40-氷の襲撃②
空が、赤みがかっていた。
オーフィアたちはどうにか村に迫っていた怪物の大群を殲滅し、山に向かっているところだった。
ところどころ凍りついた森は不気味に静まり返っている。
そこを一団が一気に駆け抜ける。
たまに出てくる怪物の残党もすれ違いざまに一蹴する。
普段とは段違いの力、速度であったが、戸惑っている暇はない。
これも『神の加護』の恩恵だというのだから、とんでもない代物である。
オーフィアはちらりと後ろを見る。
勇者であるハヤトのパーティがオーフィアを追走していた。
彼らはほとんどのものが傷ついて動けない中、志願してついてきた。
どれほど怪物が山に残っているかわからない上に、『月の女神の付き人』の女たちがまだ山に残っている、人手はいくらあっても足りないということはないだろ、といわれてはどうにもならない。
しまいには、こちらで勝手に怪物を探索する、『怪物の襲撃』を舐めるべきではないとまでハヤトに言われてしまった。
確かに、『怪物の襲撃』の対処として、ハヤトのほうが正しかった。
蔵人のいる洞窟に彼らを連れていきたくはないが、背に腹はかえられない。わずかでも怪物を残しておくわけにはいかなかった。
何より、自分たちだけで全ての怪物を倒しつくせるか、わからないのだ。
オーフィアは彼らの同行を許可した。
村を出てから、数時間で山を踏破する。
しかし、そこには理解しがたい光景が待っていた。
確かに登ってくるときは、怪物しか目にしなかった。
危機を察知して逃げたと考えていたのだが――。
洞窟に群がる怪物、それを薙ぎ払う大棘地蜘蛛、そして大棘地蜘蛛に群がる怪物。
洞窟の周りの斜面には、大棘地蜘蛛の大きな死骸がいくつか横たわり、まだ消滅していない怪物が下敷きになっている。バラバラになってなお怪物は蠢いている。
大棘地蜘蛛が縄張りを離れ、群れで怪物と戦っている。
オーフィアの長い経験をもってしても、こんな光景はみたことがなかった。
時間は遡る。
蔵人に圧し掛かった雪白は、蔵人など知らないとでもいう風に蔵人を踏んだまま、何かをくわえて洞窟の奥に去っていった。
「オイ」
蔵人は即座に立ちあがるも、怪物は入ってこない。
それどころか何かが吹き飛んで叩きつけられるような音が洞窟にまで聞こえていた。
「……上手くやってくれたようだな。交代してくれ」
そういって蔵人は奥の部屋に戻っていった。ようやく一息つけそうである。
すれ違ったディアンティアが何かを言いたげであったが、すぐに出入り口の見張りにつく。
洞窟の奥でモグモグと肉を頬張る雪白。
よくみると、ところどころ白毛が赤く染まっていた。
「助かったよ、雪白」
――モギュ……グルッ
蔵人の声に、雪白は一瞥しただけで、一心不乱に肉にかぶりつく。
「な、何があったんですか?」
アカリが蔵人に問いかける。
周りを見ると、全員が問うような視線を向けていた。
「雪白に大棘地蜘蛛の糸を集めて、この洞窟に引っ張ってきてもらっただけだ」
アカリはなるほどと頷き、『月の女神の付き人』の女たちはポカンとした顔で理解できないという顔をした。
アカリはすでに一度、雪白に大棘地蜘蛛をけしかけられているため、身をもってその事実を知っていたが、他の女たちはそうではない。
「だから、あそこでディアンティア姐さんが手持無沙汰にしてるわけだ」
「糸なんてないにゃっ、どこにあるにゃ」
「俺にも見えないが――」
雪白は肉を食べ終えて、今度は毛づくろいをはじめていた。身体のキズは自力で治してしまったようで、舐めた毛のあとが再び血で赤くなることはなかった。
――ガゥ
軽く吠えて、雪白が見つめた先は部屋の隅。
無論そこには何もない。
マーニャがタタタと駆けていって、その周囲を手探りで探しまわる。
「あったにゃっ、細いにゃっ!なんだかおかしな手触りだにゃ?」
マーニャが見えない糸を両手で手繰りながらあっちこっち引っ張った。
「うぉっ」
「きゃっ」
「やんっ」
地面に這うようにくっついていた糸が持ちあがり、女たちが驚きの声を上げる。
足に引っ掛かったもの、手に絡まりそうになったもの、ちょうど真上に立っていたために股の部分に食い込んだものとさまざまである。
「見たらダメですっ」
被害のなかったアカリがジロリと蔵人を睨む。
へいへいと顔を反らしながら雪白に近づいて、ブラシを取り出す蔵人。
雪白は顔をふにゃっと崩しそうになるもキリッとして、ふんぞりかえる。
――ぐぉう
私のおかげだろ、ブラッシングしてもかまわないぞ?とでもいいたげである。
こっちでもへいへいと返事をしながら、蔵人は雪白にブラシをかけ始めた。
途端にウニャウニャっとなる雪白。目を細め、尻尾はでろ~んと伸びきっていた。
「う、うらやましいです。私もモフモフを……」
「あ~ずるいにゃ、うちもやりたいにゃっ!」
糸を放り投げて、雪白に近づくマーニャ。
しかし、雪白は無情だった。尻尾をぶんっと持ちあげて、マーニャを牽制する。
「にゃっ!」
尻尾の牽制を受けて、飛びずさるマーニャ。
「うにゃー」
そしていつのものように、翻弄されはじめた。
蔵人はそれを見ながらも、手を休めることはなかった。
「なぜだれもいないのデスカっ!交代デスっ!」
尻尾に遊ばれていたマーニャがディアンティアの声に、シュタッと立ちあがり、駆けていく。
「これが終わったラ、女官長にみっちり鍛えてもらいまショウ」
ディアンティアがすれ違い様に囁く。
マーニャが顔を真っ青にしながらも、出入口に顔をだした怪物に向かって、半ばやけっぱちになって三本爪のような火精魔法を放つ。
「いやにゃーーーーーーっ!」
マーニャの叫びが洞窟にこだました。
そこへまた次の前衛が飛び込んでいった。
アカリから説明を受けたディアンティアは呆れたような顔で雪白と蔵人を見る。
「確かに怪物の侵入速度は下がりましたガ、最初から言っておいてくだサイ。大棘地蜘蛛の群れと怪物の大群が喰らいあう光景を見たトキハ、ついにこの世の終わりかと思いまシタ」
蔵人は雪白をブラッシングしたまま、ディアンティアを見上げる。
「そこはまあ、上手くいくかどうかわからなかった、ということでな」
ディアンティアがもはや蔵人に対して癖になったような諦めの溜息をつく。
「まあ、いいですケドネ」
これで少しは寿命が延びましたとは言えないディアンティア。
現在は昼を大きく回って、あと三時間ほどで日が暮れる。
そのへんがリミットだとディアンティアは考えていた。雪白がこなければ日暮れまでもたなかっただろう。
それほど戦況は悪い。
ディアンティアはそう思いながらも、次に備えて食事をとる。
水晶系地人種も、食事を取らねば動けなくなる。主な食事は水分、スープ類ではあるが。
「これをいただいてもよろしいですカ?」
囲炉裏に置かれた蔵人謹製の鍋を見てディアンティアはいう。
蔵人が頷くと、横に置かれた器に白い液体を盛りつける。
ディアンティアがそれを口にすると、ピタリと身体を停止させた。
「口に合わなかったか?」
ディアンティアが次第に慄きだす。
「こ、これはいったいなんデスカっ」
「カレー風シチューだが。ああ、トラモラ草が入っているが」
「それも贅沢ですが、この白い液体はなんデスカ。口に含んだ瞬間から、栄養がカラダを駆け廻りマシタ」
「ああーそれか。出所はいえないが、おかしなものじゃない、心配しないでくれ」
地人種は水分から栄養を補給しているため、口から取り入れた栄養の吸収率が人よりも格段に優れていた。それが半年間蔵人を支えた万能栄養食であるフランスパン型の携帯食を取り入れたことにより、一気に栄養補給されたのだった。
「そうですか、残念デス。少しですが魔力まで回復するなんテ、どれほど栄養があるのか想像もできまセン」
植物に肥料を与えたようなものかと言ってはいけないことを思いながら、蔵人は雪白を見る。
そこにはごろごろと喉を鳴らして、のんきに寝ているでかい猫が一匹いた。
その様子から、蔵人がそろそろいいかと思い手を止めて、腰を上げようとする。
しかし、くるりと雪白の尻尾が蔵人の胴体に巻きつき、それを許さない。
太い大蛇のようなそれは、ふかふかとしていながらも蔵人をしめつけている。
蔵人はまたもへいへいと言いながら腰を下ろし、再びブラッシングを始めた。
洞窟は茜色に染まっていた。
何度ローテーションしたか、誰も、すでにわからなかった。
後衛と中衛の魔力が限界となり、前衛が怪物と戦う時間も次第に長くなっていた。
前衛の一人が足を砕かれて後退し、ローテーションが縮まったのも疲労を早めるのに拍車をかけ、それがさらなる焦りにつながる。
洞窟の部屋ではもう誰も口を開かなかった。
ひゅん。
突き出した槍が、空をきる。
蔵人を舌打ちしながら、槍を抱えて突進してくる怪物の斬撃を丸盾でそらす。
槍から片手を放して、手袋に魔力を流し、怪物の顔面を掴む。
『巨人の手袋』は想像以上に固くなり、蔵人の握力と相まって怪物の顔をきしませる。
蔵人はそのまま、怪物の突進をも止めた。
蔵人は練り上げていた聖霊魔法を付与し、顔面を握りつぶす。
消滅していく怪物の後から、また怪物が顔をのぞかせる。
「まだいんのかよ」
蔵人はそういいながら一歩引いて、槍の間合いで構える。
怪物の突進に合わせて、槍を突きだす――。
――洞窟の外が紅く染まる。
蔵人は怪物の消滅を確認してから、外を見つめ、耳を澄ます。
洞窟の外は一面に炎が迸っていた。
そして、地面に何かを叩きつける音、鋭い斬撃音、バチバチとして耳障りな音。
蔵人は、大きく、大きく、息を吐いた。
援軍である。
その証拠に、怪物が入ってくる気配はなかった。
蔵人は後ろに声をかけた。
ほっとしたような顔をするアカリ。そのまま洞窟の奥に駆けていった。
蔵人は、万が一を考えて洞窟で待機する。
また、顎と腕を砕かれるわけにはいかないという思いがあった。
しばらくすると外の音も聞こえなくなる。
「片付いたようデスネ」
後ろにいたディアンティアが声を蔵人に声をかけた。
「みたいだな。どれ、確認してくるか」
「……気をつけてくだサイヨ。出た途端にザックリということもありますカラ」
「……縁起でもないこというなよ、おっかねえ」
「アナタの顔は、ワタシたち地人種よりもわかりにくいデス」
「……くせ、みたいなもんだ」
臆病が顔に出ないようにしているのだ。顔に出た途端、なにかが崩壊すると蔵人は信じていた。
洞窟の出入り口近くにはなにもいないことは風精が伝えてくれた。
慎重に洞窟から顔を出す蔵人。
「おうっ、無事だったようだな」
心臓が止まりそうになって、槍を構える。
だが、怪物が話したところなど聞いたことがない。うめき声すらないのだ。
「おいおい、オレだよ、マクシームだ」
蔵人はほっとして槍を下ろす。
「なんだ、筋肉の化物か」
脅かされた仕返しに悪態をついてやる。
「ちっ、悪態つく元気はあるようだな。まったく、夜のオネーチャンには好評なんだがな」
「そりゃ、お世辞だろ」
冷たい視線が蔵人の背後からマクシームにそそがれていた。
「おう、全員無事だったようだな」
そんな視線を気にした様子もなく、マクシームは洞窟から次々にでてくる女たちに声をかけた。
「お世辞デス」
「おべっかだな、そりゃ」
「まあ大事な金ヅルですからね、お世辞の一つや二つ言うでしょう」
マクシームはぼっこぼっこに口撃された。
ずーんと肩を落とすマクシーム。
「無事でなによりですよ」
マクシームの後ろからオーフィアが顔をだす。
オーフィアも、そして平気そうなマクシームも、傷だらけである。
「がんばったようですね、大したものです」
オーフィアがディアンティアから順に女たちの顔を見まわす。
「随分とお世話になってしまったようですね、あの大棘地蜘蛛はクランドさんが?」
最後に蔵人を見てオーフィアが問いかける。
「雪白がちょっとな」
「そうですか」
そういってオーフィアが深々と頭を下げる。
「……色々お世話になっておきながら、申し訳、ありません。約束を破り、事情を知らぬものを連れてきてしまいました」
蔵人は肩をすくめる。
「こんなもんどうしようもないだろ。間に合わなきゃ、全滅だったろうしな。ここで癇癪起こすとか、助け方が悪いってどなりちらすどっかの貴族と違わないだろ、みっともない」
オーフィアが、ゆっくりと顔を上げる。
「そうですが。できれば早めに――」
そこへ。
「――じゃあ、おれ達は戻る。倒したのは回収していくがいいな?」
後ろから若い男がオーフィアに声をかけた。
オーフィアは躊躇いながらも、蔵人を背後にかばうようにして、くるりと振り返る。
「大変助かりました。協会には報告させていただきますよ。もちろん討伐したものはお好きにお持ち帰りください」
「了解した。それじゃ――」
オーフィアの背後にいた蔵人に男の目がとまる。
そしてその視線を感じて、蔵人も男を見る。
支部蔵人と一原颯人。
あの時以来、およそ七〇二日ぶりの対面であった。
言葉が足りませんでした。
大丈夫かと思っていましたが、だめですね。
きちんと追加しておきますm(__)m
お騒がせしましたm(__)m
(21時45分前半部追記)
さらに後半ちょっと変更&追加。
(23時26分後半部追記)