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用務員さんは勇者じゃありませんので 作者:棚花尋平

第一章 雪山で、引きこもる。

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3-魔獣①

 
 蔵人が洞窟にすみ始めてからおよそ五五〇日目。
 蔵人は自らが洞窟の壁にナイフで刻んでいた一の字を見つめていた。
 ふと手慰みにと、傍らに寝そべる白毛に黒い斑紋をもった、雪豹にも似た魔獣の鼻先を指でピンっと弾いてみる。
 既に地球にいる雪豹の成獣ほどの大きさはあるこの魔獣は、しかし成獣には程遠いのだというのだから驚きである。
 鼻を小突かれた魔獣はつむっていた目をうっすらと開き、ちょっかいをかけてきた不届き者を不満そうに見上げた。体長のゆうに倍はある長い尻尾が蔵人の身体をペシペシと抗議する。
 顔や背中に、しまいには蔵人の首に尾を巻きつける。
 すると蔵人は無言で魔獣の喉もとを掻き撫でてやった。
 たちまち魔獣はごろごろごろごろと猫のように喉を鳴らし始めた。
 はたから見ればじつにバカバカしいやりとりだが、いつものことである。
 雪白ゆきしろと名づけたこの魔獣との遭遇は、蔵人がようやく洞窟の外に踏み出してしばらくしたときのことだった。



 洞窟に引きこもらざるを得なかった間、当面の食料問題を考えなくてよかった蔵人は十全に準備を整えようと考えていた。
 今すぐ外に出たところで遭難は難しくなく、さらには危険だといわれている世界では日本人などは無力であることは想像に難くなく、蔵人は分厚い魔法教本の習熟に専念することを決める。ついでに基礎体力の向上も合わせて行うことにした。
 といっても体の方はそれほど専門的なことはできそうにないため、やはり中心は魔法技術となる。
 そう決めるや蔵人は洞窟にわずかにでも光がさしているうちにとぱらぱらと斜め読みし、実践した。

「火よ」

 気絶した。

 全身に軽い疼痛を覚えながら起き上った時には、もう日は落ちていた。腕時計を確認しようにも見えなかった。
 のろのろと洞窟の奥に引っ込み、身体の奥に疼痛を感じながら眠りに落ちた。
 斜め読みはキケンだな、という教訓とともに。
 翌朝、よりひんやりとなってきた空気とともに目をさますとすぐに魔法教本を手に取る。
 前夜の教訓はもちろんのこと、寒さがにじり寄ってきていることに危機感を覚えていた。
 ついでにリュックサックから取り出した携帯食をぼりぼりと噛み砕きながら、目次、序章、一章とこの世界の住人が少年少女期に差しかかるころに教えられるようなことを蔵人は隅から隅まで読み、もう一度読み返して、そしてまた実践した。

「小さな火よ」

 今度は頭痛とともに気絶してしまった。

 教本には気絶や疼痛、頭痛自体は問題なく、疲労や筋肉痛みたいなものとされていたため蔵人は気兼ねなく魔法を使用した。
 結果としては、詠唱ほどに伝えるべき意思を明確にできておらず、さらに自身の魔力をコントロールして放出することもできなかった。魔力を得られると勘違いした空気中のあらゆる精霊にありったけの魔力を吸い上げられたうえ、なんの現象も起こせずに蔵人は気絶したということになる。
 魔力とは簡単にいえば人間のもつ生命力の余剰分がプールされたもので、魔法として使用するときに使われる用語である。
 蔵人はそれを一度に吸われ、生命の存在維持に使われている生命力にまで影響が及びそうになった。それに危機感を覚えた身体は蔵人が許可していた外部への魔力の供給を強制的に遮断するために気絶させた。そして現状維持に生命力が足りないと勘違いした身体はより生命力を増やす、らしい。
 現在では推奨されていないが、古くはこうして空気中の精霊の存在と自身の魔力の存在を認識させたと教本に書かれていたがゆえの蔵人の行動だった。
 蔵人は魔力を吸い上げる不可視・不可触のプランクトンにも似たナニカが、公園のハトのようなハングリーさで魔力というエサに殺到したのをかすかに感じて、気絶していた。

 蔵人はむくりと起き上がる。今度は耳の奥の痛みと耳鳴りがあった。
 腕時計をみると丸一日経っていないならば、三時間ほどの気絶だったようである。
 そしてまた、

「小さな赤き火よ」

 心臓のあたりがキュウと痛んだと同時に、気絶した。
 しかし、それでもそれからさらに十回ほど気絶を繰り返し、気絶の間隔が短くなったころ、部屋の真ん中にすり鉢状に土を掘った囲炉裏モドキがつくられており、そこに誇らしげに拳大の赤い火が揺らめいていた。
 それは最下級の火精の具象化であり、この世界の住人が煮炊きに使う程度のごくごく一般的なものだったりする。
 そして精霊とは魔力さえ与えられれば半ば自動的に具象化をする自然現象のようなもの、ということを蔵人は体得した。
 初めての魔法を成功させた蔵人はますます魔法に没頭していった。



 朝起きて気分転換に外を眺める、そして気絶、もとい魔法を実践する。
 蔵人がそんな日々を送っていると、いつのまにか吹雪はピタリと止んでいた。
 洞窟の壁の傷が百八十本に達したときのことだった。
 蔵人はいつものように朝起きて食事の前に洞窟の入り口に施した土の蓋を崩していた。土精の具象化に成功した後は、夜寝る前に可能な限り蓋をするようになっていた。
 蓋と呼べる程度のものでしかなかったが。
 朝日が暁を照らしていた。蔵人は眩しそうに目を細める。
 しばらくぶりの直射日光であった。
 うっすら空けた瞼の先には見通しが格段によくなった対面の山肌が見える。朝日が差し込んだ岩場の、ことさら大きな岩場にはいつものように雪豹に似た魔獣が寝そべっていた。
 魔獣がのそりと首をもたげると、首から腹部にかけて混じりけのない白毛が見える。全体として雪豹よりも黒い斑紋は少ない。
 かなり離れた場所から蔵人をジッと見つめる灰金色の双眸は、何ものも己を侵すことを許さないという矜持をたたえているようだった。
 そしてそれ以外はどうでもいいとばかりに、すぐにまた何事もなかったかのように寝そべるのだ。
 蔵人にとって眩しいくらいの野生であった。
 百八十日の間、たまに吹雪が薄くなることがあった。
 蔵人が朝、外を覗くとそこにはいつもこの魔獣がいた。
 初めて目があったときは、食い殺されるのではいかと蔵人は身をこわばらせていたが、数日、十数日もそれが続くと、相手にそんな気はないのだと気づいた。蔵人の動向を見張っていたのかもしれないが。
 それでも実際お互いが近づいたことはなかった。

 諸説あるが魔獣とは魔法教本の定義によると、魔法を使う獣、という意味らしい。
 その存在は既存の命精に他の精霊が融合して世代を経た結果、魔法の使える一つの種となったものであると。
 命精とはあまねく生物に宿る精霊、生物そのもの、生命力そのもので、木にも、虫にも、そして人間にも、それぞれにたった一つだけ有しているものである。もう一つの『心臓脳』とも言われる。
 広義に見れば、人間もまた精霊なのであり、もしかしたら魔獣であるのかもしれなかった。
 一切の交渉の余地のない怪物(モンスター)―精霊が腹を減らすなどして変質し、具現化する。天災であり、あまねく生物の敵―とは存在からして違っていた。
 魔獣全てが交渉可能であるとはいえないが、怪物(モンスター)のように一切の交渉の余地がないということもない。
 現に雪豹のような魔獣と蔵人の間には、無言で相互不干渉が築かれていた。
 蔵人に攻撃能力がなかったがゆえのことかもしれないが。
 蔵人としてもこの寒さの中であってもその暖かそうな毛皮を狩ってやろうとは考えなかった。わずかではあったが暖の確保を終えていたということもあったが、そんなことが可能だとは微塵も考えられなかったのだ。

 そんな相互不干渉な関係性の中で、蔵人が毎朝の外を眺めるのはこの魔獣を見たいがため、それは起伏のない一日の娯楽であり、自分以外の他者の存在の確認であったのかもしれない。
 ずっと眺めていた存在に近づくように、蔵人は今日、外に行くことを決めた。
 すると、決めたと同時に一つ、身震いをするが、蔵人はただ魔獣から視線をきって外にいく準備のために部屋に戻っていった。

 震えは、外の世界への怯えか、それとも武者震いか、はたまたただ寒かっただけなのか。
 蔵人はその答えを出さなかった。
 ただ外へ行く。それだけである。


 
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