第十二話:風邪引き
あれから俺達はケイトのヴルブである紅竜マインにのり本部へ戻った。飛行中ずっと俺の機嫌が悪かったのは幸い誰にも気づかれることはなく、任務完了の安堵と疲労感で夜に本部に戻った頃には皆ベッドへ直行し眠りについた。いや、ケイトだけはお風呂に入って寝た。
「……」
人工的な光が何一つ切られた真っ暗な部屋に、小窓から柔らかな月光が差し込む。薄暗い部屋で息を潜めていると、隣でシュラが微かに呻いたのが分かった。寝相が悪いのだろう、定期的に壁を蹴る音も聞こえてくる。
その様子が──微笑ましくて、張り詰めていた緊張をフッと解く。
「…馬鹿、だな」
頭の後ろで組んでいた手を解き、布団の中に体を埋める。両目を瞑るとそこには暗闇が待っていた。物音一つしない空間は雑念を払いのけていく。やがて残るのは、核心的な感情。
さびしいとか、かなしいとか、……苛立つとか。
一気に、今まで考える暇すらなかった事柄が浮かんできた。
何で俺はココに居る?学校に行かなくていいのか。道場の先輩とか、同級生とかどう思ってるんだろう。
しかし、それは考えるだけ無駄な気がした。先程、ハンターズの団員に出来ないことないんだと分かった。記憶も消せるし、周りの環境を自分達にとって最適な環境にすることだって易しい。
ならば、俺の周りの人だって、俺が居なくなったことなんて忘れているだろう。そうしたほうが、この組織にとって都合がいいのだから。
『人が一人死のうが──世界は何も変わらない』
ラジオから聞こえた、ロイス隊長の冷たい言葉。確かにそうなんだ。ハンターズは全てをもみ消し、何もなかったかのような顔をしている。周りの人も、世界が微かに変わったことなど機がつかない顔をしている。
──なんて、理不尽な世界なんだろう。
俺は思わず、光が欲しくて目を開けた。ベッドから抜け出し、小窓に手の平をつける。紺碧の空に、ゆったりとした満月が浮かんでいる。地球が丸いのだと分からせるように、丸まった夜空には光の粒がたくさんちりばめられている。
──シュラの部屋みたいだ。足の踏み場もないくらい、散らばった星。日本では、こんな綺麗な夜空はなかった。
何度も、その事実を確認するように瞬きをして、気にせず凛と佇む満月に笑みがこぼれる。
あれも、自分で輝いているわけではないのだ。太陽という、光で輝く。
「……」
手を下ろして、深く息を吸い、吐く。
落ち着け。今、苛立ちを募らせたって、明日からまた同じ日々の繰り返しだ。
理不尽な世界も。冷たい組織も。──俺の知らない二人も。
全て、全て忘れて。
今は寝よう。
重い瞼を開いて、自分が起きたことに気づく。部屋全体に太陽の光が差込み明るかった。思いっきり伸びをして、肩を鳴らす。誰も起こしてくれないということは、俺が早く起きたのか。
モソモソとクローゼットにかけていた黒い制服を来て、部屋から出る。
リビングには誰も居なかった。静かな、朝の光の粒子が舞い、リビングのテーブルの上に降り積もっていた。
「…みんな寝てるのか?」
時計に目をやると、8時30分。特にやることもないので、適当に洗面台へ向かう。
ガラスに映った自分の顔は壮絶に不細工だった。髪はめちゃくちゃに跳ねているし、瞼は眠そうに腫れている。
冷水を出して、思いっきり顔にぶつける。一気に思考が飛び起き、白濁していた頭の中がすっきりとしていく。洗面もそこそこに歯磨きに入る。洗面台のコップは四つ。シュラが任務完了時にお土産といって買って来た中には俺へのコップが含まれていた。絵柄はなにやら変な動物が描かれてる。歯磨き粉のチューブを絞ながら、思わずにやついた。
「…あの小生意気な子供も、案外可愛いな」
歯磨きが終り、一旦リビングに戻ると、寝ぼけ眼のケイトと会った。大あくびの最中だったらしいケイトは、慌てて口元を手で覆った。その仕草に笑いを覚えながら、朝の挨拶を交わす。
「おはよう」
「おはよー」
心なしか、声のトーンが低いのは気のせいだろうか。
そのまますれ違い、台所のお湯を焚くボタンを押し浴室へ向かう。汗を流したい。冷たいタイルに囲まれたバスルームに入ると、冬独自の寒気が背筋を走った。
お湯の蛇口を精一杯捻り、湯気が立ち上るのを確認すると再びリビングへ戻る。するとケイトはテーブルに頬杖をついて今朝来たwind leterに目を落としていた。
「……はぁ〜…」
不景気なため息に、思わず新聞を覗き込む。
「なんかあった?」
「…昨日だけでも、MAの発見件数が100件。前は一日50くらいだったのに……日に日に増えてる」
「……それって」
机に突っ伏したケイトの白い項に目を奪われる。パジャマ姿の彼女はなかなか、いつもの勇敢さとか気丈さが押さえられていた。その分、襟足には可愛らしさが覗いた。
「…MAの爆発的な増加まで時間がないのかもね」
ケイトがいきなり体を起こしたものだから、思わず近かった顎を引く。
「…何してるの?」
「別に。っていうか、爆発的な増加って──そんなことになったら、どうなるんだよ?」
昨日の、一匹のMAだけでも死に近づいた体験を思い出し、頬が赤いケイトに目を戻す。
「世界が混乱して──ッ!」
その後ケイトは盛大にくしゃみをした。鼻を擦りながら、彼女は何事もなかったかのように続けた。
「…どうなるんだろうね。私にも分からない」
「そうか」
自らの腕を抱え、寒そうに震えたケイトを見て、俺は台所へ向かった。さすがに、寒いからな。コーヒーとか、温かいものを作ろう。
「コーヒーいるよな?」
「え、あ、うん!」
たかがコーヒーを作るという行為に、心底嬉しそうに笑ったケイトを見て、こちらまで嬉しくなる。
「クシュ!」
シュンシュンとやかんが鳴る音と共に、また彼女はくしゃみをした。次は鼻水つきだったらしく、控えめに啜る音が聞こえた。俺はブラジル産コーヒー豆のボトルを捻りながら尋ねた。
「おいおい、風邪か?」
「──ん、多分。でも大丈夫だと思う」
はぁ、と熱っぽくつかれたため息に、少し心配になる。お湯を二つのマグカップに注ぎ、テーブルへと持って行く。ケイトの頬の赤みは増していた。凄くだるいのだろうけど、決して背筋を曲げないところは彼女らしいのか。
「ここ、病院とかないのかよ?」
「あるよ、一応。でも行きたくないし──ありがと」
待ってましたとばかりにケイトは湯気の立ち上るカップを両手で包み一口飲んだ。その仕草とか、言葉が子供っぽくて、任務とのギャップにむずむずした。
「そんな、今更小学生みたいなこと言うな」
「うるさい」
拗ねたような口調でこちらを睨むケイトに微笑み、はたと思い出して、お湯を止めに浴室へ向かった。返ってきて、思わずよろめいた。ケイトが、テーブルの上に突っ伏していたのだ。それもかなり苦しそうに。薄い背中に手を置くと、体温の高さに益々動揺した。
「な──おい」
「ん?」
顔の赤さに比例しないしっかりとした返事に、少し安心するも、居ても立ってもいられなくなった。
「病院どこ?」
「…病院っていうか、医務室。」
「……」
ロイス隊長と戦い怪我したときに行った医務室を思い出し、場所は確か二階だったと確認する。あそこには医者も居たし、結構施設は整っているからな。
「医務室行くぞ」
「いや」
「お前なぁ!」
一向に動こうとしないケイトに、自然と声も大きくなる。こうなったら、無理やりにでも。
「とりあえず着替えろよ。汗とかかいてるし」
「……」
ケイトが綺麗好きなのを、我ながら上手く利用したと思う。おずおずと自室で制服に着替えたケイトを見て、医務室へいこうと何度も言うが、彼女の頑固さはそりゃもう、ひどいものだった。
「医務室行かないと、クスリとか。どうせないんだろ?」
布団の中にもぐりこむ、一向に出てこない顔にやきもきする。早く、これから熱が上がるんだぞ。
「いいよ、寝てれば治る」
曇った声でそう答え、彼女は苦しそうに咳き込んだ。
「…──」
どうすれば、医務室へ行ってくれるのだろう。そんなことを考えていたら、不意にベルが鳴った。誰か来たらしい。
「お〜い」
拳でドアをノックするのは、ロイス隊長だった。それを聞いた瞬間、ケイトは先程までの駄々っ子ぶりが嘘のように布団から飛び起きた。
「うわ!」
「私は居ないってことにして!」
ドタドタと俺の部屋まで走っていき、ケイトはそのまま中から鍵を閉めてしまった。何か不味いことでもあるのだろうか。
とりあえず玄関へ向かい、鍵を開ける。そこにはワインを二本掲げたロイス隊長が居た。ご機嫌そうに、顔は笑っている。
「どうしたんですか?」
「ん?いいや、任務完了の──お祝いだ」
「お祝い?」
「まぁ何でもいいじゃねぇか。入るぞ」
ロイス隊長のがっしりとした肩で押し込まれながら、俺は半ば無理やりに部屋の中へ連れて行かれた。
「あーれ、お前以外誰も居ないのかよ?」
静かなリビングがつまらなそうとばかりに、隊長は唸った。
「えーと、クリスとシュラはまだ寝てます」
そう答えた俺に、ロイス隊長は顔を曇らせた。犯人の家を探る探偵みたいに、家の中を隈なく見回している。一瞬、気づかれない程度に自らの部屋を見て、静かにテーブルへ座る。
「…ケイトは?」
「どこかへ行きました」
「…ふ〜ん」
まぁいいや、とロイス隊長は呟き、持っていたワインをテーブルの上へ置いた。
──。しまった。コーヒー。二つのマグカップを見つけた隊長は、確信的な証拠をみつけた探偵みたいに口角を最大限に上げて言った。
「まだ暖かいコーヒーが二つ」
「……俺が」
「二つも──?一人で??俺だったら、ありえないな」
焦りが立ち込めて、俺は一秒だけ自分の部屋を見てしまった。隊長はそれを見逃さないとばかりに目を合わせた。今ほどロイス隊長の細い目力のある目を感じたことはなかった。
「自分の部屋が、気になるのか?」
「別に」
「…そうか」
フッと目線を落とした瞬間、目の前の頑強な体は一目散に俺の部屋へ向かった。
「あ!」
「…なんだよ?エロ本でも隠してんのか?」
ニヤニヤと、そう笑いながら、ロイス隊長はノブに手をかけた。引っかかり、さらに気まずくなる雰囲気に、俺は頭を抱えた。これじゃあまるで──本当に、物的証拠を押さえられる寸前の犯人じゃないか。
「鍵、どうやってかけた?内鍵のはずだが」
「……」
もうだめだ。がっくりと項垂れ、成すがままになる。隊長は興味心身にドアノブに人差し指を押さえつけ何かを呟いた。恐らく何か、魔法をつかったのであろう。軽快な音と共にドアノブが回りゆっくりとドアが開いた。
「……」
覗き込むと、ベッドは不自然に盛り上がっていた。ケイトが寝ているのだから、当たり前か。隊長は布団を鷲づかみにそのままひったくった。
「……なんだ、何もないじゃねぇか」
「え?」
不機嫌そうに呟いたのを聞いて、慌てて布団の中を見ると、そこには枕しかなかった。安著して、それならば彼女はどこに隠れたのかと思考を巡らせる。ふと、クローゼットが少し空いているのに気がついた。
「でも、まだ甘い」
バッと、勢いよく隊長はクローゼットを開いた。その中には、案の定、顔を真っ赤にしたケイトが丸まっていた。
「ケイト…お前、風邪引いてんのか?」
一瞬で彼女の体調を見抜いた、黒髪の男を尊敬する。のらりくらりとしているようで、隊長はやはり隊長なのだ。
「あ…その」
ケイトは蚊の鳴くような細い声でモゴモゴと言った。
「いいから、出て来い、医務室行くぞ」
グイッと、隊長はケイトの細い手首を掴んで引っ張り出した。力なくそのまま分厚い胸板に埋まる少女を見て、少し胸焼けがした。どうして、俺のときはあんなに嫌がったのに──…。
「ヤマト、着いて来い」
隊長は少し怖い顔でそう言った。直線的な眉が、さらに吊り上っている。
ああ、そうか、どうして少しでも早く医務室へ連れて行かなかったのかと。そう言われるに違いない。そうすれば、俺はきちんと怒りを受け止めよう。
「…ハイ」
ずんずんとケイトの肩を抱えて歩いていく隊長の後ろを、着いていくしか出来ない自分が不甲斐なくて──もしかしたら自分はケイトに嫌われているのかもしれないと思い、少し泣きそうになった。
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