第九話:衝動
朝食を食べ終え、素早く宿から出る。──と、何かの群集に出会った。
「うっわ!」
思わず、ケイトのほうを見たけれど、彼女は全く動じていないようだった。無論その他の二人も。降りしきるフラッシュがある人物に向けられていることに気がついた。黒い、スーツ姿の、枯葉のような細身の、初老の男。後姿しか見えないが、何故かその背中を見たとき、不思議な感覚に捉われた。
…どこか懐かしい。
…風車。夕日。とんぼ。
そんな言葉が浮かんできて、記憶を引き戻していく。随分昔のことなのだろう、記憶は摺れたカセットテープみたいに色あせて、ぼやけていたけれど、はっきりと残る男の人の声。目を瞑ると、そこには顔のない誰かの、しかしとても暖かい笑顔の、男の人が子供の俺をおんぶして河原を歩いていた。オレンジ色に染まった空に、黒い点点のようにカラスが数羽飛んでいる。
『…楽しかったなぁ…ヤマト』
『うん!また、行こうね』
『…ああ、もちろんだ』
はは、と笑った男の顔は、やっぱりわからなかった。
フラッシュの音で目を開ける。記者に取り囲まれていた男が、ふとこちらを向いた。
「──!!」
先程の、顔のなかった男の、表情が鮮やかによみがえる。あれは、そう、笑っていた。
笑うと目尻に皺が出来る、光沢のある黒髪だった、親父。
今、目の前で俺を凝視するのも、親父。
肩が引きつって、一歩下がる。時が止まったような、辺りに居たはずの人物が消えて、代わりに親父がくっきりと浮き出る。
白髪交じりで、少し痩せていたけれど。確かに俺はその人が父親だと分かった。それは、雰囲気が似ていたのもあるけれど、やはりその人がジッと俺を見ていたから。
あの黒目がちの目。──懐かしい。10年以上も前のカオ。よく覚えてた。
「…どうしたのヤマト?」
ふと、そんな声で我に返る。声の方向を向くと、そこには不思議そうに俺を覗き込むケイトのがいた。
「いや──その」
「何故突然辞職されたのですか!!」
突然大声を出した記者が、親父にマイクを突きつけた。
…辞職?会社、辞めたんだ。別に特別な感情はいだかなかった。俺を捨てた親のことだ。
そう再確認して、その場に背を向けた。
「ヤマト!!」
苦し紛れに聞こえたその声に、俺は…耳を傾けなかった。それどころか、腹の底から沸きあがる怒りで気が動転し始めていた。
「知り合い?」
「いいや、全然、知らない人」
「そう、じゃあ、急ごう」
走り出して、巨大なビルに狭まれた灰色の空を仰いだ。
「MA…の、気配がする」
「…」
ふと、静かにケイトが言った。そこは薄暗い路地裏だった。人通りは少ない。ここなら、最適な場所だろう。そんなことを考えながら、鼻を掠めた、生臭さに思わず鼻を摘む。そして、薄暗い中でようやく視界に移った光景に目を疑った。
「…う、そだろ──」
それは初めて見た、人が人に食われているというシーンだった。いや、正確には人ではないのだろう。頭から、角のようなものが生えた、半獣は、真っ赤になった口の周りをペロリと舐め、俺達のことなど視界に居ないとばかりにまた人の首下に噛み付いた。
血が、流れ出している。未だかつて体験したことのない恐怖が突き上がるように背筋を貫いた。クリスは瞬時に太刀を創造し、シュラも短剣を両手に創造していた。
「…Bクラス。半獣。こいつが私達の獲物だ」
そして剣を握り直しながら微笑むのはケイトだった。
「ヤマト!!」
ハッとして振り返ると、そこには親父が居た。顔を見た瞬間に嫌悪が腹を駆けずり回る様に出てきたので、親父に駆け寄る。よくも、よくもノコノコと。──絶対殴ってやる、そう思って親父の胸倉を掴んだ瞬間、閃光が走るように周りの景色が真っ白になった。
『空間移動完了。思う存分戦え』
そう聞こえたのは、クリスが持っているラジオのようなものからだった。
空間移動…?どういうことだ。親父が同じ空間にいることにようやく気づいたクリスは、血相を変えてラジオに話しかけた。
「一般人が迷い込んだ!至急もとの空間へ!」
『──無理だ。元の位置には一般人が多すぎる。今戻ればまた新たな一般人が空間に入り込む。その一般人はあとで記憶を消せば良い。そのまま戦え』
「しかし…!」
『一般人が一人死のうが死ぬまいが、世界は何も変わらない』
冷たく言い放ったのはロイス隊長の声だった。
…一般人が死ぬ?
一般人って、親父のことだよな。
…死ぬ?
脳が事態を認識する前に、激しい爆発音がした。
爆風が体に叩きつけ、思わずかがむ。灰色の煙に辺りは包まれ、視界は凄まじく劣化した。胸倉を掴んでいたおかげで俺と親父は同時に倒れこみ、そして、俺は立ち上がると共に掴んでいる男も立ち上がらせた。
「なんで…!!どういうつもりだよ!!今更俺の目の前にあらわれやがって……殺されてぇのか!?」
俺の中で、一番憎い奴が目の前にいる。腕を強く掴むと、案外細いのに驚いた。手の平に感じる、脆い骨の感触。親父は、少し疲れた表情をして微笑んだ。
「私はお前に…謝らなければいけないことがある」
「何を──……今更!!」
燃え盛る炎を鎮火するような口調で言われたので、思わず下唇を噛み締める。沸々と、今までの悲しみがわきあがってくる。16年の、負の記憶ばかりが親父に関連していて、そのまま、ぶつける。小さな刃が幾つも連鎖して胸に突き刺さるようだった。
「そんなの、今さらだろ!!俺はもうあんたの力なしで暮らせる!今更、親のふりしやがって……絶対!絶対俺はゆるさねぇからな!!」
自分より軽い親父の体を激しく揺すりながら、大声で喚く。子供だ。
「……すまない、ああ──!ヤマト、すまない」
親父はひたすら謝罪の言葉を並べた。本当ならここで俺の方が育ててくれてありがとうなどという言葉を口にすべきなのだろう。しかし、そんな聖人に到底なれるはずもなく、ただ今まで俺を縛り続けていた孤独という巨大な苦しみが一気に流れ出た。突発的に、しかし確実に。
「ふざけんな!!絶対に俺は──………」
一発殴ろうと、拳に力を込めた瞬間だった。
親父の背後に、先程のMAの冷たい微笑みが見えた……。
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