記憶の門PDFで表示縦書き表示RDF


 これは「門」をお題とする企画小説です。
記憶の門
作:青蛙


 しまったと思った時には俺は四角に切られた穴に落ちていた。酷く尻をうちつけてしまい、大きく声を出したが誰もそれに応えてくれなかった。それから子一時間、大声で叫んだり、拳で壁を叩いたりしたが何の応答もなし。はあと溜息をついて俺は腰を降ろす。
 ――また、やっちゃったよ。
 俺は小さい頃から考えなしで動いて後で大きなしっぺ返しをくらうのが常だった。わかっているのに止められない。始まりは幼稚園。送迎バスを待って並んでいる子どもの列の一番前に格好良く飛び降りようと滑り台からジャンプし、足を骨折。乗りたかったバスじゃなくて救急車に乗る。
 次は小学校一年のときだ。誕生日に買ってもらったゲームをやりたいばかりに担任が出張で自習になった午後、誰にも言わずに家にあっさり帰ってしまい大騒ぎなる。次いで間の小さいのは端折るとしてそれから五年後。
 卒業式の掛け合いの言葉を自分の順番まで覚えていられないと、俺は一番最初に言ってしまった。おかげで卒業生には怒りを買い、在校生には笑いをもたらし、保護者の皆様の失笑を誘った。そして中学に上がったら上がったでどうしても昼食時ピザが食べたくなる。と、いうことで教室にピザ屋が来てこれまた一騒動になった。
 そして――一番の失敗は……思い出を探る手を無意識に俺は急いで引いた。これは深くしまっておかなくては。なぜか強くそう思った。そう、考えちゃだめだ。
 とにかく今日だ。冬休み中の今日が補習のある登校日だということに気付いたのがいつも家を出る時間の十分前だった。
「何で教えてくれなかったんだよ」
「補習なんてあったりなかったり、そんなの自分で管理してよ。高校生でしょ、いつもは構うなってうるさいくせに」
 今日はパートが休みのせいか、どっぷり休みモード全開で寝巻きがわりのスウエットの上下の母親がスッピンの薄い顔を新聞から上げる。
 それこそ、こんなのに構っている暇はなかったと俺は大急ぎでシャツを着込んで制服のズボンを履き、靴下にとりかかるが。
 しかし何で急いでいるときに限って靴下ってやつはするりと履けないんだ。かばんの中身も確かめないでコートを掴み、つんのめりながら靴を引っ掛けて玄関を出る。しかし、やっぱりこんな時に限って駅まで乗るつもりだった自転車の後輪のタイヤが……パンクしていた。
 ――ジーザス。俺はそんなに悪い子ですか。
 そりゃあ良い子では無いにしてもこの仕打ちはないじゃないですか。神に向かって不平を言いつつもともかく、俺は走りに走って駅を目指した。そして通りを真っ直ぐ行かずに曲がってしまう。ふいにこっちに確か、駅への近道があったはずだと思い出したから。すごい前に確かここを曲がったんだよと。
 そして細い路地を走り出した俺を待っていたのがぽっかり開いた穴だった。
 何に使うつもりでこんな物を作ったものか。穴の中は地下倉庫というには中途半端な大きさだ。ちょうど路地分の幅しかない上にがらんとしている。深さは三メートルから四メートルほどで路地自体が回りの雑居ビルに阻まれて日の光が届かず、薄暗いため穴の中は真っ暗に近い。
 壁を触るとざらっとして、何箇所かに継ぎ目があるようだが平坦で手や足をかける溝なんかはありそうにない。焦って今度は足で辺りを探ってみるとガラス瓶が音をたてて転がった。
 ――俺、このままここで死ぬのか。
 そんなわけないのに極端なことまで考えてしまう。そして……思い出す。
 ――俺、やっぱりここへ来たことがある。
 そうだ、五年くらい前に確かに俺はここにいた。忘れるわけがない、ただ忘れたふりをしていただけだ。心の奥の奥に仕舞いこんでいても俺はそこにあることをずっと意識していたんだから。ぴったりと門を閉めて。

 五年前……。
 ――誰か通らないかな。
 小学生の俺はにやにやとしながら穴の近く、路地をふさぐ勢いで置かれている大型のダストボックス横に潜んでいた。
 冬休み、冬期講習とやらのために塾へ行く途中である。ふらりと入った路地裏。そこで見つけた四角くきった穴にのせられているような鉄製の蓋が、微妙にずれていたのだ。
 俺はその取っ手を引き起こすと、体を倒すようにして必死に引っ張った。何であんなに一生懸命そんな事をしたのか。今となっては自分でさえ謎だ。
 そして本当にこんな所に人が来るなんてちっとも思ってもみなかったんだ。ところがそこへ俺と同じくらいの小学生の男の子が某有名塾のかばんを背負いふらっとこちらに曲がって来た。
 そしてじっと穴をのぞき込んだ。俺は笑いを堪えながらそっと後ろから忍び寄ると大声を出す。
 驚かすつもりで。本当に驚かすだけのつもりだった。
「わあああ」
 びっくりした? と聞こうとした俺の目の前でそいつは――落ちてしまった。
 それこそすとんと。
 俺はそのとき、もっとも卑怯といわれる行動をおこす。つまり逃げた。
 ――それから……怖くて二度と通るもんかと思ってたんじゃなかったのかよ、ちくしょう。 あのときのことをはっきり思い出して、俺はこの世界に一人だけ取り残されたような心細さを感じて上を見上げた。
 ――あいつも心細かったんだろうな。まだ、十一か十二歳のころだ、もっと怖くて、もっと悲しかったはずだ。泣いて、叫んでも誰もこない。あれからどれくらいして助けられたんだろう? 助けられたんだよな。まさか……。
 俺は慌てて立ち上がって注意深く辺りを見回す。
 そんな、陸の孤島でも富士の樹海でも無いここは駅近くの路地裏だぜ。まったく俺ときたら小さいガキみたいに怯えてる。
 反対を向こうとずらした足がみしっと何かを――まるい棒切れのような物を踏んだ。
 ――今のは何だ? 骨なのか? 心臓がばくばくいっているのを宥めながらそうっと下を見るが暗くて良く見えない。そこへ――。
「あ、やっぱり落ちたんだ」
 小学生らしい声が頭上から聞こえて、これで助かると顔を上げた俺はぎょっとしてのどが詰まる。人間、恐怖のどん底に落ちたら二通りの反応に分かれると誰かが言っていたっけ。大声をあげる者、声も出せない者。俺は後者のほうだったようだ。
 助かった、と思わなかったのはのぞいた顔に確かに覚えがあったから。
 一瞬振り返ったやつの、昔俺が落とした子どもが見せた驚いた顔。俺の脳裏に焼きついているあの顔だった。
「だいじょうぶ?」
 その子が話すたびに背中に背負ったかばんが揺れて中で筆箱が音を立てる。ああ、そのかばんにも見覚えがあるんだ。
「ごめん、ごめんよ、寂しかったろうね。俺、何であのとき誰か大人を見つけて助けてもらわなかったんだろう。こんな所で長いこと一人にして――ごめんよ、成仏してくれ」
 それを聞いて穴をのぞいていた男の子がけたけたと笑い出す。
「何を言ってるの? さみしいのはお兄さんのほうでしょ。ばっかみたい」
 そう言って男の子は後ろを向いて大声を出した。
「兄ちゃん、へんなやつが落ちてるよーっ。来て来て」
「おまえ、そこ、開けたらだめだろう。兄ちゃんそこへ昔、落ちて大変だったんだぞ。昨日話してやったのは、危ないから近づいちゃだめだからだったのに」
 男の子の声の後にその背後から高校生らしい顔がのぞいて心配そうに声をかけてきた。
「大丈夫ですか」
「兄ちゃん、このお兄さんへんな事言ってたよ」
「変な事?」
「あの時、誰か呼んで助けてあげれば良かったって」
「――え?」
 俺の顔をまじまじと見てそいつははーん、と言ってにまりと笑った。
「おまえ、ぼくをあの時ここに置き去りにしたやつだな。へえ、今度は自分が落ちたんだ、いい気味だぜ」
 笑顔の兄弟を前に俺は幽霊の線が消えてほっとする間も無く、またもや窮地に追い込まれている。あいつの弟なら似てるよな。兄ちゃんが行ってた塾に弟もそりゃ行くかも――しかしどうする。
「あのときはごめんよ、本当に悪かった。だから助けてくんない?」
 むしがいいのは力いっぱいわかっているがそう言うしかない、助けてくれ。
「断る、あのときぼくは怖すぎておしっこちびりそうだったんだからな。ちっとはそこで反省しろ。行くぞ、洋介」
 冷たい兄の言葉に洋介君はちらっと俺を見た。
「ええーっ、いいの兄ちゃん?」
「いいの」
「はーい」
 弟は素直に兄の言葉に従い、二人の姿が俺の視界から消える。遠ざかる足音。はーい、っておい。本当に置いていくのかよ。絶望的な気持ちでがっくり崩れて座り込んだ直後、俺の背中側の壁が軋んだ音とともに開いた――開いた?
 そこから顔を出す頭にカーラーを巻いたおばさん、一人。
「あんた、落ちたの?」
「あ、はい」
「ったく、今度はどこのくそがきか、酔っ払いだい。蓋開けんじゃないよ、まったく。あんた立てる?」
「立てます。あの一つお聞きしたいことがあるんですけど」
「何?」
「この穴は一体何ですか」
「ここはは隣のビルとうちの店を繋ぐ地下通路つうもんだよ、駅の下とかにもあんだろ」
 地下通路って……。
「あの、何で蓋があるんですか」
「聞きたいのは一つじゃなかったんかい。まあいうなれば採光と通気のためだよ。ちょっとずらしとくのがこつだよ。わかったらさっさと来な」
 おばさんはカーラーを避けながら器用に頭を掻いてふん、と盛大に鼻をならすと俺に背中を向けて歩き出した。その後を俺はとぼとぼとついていく。
 ビルの薄汚い階段を上がるとロビーとは名ばかりですぐに玄関に出る。あいつも五年前、こうやってここを出ていったのか。
 俺は路地を出てふとおばさんにお礼も言ってなかったことに気付いて引き返そうと振り向いた。
 ところが薄暗い路地はしんと静まり返り、「地下通路」の上に置かれた蓋はいつの間にかわずかにずれて閉まっていた。
 その蓋の前にカーテンコールの役者よろしくおばさんと高校生とその弟が立っていた。弟がひらひらと手を振って俺は慌ててそれに応えるように頭を深く下げた。
 ――何かおかしい。そう気が付いて頭を上げた俺の目の前の風景は大きく変わっていた。
 そうだよ、三年ほど前から始まった駅前再開発で雑居ビル街は取り壊されて映画館を含むショッピングモールが今年開業したんだ。
 かわりに建つシネマコンプレックスを俺は楽しみにしていた。それは心のどこかでいつもひっかかっていたもののせいだ。
 自分の負い目とともに消えてしまえばいい、そう思っていた――そんなこと、あるわけがないのに。俺の後ろ暗い記憶に決着をつけてくれたのは何の力によるものか。
 今日、ここにこなければ俺はずっと心の深いところにずるずると嫌な記憶を飼っておかなくてはならなかった。悪気は無かったんだ、はずみだったんだと自分にいい訳をしながら。俺の知らない振りという名の格好ばかり頑丈そうな門をきっちり閉めて閂をかけて。
 でも良かった、あいつ助かっていて良かった。何か泣きそうになって俺は涙をぬぐおうと右手を顔にもっていく。
「やべえ、俺大遅刻じゃん」
 ほのぼのと時計を見て自分はまだ電車にも乗ってないことに気付いて俺は走り出す。
そして――自転車置き場の横のわき道が目に入った。あれは――絶対近道だ。
 しまったと思うのはこの後の事……。
                   おわり



 読んでいただいてありがとうございました。













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