美児の仕事さ。……もしかしたら蔵人がこの国を出るまでに帰ってこれないかもしれない。先に報酬は渡しておく」

 大星は持っていた小包を長机に置き、蔵人に差し出した。
 中身は固形の墨に丈夫な紙巻が三本、そして数本の筆があった。
 これは嫌な客としての正当な報酬である。嫌な客として仕事をする間の飲食は大星持ちであるし、労力を考えれば妥当なところであろうと蔵人は思っている。
 だがさらに、手の平大の懐中時計もあった。
 暦は大陸ごとに違うが、時計は龍華国でも遺跡から産出しているため形式は同じであった。数字などは書いておらず、長針と短針、秒針とただの目盛りだけがあるシンプルなものであった。
「この時計は?」
「いろいろと面倒をかけたからな、そのお詫びだ。まあ、墨や紙、筆なんかおれには分からないから師父に色々と教えてもらって、譲ってもらったもんだ。それに懐中時計は掘り出しものを知り合いに直してもらった。品は良いものだと自負するが、あまり金はかかってなくてな、すまん」
 大星は報酬を相談したときに、一度は懐中時計が候補として挙がったのを覚えていたらしい。
「……いや、良い物だ」
 おそらく蔵人が日本にいた頃ですら使ったことのないほどの逸品である。懐中時計にしても遺跡に潜っている間は必要であった。
 蔵人は生き生きとした目で報酬を手に取り、ためつすがめつ眺め始めた。


「――やっほ、この間ぶり」
 そこに玉英(ユーイン)が、大星を迎えに来た。
 玉英は筆や墨に夢中になっている蔵人の返答など聞くこともなく、すぐに老店主と戯れているアズロナの元へ向かうと、さらに雪白を強引に引っ張り込んで戯れ始めた。
 喜ぶアズロナとどこか迷惑そうな雪白に抱きつきながら、ちらりと大星と蔵人を見る玉英。
 実は迎えに来る直前、玉英は物陰から二人をこっそりと覗いていた。

 大星と蔵人が長机を挟んで話し合っていた。報酬が差し出されると、蔵人が筆や墨に見とれ、それを見て大星が苦笑していた。
 なんてことのない光景であるが、大星と付き合いの長い玉英にはなんとも見慣れない光景に見えた。何がと考えても、よく分からない。
 辺境を回る貧乏商人とはいえ、大星は顔が広い。朋友と呼べる者も何人かいる。
 会えば、笑いあい、呑み合う。騒々しいが、とても楽しげであった。大星のいるところは、いつもそうだった。いろんな笑い顔に溢れていた。

 だけど大星と蔵人の関係は、何か違う。
 まるで波一つない湖面に小舟を浮かべ、並んで釣りをしているような、そんな雰囲気。だが決して、居心地が悪そうではない。むしろ長く朋友として生き、老いてなおその関係が続いているかのような。
 よく考えれば大星が蔵人に会ってから二十日も経っておらず、蔵人は外国人ですらあった。玉英としては首を傾げざるを得なかった。
 子供の頃、流民として白霧山遺跡近くの街に流れ着き、そこで同じ流民の大星と出会って今に至るが、こんな大星は初めて見た。
 なんでもないような関係だが、どこかで、何かが通じ合っているような。
「……ん~、まあいいか。アズちゃんと雪ちゃん連れてきてくれたし」
 いくら考えても分からないが、そういうものなのだと玉英は納得した。

 玉英は鬱陶しげに尻尾で顔面を叩いてくる雪白をアズロナと一緒にもう一度抱きしめてから、立ち上がった。
 それを見て、大星も腰を上げる。

「――じゃあ、行ってくる。何かあれば師父を頼ってくれ。美児たちに万が一がないように岩奇街にいる」
「またね」
「お、おう」
 報酬を眺めていた蔵人が慌てて立ち上がった。
 大星は探索者らしくない蔵人に苦笑しながらも、この風変わりな探索者が嫌いではなかった。短い間のことだったが、むしろ気が合うような気すらしていた。
 だからこそ、危険な仕事に行くということを微塵も匂わせず、背を向けた。
 蔵人に借金のことを知らせる気はない。
 美児に蹄金千枚の借金があるなどと言われても困るだけだろう。そもそも一介の探索者が蹄金千枚など持っているわけもなく、仮に持っていたとしても龍華人に貸すはずもない。もし美児が借金を踏み倒して龍華の内陸に逃げてしまえば、蔵人には追う術がないのだから。
 蔵人はいずれサウランへ行く。
 こちらの事情に巻き込むわけにはいかない。
 蔵人たちの視線を背中に感じながら、大星は門へと向かった。


 大星が岩奇街を出るべく門へ向かっていたときのことである。
「――おう、水臭ぇじゃねえか。金はねえが、身体は張れるぜ」
 高震が、門の近くで待っていた。
 酒好きで短気、本人も自認しているように考えることは苦手であるが、恩は忘れず、情にも厚い。
 蛇矛を振るい、猪系獣人種の血に従うかのように、猪突猛進に戦う。その天性の怪力たるや凄まじく、裸拳の一撃は岩塊の如き閻老師に膝をつかせて認められたほどであった。
「……貸しだからな」
 口癖のように貸し借りを言う素直じゃない龍華人の男、劉進(リィウジン)。その弓の腕は一級品で、初対面のときは一度に三本の矢を玉英の風神圏に当て、尽く打ち落とした。
 二人とも大星とよく呑んでいた酔っ払いたちであるが付き合いは長く、信頼できる朋友である。
「――助かる」
 武芸者としての(情報網)を持つ二人は、危険な仕事になると知っている。
 だから、大星があえてそれを言う必要もない。言えば、怒り狂うだけである。
「さあ、行こうか」
 大星たちは門を抜けていった。


 


 大星が去ってしばらくして、蔵人の元に美児が直接迎えに来た。
 今日はある店に宿泊して欲しいという。東南大陸は広く、移動の関係で泊まりがけの仕事になることも多いのだとか。
 蔵人は遺跡にいつもの倍は潜っていた。極端に重い疲労は感じないが、以前のような失敗をしないためにも二、三日は休むつもりであり、別段問題はなかった。

 美児に案内されたのは、岩奇街の上部にある高級な区画である。以前、大星に案内された高級店も同じ区画にある。
 ここは少し前まである商人の別宅だったが、今は空き家として貸し出しており、それを閻老師の伝手で貸してもらったとか。

 蔵人が部屋に足を踏み入れると、いつもとは違う宵児と黒陽がいた。少しだけ美児の佇まいにも似て、どこか初々しい緊張が見て取れた。
 蔵人はいつものように横柄な態度でどっかと椅子に座る。
 開戦である。
 曲が流れ、挨拶があった。
 そして、いつもと違っていたのは、宵児が舞を披露したことであった。
 美児の奏でる音曲に合わせ、宵児が舞い、黒陽が霞のような幻で果てなき草原を表現しながら、共に踊る。
 身体に密着したモンゴル風民族衣装の裾に深い切れ目があり、そこから生白い足が覗いていた。切れ目は自由に開いたり、閉じたりできるようである。違法寸前であるが、踊るための工夫であった。
 舞いは素朴であった。
 だが宵児が舞うたびに切り揃えられた黒髪がたなびき、擦り合う弦の音が切なく響くと、黒陽の幻もあってありありと情景が目に浮かんだ。

 山肌の草原を、冷たい風が吹いていた。
 羊飼いの娘はそこに佇んだまま、夕暮れになっても帰らない。
 風の冷たさにあかぎれた手が痛んでも、薄っぺらな擦り切れた布の服がどんなに寒くても。
 帰れば主人の理不尽な仕置きが待っているから。

 そんな意味合いの舞曲である。
 実のところ、この歌はある物語の一部から作られており、続きがあった。
 理不尽な仕置きに耐えかねた娘が、主人に反抗し、可愛がられた羊がそれに従い共に主人を殺してしまう。そして羊飼いの娘は羊とともに山深くへと消えていった、と。
 蔵人が美児を借金で苦しめる連中の一人だと宵児は思っており、警告のつもりで舞った。抵抗のつもりで踊っていた。

 が、蔵人は美児を借金で苦しめる連中でもなければ、ましてやこの国の人間ですらない。
 意味など分からず、いつものようにジッと宵児や美児を眺めているだけであった。
 舞が終わり、宵児が酌につく。
 宵児はあの曲を聞いても顔色すら変えない蔵人を前に、内心では三回ほど蔵人を滅多刺しにしながらも、そのイヤらしい視線に、手を撫でまわすゴツゴツとした指に、無神経な言葉に耐えた。
 連中の関係者であるが、今は客人である。
 美児にも独り立ちできることを証明しなくてはならない。
 ゆえに、宵児も黒陽も耐えきった。

 その様子を見て、美児も少しだけ安堵していた。まだまだであるが、どうにかなりそうだと。借金は業腹だが、そのお陰で蔵人と出会い、宵児の客あしらいが身に付き始めたと思えば、多少なりとも慰めにはなった。



 宴を終え、寝起きのための一室に通された蔵人だったが、今はバルコニーのようになっている部屋にいた。むろん、龍華側に飛び降りることができないように格子文様の窓枠が嵌められているが、それがなければ屋外にいるようにも感じられる場所であった。
 しかし、夜である。
 外は何も見えず、蔵人が浮かべた光だけがぽっかりと浮いていた。
 そこにいるのは蔵人と三頭の魔獣である。
 雪白とアズロナは当然のことであるが、監視でもするかのように黒陽が距離をあけて横たわり、蔵人を睨みつけている。宵児が別の場所で湯浴みをしており、蔵人が覗かないように見張っていたのだ。
 もちろんそんなことを蔵人が知るはずもなく、首を捻りながらも横たわる雪白の傍に座り込む。その手には、巨人の手袋とは別の手袋をつけていた。

「――そろそろトラウマを克服した方がいいだろう?」

 突然蔵人にそう言われ、雪白は不服そうな顔をする。
 トラウマというほどではない。
 ただ、雷を見るとちょっとだけ怒りっぽくなるだけである。雷撃に打たれた母親の最期や勇者とかいう群れにいた蔵人を襲ったメス。雷にはあまりいい思い出がないのだから仕方がない。
 だが、である。
 雪白はちらりとこちらを警戒している黒陽を盗み見る。
 『相棒を諭し導こうともせず』とは雪白が黒陽に言い放った言葉であり、それは雪白自身にも当てはまることで、つまりここで蔵人の言い分を蹴れば、雪白自身も相棒の言葉に耳を貸さない愚か者だということになってしまう。
 それは黒陽の手前、よろしくない。
 トラウマなどはなく、非常に不服ではあるが、ここは蔵人の提案を呑まねばならない。あの腹黒狐にそれ見たことか、などと言われた日にはハラワタが煮えくりかえることになる。

 ――…………がう

 雪白は不承不承、了承した。
 せっかくのブラシタイムだというのになぜこんなことをせねばならないのか。そんな思いもあるのか、雪白は非常に不機嫌であった。
「まあ、俺の訓練も兼ねてるから、勘弁してくれ」
 そう言われれば、付き合ってやるしかないではないか。
 アズロナも近くでじっとこちらを見つめている。逃げるわけにはいかなかった。
 そして、蔵人が雪白の背を『揉んだ』。

 ――ビクンッ!

 雪白は斑点のある白毛を逆立て、尻尾を膨らます。
 背に痺れとちりっとした痛みが走った瞬間、筋肉が勝手に蠢いた。
「どこか傷になったか? これでも随分練習したんだが」
 身体に損傷はない。
 雪白は平静を装いながらツンと澄ました顔で勝手にしろと示した。
 蔵人の手元が再び、パチリっと音を立てる。
 一度目は驚きから勝手に身体が動いたように感じたが、動いているのはごく一部でどちらかといえばちりちりとした微かな痛みのほうが気になるくらいである。
 が、別に大したことはない。これがいったいなんだと言うのか。
 雪白はふんと鼻を鳴らした。

 蔵人が行ったのは電気療法の低周波治療、いわゆる電気マッサージである。
 治療としての目的は骨折した骨の治癒促進や、患部の血流を促進して血行改善による捻挫や肉離れの治癒である。
 蔵人も普通の高校生であったことから部活で捻挫したことくらいはある。そのときに行った整骨院で電気を流されたことがあった。

 蔵人の雷精魔法は極端に弱い。
 理由は簡単で日常的に使うことがないからである。土や氷、闇は言わずもがなで、火と水は料理や暖房に、光は明かりに、風は索敵や魔銃、ブーメランの軌道操作で使う。しかし親和性の低さもあって、雷を使用することはほとんどなく、魔獣を倒せるかどうかすら怪しかった。
 そこで蔵人は、遺跡で痺岩蛸を見たときに閃き、剥いだ皮を見て確信した。
 皮を綺麗に剥ぎ、足の部分に指を通して手袋のようにし、残りの足は手首で縛った。ちくちくとなにやら縫っていたのはこの手袋を作っていたためである。

 そうして出来た痺岩蛸の手袋を試すと案の定、弱い電撃程度ならば帯電し、なおかつ手には電気が流れなかった。
 とはいえ電撃は手袋をつけていない部分を伝ってくる。
 それをどうにかするのが、蔵人の訓練だった。
 両手につけた手袋を雷精魔法で帯電させ、それを筋肉に流し、腕に伝ってくる雷撃は雷精魔法で手袋に戻して雷撃を循環させる。
 雷撃を補充する分を加えると都合八つ、雷精魔法を同時行使することになるが、蔵人には造作もないことであった。無駄に高度な使い方である。こんな使い方をする者などこの世界にはいなかった。

 そうして帯電した手で雪白の背を揉み、雷撃を流すが、反応が芳しくない。
 苦痛ではないらしいが、それがなんだという顔をしている。
 これはちょっとよろしくない。気持ちよくなければ、トラウマの解消にならない。
 蔵人は少し考えてから、持ってきていた『三種のブラシ』を取り出した。緑鬣飛竜の鬣、朧黒馬の尾と鬣で作られた雪白お気に入りのブラシである。ちなみにアズロナは体表に硬い鱗があるせいか、ゴム質の木の細い枝を束ねて作ったブラシでキュッキュッと洗われるのがお気に入りであった。

 蔵人は左手にブラシを持ち、右手を帯電させる。そして帯電させた右手で雪白の身体を強く撫でるように滑らせ、それを追うようにブラシをかけた。

 雪白の背が、断続的に痙攣する。
 雷撃による刺激か、それともブラシの効力か、雪白には分からなかった。
 ほんの僅かな痛みと筋肉の蠢動のあとに、ブラシがするりと毛を梳いていく。
 なんのことはない雷撃が、後からくるブラシの感触をより際立たせた。
 これは、ダメだ。
 色々とダメになる。
 雪白はそう思って蔵人に抗議しようとするが、身体はいうことをきかず、三種のブラシにいいようにされてしまった。


 雪白は喉から悔しげな唸りを上げながら、くたぁと地面に伸びていた。尻尾も力なく地面に横たわっている。雷撃へのトラウマなど、すっかり忘れていた。
「いいみたいだな。これからはこれでいこうか。雪白はトラウマを解消できる、俺は雷精魔法の訓練が出来る。いいことずくめだ」
 抗議しようにも尻尾すら動かず、雪白は唸ることしかできなかった。
 なんで寝てるの? とアズロナがそのくりっとした目で雪白を覗き込むが、雪白としては見ないで欲しいという思いであった。

 そこに、不愉快な視線が向けられる。
 黒陽である。
 情けないとでも言いたげに、馬鹿にしたような視線を雪白に向けていた。
――ぐるぅ
――くぇん
 どんなやりとりがあったのか、雪白と黒陽が二、三の唸り合ったあと、黒陽は非常に嫌そうな顔で蔵人の横に寝そべった。
「……やれってことでいいのか?」
 三種のブラシを黒陽に使っていいのかという蔵人の問いに、雪白は若干嫌そうな顔をするが、頷く。
 ようするに雪白がおまえもやってみろと黒陽を挑発し、黒陽がいいでしょうと受けたらしい。

 蔵人は首を傾げながらも、言う通りにする。
 黒陽は雪白ほどいいブラシを使っていないのか、日ごろの水浴び習慣がないのか雪白よりも獣臭があり、毛並みにも少し汚れが見える。
 蔵人はまず、一番柔らかい朧黒馬の鬣ブラシで毛の表面を撫でた。ついでに静電気でゴミも吸着していく。
 それから、雪白にやったように帯電手袋とブラシを同時に使った。
 感触は絹のようで、雪白よりも若干硬いが非常に滑らかである。強いて言えばアズロナの鬣に近いだろうか。そんな感触を楽しみながら、蔵人は黒陽の毛を梳いていった。

 滑らかなブラシがくすぐったい。
 最初の雷撃にも驚いた。だが、それだけだ。
 こんなものに、あんなざまを晒したのかと黒陽は雪白を軽蔑した。
 そんな風に思ったときである。
 黒陽の背筋に微かな、気持ち良いともいえる痛みと全身の力が抜けるような感触が走った。
 これかっ。
 気をしっかり持て、屈しない。決して、屈しない。
 そう思いながらも、次のブラシを待っている自分がいて、黒陽はそれが気に入らなかった。気に入らなかったが、動けそうもなかった。


 十数分後、黒陽はあられもない姿を晒していた。
 力なく腹ばいになって横たわり、二本の尻尾はだらしなく地面に伸びきっていた。しかしその毛艶は、見違えるほどに美しくなっていた。
 それを見て、ほれみろと鼻で笑う雪白。
 くっ、殺せ、と悪態をつかんばかりの黒陽。
 そこにアズロナが大丈夫? と黒陽を覗き込んだ。
 黒陽はふんっと鼻を鳴らしてそっぽを向くも、さすがにおとなげないと思い、どうにか動く鼻先でアズロナをくすぐってやった。
 するとアズロナは喜び、体をくねらせる。
 黒陽もアズロナの無邪気さに毒気を抜かれたのか、ふっと表情を緩めた。蔵人と雪白は気に入らないが、仔竜に罪はないのだから。


「――いい機会ですから、洗ってしまいましょう」
 実はこっそりと覗いていた美児が、何気ない様子で現れて言い放った。
 黒陽はぎょっとする。
 逃げようとするも、足腰がきかない。いや、それでも――。
 黒陽がすっくと立ち上がる。だが、足はぷるぷると震えていた。
「……今の内に洗ってしまいたかったのですが」
「風呂嫌いなのか」
 狐は風呂嫌いだったかなと思いながら蔵人が尋ねた。
 美児が困った様子で柳眉を寄せ、悩ましそうな声で言う。
「ええ。身体を軽く拭くくらいしか……」
「……どうにかしてみようか」
 困っているなら、という程度の気持であったが、下心がなかったとも言えない。もっとも、蔵人は何か要求する気もなかったが。
「ええ、出来れば」
 美児の頼みを受け、蔵人が視線を向けると、黒陽は警戒心剥きだしで威嚇する。
「――雪白、がっちり抑えておいてくれ」
 真剣な響きを持った蔵人の言葉に、ブラシの余韻に浸っていた雪白は咄嗟に従った。
 がっちりと抑え込まれる黒陽。
 裏切り者っとでも叫びださんばかりに暴れる黒陽だが身体に力が入らない。今回は、僅かばかり体力の回復していた雪白に軍配が上がる。そして――。

 丸洗いされた。

 蔵人は黒陽を雪白ごと水球に包み、その中で水流を起こして洗浄する。
 水球は次第に火精魔法で温められ、ぬるま湯となり、蔵人がそこに石鹸を投入した。
 もみくちゃにされる二匹。脱出しようにも身体に力が入らなかった。
 蔵人はしばらくして水球から不純物を抜きつつ、水を補給し、二匹を濯ぐ。
 数分で、丸洗い洗浄は終わる。
「こんなもんだろ」
「助かります」
 どこか誇らしげな蔵人に美児が礼を言った。

 水球が解除され、ずぶ濡れの黒陽と雪白が姿を見せた。
 水を滴らせながら、剣呑な二対の目が蔵人を睨みつける。
「あっ……」
 丸洗い洗浄は雪白が幼い頃に悪戯心を起こした蔵人が発案、実行したものである。が、蔵人は結末を忘れていた。
 ようやく結末を思い出したが時すでに遅く、蔵人は三本の尻尾でこっぴどくぶたれ、踏みつぶされ、噛みつかれた。

 燃やされなかっただけ有り難いと思え、とでも言わんばかりに一瞥をくれてから黒陽は宵児の元に向かい、雪白は今度やったら氷漬けにしてやると言わんばかりの視線を蔵人に向けた。

 蔵人は、ぼろ雑巾のように横たわっていた。
 美児が慌てて介抱する。
 だが蔵人はぼろ雑巾のように成りはてながらも自力で治癒魔法を発動していた。
 みるみる内に傷が治っていくさまに美児は驚く。
 そしてしばらく考えてから、言った。

「――わっちに、魔法を教えていただけませんか?」

 それを聞いて、蔵人はのそりと身体を起こした。
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