<最終章 戦後の世界>
昭和十八(1943)年一月。
新年を迎えても世界では戦争が尾を引いている。
ソ連はウラル山脈を境にロシアとソ連に分裂し双方が正統政府を主張している。
戦闘は発生してないが一触即発の状態が続いている。両地域間の交流は一切断たれて双方が作った地雷原を境に両軍が睨み合っている。
中国は内戦を継続している。国民党と共産党の両方が大国からの支援を無くし、あちこちで小規模な戦闘を続けている。
国民党に降っていた軍閥も動きを活発にしている。どこも勝ち馬に乗ろうと必死なのだ。
日本は基本的に不干渉だが、国民党との現物引換えの貿易には応じている。
主に日本からは食料と医薬品が輸出され、国民党からは鉄鉱石、石炭、金銀、タングステンなどが輸入される。
満州では張作霖が引退し張学良が地盤を引き継いだ。
日本としては安定的に中東から石油が輸入できるし、鉄鉱石、石炭もインド・オーストラリア他から輸入できる。
だから、在満資産を売り払って撤退したいが、張学良にはその資金が無い。国民党は張学良以上に資金が無い。他に買ってくれる国も無い。
それで仕方なく、満州での経営を続けている。石油、鉄鉱石、石炭の採掘と鉄道の経営だ。
扶余油田は将来満州側へ売却する予定で復旧が進んでいる。
旧北清鉄道などはソ連撤退後から戦後すぐまでは日本が管理していたが、今は満州人に引き継いでいる。だから、日本が管理している鉄道は戦前と同じ範囲だけとなる。
これは将来不要な摩擦を避けるためにわざとそうしているのだろう。
中尉によると、満州はもうしばらく張学良の支配が続いた後、都市部を中心に民主化運動が始まり、国が乱れるとの予想だ。
「一旦、自由を知ってしまうと、もう元には戻れないだろう」
ということだ。
確かに、日米が支配した旅順、大連、瀋陽、長春、営口の住民は自由を知ってしまった。
今は地元有力者による自治に近い形態へ移行しようとしている。
日本政府は対価が払われ次第の撤退を表明しているので、日本人は徐々に満州から去っている。
最後まで残るのは、軍と鉄道関係者、採掘関係者くらいだろう。
日本が手に入れた北樺太ではソ連人の脱出が続いている。
北樺太は南樺太、台湾、南洋諸島と同様、本土に準じて扱われる。
すなわち、地域外への移住は制限されるが、それ以外は日本人と同じ権利を持つ。人口に応じて国会議員も選出される。
現地ソ連人には三つの選択肢が与えられた。
・現地にとどまり日本国籍を取得する。ただし旧国境線を超えて移住することは制限される
・新ロシア、ソ連のどちらかの領土へ移動する
どちらの陣営でも日本が責任をもって有償輸送する。費用を払えない場合は、移動先の陣営が支払いを保証する場合に限る
・第三国へ亡命する
これは受け入れ国が承認した場合に限る
人数的には一が一番多い。そこで生まれ育った者だ。
二は公務で居た者達に多い。だいたいは生まれ故郷の方の陣営へ移動する。
三は若い者に多い。若い者しか第三国が引き受けないからだ。それか親戚が第三国に居る場合。ロシア革命からまだ三十年もたっていないから、兄弟姉妹や親戚が第三国に居る者も多い。
北樺太はこれから五十年かけて日本と同化させてしまうそうだ。
陸上の国境線を残したくないので、独立はさせないということだ。
五十年かけて日本化教育を行い、経済格差が無くなった時点で樺太全体を一つの県にして完全な日本にしてしまう。
ちなみに間宮海峡、カムチャッカ-千島間に設置された機雷は、ソ連承認のもと日本海軍が処理を進めている。
その他のソ連領海内の機雷はソ連責で処分されるが、ほとんど進んでいない。
このままでは餓死者が増えるので有償で日本が処理する可能性が高い。
台湾、朝鮮では自治・独立へ向けた取り組みが進んでいる。
台湾は食料生産が順調で、日本への食糧輸出も好調なので、自立は早いと考えられている。
しかし、朝鮮はいまだ貧しく、教育も行き渡っておらず、独立には時間が掛かると考えられている。
大正十(1921)年から独立採算に変更したので、社会基盤や教育に十分にお金が掛けられていない。
その上、主要鉱山の採掘権や、発電は軒並み日本企業に抑えられている。
しばらくは日本企業で働き、日本の電力会社から電気を買って生活することになる。
これからは数少ない朝鮮の資産である朝鮮鉄道を軸に産業を起こしていくしかない。
だが、ソ連と国境を接するため軍備に手を抜くわけにもいかず前途多難だ。
南洋諸島はまだ自治は早いと考えられ、基礎教育の充実を行う。
グアムの住民にも北樺太と同様に国籍変更、米国移住、亡命の選択肢が与えられている。
世界を見ると国際連盟に変わる新しい国際機関である新国際連盟が設立されようとしている。
日英独伊が常任理事国となり強制力を持った強力な機関だ。
さっそく米国内の核関連視施設の視察を始めている。
これは核視察もさることながら米国内の実情調査も目的としているだろう。
米国は大統領が責任を取って辞任した。米国史上初の大統領辞任だ。
副大統領が昇格して大統領となったが、国民からは再選挙を望む声が出ている。
その声に乗り、野党は特別立法による臨時大統領選挙を要求している。
誰が大統領になるかは分からないが、大統領経験者ではないだろうと言われている。
英独伊では新しい領土、植民地の整備に余念がなく、仏は荒れた本国領土の復旧に忙しい。
「どうせ、植民地はすべて独立するのだから、イギリスもドイツもイタリアもフランスも段々弱っていって、かなりの期間世界的な戦争は起きないだろう」
という中尉の予想だ。
これは俺もそう思う。
主要国の国民は誰もが、もう戦争はこりごりだと考えているだろう。
日本国内はどうかというと、国内改革に忙しい。
今度の戦争で日本が得た物はわずかな新領土、わずかな現物賠償(主に兵器)、そしてしばらくの平和だ。
国内では終戦までの軍国主義は姿を消し厭戦気分が蔓延し、景気回復、減税、軍縮を望む声が大きい。
早くも戦後不景気が始まりかけている。
海外への投資と造船に関するところだけは調子が良いが、それ以外は景気を不安視する者が多い。
本土外に出ている兵士が戻ってくると人余りとなる可能性が高いからだ。
その為日本はカナダに移民受け入れを交渉している。
特にアメリカから戻ってきた日本人は英語を話せる。終戦後かなりの数の日系移民が日本へ帰ってきているのだ。
カナダとしても新たに獲得したアラスカ開発には数十万人の人間が必要と予想され、まとまりそうな雰囲気だ。
オーストラリアとも交渉しているがカナダより人種差別が激しいようで、こちらは悲観視されている。
白人が減ったハワイへ行く者も居るようだ。
他には玉串会の継続開催と玉串情報の継続利用が決定している。もちろん昭和が何年まで続くかは秘匿される。
政治では現時点での最大の問題、総理大臣の決定方法について、英国型の議院内閣制にしようとの動きがある。
そんな中、中尉は一旦予備役になった後、退役することが決定している。必然的に会議に出なくなる。
俺も基本的に呼ばれなくなる見込みだ。
ということで会議出席者ですべてを知るのは陛下御一人となる。
これが良いことかどうか分からないが、俺は個人的に陛下を信用している。
きっと会議を良い方向へ導いてくれると信じている。
すべてが片付き、俺と中尉は二人だけでお疲れ様会を開いた。
中尉と二人でさし飲みしつつ話をした。
「今だから話すが、お前は何度か危なかったんだぞ」
「えっ、何のことだ」
「あらかた情報を取り終わったところで情報漏洩を恐れて消してしまえと言う話が出た」
「うそっ」
「本当だ。あの時は陛下の『殺してはならぬ』の一言で話は消えた。
それから、陸軍の機械化反対派の連中がお前を狙ったこともあった。
あの時は、お前を餌にして組織をあぶりだして一網打尽にしてやった」
俺は今さらながら心臓がバクバクしてきた。
「どうして俺なんか……」
「そりゃ重機を入れたら人が余ると考える奴はいるさ。
それに大本営に出入りして、合理化急先鋒の俺と仲良くしてるんだから狙われても不思議じゃない」
「も、もう、大丈夫なんだろうな」
「さすがにもう馬鹿なことを考える奴もおらんだろう。
重機の有効性も証明できたし、お前も軍属を辞めてもらう。
それに過激な奴はいまだに塀の中だ。外に出てきても一生監視が付く。安心しろ」
知らなくて良かった。
もし知ってたら、俺は引きこもりになってたところだ。
「中尉はこれからどうするんだ。今度の戦争の立役者なんだから陸軍を続ければ良いのに。もったいない」
「いつまでも昔の人間が居座っていたら組織は腐ってしまう。
それに俺は戦争の中のあだ花だ。平和な時代には無用の存在だ。
これからは小さい古本屋でも開いて、ほそぼそやっていくさ」
「どこか天下り先があるんじゃないのか。講和の特別進級で中将になるって噂を聞いたぞ」
「もう軍でやり残したことは無い。それに進級は退役して後進に席を譲るご褒美だ。お前こそどうするんだ」
「○菱から残るように誘われてる。
だが、俺はやっぱり生涯現役ユンボオペだから建設工事の会社を作ろうかなと思ってる。
新工場建設で忙しいのは性に合わん。外国で工場建設なんて、なおさら御免だ。
陸軍が縮小されるだろうから、重機が余るだろ。
それを安く譲ってもらえば、小さい会社ならできるかなと」
「そうか、俺の最後の仕事に、話をしておいてやるよ」
「頼みます」
俺は頭を下げた。
我ながら今度の戦争は俺が居たから勝てた部分が大きいと思う。
このくらいの役得をもらっても、バチは当たらないだろう。
「もう一つ、最後にお願いが」
「なんだ」
「一度でいいから、俺のことをあだ名のカッキーって呼ん――」
「馬鹿者がぁー!」
俺が最後まで言い終わらない内に、中尉の怒鳴り声が響いた。久しぶりだ。
怒鳴った後、中尉は急に小さい声で言った。
「やっぱり熊谷へ行くのか」
「地元だからな。今から東京は伸びる。だが、埼玉はもっと伸びる。東京は同業者が多い分難しい。埼玉は今からだから」
「俺は東京生まれの東京育ちだ。東京以外は英国に半年住んだことしかない。だから、ここに居る。暇な時は遊びに来い」
「あぁ、家族を連れて遊びに来るよ」
こうして二十年以上のとても濃い関係だった俺と中尉の人生は少しずつ離れていった。
俺は熊谷に家を買い、会社を作り、建設業を始めた。
金は軍属時代の給料をカミサンがしっかり溜めてくれていた。
口止め料を兼ねてるのか、ユンボは陸軍が安値で払い下げてくれた。本体は第三世代の初期ロットで少しくたびれているが、例のS資金を使ったのか消耗品は全て新品に変えてあった。おそらく中尉の気遣いだろう。
これから少しずつ重機を増やして最終的には総合建設会社を目指す。
人は、これから軍縮が進めば軍の重機オペレータが放出されるだろうから、それを雇えば良い。
とりあえず熊谷一、いや、埼玉一を目指す。
そして俺は社長とは名ばかりの生涯現役ユンボオペになるのだ。
すると、どこで話を聞きつけたのか、元部下の例の少尉がやって来た。
雇ってくれと言う。
「軍に残った方がいいんじゃないか」と聞くと、
「そりゃ、軍に残れば大きな顔をしてられますけどね。
兵卒上がりの少尉の俸給なんて雀の涙ですよ。増える見込みも無い。
とても所帯を持つなんてできやしません。
それに、先生に付いていったほうが先が有りそうな気がしますんで」
と、背中がくすぐったくなるようなことを言ってきた。
俺としても経験者はありがたい。
彼なら目端が利くし役に立ってくれるだろう。
ということで従業員第一号になってもらった。
少しして、今度はやけに顔が良くて姿勢の良い男がやってきた。中尉が何も言わずに引き受けてくれと言ったので雇った。
昔の癖か時々変なプライドが出るが、そこそこ優秀なので問題無い。経理ができるので助かっている。
おそらく監視係なのだろう。定年までいるのだろうか。ご苦労なことだ。
それより、長女がなついているのが心配だ。
年の差が五つ。長女は数えで十六、年頃だ。さすがに結婚はまだ早いが、あと二年もすれば分からない。何かあってもおかしくない。よくよく監視しておかないといけない。
まさか、婿入りさせるために見栄えの良い男を選んで送り込んできたのか。
中尉なら事前に長女の好みを聞き出していてもおかしくない。長女は中尉に懐いてた。
油断も隙もあったもんじゃない。
本当に中尉は最後の最後まで、腹黒な人間だ。
それから会社は少しずつ伸びて行った。
仕事は元少尉が軍隊時代のツテをたどって取ってくる。
人は元少尉の部下や同期だった人間で使えそうなのを引っ張ってきて増やした。
そして、美男子が事務をして、カミサンが雑用をしている。
子供達は学校へ行き、家事を手伝いながら会社も手伝っている。
俺はというと社長にもかかわらず、毎日現場で汗を流している。
俺が元の世界から乗ってきたユンボは軍の秘密倉庫で厳重に保管されている。
俺ですら触らせてもらえない。場所さえ知らない。
例の会議に呼ばれることも、天皇陛下からお呼びがかかることも無くなった。
そして、俺と中尉は年に数回会っては酒を飲む関係が死ぬまで続いた。
<終わり>