<第四十九章 講和>
昭和十七(1942)年十月。
停戦は決まっても、すぐには終戦、講和につながらなかった。
まず講和会議の場所で揉めた。
日本はハワイ、アメリカはメキシコ、英独伊はパリを主張した。
次に参加者で揉める。自由フランス・自由オランダ・共産ソ連と新ロシアのどこが出席するかだ。
結局は大戦中終始中立の立場を取ったポルトガルのリスボンが選ばれた。
日英独伊は自由フランス・自由オランダは正統政府ではないとの見解なので出席は取りやめとなり、共産ソ連と新ロシアは両者が呼ばれることとなった。
英独伊は新ロシアが正統政府だという見解だが、日本としては極東ロシアを実質支配しているソ連を呼ばないことには本当の講和にならない。
そしてリスボン会議が始まった。
中尉は交渉団には参加せず日本で戦争の後始末をしている。
外地の兵士の帰還や戦後の軍縮など考えなければならない問題が多いからだ。
開始早々、領土問題で揉めた。
米国は無条件降伏した訳ではない。極端な悪条件を飲むわけにはいかない。
国内問題さえ解決すれば継戦も可能だ。
だが急がないと内戦が発生しそうな情勢だ。
掃海がはかどらず海運が麻痺したままで西海岸では今も物資不足が続いている。
それで米国に承諾させるため、米本土四十八州にはほとんど手を触れず、海外領土、植民地に絞って交渉が行われた。
二か月に及ぶ会議の末に決まった内容は次のようになる。
<アメリカ>
・アラスカ、アリューシャン列島をイギリス経由でカナダへ売却
・カナダとの国境を整理し飛び地の解消
・パナマ運河の利権放棄。運河はパナマの主権下、国際管理される
・ハワイ(含むミッドウェー、ジョンストン)は独立か米への帰属かを決める住民投票を行う。おそらく独立と予想されている。
・グアム、ウェーク島は日本の信託統治へ
・フィリピンの独立。日本は順次撤退。
・西サモアは英国へ割譲
・西サモア以外の太平洋の島々はニュージーランドの委託統治へ
・西インド諸島(プエルトリコ、バージン諸島)は英国へ割譲
・カリブ海の西インド諸島以外の小島は最寄りの国へ割譲
・キューバの租借地返還、内政干渉停止、軍の撤退
・メキシコで拘留中の米海軍艦艇はメキシコへ安価で売却。民間輸送船は米国へ返還
・中国内利権の放棄
・武器での賠償
・強制収容所へ入れた日系人へ金銭補償
アメリカは今後、大量の機雷を自力で掃海しないといけない。国内物資輸送の船員も足りない。
一年以上混乱が続くとみられている。ということは現大統領は次の選挙で負けるということだ。
米国海運業が復活するには十年以上の時間が掛かると予想された。
その頃には世界の海は日英の船で一杯になっているだろう
アメリカで一番問題になったのは、アメリカの民間企業が国外に持つ資産についてだった。
日本としては米企業は国外から全て撤退させたかった。
だが、これは米国が強硬な反対に出た。
以前中尉が言っていた、買取案も提案されたが、これもまた米国により反対された。
英国はパナマ運河の米国籍船舶の通行禁止などをちらつかせたが、それでも米国は意見を変えない。
日英独対アメリカの構図になり、交渉は暗礁に乗り上げかけた。
決裂して戦争再開の寸前でギリギリの交渉が続けられ最終的に意見がまとまった。
・アメリカの国外資本の制限は中南米および中国に限る
・中国(含む満州)では米国資本の全額買い取りに応じる
・中南米では資本の五割の買取に応じる。ただし、その資本は該当国の国有化または民族資本への売却に限る
との条件になった。
米財界としては足がかりが全くなくなるのは許容できない。それが枢軸国へ流れるのはなおさら我慢できないということなのだ。
枢軸国内で話し合いが行われ、負担割合が決定された。
・中米、ベネスエラ、コロンビア:英六割、独二割、日伊各一割
・南米(ベネズエラ、コロンビア以外):英二割、独六割、日伊各一割
・中国(満州を除く):日本六割、英二割、独伊各一割
・満州:日本十割
・フィリピン:日本四割、英四割、独伊各一割
これらの国では採掘権などを担保にポンド建てで国債が発行され、日英独伊の各国が引き受ける。
国債は変動利率の最長三十年の長期償還で返済される。
枢軸各国は返済が確実に行われるように、慎重にかつ巧妙に債務国を管理していかなければならない。
日本の不得意そうな分野だけに心配だ。
これで日本は大きな負担を抱えることとなった。
日本政府にこれだけの余剰資金は無い。全て国債で賄うことになる。
しかも国債を全額国内で消化することは難しく、一部は外貨建てになるそうだ。
このことは中尉によると、
「資金の手当ても問題だが、それよりも国内で中国進出熱が高まる方が怖い。
中国なんかへ出て行ったら、人の良い日本人は有り金全てを巻き上げられて捨てられるだけだ。
中国とは付かず離れずでやっていくのが正しいのだ。
聖徳太子の時代から日本はそうやってきたのだ」
ということだ。
俺としてはこれからの世代が舵取りを間違えないことを祈るしかない。
米国と比べて新ロシア・ソ連への扱いは若干ひどい。継戦能力が無いことは明らかだからだ。
<新ロシア・ソ連>
・北樺太は日本へ割譲
・今後十年間ウラジオストックの軍事利用禁止
・満ソ、朝ソ、日ソの国境線画定
・満州(国民党)へ賠償金支払い(一部現物支払、今会議唯一の賠償金)
・コマンドル諸島はイギリス経由でカナダへ売却
・ウクライナ、ベラルーシ、バルト三国の独立
・ベッサラビアをルーマニアへ返還
・カレリア地方をフィンランドへ返還
・コラ半島をフィンランドへ割譲
・レニングラード沖のコトリン島の軍事利用禁止
・カスピ海ソ連領海内の新規油田の採掘権をドイツへ提供
一見対ソ戦で一番血を流したドイツの取り分が少ないように見える。
だが侵攻時に十分略奪をし、また東欧諸国がドイツの勢力圏下に入るのであれば、十分元が取れるという考えらしい。
新ロシアを痛めつけてソ連との内戦に負けてしまうと、また東欧が不安定になってしまう。
ロシアで内戦が続けられるような匙加減が必要らしい。
フランスは完全に負けた状態なので一番扱いがひどい。
WW1以前より領土を削られる。弱っても誰も困らないからだ。
<フランス>
・WW1でドイツから奪った領土をドイツへ返還
・旧サヴォイア公国領をイタリアへ割譲
・コルシカ島は独立か仏伊どちらかへの帰属先を決める住民投票。おそらく独立と予想されている。
・仏印はベトナム戦争のことを聞いていた日本が断ったので仏印のまま(敗戦国で唯一残った植民地)
残したほうがフランスの体力を削るとの日本の予想だ。日本が英国と隣接したくないのもある。
・カナダ沖のサンピエール島・ミクロン島はイギリス経由でカナダへ割譲
・ニューカレドニア、バヌアツはオーストラリアの信託統治へ
・ポリネシア(含ウォリス・フツナ)はニュージーランドの委託統治へ
・中米と北緯30度以南のアフリカの植民地は英国へ割譲
・北緯30度以北のアフリカとマダガスカルはイタリアへ割譲
・ギアナ、中東(シリア、レバノン)の植民地はドイツへ割譲
・メキシコ沖のクリッパートン島はメキシコへ割譲
・スペイン領マジョルカ島で自沈した仏海軍艦艇は仏負担で引き揚げ後、フランスへ返還
・インド洋の仏領無人島群は日本へ割譲。捕鯨や将来の南極開発で使うために日本が取った。
フランスは海外植民地、海外領土のほとんどを放棄させられた。
だが、本土はほぼ全て回復し、自由フランスの帰国も許された。
ベルギーについては早期に降伏し、連盟側へたいした被害を与えなかったことから温厚な処置となった。
コンゴ他のアフリカの植民地が英国へ割譲されるにとどまった。
ドイツとソ連の両方と戦ったポーランドは立場的に微妙だったがポーランド回廊をドイツへ渡し、代わりにドイツ領内に海へ続く道路をもらい決着した。
問題となったのはオランダだ。世界的な植民地の再編からいくと、オランダ領も整理したい。
だが、ドイツの強い影響下にあるといえど建前上は中立の独立国。無茶なことはできない。そこで、金銭での整理となった。
・蘭印は現状維持
・ベネズエラ沖の小アンティル諸島はベネズエラへ割譲。
代わりにベネズエラから優遇価格での石油購入権を得た。オランダはこの石油を転売して利益を得る。
・上記以外の大小アンティル諸島は英国へ売却
・ギアナはドイツへ売却
ドイツは南米への足場にするつもりらしい。
これで英独伊日の戦勝国を除くと残っている植民地は
・オランダのインドネシア
・スペインのサハラ、飛び地
・ポルトガルのマカオ、東チモール、インド、アフリカ
・フランスのインドシナ
となる。
なお戦時中占領されたアイスランドとフェロー諸島は戦後デンマークへ返還されている。
ここで俺は一つ気が付いた。
途中から枢軸国側で参戦したトルコの名前が全然出てこない。
「トルコはどうなってるんだ」
「ああ、トルコは英独とそれぞれ単独の交渉をしたみたいだな。
というより、参戦時点で交渉していたようだが、イギリスからはキプロス島をもらい、ドイツからは中東とバクーの石油を購入するようだ。
それにだ、こっそり自国内のクルド人をロシア領内へ移動させているらしい。
ロシア領内で自分の国を作れとそそのかしているみたいだ。
それはイランもだがな」
「クルド人て遊牧民じゃないのか」
「基本はそうだが、近代に入って定住生活をしている者も居る。
自分の国が欲しい者も多いだろう。
それに、ロシアが黙認している節もある。
ロシアにとってスターリンの故郷のグルジアがどうなろうとあまり気にせんだろう」
「なんか、将来の火種になりそうな話だな」
「我が国には関係ないことだし、口を挟むべき話でもない。彼らが自分達で解決しなければならん問題だ」
中尉は日本が絡まないことについては本当にドライというか無関心だ。
領土以外ではアメリカ、新ロシア、ソ連、フランスに対して軍事面で懲罰的な処置が取られた。
航空機、航空機用エンジンの今後十年間の新規開発の禁止、航続距離二千キロキロ以上の爆撃機の十年間保持禁止と、この件に関する国際機関の査察受け入れが決められた。
海軍については制限しなくても復活に時間がかかると考えられ、何も決められなかった。
むやみに制限をつけて敵愾心をあおるのは得策ではないとの判断らしい。
「おそらくだがな、この四カ国は航空機を輸入するか、陸軍を増強することになるだろう。
すると、その隣接国は対抗措置として軍備を増強するしかない。
そこで、枢軸国側の武器が売れるという魂胆があるはずだ。
カナダ、メキシコ、東欧、フィンランドにしたら迷惑な話だな」
そこまで考えるかという気がするが、中尉が言うからにはまんざら嘘でもないのかもしれない。
国際政治というのは本当に怖い世界だ。
それと、リスボン会議全参加国でABC(核、生物、化学)兵器禁止条約の批准が行われた。
この条約には即時開発中止、一年以内の廃棄、批准しない国との貿易制限、開発保持している国への武力制裁、民間核技術監視等の義務が盛り込まれている。
この条約はスイス等の中立国も含めて全独立国にも広めていく予定となっている。
「となると、日本が開発した核爆弾はどうなるんだ。使ってないんだろう」
「あれは、太平洋のどこかの島で実験する予定だ。
将来、再び核の技術が必要になった時の為に、一度は使ってみないといかん。
英独伊の人間も呼んで秘密裏に爆発させるだろう。
俺はウェーク島が良いと思うんだが、海軍があそこを使いたいと言って反対している。
それで、まだ場所は決まってない」
人類初の核爆弾は一般に知られることなく闇に消えていく。
俺には核の無い世界が想像つかないが、俺の元居た世界とは違ったものになるのは間違いないだろう。
良かったという気持ちと、俺の知識の重要度が減るのが残念な気持ちとで複雑な思いがする。
こうして多様な条約が結ばれてリスボン講和会議は閉幕した。
ここまでは新聞の情報が主だが、一応中尉に聞いてみた。
「実は他にも裏で秘密条約が結ばれてるんじゃないのか」
「それはあるだろう。
日本は極東と東アジアの扱いでイギリスと話をしているはずだ。
独伊はフランスの扱いでイギリスと話をするし、アメリカは少しでも劣勢を挽回しようと動くはずだ。
それに、リスボンには講和に関係ない中立国の外交官も集まっている。
前大戦のパリ会議以来の一大会議だからな、そりゃ各国とも水面下で動き回るさ」
「日本関係はどうなんだ」
「そうだな、一番大きな問題はフィリピンをどうするかだ。
放置してフィリピン人に任せるのか、それとも日英どちらかが影響下に置くか。
交渉次第だが、日本としては面倒は見たくないが、経済的には進出したい。
アメリカ資本を追い出して日英が自由競争で経済進出というところだろうな。
だが、あそこは多民族国家だ。政情が安定するかは難しいところだ」
「ふぅん。そうか。じゃあ、中国はどうするんだ」
「それも問題だ。
中国南部の仏印に近い所はフランスが勢力を伸ばしていた。
そこを誰が取るかだ。
おそらくだが、フランスの代わりにイギリスが進出して、代わりに日本は海南島を勢力圏下におくというのが無難なところだろう。
日本としては香港に近い所を取って、イギリスと摩擦を起こすのは得策じゃない。
残りは今のままだ。
満州は丸ごと日本の勢力圏に入り、国民党と共産党には内戦を続けてもらう。
一番良いのは中国が三か国に分かれることだ。国民党中国と共産中国と満州。
まあ、そう都合良くいくかは分からんがな」
俺の知らないところで誰かが頑張っているのだ。
上手くいくことを祈るしかない。
「これで、日本は良くなるのかな……」
「俺達は土を耕し、種を撒いた。育てるのは俺達の次の世代の仕事だ。俺達はそれを見守れば良い」
「良い国になればいいな」
「そうだな」
中尉は戦争が終わって一気に老けたというか、枯れたような気がする。
戦争でエネルギーを使い果たしたか、憑き物が落ちたようだというのは言い過ぎか。
中尉の心にも平和が来ていたら良いのにと俺は思う。
9/20(土)19時 第50章(最終章)+番外編で完結の予定です。