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アルファポリス第7回ホラー小説大賞/吉備の中山と奈良の三輪山の祭祀の関わりについて

アルファポリス第7回ホラー小説大賞がそろそろ大詰めです。

(小説家になろうの規約により外部リンク削除、題名で検索するか、カクヨム版参照して下さい)


 4月いっぱいで終了し、5/15のGW明けに結果発表です。

 

現在1位の「蠢女」(愚人さん)

(小説家になろうの規約により外部リンク削除、題名で検索するか、カクヨム版参照して下さい)


現在2位の「喰らう霧」(シンさん)

http://ncode.syosetu.com/n8572v/(リンク切れ)


喰らう霧 CM

(小説家になろうの規約により外部リンク削除、題名で検索するか、カクヨム版参照して下さい)(リンク切れ)



現在3位の「僕の妻が卵を産んだ」(つまようじさん)

http://ncode.syosetu.com/n1620bu/


現在4位の「奇」(鵜狩さん)

http://ncode.syosetu.com/n9226bm/



 1位の「蠢女」以外は「小説家になろう」勢だったりします。


 「喰らう霧」はイメージCMまであったりしてイメージしやすいというか、作品のカラーがはっきりしてます。


 近頃の小説は映像化前提のメディアミックスの宣伝戦略が普通なので、映像化の際の企画書を提案するような小説はいいかもしれないなあと思います。


 「小説家になろう」のタイトルが分かりやすいのも読者が内容をイメージしやすいようにしてる訳です。


 小説の内容も大事ですがセールスする際に「売りがどこなのか?」をわかりやすく打ち出す企画書を書くつもりで小説を書くというのもひとつの方法かなと思ったりします。



 4月に行われたアルファポリスの「ビジネス・雑学・情報大賞」の方は、残念ながら「小説家になろう」勢の入賞はなかったのですが、

(小説家になろうの規約により外部リンク削除、題名で検索するか、カクヨム版参照して下さい)



 小春日和さんもおしゃってるように、こういう賞に応募することで「小説コンテンツへアクセスアップなどの波及効果」はあるようで、コツコツと小さな賞に応募して地力をつけていくというのも大切だなと思います。


「『弱者のランチェスター戦略』、坂崎さんのエッセイを読んでから、頭の片隅で常に意識するようになりました。

先月のアルファポリスの『ビジネス・雑学・情報大賞』、実は大賞順位にも目は配っていたのですが、1番に気にかけていたのは細分化されたジャンル内で1位を取ることでした。

幸いにも、『私が雑学歴史でトップ』『坂崎さんはビジネスで1位』をキープしておられましたね。そのおかげか、更新の途絶えている拙作へのアクセスが減少することは稀になりました。やっぱり効果があるんだなあ(しみじみ)。」(小春日和さんのコメントより)

http://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/882789/



 

柊の木の呪い~ホラー短編集~

http://ncode.syosetu.com/n2805cb/



 僕も5/31(土)締切の第十二回 岡山県「内田百閒文学賞」に向けてホラー小説というか、近所のたまひめ神社(かつては巨大立石があるので「立石神社」と呼ばれてたらしい)をモデルにした怪異譚のようなものを書いています。

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たまひめ神社

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柊の木の呪い 第二話 怪異/ホラー小説の書き方/新世紀の生き方、物語の世界

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 ブログ↑にも記事を書いたのですが、この神社、最近、パワ―スポットになって地味に観光バスが来たりしてます。地元企業のスーツで有名な「はるやま商事」が橋なんか掛けちゃって、巨石に触ると「縁結び」とかいいことがあるそうです。昔はなかったけど、子供の頃から何気に不思議な神社だとは思っていました。


 ただ、神社の本宮があった裏山の臥龍山(元々の御神体があった)から、ある日火の玉が3つ出てきてたまひめ神社のこの巨石の中に入ったそうです。あとふたつは、西大寺観音院(奇祭「裸祭り」で有名)、牛窓(岡山の南東部)の方面に飛び去ったそうです。


 万葉集にも「玉の浦」という地名で登場し、かつてはこの辺りも海だったので「航海の目印の巨石」として、航海の神様として信仰されていたようです。祭神も豊玉姫、つまり竜宮城の乙姫様であります。地元の三井造船でもこの神社の加護で進水式したりするようです。進水式で使う綱由来で縁結びのお守りとか作ったりしてます。

(小説家になろうの規約により外部リンク削除、題名で検索するか、カクヨム版参照して下さい)



 この付近は町名が「玉」でそこから来たかわ知りませんが、玉野市という市名になっています。調べてみたら由来はこんな感じ↓らしく、やっぱり玉は「玉の浦」由来みたいです。

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 玉野市の名前の由来は玉村(日比町)と宇野村が合併したので、それぞれの名前から一文字ずつ取って、玉野(玉の玉+宇野の野)という地名になりました。

(小説家になろうの規約により外部リンク削除、題名で検索するか、カクヨム版参照して下さい)

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 もうひとつ「御崎八幡宮」という神社も地元にありますが、ここも吉備津神社の分社で、百済の皇子だと言われる鬼神「温羅」(うら)を祀っています。「温羅」の別名が「丑寅の御崎」(うしとらのみさき)なので、そこから来てるようです。


 梁塵秘抄の中の「一品聖霊(いっぽんしょうりょう)吉備津宮--------丑寅御崎(うしとらみさき)は恐ろしや」と云う歌もあったりして、京都などの都の人々にも広く怖れられていた怨霊だったりします。聖徳太子、菅原道真、平将門、四国の崇徳上皇と似たような感じですね。


艮御崎神社

(小説家になろうの規約により外部リンク削除、題名で検索するか、カクヨム版参照して下さい)



 岡山県、吉備の国は奈良、大阪の次に古墳が多い地域で、奈良の三輪山の祭祀にも吉備の祭祀が関わっています。箸墓古墳などから吉備製の特殊器台が大量に出土してますし。


 これは箸墓古墳の被葬者であると言われている「やまとととひのももせひめ」が幼いころに香川(讃岐)に流され(中央の政争に巻き込まれるのを防ぐため説もある)、讃岐にため池作って農地改革に貢献して田村神社に祭られてることと関連があります。


田村神社

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 吉備征服に派遣された吉備津彦(孝霊天皇の皇子、弟)と「ももそひめ」(孝霊天皇の皇女、姉)は兄弟なので、後に大和に帰り、大和朝廷の反乱を予言したり、三輪山の神様と神婚する巫女姫である「ももそひめ」は吉備の祭祀に関わった可能性が高いです。


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初期の古墳


吉備地方で最初のころに作られたとされる前方後円墳の代表としては、次の3つがある。だいたい3世紀の後半ころの築造といわれる。


浦間茶臼山古墳。全長138m奈良県箸墓古墳と同じ設計と言われる

網浜茶臼山古墳。全長92m同じく箸墓古墳と形が似ていると言われる。

中山茶臼山古墳。全長120m吉備津神社の近くにある。日本書紀などに登場する吉備津彦の墓ではないかといわれ、陵墓参考地になっている。上の二つの古墳とは形が異なるようである。

前期の古墳といわれる車塚古墳からは、11面の三角縁神獣鏡が出土している。車塚古墳は、墳長が48mほどの前方後円墳である。

(小説家になろうの規約により外部リンク削除、題名で検索するか、カクヨム版参照して下さい)(リンク切れ)



浦間茶臼山古墳・網浜茶臼山古墳はいずれも吉備上道(備前南部)に存在する。古墳時代直前の大型墳丘墓はいずれも吉備下道に多いのに古墳時代に入ると吉備上道に初期の巨大古墳が多くなる。大吉備津彦が吉備上道に赴任してきたためと思われる。浦間茶臼山古墳は箸墓の二分の一、網浜茶臼山古墳は箸墓の三分の一と共に、箸墓の相似形をしている。箸墓は後で述べるが、日本最初の巨大古墳で魏の技術者の指導の下作られたものである。その技術を最初に畿外に持ち出したのが大吉備津彦であろう。

(中略)

中山茶臼山古墳は当時の聖地であった吉備中山の山頂に築かれた崇神天皇陵の二分の一サイズの古墳である。この位置に築かれること自体が吉備にとって重要な存在の人物であったはずで、その時期も崇神天皇陵が築かれたのとほぼ同じ時期(三世紀後半)と考えられる。伝承どおり大吉備津彦の墓であろう。

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 古墳の設計において吉備の古墳と箸墓が同じだったり、崇神天皇陵と同じというのは、古事記にも書かれてる「吉備津彦の温羅退治」のエピソードから天皇の皇子が吉備の冠者の温羅という旧支配者に代わりに吉備の統治をしてたのだから当たり前の話で、吉備で試行錯誤された古墳の技術が、奈良、大和の古墳の築造に生かされていると考えられます。祭祀者や技術者も大量に吉備→大和に移住した可能性もあります。


 東京に愛知県の「三河屋」があるのは、徳川家康の領地替えについていったというのが真相だったりするわけです。



吉備の特殊器台→特殊器台形埴輪→埴輪と進化したようです。

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 そうなると、聖山「吉備の中山」の中心にある、卑弥呼の墓説もある30キロの朱がでてきた弥生時代最大の墳丘墓「楯築遺跡」が問題になってくるのですが、「吉備の中山」の西側に古墳がある位置関係が「三輪山」の西側に古墳があるという奈良の位置関係とダブってきたりします。


 この前、奥さんを関西空港に迎えにいくついでに奈良に行った時、箸墓とか、三輪山周辺の地形を確認したんですが、どうも位置関係がそっくりであやしいですね。


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「楯築遺跡」


 現在確認されている突出部両端の全長は72メートルで同時期の弥生墳丘墓としては日本最大級である。

(中略)

 墳丘上には大正時代の初め頃まであった楯築神社に、代々伝世し、ご神体として神石(亀石)と呼ばれる全表面に毛糸の束をねじったような弧帯文様が刻まれた石が安置されていたが、現在はこの遺跡のそばの収蔵庫に祀られている。こちらは「伝世弧帯文石」と呼ばれる。この弧帯文は、纏向遺跡の弧文円板と葬送儀礼で共通するといわれている。ここにも吉備津神社や鬼ノ城などのように温羅伝説が残っており、吉備津彦命が温羅との戦いに備えて石楯を築き、防戦準備をしたと伝わっている。

(小説家になろうの規約により外部リンク削除、題名で検索するか、カクヨム版参照して下さい)

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 しかも、「吉備の中山」の付近に「三輪」だとか「服部」とか「秦」という地名もあり「秦廃寺」もあるし、奈良には「吉備池廃寺」もあったりします。


吉備池廃寺

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 こういう地名の重複は単なる偶然ではなく、そういう文化を持った人々が移動したと考えるのが妥当かなと思います。吉備製の特殊器台という物証もありますし古墳の相似もあったりします。


 


 「日本史の謎は「地形」で解ける 文明・文化篇」(竹村公太郎著、PHP文庫)などを読んでいると、古墳は建造当時は海の近くにあり、航海の目印、ランドマーク説やピラミッドは水害対策説が出てきます。



岡山県の当時の地形と古墳の分布図

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古墳時代当時、大阪平野に広がっていた河内湖

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 奈良、大阪、吉備は古墳時代当時は海が内陸まで入り込んでいて、吉備には吉備の穴海があり、奈良には河内湖があったようです。


吉備の穴海(高嶋の神社に神武天皇が8年いたようです。完全に吉備の穴海の中です)

(小説家になろうの規約により外部リンク削除、題名で検索するか、カクヨム版参照して下さい)



 つまり、日本は古墳時代には平地があまりなくて、東京、江戸も湿地帯であり、縄文時代には関東平野は海の底で存在しなかったという事実です。


 実は福岡とかもそうだし、名古屋とか、熱田神宮も海のそばにあったのです。熱田区ことか、名古屋の街は海の底ですよ。存在しないのです、当時。

(小説家になろうの規約により外部リンク削除、題名で検索するか、カクヨム版参照して下さい)



 徳川家康が利根川を東に曲げて、河川工事を何百年もしたので今の関東平野が作られた訳です。


 「日本史の謎は「地形」で解ける 文明・文化篇」(竹村公太郎著、PHP文庫)という本の凄さは、僕が吉備の穴海を知った時の驚きが、実は日本全国が同じような感じだったということを気づかせたことです。


 日本は山ばかりで土地が少なく雨が降ると湿地帯になるような地形で、ある意味、稲作に向いていたわけです。


 それが河川の堆積作用と、塩田→干拓というパターンで今のような平野が各地でできて、人口も増えたが津波には弱い。元々海だった場所に河川の堆積作用で土地ができてきて、本来は海抜ゼロ以下の場所が多かった訳です。


 でもそれゆえ、元寇や欧米の侵略にも山林と泥田の難攻不落の地形のため強かったし、山に逃げられたら戦争にならないので縄文人なども生き延びた。


 日本って王家の負け組が多く流れついたので「和をもって尊し」という非戦の思想が生まれたのかもしれません。天皇家では血みどろの戦いも多いですが、どこか「皆殺しは避けよう」というものを感じます。


 そういう地形のおかげで鉄道、高速道路ができるまで、船が移動の基本だったし、今も海洋国家である日本を支えている。


 そんな全体像を見せてくれた本で非常にいい良書です。


 「地形から読み解く日本の歴史 山、川、気候に歴史の真実が隠されている! (別冊宝島)」も、内容のだぶりは多いですが、楽しみに読んでみたいと思います。


 次回も小説の投稿とかについて書いていきます。




 「トンイ」がやっぱり面白かったですね。「チャングムの誓い」も面白かったんですが、韓流ドラマとしては「トンイ」がなかなか平和的結末で、他のドラマは悲劇的ラストが多いので、「トンイ」のハッピーエンド的な展開が秀逸でした。確か作者は同じだったと思います。


 

 現実逃避からそろそろ復帰しないとね。


リンク先に飛ぶ方法


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やってみてね。

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