<第三十章 日ソ開戦>
昭和十五(1940)年八月二十八日。
日米開戦から三日後、ソ連からドイツ、日本、東欧各国へ宣戦布告が有り、それとほぼ同時刻ソ連が各地へ侵攻を開始した。
欧州ではドイツ、スロバキア、ハンガリー。
ポーランド、ルーマニアには以前から侵攻済みで戦線は安定していたが、そこにも大規模攻勢を掛けてきた。
アジアでは満州、朝鮮、南樺太、千島。
戦力の集中などまるで考えてないかのような超大規模同時侵攻だ。
米ソ最大の有利な点、人口と生産能力を最大限活用して、相手を消耗戦へ引きずり込もうという戦略が見える。
消耗戦に付き合うと日英独伊側の国力が先に尽きることになる。
これで世界はアメリカ、ソ連、フランスの組とそれ以外に分かれて戦うこととなった。
こちら側はドイツ、イタリア、イギリス、日本、スロバキア、ハンガリー、ルーマニア。
それと、フィンランド、ポーランドは同盟関係に無いが、同じソ連を相手に戦っているので、いずれ協力し合うことになるだろう。
他にはオランダ、ルクセンブルク、デンマーク、ブルガリアが完全にドイツ寄りの中立。というより、ドイツに脅されて中立にさせられている。
ノルウェー、ギリシャはどちらかというと英独寄りの中立だ。
その他の国はまだ旗色を明らかにしていない。
ちなみにイギリスとソ連は互いに宣戦布告していない。同様にアメリカと東欧諸国の間も正式には開戦していない。
八月二十九日。
俺は○菱の技術者とともに急遽満州へ向かうことが決まった。
建設車両の実戦での動きを視察するためと、問題が発生した場合迅速に解決するためだ。
中尉へ挨拶するために大本営へ行ったところ、絶対忙しいはずなのに少しだけ時間を作ってくれた。
そして、現時点での戦況を教えてくれた。
朝鮮では二十八日の正午前、大規模砲撃の後にソ連軍は侵攻してきた。
この時点ではまだ日本に宣戦布告文書は届いていない。
国境の街羅津に居た部隊はソ連軍侵攻開始の一報を発すると清津方面へ後退。
それを追撃するソ連軍へ、清津から飛び立った日本陸軍航空機が駆けつけ襲い掛かった。
制空隊が上空を守る中、攻撃隊の急降下爆撃機、地上襲撃機が戦車を狙う。
「襲撃機って何だ?」
「九九式双発襲撃機だ。お前が模型を作ったA-10を参考に作った。
双発エンジンを翼の上に置いて、機首に可動式三十ミリ機関砲を二挺、胴体下部後方に一挺装備。六十キロ爆弾を四発搭載可能。
機体下部の装甲を強化してあって、速度が遅い上に航続距離は短く操縦性が悪い。敵機が居たらとても使えない。
だが、地上の敵にはめっぽう強い。一機で一個大隊の足止めができる。
使いどころが限られてるから、まだ六個中隊五十四機しかないがな。
そのうち、二個中隊ずつが清津と平壌に配備されている。
少しずつ増やしているが、今度の戦いで様子を見て使える様なら大増産する予定だ」
その九九双襲がソ連軍を蹴散らしている所へ日本より一足遅れてソ連軍機が到着。すぐに制空隊と戦闘に突入した。
頑丈なソ連機は制空隊の13ミリではなかなか落ちない。だが、日本側も機動性、操縦技能に優れていて、落とされることはない。
膠着しかかった所へ日本の迎撃戦闘機隊が到着、機首の強力な20ミリを生かしてソ連機を攻撃。
さすがのソ連機も20ミリを食らっては撃墜されるしかなかった。
上空で格闘戦が行われている間、ソ連地上軍を弾薬の限り攻撃した日本攻撃隊は攻撃を終えるや、サッと引き上げる。
しばらくすると数を減らしたソ連機は数多く穴が開いた機体をひるがえして帰投する。航続距離が短くて長時間の戦闘ができないのだ。
日本は深追いせず、迎撃機隊、制空隊の順で引き揚げる。
航空攻撃で攻勢を弱められたソ連軍はなおも進撃を続行。
地雷原を数に物を言わせて無理やり突破して日本軍陣地へ迫る。
そこへ事前標定済みの日本砲兵部隊の弾が降り注いだ。
ソ連軍は深刻な被害を出しながらも、なおも前進。そこで日本軍第一線陣地と衝突、ようやく前進を止めた。
日本軍は多少の被害を受けつつ対戦車砲で反撃、多数のソ連戦車を撃破。ソ連歩兵も機関銃の猛射の前に陣地へ近づけない。
そして、夕方が近づきソ連軍は後退していった。
「我が軍の九七式中戦車ではソ連の戦車に歯が立たんかった。
だが、お前の言うロンメルは、なかなか良かったらしいぞ。
九七の弾が弾かれる距離でも、BT-7を撃破するそうだ。
陣地転換も早いし、待ち受けての攻撃だとかなり使える」
「それは良かった」
「ソ連もこれから新型の戦車を投入してくるだろう。
こちらも零式の配備を急がんといかん」
まだ生産数の少ない零式戦車・自走砲は主戦場の満州に少数配備するのが精一杯で、まだ朝鮮や樺太に送れてないそうだ。
最終的な結果は、ソ連の推定戦力一万人、戦車三十両、航空機七十機に対して日本は特別旅団八千人、航空機九十機で応戦し撃退に成功した。
これが朝ソ国境付近の戦いの概要だ。
樺太も似たような結果だった。
南樺太ではソ連軍の大規模砲撃で戦闘が始まった。
ソ連は砲撃で国境地帯の地雷原を吹き飛ばした後に進撃開始。
守備隊は遅滞戦術を取りながら防御線である敷香北方の陣地へ後退。
後は清津と同様に航空戦、砲撃、反撃と続きソ連軍を後退させた。
ソ連は兵力五千人、戦車十五両、航空機三十機。
日本は一個連隊三千人、航空機三十機。
この二か所に対して千島列島北端、国境の島占守では様相が少し違った。
昼過ぎソ連軍は海上に姿を現し、艦砲射撃の後に多数の小型艇で上陸を開始した。
日本軍は上陸を待ってから、いわゆる水際作戦で攻撃を開始。
標定済みの砲撃で敵兵を吹き飛ばし、隠蔽された機銃座からの銃撃で敵兵をなぎ倒した。
それでもソ連は次々と兵を送り込み、死体を増やし続ける。
そこへ日本海軍航空隊が到着。上陸用舟艇へ銃撃するとともに、沖合の輸送艦、駆逐艦へ爆撃を行い損傷させた。
そして、夕方になりソ連軍は死傷者を海岸に残したまま引き揚げた。
ソ連側戦力は三千人、駆逐艦一隻、輸送艦二隻。
日本側は特別大隊千五百人、航空機十五機。
ソ連側の被害は駆逐艦一隻小破、輸送船一隻中破、一隻小破。死傷者及び捕虜七百人。
日本側被害、死傷者百八十人。少なくない被害だ。
この三か所はほぼ日本の想定通りに進んだが、満州は少し違っていた。
ソ連軍は戦車を先頭に大軍が侵攻してきた。
主要ルートは満州里から鉄道沿いと、ハバロフスクから西への二つ。
満州軍の抵抗は全く無く、また住民も逃げ出した後で、ソ連軍は無人の街や荒野を順調に進撃。
昼過ぎからの侵攻にもかかわらず初日に五十キロも前進した。
これは日本の予想よりもかなり速い。相当大量のトラックが投入されたと思われる。
日本はギリギリまで避難民を鉄道で瀋陽方面へ送ると、鉄道工兵隊がハルビンから鉄道施設を破壊しながら撤退。
特に、鉄橋と給水施設は念入りに破壊した。
満州の鉄道は全線蒸気機関なので列車を走らせるには水が必要となる。それで給水施設の破壊はとても有効なのだそうだ。
鉄道関係だけではなく放棄が決定している扶余油田もかなり大規模に破壊するそうだ。
この日のため事前に爆薬が大連に集積してあったのだ。
ちなみに、扶余油田はアメリカも共同出資していたのでアメリカ人従業員と家族が居る。
日本としては技術者や兵役可能者だけでも拘束したかったが、満州側の反対に合いできなかった。
アメリカ人はまとめて中華民国の護衛付きで北平(北京)のアメリカ大使館へ送られるそうだ。
その後、アメリカの租界か租借地にでも行くのだろう。
さすがに、他国の領土内で無茶はできないので、日本は諦めるしかなかった。
日本軍は二十六日には瀋陽へ先遣部隊が到着。陣地構築の準備を始めた。
張作霖からの強い要望で瀋陽防衛を決定したからだ。瀋陽は張一派の本拠地といっても良い場所で、ここを荒らされることは張派の力が大きくそがれることを意味する。
ソ連侵攻当日の二十八日には鉄道で運ばれた工作大隊第一陣も到着、早速建設機械を使用して陣地構築を始める。
こうした急ぐ場合にユンボは頼もしい。人間の何十倍もの速さで対戦車壕、塹壕を掘り、胸壁を作る。
元から大連へ駐屯していた部隊と広島第五師団の一部も到着し展開を始めている。
ソ連が来る頃には計二個師団相当で固めている予定だ。
数日間はこの戦力でソ連を受け止めないといけない。
航空機は大連、平壌に合計で戦闘機が百五十、攻撃機五十がすでに待機している。
これから順次小倉の戦車師団、自動車師団が到着し、その後も本土の歩兵師団、航空機が続々とやって来る予定になっている。
営口は既に解放済みで武装解除も終了し、米軍捕虜の日本本土への移送が始まっている。
米軍はかなり慌てて移動したらしく、重砲、車輌の大部分が残っていた。
これは、研究の為に一部が本土へ送られた他は張一派へ売却される。
また、山東半島の米軍は全く動きが無い。救助部隊が来るまで籠城する作戦と思われる。
「気を付けて行ってこい。死ぬのはかまわんが、間違っても捕虜にはなるなよ」
中尉は真面目な顔で言うので冗談か本気か分からない。
「いやいや、死ぬつもりはないぞ。やることやって、ちゃんと帰ってくる」
「ああ、頼んだぞ。瀋陽でソ連を止められるかはユンボの働きに掛かってるからな」
ちょっと大げさな気がするが、全くの嘘でもないだろう。
聞いたところ、満州には最新型のユンボが送られていた。ざっと人間の数十倍の効率で穴が掘れる。
ソ連が想定する以上の防衛戦を作れるのは間違いない。
これから俺は危険な満州へ向かう。
こっちの世界へ来た当初は戦争なんて絶対嫌だと思っていたけど、二十年以上暮らすうちに少しはお国の為に役に立とうという気持ちになっている。慣れとは怖いものだ。
死なない程度に頑張るつもりだ。
敵が来たら、もちろん転進する。だって俺は軍人じゃないから。ユンボオペだから。
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