第十四話:MA
薄暗い廊下に一人残されて、俯く。頭の中で、ロイス隊長の声が幾度も反響して、その意味を噛み締める。
『俺はケイトを逝かせたくない──だからお前はケイトに近づくな』
なんて、なんてわがままで身勝手で、クリスといい、シュラといい、この組織には精神年齢が低いやつばかりだと思う。それなのに、任務は完璧にこなすんだもんな。
部屋に戻ると、クリスがテーブルでwind leterを読みふけっていた。
「お、はよ」
小さい声で言ったものだから、青い瞳は怪訝そうにこちらを見た。
「……」
沈黙に耐えられなくて、先程のことを連絡する。
「ケイトが、風邪引いて──今、医務室に居るから」
「何だと!?」
ガタッと大きな音がして、クリスは疾風の様に駆けて行った。その様子がまるで、隊長とそっくりで、ケイトは二人の男に溺愛されていることを今更ながら知る。シュラの姿がないので、起こしに『シュラ・マーチスの部屋』と札が掛かった木のドアを叩く。
「シュラ?シューラー」
ドアノブをまわして、太陽の差し込む部屋に入ると、丸まった布団を抱きかかえるシュラの姿があった。寝相が悪いのは一目瞭然だった。
「おい。もう10時だぞー」
小さな肩に手をかけ軽く揺さぶる。色素の薄いもつれた髪の毛がシーツと擦れて、次に瞳が薄っすらと開き、差し込む太陽と重なり合いガラス玉の様に光った。
「んぅ……うっせーあ…ねさへろ…」
まるで呂律が回っていない子供に苦笑しつつ、繰り出されるパンチを避ける。何だか無性に寂しくて、目の前の生意気な子供が愛しかった。目を擦りながら大欠伸をする子供の頭を撫で回す。
「やめ、やめろって!ったく…あれ、ケイトは?」
あたふたと暴れる子供を腕の中に収めて、ふと動きを止める。グレイス・ケイト。その言葉はまるで生活必需品みたいに皆口にする。それが妙に──鬱陶しくて、捕まえた華奢な体を離して、ベッドから立ち上がる。
「ケイトは、風邪引いたから医務室にいる」
「ええ!?何だよ、それを早く言えよ役立たず!」
クリスと同じ反応で、先程までぼうっとしていたはずのシュラは飛び起きて落書きだらけのタンスを開いた。そして黒い制服を羽織ると寝癖つきのまま部屋から飛び出していった。
「……」
再び静かになった部屋に佇んで、どうしたものかと思いを馳せる。役立たずとまで言われて、腹が煮え繰り返りそうなぐらいだったが、そんな事をしても無駄なエネルギーを消費しそうだったのでやめておく。
腕を組み、指先をとんとんと動かす。すると──急にけたたましいサイレンが鳴り響いた。びくついて、廊下に飛び出すと、同じように驚いた人々が部屋から飛び出していた。何のためについているのか分からなかった、廊下の壁に付いたランプが一斉に真っ赤に光り始めた。騒然とした気配を断ち切るように、誰かが大声で叫んだ。
「本部にMAが発生した!!」
それを聞いた黒い制服を纏った団員達が凄まじい速さで駆けて行く。
「……MA?」
脳裏に、人を喰らう半獣や狼の姿かたちをした獣がよみがえり、どっとこめかみに冷汗が吹き出る。まさか、そんな馬鹿な。どうして、いろんな事がごちゃごちゃして、訳が分からなくなりそうだったから団員に付いていく。集団意識だろう、皆と居れば大丈夫、だいたいそんな雰囲気で動いていたと思う。
本部と寮を区分けする分厚い鉄の扉の前で留まっていると、ふと隣の女に見覚えがある事に気がつく。
「大和──!」
「サリン!」
ようやく知り合いに会えた事で、情報が手に入る。
「これ、どうなってるんだ!」
「本部にMAが出たのよ!貴方、確か五号室の住人よね?五階は確か……そう、図書館!図書館に向かって!ちなみに私は本部二階!」
「どうして区分けされてるんだ!?」
ようやく扉の解除が開きなだれ込む様に本務へ渡る。黒い団員達はそれぞれ手の平に武器を創造し走っていく。
「MAが一匹ではないからよ!大量に発生したの!それに本部からの情報で平均B〜CクラスのMAが少なくとも50体。ああ、早く、じゃあね大和!」
有益な情報を齎してくれたサリンは、細長いロングソードを手に階段を下って行った。自分も何とか意識を集中して、ライオンの紋章がついた剣を練りこみながら図書室へ走り出す。同じ方向へ向かっていく黒い制服も何人かいたので少しは安心した。
「──ちょうどいいや」
ムシャクシャしてたんだ。俺もだいぶ精神的に成長したと思う。先程溜め込んだイライラを、MAで発散できるかと思うと、死への恐怖など吹き飛んだ。
図書室へ続く長い廊下を駆け抜けながら、剣を構える。自らが走る音だけが響いて、仲間が少ないのを実感した。先程、同じ方向へ走っていった団員の姿は見えない。
思わず、吐き気がした。白い壁に、大量の血液が付着していた。
ゆっくりと歩を止め、徐々に湧き上がる恐怖を押さえつける。廊下に、二つの死体。
その死体を満足そうに眺めるのは、背中からコウモリの様な羽が飛び出た、口からは巨大な牙の突き出た、半獣だった。ゆっくりこちらを向いた顔は、人間になりきれなかったのか半分獣だった。
「──……っ!!」
震えて、手の平の剣にすがりつく。今は誰も、ケイトだって、助けてくれないのだ。自分で、全て自分で──切り抜けなければ。口の中に溜まった唾液を飲み干し、足をしっかりと踏ん張る。
半獣は血走った目を光らせ、口から白い涎が床にボタボタと落ちる。
図書館の入り口が半獣の脇からチラリと見え、中で凄まじい戦闘が行われているのがわかる。それは目の前の半獣を倒しても、図書館の中にまだMAがいるという事実を示していた。
剣を掲げて、試すように角度を変えると白銀の刀身が光った。
コウモリ型の羽が大きく開いたかと思えば、次の瞬間半獣の牙が頬をかすった。
「くっ!」
尋常でない、その速さに体は反応せず、自らの血が壁に飛び散るのが見えた。
頬が痛む。ジンジンと、熱さを持って疼く。背後に回った半獣の気配が何倍にも膨れ上がり迫ってくる。肉を切らせて骨を断つ。
否──頬を切らせて、腕を断つ。
半獣の腕力と、剣の根元がぶつかる。
「──ぐ、あ!」
目元がスパークして、手の平が砕けそうになるが死ぬ気で踏ん張る。何メートルも押され靴の底から摩擦分の熱が登ってくる。
『主』
集中力がいるにもかかわらず頭の中でまたライオンの声がした。折れる、折れる、剣が──思わず、剣ごと腕も手首も全てが捻じ曲げられそうになった。
『大丈夫です。この剣は決して折れない。剣と精神力は連動しています。貴方が孤独に負けたとき、それが敗北の瞬間です』
「う、うるせぇ…っ!」
本当に黙って欲しい。孤独にもう負けそうだ。
『貴方の精神の象徴が私、レオンです。決して貴方は負けない。大丈夫です』
剣がこれ以上ないくらいに撓る。エネルギーが、へし折られたらどうなるのだろう。
半獣の全開になった口がほんの鼻先にまで迫って、思わず目を瞑りそうになるが、その瞬間脳裏に親父の顔が浮かんだ。
俺が今負けたら、親父も負けだ。ケイトの両親をやったのもこいつら。目の前の、こいつら。そう思うと。全身の筋肉が一気に隆起した。てこの原理を利用するように、奥歯を噛み締める。
細い柄を両の手で握りつぶし、憎悪の全てを剣の中へ叩き込む。悲しみは憎悪に変わり、憎悪は殺意に変わる。その瞬間がまさに今だった。絶対的な殺意は、やがて正義へ変わる。すると先程までの重圧が嘘のように半獣は吹き飛んだ。人間の三倍はある巨体が血まみれの壁に衝突し、弾けた。
もう、止まらない。俺は何時かのように剣を脇に抱えた。
激しい抵抗を手の平に感じ、剣が壁に突き刺さったのを認識する。と同時に、半獣が直ぐ傍にいるのを感じた。我ながら人間離れした動きだったと思う。壁を崩壊させた自らの剣を引き抜くと同時に体を捻り半獣の牙を避ける。崩壊した壁に獣が衝突し白い粉を撒き散らしながら壁がさらにへこむ。
「──ッ!」
この時間はさして1秒ほど。あまりに素早く動きすぎたせいで足首や手首など細い箇所が痛む。しかし、反動で体のパーツがバラバラになろうとも、どちらにせよ目の前の獣をやらない限り俺の生きる道は残されていない。
まさに、火事場の馬鹿力だった。もう無茶苦茶だったのかもしれない。空気を切り裂くときの羽が振動するような超音波の後、青い液体が視界に飛び散り勢いよく顔に付着した。思わず目を細め、獣から距離をとるように後ずさる。しかし次の動作はなく、獣は悶絶しそのまま床に倒れこんだ。青い液体、どうやらMAの体液は青いようだ。
「……た、おした?」
血管が浮き出るまでに隆起した腕から、フッと力を抜く。カラン、と剣先が床につき、そのまま腰が抜けた。
「──」
緊張しきっていた全身が一気に緩み、ついでに涙腺も緩んだ。目の前で絶命したMAを見下ろしながら、へ垂れ込む。微かに、指先が震えているのが分かった。思考が白濁して、唇はカラカラ、背中には冷や汗が浮きでている。
初めてMAを、自分の力だけで倒したと思う狂喜の念と、握力がなくなるまでに力を使い果たしたことへの恐怖感。たった一匹だけでこうなるなんて、まだ図書館にはたくさんMAがいるはずなんだ。しかも今までの知識から、MAは獣の姿に近いほど弱く、人間に近いほど強い。それならば今倒したMAは、そこまでの強さではないということになる。
それなのに、こんな腰抜け状態になって……。
しかし、戦いの場で気を抜くことは無用だった。何人かの団員が走ってくる。必死の形相で、連中は血まみれだった。それはMAではない。人の血。その中にはサリンの姿もあった。彼女の人形の様な顔は、返り血のようなものが付着している。
「ヤマト!あんた暇そうね!?」
「は──!?」
馬鹿なことをいうな。俺はたった一人でMAを倒したんだぞ──。早口で、そんな言葉が口から飛び出る。しかしサリンは全く動じず、よもや顔をしかめた。
「そんなの当たり前よ!いいから、私達と来て!二階が大変なの!早く!」
促されるまま、立ち上がると全身に鋭い、噛み付くような痛みが走った。
「くそ…っ!」
ポンコツが、とばかりに自らの腕を殴る。さらに筋肉は痛んだが、二階に何があるかを思い出して、その痛みなどどうでもよくなった。
そう、二階には。
──ケイトが寝ている、医務室がある。
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