第四話:自分を知る者
「こっち」
長い廊下は全てフワフワしたベージュ色の絨毯で覆われていた。泥のついたスニーカーでそれを汚すのを忍びなく思いながら、俺は颯爽と歩くケイトを追いかけた。
「この建物は本部で、私たちが衣食住をするのは違う建物。ああ…ちょうどこの窓から見えるよ。あの──少し見えにくいけど、クリーム色の建物…分かる?」
そういって、廊下の壁を切り取るように開けた窓から外を見る。青い空が広がって、その下には広大な森が広がっていたが、今居る場所からそう遠くないところに建物が見えた。
「何で一緒の建物にしないんだ?」
「…MAが攻めてきたとき、出来るだけ被害を拡散するためだ」
背後に居たクリスが、忌々しいとばかりに質問を一蹴した。
「…成る程」
「他にも敷地内にはいろんな施設がある。たぶん、大和に関係するのは『訓練所』と『食堂』。それに…貴方、勉強とかする?」
「しない」
「そう、なら今言った二つだけね。『図書館』は必要なさそう」
窓に張り付いていたケイトは、こちらを見て微笑んだ。最初であった時は、あんなにも無愛想だったのに……本当はよく笑う子なんだと、思った。
「寮には渡り廊下で行ける。早く行こう」
しばらく歩くと、分厚い円形の扉が現れた。鉄格子があり、さらにその奥に鉄の扉が幾重にも重なっている。
「ここまでする必要があるのかよ?」
俺の呑気な声が、やけに響いた瞬間、グイッと体が引っ張られ、目の前にクリスの青い瞳が見えた。恐ろしいまでの目力と、鼻と鼻とくっつくほどの距離に俺は怯んだ。
「大和──お前はまだMAを知らないからそんな事が言えるんだ。そんな呑気な状態で…もし今AクラスのMAでも現れたら、一番先に死ぬのはお前だ」
「……!!」
バサッと胸倉を離され、俺はよろけた。ケイトは心配そうにこちらを見ていたが、やがて鉄格子の隅のセンサーを解除した。恐らく認証したら鍵が出てくるシステムになっているのだろう。ふいに出てきた鍵をケイトは素早く受け取り、俺達は鉄格子を通過した。
やがて最後の鉄扉を開け、渡り廊下を渡りきる。するとまず最初に団員の名前と部屋番号が書いてある板が現れた。見慣れない英語表記の横に、さまざまな国の言葉で名前が訳されていた。もちろん日本語もあったので、俺は団員の名前を知ることが出来た。
さらに廊下を進むとホールの様な場所に出た。あちらこちらで、知らない人間──恐らく団員であろう黒い制服を纏った連中がコチラを興味深々とばかりに見ている。
すると先頭を行くケイトが立ち止まった。覗き込むと、クリクリした目が特徴的な可愛らしい子供がケイトに抱きついていた。
「ケイト!お帰りなさい」
「ただいま、シュラ」
ケイトにやわらかく頭を撫でられ、猫のようにゴロゴロとした後、子供は俺に気がついた。その大きな目で俺を頭から足までを見回した後、シュラはクスリと笑った。
「…あんた、誰?」
──このガキ。こめかみに力が入り、拳が自然に固まる。
「シュラ…そんな口聞いちゃダメでしょ?この人は林 大和っていって、日本から私とクリスがスカウトしてきたの」
「ふぅ〜ん…」
納得できないとばかりに俺を見た後、シュラはクリスを呼び寄せた。耳打ちをしていても、時々俺の方を見てニヤリとするので、何を話して居るのかは大方想像がついた。嫌味なガキも居たもんだ、と苛立ちながら、奥に進んでいくケイトを追いかける。
「さっきの子供はいったい…」
「あの子はシュラ・マーチス。シュラは昔から口が悪いの。根はいい子だから──仲良くしてあげてね。それにあの子も私たちと同じ部屋よ」
「へぇ〜……」
…ん?待てよ…
「って、その話からすると──あの子供も、団員なのか!?」
突然の大声に耳をふさぐような仕草をした後、ケイトは迷惑そうに俺を睨んだ。
「うるさいな…無駄なエネルギーを使わない方がいいと思うよ。それに…団員に入るのに年齢制限はないわ。分かった?」
いやいや…普通分からない。というか子供を働かせるのは何かに付けて問題だろ…。という言葉が喉まで出掛かったが、怪訝そうに眉間に皺を寄せるケイトを見て飲み込んだ。
「…着いた。私たちの寮はここだから」
そう言われて見た先には、『5号室:鍵持ち…クリストフ・フランズ(A)相部屋…グレイス・ケイト(A)シュラ・マーチス(C)』と描いてある小さな木の札が壁に打ち付けられていた。本部に比べて壁はボロイし、何やらドアは締まりが悪いようで少し開いていた。
「…お邪魔しまーす」
「…今日からここは貴方の家みたいなものだから、わざわざ挨拶しなくていいと思うけど?」
ここでは日本みたいに玄関では靴を脱がないらしい。そのままズコズコと上がると、中は思ったより広々としていた。ちゃんと清潔に保たれたキッチンに、あまり生活感のないリビング。そして4つの扉。扉にはそれぞれ部屋の主の名前を描いた札がかけてあった。
「大和の部屋は一番奥ね。誰も使ってないから、綺麗なはず」
指差されて、窓の陽が差し込み暖かそうなドアの前に立つ。ゆっくりとノブを回すと、木が軋む独自の音と共に埃っぽい空気が肺に流れ込んできた。思わずむせる。
「ゲホッ!ゲホッ!…う」
堰を聞きつけたケイトは部屋を覗き込んで唖然とした。
「……」
涙がにじむ視界を擦り、部屋の中を確認すると、部屋の中はわけのわからない玩具で一杯だった。しかもそれらは片付けられず、まるで盗賊に入られたかのように散乱していた。
「どうして…あ」
ケイトは部屋に入り壁に手をやった。訳が分からず俺は喉をさすっていると、ケイトは鬼気迫る顔つきで部屋から出て行った。あまりの迫力に俺は一時停止していると、すぐにどこかから子どもの泣き声がしてきた。
「うわあああん…」
「泣いてもダメよ!ちゃんと片付けなさい!」
開きっぱなしだった部屋のドアから、シュラを引きずるケイトが現れた。
「何でだよぉ〜この部屋使ってなかったじゃんかぁ」
しゃくりあげるシュラを、玩具の散乱する部屋に押し込むと、ケイトはそのままドアを閉めた。そして『シュラ・マーチスの部屋』と書いてある札がかけられた部屋に入り、壁を探り出した。
「あった」
俺は急いで後を追うと、壁に頭を突っ込んだケイトの姿があった。四つん這いになり、少し怪しい角度であったが、俺はソロソロと彼女に近づいた。壁には…ちょうど子供が一人入れる程の小さな穴が開いていた。
「いつの間にこんな穴を…許せない!シュラ!今日中…いいえ、一時間以内で全て片付けないとご飯抜きだからね!」
「うえええええん」
それはまるで、親子の会話だった。あまりの微笑ましさに、埃っぽさ等忘れて笑った──…。
窓から見える月は、日本で見た月と何も変わらなかった。
俺は緊急に用意された固いベッドに横たわり、静かな夜に耳をすましていた。
何も聞こえない。ケイトもシュラも、そしてクリスも。みんな寝てしまったようだ。
「……」
昨日の今頃は…何をしてたっけ。そう考えて、思考を手繰り寄せても、何も思い出せなかった。
いつもそうだった。肝心なことが思い出せない…
大きく息を吸い込み、吐く。森の中だからか、見える夜空には星がたくさん散りばめられている。降ってきそうな星空とは、この事なんだと思った。
何を、怯えているのだろう。手が小刻みに揺れていた。怖いのか、それはそうだと思った。
今日の出来事は、決して良いものじゃない。スカウトなんて言ってたけど、あれは半ば拉致に近かった。
「……」
クリスが言っていた。
『もうホームシックにかかったのか』
俺が日本に居るときの怖いもの。それは『人の感情』だった。
友達の、親の、自分に関わる全ての人の感情が、怖くて、怖くて。
近づかなくて良い。必要最低限の関係さえあれば、なんとかなると思ってたし、事実なんとかなっていた。
だけど、今は──。
隣の部屋の住人の寝息が、耳に残る他愛もない言い争いが。
自分を知っている人の存在が、こんなにも愛しいものだという事を…俺は、知った。
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