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<第三十五章 瀋陽決戦>

 昭和十五(1940)年十月。


 タブリーズの飛行場で滑走路、誘導路は一週間もかからずにできた。元々平地だし、地盤はしっかりしているので、岩を取り除いたりならしたりするだけで完成だ。

 予定では飛行場運用開始後に舗装した第二滑走路と横風用滑走路を作るそうだ。

 その後は第二滑走路を主で運用しながら、第一滑走路を舗装してという感じで拡張していくのだ。


 滑走路完成後は掩体壕、退避壕、司令部、宿舎、対空銃座の作成などを十日ほど手伝い、残りは鉄道建設を手伝った。

 そして、日本を出て一か月少々たった頃、日本船団がシンガポールから日本へ向かうのに便乗して帰ることになった。

 三人の生徒は毎日朝から夕方までユンボに乗りっぱなしなので、初心者は卒業という段階だ。

 これからは俺が教えたことを思い出しながら、ひたすら作業をすれば自然と腕が上がっていくだろう。

 なんなら、中級者になったら日本へ呼んで俺がもう一度教えても良い。


 建物がポツポツできてきて飛行場らしくなってきたこの場所が使われるのを見てみたいが、それを見られないのは工事関係者の宿命みたいなところがある。もう慣れたものだ。

 日本ならどうしても気になったら個人的に見に行けるが、イランではそうはいかない。もう二度とここへ来ることは無いだろう。

 少し後ろ髪を引かれる思いだ。


 別れの前夜、生徒達が別れの宴を開いてくれた。

 各人がとっておきの物を出したみたいで、ここでは見たこともない料理が並べられた。

 キャビア、フォアグラ、パスタ、ピザ、ソーセージ、ローストビーフ……。

 それに、各国のワインにウィスキー、ビール。

 しかも、ビールはなんと冷えていた。

 こんな何も無い所でビールを冷やすのはきっと大変だろう。


 イギリスが代表してあいさつした。


「サカキバラ中佐、今日までありがとう。必ずや我が軍はバクー油田を破壊し、ソ連の息の根を止める――」


 すると、ドイツとイタリアが横から口を挟んできた。


「我がドイツは来年にはモスクワの赤い旗を引き摺り下ろしているだろう」

「イタリアこそフランスを打ち破るぞ。見ててくれ」


 と勝手にしゃべり始めて、なしくずしで始まった。

 そこからは、まさに飲めや歌えだった。

 俺は酒が強くないので、食べる係だ。

 こっちの世界に来てから洋食は食べる機会が少なかった。家で食べることは無いし、食べたくなったら街中の洋食屋に行くしかない。

 特にパスタとかピザはもう何年振りか分からないくらい久しぶりだ。

 キャビアとフォアグラは生まれて初めてかもしれない。

 名物に美味い物無しで、期待してなかったが、思ったよりも美味しかった。

 カスピ海で採れるキャビアはともかくフォアグラは生物(なまもの)なのに、どうやって持ってきたのかと聞いたら缶詰が有るそうだ。

 日本のカニ缶以上に贅沢な缶詰だ。


 みんなが各国の軍歌や国歌、民謡、流行歌を歌う中、俺も少し酒を飲んで楽しい一晩を過ごした。

 ここタブリーズは日中は東京より暑く乾燥していてヒリヒリする暑さだ。

 だが、夜は一転して寒さを感じるくらい温度が下がる、湿度が低いせいか余計に寒い。

 今は、その寒さに火照った体が気持ち良い。

 今日は池田さんも飲んでるみたいだ。

 飲みは夜遅くまで続いた。



 イラン出発当日。

 全員で連絡先の交換をした。


「うちの国へ来たら、ぜひ寄ってくれ」


 とか言われたが、多分、死ぬまで行くことは無いだろう。

 でも、日本へ来たら歓待しようと思う。


 ダンプ担当の河野さんと合流して、俺達は出発した。

 河野さんとは部屋も仕事も違ったので食事のときとかしか顔を合せなかったが元気そうだ。

 彼は英語が話せるから、俺よりは意思疎通が簡単だったのだろう。問題が起きたとかの話は聞かなかった。


 生徒全員に手を振られながら、俺達が乗ったトラックは飛行場を後にする。

 日本から運んだユンボとダンプは消耗品と一緒に英軍へ渡してきたので身軽だ。

 まずはテヘランまでイギリス軍のトラックで移動。

 そこからは飛行機で、カラチ-デリー-カルカッタ-ヤンゴン-シンガポール。途中の知らない街を含めて六回乗り換えや燃料補給をしてようやくシンガポールへ着いた。

 それでも船よりはよっぽど早い。だが、船と違って時差があるのでちょっとつらい。


 シンガポールからは護衛艦隊に同乗させてもらい神戸まで移動した。

 神戸からは電車で大阪まで。大阪から飛行機で羽田まで。

 結局、イランから帰るのに八日もかかった。


 東京へ着いたのはもう夕方だったので、大本営には寄らずにまっすぐ家へ帰った。

 神戸から家へ電話で連絡していたので、カミサンと子供が玄関で出迎えてくれた。

 カミサンなんか


「あなた、お帰りなさいませ。よくぞ、ご無事で……」


 なんて、涙ぐんでいる。

 長女、次女は寂しかったのか、俺の脚にギュッとしがみついている。もう、どこにも行かさないという感じだ。


「ただいま」


 と言って、俺はようやく日常へ戻ってきた気がした。



 次の日、さっそく中尉へ報告することにした。

 電話で確認すると、昼飯を食いながら話そうということになり、大本営で待ち合わせをした後、蕎麦屋へ行った。

 そこは中尉のなじみの店らしく、すぐに奥の個室へ通された。


「ご苦労だった。向こうはどうだった」

「荒野だ。満州以上の荒野だった……」


 今となっては良い思い出というか、半分夢だったような気がする。

 つい十日前まで、外国でユンボを転がしてたなんて不思議な感じがする。


「見渡す限り、荒野と砂と岩と他に山が見えるだけで他に何もない。景色が茶色なんだ。あそこへ行くと、ここは外国だ、日本じゃないんだと実感させられる。木なんか川のそばにちょっとあるだけだ。緯度は日本と変わらないのに、なんであんなに乾燥してるんだろう。日本はいいな。いたる所に緑がある。日本に生まれて良かったとつくづく思ったよ」

「それは大変だったな。病気や怪我はしなかったか」

「さすがに最初は体が慣れるまで辛かったが、途中からは大丈夫だ。病気も怪我もしなかったしな」

「何よりだ。これでイギリス陸軍も少しは面子が立つだろう」

「イギリス陸軍? 面子?」


 何のことだ?


「話してなかったか。今回の作戦はイギリス陸軍の発案なのだ。

 イギリス海軍はアメリカの輸送船団と戦っている。ドイツ海軍もそうだ。

 ドイツ陸軍はソ連軍と戦っている。イタリア陸軍はフランスと戦っている。

 我が日本は陸海で米ソと戦っている。

 これまでイギリス陸軍だけがほとんど戦闘をしていなかった。

 それで、英陸軍は最初フランスへ上陸しようとしたが、色々な理由で中止になった。

 そこで、イラン戦線が計画された訳だ」

「じゃあ、俺はイギリス陸軍の面子のためにイランへ行ったのか……」

「まあ、そう言うな。おかげで英独との技術交換の話も進んでいるし、間接的に満州の戦いも楽になるはずだ。お国の為になることだ」


 なんか、釈然としない。だが、一介の軍属の俺にはどうしようもない。


「日本はどうだったんだ。マーシャルで勝ったというのは聞いた。イランの田舎には日本の情報なんかほとんど入ってこないんだ」


 どうしても少しとげがある声で俺は聞いた。


「単純に勝ったとも言い切れんが。まあ、国民向けには勝ったという報道だった」

「どういうことだ」

「個々の戦闘で勝敗は付けにくいこともある。極端に言えば両方勝ち、両方負けということもある。

 今回の米軍の目標はおそらくメジュロ島の飛行場破壊だ。

 第二目標として艦隊停泊用の環礁の確保というところだろう。

 作戦が成功したなら第二段でポンペイ島攻撃もあったかもしれん。

 そして、アメリカは飛行場破壊には成功している。これで日本のあの辺の哨戒能力はぐっと下がった。

 それに我が軍の潜水艦の休養地として使うには少し危険になった。後退させることを検討しなければならん。

 サモア近辺に潜水艦を出すのが難しくなった。

 逆に米軍の潜水艦は多少動きやすくなっただろう」


 俺は太平洋の地図を頭に思い浮かべる。

 たしかにマーシャルは潜水艦の基地として使うのに良さそうな場所にある。

 ここがダメになると、代わりはトラックやマリアナになり、南太平洋から離れてしまう。


「日本の目標はアメリカ艦隊の撃破だった。

 戦艦は無傷で逃がしたが、空母は一隻撃沈、二隻大破で敵に大きな被害を与えた。

 だから日米ともに中途半端に目標を達成したことになる。双方勝ちと言えなくもない。

 まあ、客観的にみて米軍の方が被害が大きいから日本の勝ちといっても差し支えは無いがな」


 中尉の悪い癖だが物事を複雑に、かつ悪い方へ考え過ぎている気がする。

 それが仕事なのかもしれないが。


「他に未確定だが吉報がある。どうやら、アメリカの空母は二隻が沈没したみたいなのだ」

「んっ、なんだその奥歯に何か挟まったような。沈没かどうかなんて見たらすぐにわかるんじゃないのか」

「それが、分からないことも多いのだ。

 大型艦はすぐには沈まんことも多い。

 敵は沈んだかどうかわざわざ教えてくれないからな。こちら側の誤認ということもある。

 今回敵の空母が三隻だったのは状況的に間違いない。

 ヨークタウン型一隻がハワイで応急修理した後、米本土へ向かったのは分かっている。

 一隻が潜水艦の魚雷で撃沈したのも、おそらく間違いない。

 付近に居た我が軍の別の潜水艦が無線を傍受した。よほど焦っていたのか平文で救助を要請している。

 残りの一隻はハワイにもサモアにも西海岸にもパナマ運河にも現れていない。

 爆弾が命中したのは間違いないから修理が必要で、そのまま行動を続けるはずがない。

 どこか我が軍の監視が届かない場所で、工作艦が修理しているという可能性もあることはある。

 だが、普通に考えて損害がひどくて自沈処理した可能性が高い」

「それは良かったじゃないか。で、次はどこをやるんだ」

「海軍はしばらく戦力補充でお休みだ」

「そうか、それなら瀋陽はどうなったんだ。勝ったというのはラジオで聞いたが」


 瀋陽の戦いの話を知ったのは帰る途中の船のラジオ放送だ。

 日本に帰って新聞を読んで概略は分かった。

 ソ連軍大部隊が瀋陽に攻めてきたが、日本はそれを撃退したというのだ。

 結果だけは知っているが、自分が関わったことだけに詳しい話を聞きたかった。


「こっちも勝ったかどうかは難しいな。

 確かに我が軍は瀋陽を守った。だが、単純に勝ったと言えないほど被害は大きいのだ――」



 昭和十五(1940)年十月三日、日ソ開戦から一月ちょっと。


 ソ連軍本隊が瀋陽の北二十キロに到着。野戦の準備を始めた。

 日本からも最初の第五師団に続いて、仙台第二師団、熊本第六師団、戦車師団、自動車師団、砲兵師団が到着、展開している。

 他の師団からも工作部隊、砲兵部隊が先発して到着している。

 これらの部隊の輸送には、戦前日本と世界各国を結んだ客船が大活躍したそうだ。

 戦車、自走砲、大砲など重量物の輸送には日本に一隻しかない戦車運搬船が主に使われた。

 この運搬船は二十四時間運航で、最優先で車輌を運んだ。一か月の間に本土-大連間を五往復している。

 他にも日本各地からフェリーが徴用されて、重機、トラック、バイクなどの車輌を輸送している。

 それは大連の荷揚げ能力を超える事態となり、一部は釜山で荷揚げされることとなった。


 九月五日の初衝突以降も日本は陣地構築に努めた。

 壕を掘り、地雷を埋め少しでも陣地を拡大する。

 新たに到着した部隊も参加して作業するが、戦場は広く戦線は長い。全てに陣地を作ることはできない。


 そして十月五日、瀋陽での戦いが始まった。

 初日は威力偵察と思われる小規模な攻撃だった。実際に部隊を戦わせて相手の戦力を図り、本格的な攻撃の際の進路を探すのだ。


 二日目はソ連の大規模砲撃から始まった。

 主攻は瀋陽。助攻として撫順、丹東。

 ソ連は砲撃の後に戦車を先頭に歩兵を引き連れ進んできた。

 一台や二台が地雷で吹き飛ばされても止まらない。後続車がそれを押しのけて前進する。


 ソ連軍の先頭が事前標定済みの地区に入った時点で日本は砲撃を開始した。

 瀋陽には大本営からも人が派遣されている。

 朝鮮、樺太の戦いを説明するためだ。

 ソ連の物量を食い止めるには砲撃しかないと、日本中からかき集めた大砲で撃ちまくる。

 後は朝鮮、樺太と同じように戦いは進んだ。


 上空で戦闘機同士の航空戦が行われる。

 低空では襲撃機による攻撃だ。九九式双発襲撃機は中尉自慢の機種で五十四機全てが満州に集められている。

 大増産が決定し、飛行機会社はさぞ忙しいだろう。

 戦闘機や爆撃機も帝都防空隊や練習隊などを除いて、陸軍の飛行機はほとんどすべてが瀋陽と平壌に集められた。

 万が一本土に敵が上陸しようものなら大変なことになる。


 自走砲は敵の戦車BT-7を撃ち抜き、襲撃機は敵の頭上から機関銃の弾をばら撒く。

 何台もの戦車が擱座(かくざ)し、兵士が血に染まる。

 それでも何か所か第一線陣地を破られた。


 日本は機動力のある戦車師団、自動車師団で破れた戦線を穴埋めしながら頑強に抵抗した。

 そして、日没前にソ連軍は諦めたのか引き揚げていった。


「それで、俺が掘った壕はどうだったんだ。役に立ったのか」

「ああ、それなりに役に立ったぞ。対戦車壕は時間が許す限り偽装された。木の板で蓋をして、上に土や草を乗せた。気付かずに進んで壕に落ち、動けなくなった戦車が多数居た。二十台以上が我が軍に鹵獲された」

「そうか。それは良かった……」


 役に立ったのなら嬉しい。満州行きは無駄ではなかったと思える。


「だが、本当に危なかったのは丹東だった」と中尉が険しい顔で言った。


 丹東は朝鮮との国境にある満州の街だ。鴨緑江のそばにある。

 満州と朝鮮を結ぶ鉄道も通っている要地だ。


「ソ連は満州-朝鮮の分断を狙って丹東へ助攻を仕掛けてきた。

 兵力の足らない我が軍は丹東には十分な兵力を配置してなかった。混成の一個師団相当の部隊だ。

 そこへ三倍以上のソ連軍が攻めてきた。

 丹東は満州領なので陣地構築を開始したのは瀋陽と同じく米国との開戦後だ。

 重機は瀋陽へ優先で送られているので、丹東にはわずか三台のユンボしかない。

 これでは十分な陣地を作れない。

 最前線は突破され、予備部隊を使い果たし、司令部要員まで銃を取って戦う大激戦だ。

 何とか踏みとどまれたのはソ連の進路は山が多くて、投入された戦車や重砲が少なかったこと。

 平壌の航空部隊が瀋陽ではなく丹東の防衛を手伝ったこと。この二点だ。

 そして、瀋陽のソ連軍が撤退を開始すると、しばらくして丹東のソ連軍も撤退していった。

 もし、戦闘があと一日、いや、半日長引いていれば丹東守備隊は全滅していただろう。

 そうなると、鴨緑江に掛かる橋は破壊され、補給路復旧にかなりの日数がかかるところだった」

「まあ、ソ連が退却したなら良かったじゃないか。

 それと、あの何と言ったかバズーカみたいなやつ。今回はあれは使ったのか」

「携帯噴進砲だな。使ったぞ。あれが無かったら瀋陽は破られていたかもしれん。

 あいつで何十輌もの戦車を仕留めたからな。

 だが、問題も多かった。

 まず、命中率が低い。これは、兵の訓練不足もある。まだ、生産数が少ないからろくに実弾訓練ができん。

 実戦で初めて発射したという兵も多かっただろう。

 千発以上の弾を送っていたが、命中率は一割以下と見られている。品質が低い可能性もある。

 これから調査が進めば詳しいことが分かるだろうが、率が低いことに変わりは無い。

 それから、発射係が敵に撃たれてバタバタやられた。

 あれは撃つ時にどうしても上半身を壕から出さんといかん。そこをやられた。

 ある程度は予想していたが、ひどいものだ。せっかく訓練しても、ああやられては、いくら訓練しても追い付かん。

 何か手を考える必要がある」


 そりゃ三十メートルとかの距離で壕から体を出したら撃たれるだろう。

 俺の記憶から作られただけに責任を感じてしまう。



 今度の瀋陽(と撫順)の戦いの最終的な戦力は、

 ソ連は三十五万人、戦車八百輌以上。

 日本は十一万五千人、戦車四百輌、戦闘機百五十機、襲撃機二十五機。


 危なかった丹東での戦力は、

 ソ連は五万人、戦車六十輌。

 日本は一万五千人、戦車二十六輌、戦闘機七十機、襲撃機二十三機。


 合計の戦果は、

 ソ連側死傷者二万八千人、車輌百二十輌以上撃破、三十二輌鹵獲、航空機二十機撃墜。

 日本側被害、死傷者一万八百人、車輌二十三輌撃破、航空機十八機撃破


「一回の先頭で一個師団の半分近い損害が出ている。

 この調子で行くと我が軍は終戦までに兵力が枯渇することになる。

 もうなりふり構っておられん。これから総力戦だ。

 海軍の大砲も、民間の重機もどんどん満州へ送る。

 飛行機も空母用以外はどんどん満州へ送る。

 ソ連も損害の補充と物資の備蓄で半月から一か月は大きな動きはできないだろう。

 もう少しで冬になる。そうすれば、戦況も変わってくるだろう。

 まずは、それまでの辛抱だ」


 冬になったら寒いのに慣れてるソ連の方が有利なのではと思った。

 だが、中尉によると、日本も日露とシベリア出兵で冬季戦の知識と経験を手に入れたので、それほど悪くも無いと。

 兵站面では日本の方が有利なので、一概にどちらが有利ともいえないそうだ。


 今回、日本は何とかしのぎ切ったが、これからもソ連の戦力は増え、航空機も本格運用が開始されるだろう。それまでにどれだけ準備を整えられるか、それが勝負だ。



 話の最後に中尉から悲しいお知らせを聞いた。


「以前言ったように、ユンボの生産を一時停止したぞ」


 中尉から予告されていた通り、俺がイランへ行っている間にユンボの生産が一時停止されていた。

 そこで働いていた人達は俺を含めてトラック工場に応援へ行くことになった。

 一部は工場の維持と生産再開後の生産量拡大の準備の為に残ったが、俺がその中に入ることは無かった。

 それで俺はというとトラック工場で生産管理の顧問になった。カッコよく言うとアドバイザーだ。

 一応中佐待遇の軍属に滅多なことはさせられないということだろう。

 何をするかというと、一日中ブラブラ歩いて現場を見て、気が付いたことがあったら指摘する。

 我ながら戦争中なのにこんなことしてて良いのかと思う。

 日本中で工場が拡張されてて人手不足みたいで、ここでも女性が働いている。

 それまで働いていた熟練工は熟練作業か監督をしてるそうだ。

 女性は基本的に単純作業をしている。こういう根気が要る作業は女性の方が向いているのかもしれない。

 だが問題もある。彼女らは言われたことを何も言わずに黙々とやる。

 ということは改善の意見は出てこない。まず、疑問に思うことから教えないといけない。


 工場は東京郊外にあり、自宅からだと毎日片道二時間以上かけて通わなくてはいけない。

 それは大変なので、単身赴任することにした。

 中尉からはキャタピラの生産体制が整うまで一か月待ってくれと言われている。

 はやく家に帰りたいものだ。

次章は7/30(水)19時に予約投稿しています。

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