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ルル、上陸

 それから数日、ルルの勤め先は見つからなかった。一度、意を決してとある店に電話をしてみたのだが、「もう決まった」と断られてしまった。出ばなをくじかれたようで、またしばらく何もしない日が続く。

 今まで遊んで暮らしていたのが、自覚した途端実家で親の世話になりっぱなしということが恥ずかしくなってきて、とにかく家を出てみることにした。「出る」といっても、一人暮らしをするという意味ではない。家から出かけて、バイトを探すのだ。

 まずルルは、とりあえず日課である水泳をしようと、電車に乗りスポーツセンターに向かった。わざわざこの施設でなくとも家の近くにプールはあるのだが、仕事場がなくなってからこれまで、ルルは相変わらずスポーツセンターに通っていた。設備が良いことと、『王子さま』が今でもときどき見られることがその理由である。近くの繁華街にはおしゃれな店もあったはずだ。ショップ店員をする自分を想像して、ルルは少し気分が良くなった。

 さて、センターの壁が見えてきた。特徴的な、二階分くらいの高さのあるガラス窓の前を通ろうとした、そのとき。


 ルルは自分の前から歩いてくる人物に、目を奪われた。

 王子さまだ。

 彼はルルの視線に気づいてか気づかずか、すっとすれ違い、そのまま歩いて行ってしまう。

 いつのまにか立ち止まっていたルルは、慌てて振り返り、思わずその後を追いだした。


 『あくまでプールの中から、彼を見ていたかった』確かにその通りだ。ただし、目の前に彼がいた場合にはその限りではない。つかずはなれず、具体的には5mくらいの距離を保ったままルルは王子さまを追った。彼の足並みはその足の長さにしてはそう速くもなかった。

 彼は繁華街に足を踏み入れる。その足取りに迷いはなく、どこか目的地があることはすぐにわかる。そのまま、一件の店に入って行った。


 ルルは間もなく辿り着いた店の前で立ち止まり、その店構えの観察をした。

 入り口は開け放されているが、その両端に盗難防止のゲートがついている。容易に覗ける店内には、低めの棚がいくつも。派手なポップで飾られたその棚に並べられているのは、CDのようだ。ルルは一歩下がり、店の看板を眺めた。

 青地にピンク……いや、マゼンタ。このマークをルルは、見たことがある。

 ぱっと思い浮かんだのは、たったさっきまで見ていた王子さまのシルエット。そうだ、彼がよく持っている、ビニール袋に描かれているマークだ。ということは、ここは、王子さまの行きつけの店ということだろうか。

 ルルは数分の逡巡後、意を決して店に入ってみた。

 店内は以外と奥に広く、BGMに騒がしい音楽が流れていた。人はまばら。床のタイルは剥がされているようだが、わざとそういうふうにしてあるのか、単に壊れて剥がれたのか、ルルには判断がつかなかった。壁や天井はきれいとは言い難く、全体的にボロい印象だったからだ。

 大きなチェーン店の名を冠してはいるものの、元々個人経営のCDショップが大手の傘下に入った、という形で、汚らしさとマニアックさにはチェーン店の雰囲気が感じられなかった。とはいえ、音楽も他人に薦められた流行りものしか聞いたことのないルルは、全国チェーンであるこの店の名称さえ知らないほどCDショップにはほとんど縁がなく、大手チェーンと個人経営ショップの違いもろくにわからなかったが。


「いらっしゃいませー」

 突然、声をかけられてルルは飛び上がらんばかりに驚いた。実際飛び上がりはしなかったが心臓がばくばくと音を立てる。

 声をかけたであろう店員に軽く会釈をして、顔を上げた瞬間、

「えぅ」

 ルルは驚きすぎて変な声を出した。

 制服代わりなのだろう、青いエプロンを着けた青年が、目の前に立っていた。その青年とは言うまでもない、ルルの『王子さま』だ。王子さまは、常連どころか、この店の店員だったらしい。いつのまに、とルルは絶句したが、なんのことはない、ルルがためらっている間に普通にバックで着替え、店頭に出てきただけなのだ。

 王子さまはルルの横をすり抜け、入り口にチラシかなにかを貼り出し始めた。ルルが動けずに青年を凝視していると、動かない客に気がついてか、彼は再び視線をルルに向けた。

「何か、お探しですか?」

「うう、えっと……」

 とっさに何か曲名が出てくるほど、ルルは普段から音楽を聴かない。困ったあげく、大学生のときにテレビで流行ったアーティストの名前を出した。

「ああ、そちらでしたら、そこに」

 さされた指を追って背後を振り向くと、ルルのすぐ後ろにそのバンドの新譜がずらりと並んでいた。店に入ってすぐに目につくような配置だ。

「活動再開のシングルですから、扱いも大きいですよ」

 ルルがたどたどしく礼を言うと、彼は向き直り、間もなく店内奥の方へ戻って行ってしまった。ルルはこのまま店内にいればぼろが出そうで、急いで出ることにする。それでなくても、初めて『王子さま』と言葉を交わしたという事実はルルに混乱をもたらし、これ以上の接触は脳みその限界を越えそうだったのだ。

 入り口に通り抜けようとしたところで、ふとルルは先ほど青年が貼っていたチラシを見た。


 『長期可のアルバイト募集、社員登用あり』


 ……社員登用ありとは、働いているうちに、社員にさせてくれるということではあるまいか。バイトを続けるだけで、社員になれるなんて素晴らしいことだ。それに、もしかしてそれは……王子さまと一緒に働けるということではあるまいか!

 自分はとうとう、自ら王子さまに会いに行くのだ、ルルは再び人魚姫の物語になぞらえて、そんな夢想をした。チラシの写真を撮ってから、意気揚々と店を出て帰宅の途に着く。

 ルルは足を手に入れ、陸に上がるのだ。


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