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透明人間
作:たろう


“透明人間になれる”

山本隆志がそう気付いたのは25歳の時だった。
山本はその日、考えごとをしながら道を歩いていた。
そして、あまりに深く考え込みすぎていたのだろう、山本は道端に立っている電柱に正面衝突してしまったのだ。
しかし山本はこれに大きなヒントを得た。

「そうか…相手に認知されなければ存在しないも同然なのだ…! よし、俺は透明人間になれる!」



山本はまず手始めに、自分の肩書きを全て取り払った。
必死の思いで入社した会社を辞め、山本隆志という名前も捨てた。
そして遠く離れた地へと旅立った。


次に彼は目立つことをやめようと考えた。
茶髪を黒く染め直し、スーツも濃紺のスリーボタンを買った。
幸い、美しくも醜くもない彼の顔は、その姿に自然と馴染んだ。


次に彼は細かい点を改善した。
視線は前に。あたかも目的地は決まっているかの様に装う。
歩みはやや速く。のんびりしているサラリーマンなどいない。


最後に彼は自分の意識に手を加えた。
自分は透明人間だと思い込む。
何度も何度も繰り返し口に出し、心の底からそう信じきる。
強い信念というものは時に他人をも巻き込むものなのだ。



大方の人にとって、自分と関係のない人は『その他大勢』でしかない。
『その他大勢』に意識は向かない。
つまり必然的に『その他大勢』は風景に同化してしまうのだ。

平均的な『その他大勢』の姿をした彼を、誰が気に止めるであろうか。


こうして彼は透明人間となった。



彼が透明人間にこだわる理由は、彼の若い頃にある。
彼は高校生の時、銭湯を覗いた罪で警察に捕まったことがあった。
その時、彼は警察にこっぴどく叱られながら
「透明人間だったら捕まらないで済んだのに」
と考え、
「いつか透明人間になって堂々と覗きをやってやる」
と心に誓ったのであった。



さて、今、彼は念願の透明人間になることができた。
次にすることはただ一つ。彼は銭湯へ向かった。
彼は自分の理論が間違っていない自信があった。
彼は迷うことなく『女湯』と書かれたのれんをくぐる。

更衣室には3人の女性がいた。
しかし、誰一人として女子更衣室に入ってきたこの男に気付かない。
彼は座り込み、悠々と覗きを開始した。


2時間後、彼は満足そうに立ち上がった。

自分の理論が上手くいったことと、覗きを堪能できたことで、彼に完全にのぼせてしまっていた。
油断は形となって現れた。

彼は、長時間座っていたことによる足の痺れをすっかり忘れ、帰るための一歩目を踏み出した。
その途端、足の先から付け根まで鋭い刺激が走る。
彼は不意打ちに驚き、バランスを崩した。
とっさにつかんだ体重計も彼の重さを支えることはできなかった。

大きな音が鳴った。

すべての視線が彼に向けられる。


彼は逃げ出した。
背中に悲鳴と追え!という叫びを残して。

彼は無我夢中で道路に飛び出した。
トラックがすぐそばまで近づいていることにはまったく気付かなかった。


彼にはそのトラックが透明に見えたのかも知れない。



 ※ ※ ※ ※ ※


「あれー?どこいったー?」

覗き魔を追いかけて銭湯を飛び出した人々の間から、自然とその言葉が漏れた。
彼らは覗き魔がトラックにはねられるところをしっかりと目撃していた。


しかし、大怪我を負ったはずの覗き魔の姿は、彼らがいくら探しても見当たらなかったのである。



その後、彼を見た者はいない。














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