42-下山
ヤコフ・セルゲリー・マイゼール。
ハンター協会サレハド支部、支部長。ヤコフ氏は権力の濫用、服務規程違反をオーフィア氏に問われ、拘束されていたが、怪物の襲撃による混乱の最中に逃走を試みるも、怪物に五体を食われ、バラバラの死体と成り果てていたところを、職員に発見される。
ザウル・ドミトール・ブラゴイ。
怪物の襲撃の直前まで、支部長であるヤコフ氏とともにサレハド支部にいたが、強制依頼を受けることなく、姿を消す。ザウル氏の行為が強制依頼の前か後かは現在調査中である。
イヴァン・ミナエフ。
ヤコフ・セルゲリー・マイゼールの庶子。職員としての立場のほか、血縁関係上も逆らえる立場にはなかったが、積極的にヤコフ氏の行動を補助していた疑いがあり、オーフィア氏に問われた場面でもヤコフ氏をかばう言動を行っている。現在は怪物の襲撃の事後処理として、監視つきではあるが暫定的に職員の任についている。
サレハド支部職員。
支部長であり、村の有力者であるヤコフ氏の命令を立場上、拒否できなかったという心情は理解できるがのぞましいことではない。これからの協会運営において、協会職員としての意識向上を望む。
オーフィアが上げられた報告書を読みながら、本部と神殿に提出する書類を作成していた。
眉間に指を当てて、かすむ目を天井に向ける。
怪物を殲滅してから二日経ったが、怪物の襲撃による混乱は今も続いていた。
破壊された土壁や堀、家の修復。
怪物の進行により破壊された森の監視。
死亡した人間の葬儀や連絡。
村は怪物の引き起こした悲劇に浸る暇もなく、慌ただしかった。
それでも夜になると、どこからかすすり泣きや子どもの泣き声が聞こえていた。
パパはどこ?帰ってくるって約束したよね。
そんな幼声も村を歩けば聞こえてきた。
オーフィアはそんな幼子の声に、果たせなかった自らの誓約を思い出す。
苦い思いが、よみがえる。
緊急時とはいえ守れなかった約束
そして、その相手の、真実を。
怪物の襲撃の翌朝。
朝靄の中を歩いている蔵人を見かけ、声をかけた。
「おはようございます」
「おはよう」
二人は並んで斜面を歩く。
「ああ、これ」
蔵人がオーフィアに深緑の環を渡してくる。
「これは……?」
「俺のことはもうだいたい予想がついてるだろ?そんな正体を隠していた奴に、身分保障なんか普通はできないだろ」
勇者であるハヤト・イチハラとの確執。
洞窟に一緒に入って行っただけだが、それは一目で見て取れた。
オーフィアはあえて聞かなかったが、山に籠っていた彼がおよそ二年前に召喚されたハヤト・イチハラといつ、どのような関わりをもったのか。
ハヤト・イチハラがドラゴン型の怪物を討伐したのが一年前であり、それ以前は召喚された学園周辺から出ていなかったことを考えると、彼とハヤトが関わる機会があったのは討伐以後の一年弱ということになる。
だがアカリやマクシームが一〇〇日前に接触していたことと、ハヤト・イチハラの行動範囲、彼がアレルドゥリア山脈にいたことを考えると、それは時間的に無理が生じてくる。
もしくは密かに学園周辺で接触があったのかもしれないが、ハヤト・イチハラは良くも悪くも、いつも周囲に人がいたことを考えるとそれはやはりない。
とすると、どこで出会ったのか。
彼は山に籠り、隠者のような生活を求めていながらも、勇者であるアカリを匿ったりしている。よくよく比べれば、アカリと彼、そしてハヤト・イチハラの顔立ちは同じ種のようにも見える。
つまり彼は以前から、アカリと知り合いだったのではないか。そう仮定するとつじつまがあう。
そうすると、彼が、召喚『以前』から召喚者である勇者たちと交流をもっていたということだ。
そしてハヤト・イチハラと彼は以前から確執があり、ここにきてそれが再燃したと考えれば、ストーリーとしては穴はない。
確かにそういう推測は立てた。
だが、それはあくまで推測で、証拠も、確証も、証明する手段もない。
「いえ、それは持っていてください。私が誓約を破ってしまったのもまた事実です、返してもらうことはできません」
「いいのか、こんな得体のしれない奴の保障なんてして」
「少なくても、怪物の襲撃から逃げずに、女たちと一緒に戦ってくださいました。逃げることが出来たにも関わらず、です」
「女たちに悪用するかもしれないぞ」
「ふふ、貴方ならそのまま保護してしまいそうですね」
「雪白を襲わせるかもしれない」
「雪白さんはそんなつまらないことしませんよ」
蔵人はなんともいえない顔をする。
「短い間ですが、貴方は自ら進んで罪を犯すような人間ではないと、信じることにしました」
「信じるって、そりゃまた」
「……貴方は月の女神に似ています。だから信じるんです」
「……なんだ、突然」
「巨豹を従える……ていうところしか似てませんけども」
「意味がわからん」
「ふふ。月の女神の近くには弓、短剣、魔導書、巨狼、巨豹、巨梟、マント、革のブーツ、銀の匙、そして矢があったといわれています。夜天に輝く色月を女神になぞらえ、そこから近い順に星が名づけられました。ハンターの星もそれに由来しています」
オーフィアは楽しげに語る。まるで夢見る乙女のように。
「美しい女神でしたが、頑固で、偏屈で、狭量で、気まぐれで、心を許した魔獣と保護すべき女以外を拒みました。他の男神の求婚も、他の女神の誘いも断り、ただただ孤高でありつづけました。それでも無情であったわけではなく、目についた者は無条件で助けました。もちろんその後に何か自身に邪なことをしようものなら、苛烈な、苛烈すぎる罰を下していましたが」
「随分と人間関係に難のある女神だな……神話だろ?」
「遥か古代に、神は実在した、といわれています。そうとしか考えられないような建物や力のある遺物が残っていたりします。いまでもごくごくまれに、神託を授かるものもいます。それでも、神の実在を証明するのは難しいのですけれども、私は信じていますよ」
「性格がこんなのはごまんといるだろ」
「いいんですよ、私が勝手に信じているだけですから。巨豹を連れ、どこからともなく現れた青年が山に隠棲している。年甲斐もなく、胸が躍りました。そして貴方に出会い、渋りながらも貴方は女たちを見捨てるような人間ではなかった。頑固で、偏屈で、狭量で、正しいとも悪いとも言い難いですが」
「いいところがないようだが」
オーフィアは苦笑する。
「そうかもしれません。それでも、捨ててはならないものを、女神と同じように持っている気がするのです。まあ、つまるところ、私の妄想で、年寄りの夢想です。だから、儲けものだと思って取っておいてください」
蔵人は少し迷ったようだが、深緑の環を引っ込める。
「ただ貴方は、女神のような最期を、決して真似しないでください。それは哀しいですから」
いつしか時が経ち、全ての星が死に絶え、最後にただ一人でどこかに消える、この青年にはそんな最期を遂げてほしくはなかった。
「それはどういう――」
――コンコン
ドアのノックで、オーフィアは夢から覚める。
いつのまにか、座ったままで眠っていたようだ。
一時的に協会の一室を借りうけ、本部職員が来るまでの間だけ、業務を代行していた。大きな街の協会ではこんなことは許されないだろうが、良くも悪くも辺境の田舎であった。
オーフィアはお入りなさい、と声をかける。
失礼しますといって入ってきたのはアリーだった。
「審判団が到着いたしました」
オーフィアはそうですか、といって立ち上がる。
「出迎えにいきましょう」
太陽は真上にある。
どんどんと温度が上がり、暑いくらいの日であった。
「ようこそ、はるばるおいで下さいました。なにぶんバタバタしており、お見苦しいかと思いますが、なにとぞご容赦ください」
額に汗を浮かべた村長が深々と頭を下げた。
霧群椋鳥を蔵人が退治した際に乗り込んできた支部長と共にいた顎髭の年寄りである。
「いや、そちらも大変であったろう。お悔やみ申し上げる」
白い神官服を着た中年の男が村を見ましてそういった。
その背後には魔獣車が二台連なり、その周りを戦闘馬に乗った神官騎兵が固めていた。魔獣車を牽引する二頭の魔獣は、トカゲに甲羅をかぶせて大きくしたような全体として平べったい印象のある鎧平トカゲである。
乾燥地帯を長距離歩くことができ、その背中の鎧は固く、狼の牙など通りもしない。ひっくり返されると柔らかい腹部があるという弱点もあるが、長距離の移動には欠かせない魔獣であった。
「おや、これはオーフィア殿、先に到着なされておられたか」
村長の後ろに立っていたオーフィアを見て、中年の神官は声をかけた。
「例の件で、先行していたところに、この怪物の襲撃です。さすがに老体には堪えました」
「ハッハッハッ、『紅蓮のエルフ』ともあろうお方が、何をおっしゃる。ついでに村に巣くう愚か者も退治したとか、さすが、王をも尻に敷いたという女官長は健在ですな」
先着していた騎兵によって、すでに簡単な情報交換は済ませてあった。
「それで、例の件ですが」
「――わかっています。これだけ村に被害があるとなると審判も急いだほうがいいでしょう。よからぬことがあってもいけませんからな」
中年の神官は笑みを消して、小声で告げる。
「いま彼女はどこに?」
「安全な場所に匿っておりますので、そこからこの村まで一日、といったところでしょうか」
「そうですか、オーフィア殿がいうなら間違いはないでしょう。なんせ初めての特別審判ですからな、これが『事実の審判』にとっても試金石になることは間違いないでしょう」
神官はちらりと魔獣車を見る。
外からは見えないが、その中には『事実の大鎌』をもつ、アオイ・ゴウトクジが乗っていた。
「こちらも準備がございますので、では三日後の十五時ではいかかがでしょうか」
「そうですね、いくつかの国の使者は今朝到着し、残りの国もすでに先触れによって連絡が取れております。その日程で大丈夫でしょう。村長もよろしいですか?」
「は、はい」
顎髭の村長は汗を拭きながらただ、頷くことしかできない。
村にいれば一生会うかどうかかわからないような高位な神官や女官長、各国の使者が来ているのだ。それだけで疲労困憊し、何か意見をいうなど考えもしなかった。
村長としては、横暴な支部長が処罰され、各国の使者より贈られた見舞金だけで十分だった。
ちなみに神官たちは村唯一の小さな教会に寝泊まりし、各国の使者はそれぞれ村人の家を借りて生活している。使者といってもそれほど大仰なものではなく、勇者の審判を見届け、その結果を本国に伝えるという役目に過ぎない。それほど高位なものが来ているわけではなかった。
そして家を貸した者は縁者の家に泊まり、村長から十分な宿泊料をもらっている。怪物の襲撃をなんとかしのいだばかりで家を追い出され、迷惑なことに違いはなかったが、その金は村を復興させるのに必要な金でもあり、村人にとってはなんとも痛し痒しであった。
マクシームがダッシュで審判団の到着を知らせたのはその半日後のことだった。
もうとっくに日は暮れていた。
「そうですか。わかりました」
たまたま蔵人のところに訪れていたアカリはマクシームの連絡に頷いた。
「明日の朝にでる、用意しておいてくれ。森にほとんど魔獣がいねえから、だいぶ早くつきそうだがな」
それだけ言って、マクシームはのっしのっしとでていった。
「ということみたいです。長らくお世話になりました」
アカリが居ずまいを正して、深々と頭を下げた。
「まあ色々あったが、どうにもならないことばかりだ。あっちもこっちもそれほど変わらないもんだな」
アカリが頭を上げる。
心持ち目が潤んでいる。
「あの、絵を描いてくれませんか?」
突然のお願いである。
「あん?俺は男は描かないぞ?」
「ち、違いますよ。わ、私を描いてくれませんか?」
「……全裸か?」
アカリの顔がぷしゅうと赤くなる。
「だ、だれがそんなこといいましたかっ。普通に描いてくださいってお願いしてるんですっ」
「……別にうまいもんじゃないぞ?」
「上手いとかじゃないんです。蔵人さんが描く、私を見たいんです」
蔵人はしばらく考えてから頷き、いつもの雑記帳と小筆をとりだし、墨を用意する。
囲炉裏を前にして、蔵人とアカリ、二人が静かに向かい合っていた。
蔵人の動かす筆だけが、微かにかすかに音をたてた。
アカリが動かないままに、ぽつりとこぼすように聞く。
「……蔵人さんは、あっちに帰りたくはないんですか?」
蔵人は筆をとめずに、自分の内側を探る。
「……根が薄情だからか、それほど帰りたいとも思わないな」
「少しも、ですか?」
「……人間だからな、たまに故郷に帰りたくなることもある。そういうときは絵を描いたり、口笛吹いたり。それで次の日にはけろっとしてるな」
「……そうなんですか。私だけじゃなかったんですね。私も、他のみんなよりは帰りたいって思いはなかったと思います。家族や友達が恋しくないわけじゃないんですけど、それでも何を犠牲にしても、なにがなんでも帰りたいとは思えなかった」
「そういう人間がいてもいいだろ。薄情なだけで、情がないわけじゃない」
アカリは泣き笑いのような顔をする。
「それ、慰めになってないですよ」
「別に慰めてないからな」
「くす。そうですね。でも蔵人さんと同じで、たまにどうしようもなく帰りたくなることもあるんです。召喚されてすぐの頃は、よくわからない人たちに翻弄されて、傷ついたりして、特にそう思いました。でもマクシームさんの誘いに乗ってから、ハンターとして一年ほど過ごしていたら、そういう風に思うこともなくなりました」
「ハンターが性にあってたんだろうな」
「そうだと思います。もちろん今でも魔獣や怪物は怖いです。でもそれ以上に、自分が生きてるんだって実感しています。なんの保障もないけれど、人に乞われて魔獣を狩って、感謝される。それを嬉しいと感じる自分がいます」
「食えるなら、どこで生きて、どう生きようとも構わないだろ。誰に恥じることもないと思えるならな。国だの愛だのは、それからの話だ。衣食足りて礼節を知るだったか。まあ、似たようなもんだろ」
アカリが話し続け、蔵人が相槌をうちながら筆を動かす。
とりとめのない、そんな会話が続いた。
「蔵人さんは家族が心配じゃないんですか?」
「心配、か。結婚する相手なんていないから独身だしな。親は……まあ、ごくごく普通の家庭だろうな。ただその普通からすら落ちこぼれた俺がいただけで」
「そんな」
「自嘲するわけじゃないが、正社員になれなくて、派遣や契約の警備員、清掃員、配達員、そして用務員ってとこか。それも三年契約で、次はなしだからな。ここに召喚されなきゃ、むしろどうなってたことか。笛や絵で食えるわけじゃない、第一それほどの腕もない。まさに八方ふさがりだったわけだ」
アカリは社会にでることなく、召喚された。
テレビや新聞でしか社会の暗さはわからなかったが、それでもどこか不安を抱えていた。
自分たちはこの先、どこにいくのだろうか、と。
「まあ、ここでも、それほどかわらないけどな。ただ、窮屈じゃあない。それだけでもここにきてよかったと思ってる。親にゃ申し訳ないが、俺たちと違って年金も確実に降りるだろうし、大丈夫だろ。だからあまり心配はしてない」
「似ているのかもしれませんね、境遇も考え方も」
「なにいってんだ。こちとらもう二十七になるんだ。お前とは違う」
蔵人の拒絶の言葉に、アカリが少し残念そうな顔をする。
「好きに生きてりゃ、お前はまだまだ変わる、自然にな。そこが終着点じゃない、きっともっと、いい女になる。……悪い男に騙されなきゃな」
「ああもうっ、なんでいい言葉で終われないんですかっ」
「……つまらないだろ、そんなの」
つ、つまらないってなんですかそれ、とギャーギャー騒ぐアカリ。
へいへいと流す蔵人。
そんないつもの日常が、最後まで続いた。
「まあ、アカリならこんなもんだろ」
「ならって、ならってなんですかっ」
そう言いながら蔵人は雑記帳からナイフで一枚切り離して、アカリに渡す。
受け取った絵を、どこか緊張の面持ちで見るアカリ。
「は、白紙じゃないですかっ」
「そう、まだ白紙、それこそがアカリの可能性を、……うんちゃかんちゃら」
「て、適当すぎます」
くっくっくっと笑いながら、蔵人は今度こそ本物を渡す。
アカリはそれを疑いの眼差しで、受け取り、ちらっと確認する。
きちんと墨は描かれている。
「疑り深いな」
「だれのせいですかっ」
そういいながらアカリは絵に目を落とした。
白と黒の濃淡の世界。
緻密なようで、どこか霧がかかったように淡くぼやけていた。
長い長い、平坦な道が、荒野につづいている。
出発点には朽ちた学校の門が、そして終着点はなく、延々と道はつづいている。
制服は脱ぎ棄てられ、道端に捨てられていた。
長い道の中ほどを歩く少女の横顔は、どこか大人び、前を見つめていた。
「って、なんで全裸なんですかっ!」
「俺の好みだ」
蔵人が胸を張る。
「こ、こ、こ、こんなにちっちゃくないですっ!」
「……だいぶ盛ったんだがなぁ」
「盛ったとか失礼なっ、……って、手を見つめないでくださいっ!」
蔵人は手をわきわきさせながら、ニヤニヤしていた。
「も、もういいですっ」
そういって――いそいそと絵をしまってから――立ち上がった。
「くっくっくっ、いけいけ。こんな夜遅くまで、若い娘が男の部屋にいるんじゃねえよ」
「うわっ、なんかおっさんくさいです。……ああ、そうだ、一応、蔵人さんには報告しておきますね」
そういって座る蔵人の耳に小さく囁いた。
蔵人が目を丸くする。
「ふふ、蔵人さんのそんな顔、初めて見た気がします」
そういってアカリは、蔵人の頬に一つ、キスを落としていった。
触れるか触れないか、そんな淡いキスを。
そしてそのまま、洞窟をでていった。
残された蔵人は苦笑しながら、舌打ちを一つして、ごろりと横になった。
一部始終を見ていた雪白はバカバカしいとでもいいたそうに、くぁあ、と大きく欠伸をして、そのまま目をつむった。
そして翌朝、アカリは山を下りていった。
一度も振り返ることはなかった。
その横顔は、あの絵のように、少しだけ大人びていた。