<第二十九章 日米激突>
昭和十五(1940)年八月二十五日。
すでに、第五師団歩兵第十一連隊の先遣隊は大連へ上陸し、鉄道で移動を開始していた。連隊主力は輸送艦に乗り大連へ向けて黄海を移動中だ。
この第五師団、特に第十一連隊は有事に緊急対応する部隊として平時から戦時体制に近い兵士を抱えているそうだ。
この部隊は元から大連に居た兵団とともに、営口に居る米軍に対抗する。また、ソ連が攻めてきた場合に迎え撃つことになる。
海軍特別陸戦隊は乗船済みで舞鶴港で待機している。彼らは戦争の状況に応じて、大連か清津へ向かう
航空機の移動も活発で、本土から台湾、沖縄、小笠原、南洋諸島、大連、清津、平壌、樺太の豊原、千島列島幌筵島……等々、各地の飛行場へ飛んでいる。
整備兵は別便の輸送機で送られる。整備部品、弾薬、燃料は輸送船で送られる。
初戦の準備は着々と進んでいる。
開戦時にアメリカからの攻撃が一番予想される台湾上空では回答期限三十分前から制空戦闘機隊が上空警戒すると同時に、フィリピン方面へ偵察機が進出していた。
同様にサイパン、パラオ、朝ソ国境、日ソ国境近くでも戦闘機が上空警戒していた。
米ソが同時攻撃を仕掛けてくる可能性は十分にあった。
回答期限のまさにその時、俺は大本営地下に設けられた作戦状況室に居た。
感想を聞きたいと中尉に連れてこられたのだ。
やや暗い部屋の中央には大きな台が置かれ、その上に地図が広げてある。その周りを長い棒を持った士官が取り囲んでいる。
多分、あの棒で地図上の駒を動かすのだろう。
壁際には何台もの電話や無線機が置かれ、一台ごとに人が付いている。
そして、正午。ついに回答期限が来た。
部屋の中が一気に緊張する。
だが、どこからも敵出現の第一報は入らない。
時間が進むのがとても遅い。何度も時計を見てしまう。
俺は緊張のせいか喉が渇いて仕方ない。ここは安全な場所だと頭では分かっていても、周りの人間の緊張が伝わってくるのだ。
12時13分。スピーカーから雑音交じりの聞こえにくい声が流れてきた。
『全機に告ぐ、こちら高雄管制、方位ヒトゴーマル、距離百に敵編隊。高度三千。電探に感有り。ツバメは高度三千五百で急行せよ』
『こちらツバメ、方位ヒトゴーマル、距離百、高度三千了解。三千五百で急行する』
『目標は大型爆撃機編隊と思われる。推定侵攻速度は三百二十キロ。十分に注意せよ』
12時22分。
『こちらツバメ。敵編隊発見。大型爆撃機、数およそ五十。護衛の姿は見当たらない。警告射撃の後の撃墜の許可を求む』
『こちら、高雄管制。許可する』
「五十とは。アメさんはフィリピンの爆撃機を全部出してきたな」
誰かがつぶやいた。
ツバメが多分部隊名なのだろう。ガンバレ、ツバメ。俺は心の中で応援する。
12時25分。
『敵機はB-17。護衛は無し。警告射撃実施するも、反撃を受ける。進路変更の様子無し。これより攻撃する』
『管制了解。武運を祈る』
12時29分。
『三十機が迎撃線を突破して飛行場へ向かった。後を頼む。13ミリじゃなかなか落ちん。こっちは四機落とされた』
『管制了解。被弾機は緊急飛行場へ着陸せよ。ツバメの戦闘可能機は高度四千で待機。帰投中の敵機攻撃を予定せよ。迎撃地点は追って指示する』
『こちら、アラシ、敵機確認。これより攻撃する』
『管制了解』
12時33分。
『アラシだ。およそ十機が最終線突破。すまん。奴ら爆撃体制を作ってる』
『管制了解』
同。
『こちら高雄管制。防空指揮所、対空射撃を開始せよ』
『こちら高雄防空指揮所。了解。射撃を開始する』
ここで続報が止まり状況が分からなくなり、ジリジリとした時間が流れる。
戦闘中は速かった時間が、再びとても遅く感じる。
12時40分。
『こちら高雄飛行場、高雄管制聞こえるか』
『こちら高雄管制。聞こえる』
『滑走路をやられた。復旧に二時間かかる。よそへ降ろしてくれ。使えるようになったら連絡する』
『管制了解――。こちら高雄管制。アラシ、ツバメ、敵機は同一進路を帰投中。高度三千六百。可能ならば攻撃せよ』
『アラシ、了解』
『ツバメ、了解』
12時41分。
『こちら高雄管制、上空退避中の各機へ。高雄飛行場は滑走路を復旧中。復旧予定は二時間後。それまで待機継続。緊急時は緊急飛行場へ着陸せよ』
『こちら、陸爆隊長。了解。待機を続ける』
12時43分
『こちら高雄管制。アラシへ。敵はそこから五時へ十キロ』
『こちらアラシ。了解。――敵機視認。攻撃する』
予想より被害が少ないのか、少しだけ部屋の緊張がゆるむ。
中に居る人達が会話を始める。
中尉は一番偉いのか、中心で話をしている。
「初の実戦だが、この仕組みはかなり使えるな」と中尉。
「情報が即時伝わるので、状況確認が容易です」とその他1。
「しかし、護衛機無しで来るとは我が軍を舐めているのか、それとも噂通り敵戦闘機では台湾まで来れないのか」とその他2。
「まあ、両方だろう」と中尉。
「戦闘機同士の声が聞こえないと、現場の生の声が聞こえませんな」
「それだと混信するだろう。今は小隊ごとに周波数を変えてるが、全部で四種しかない。一種は隊長機と管制の間で使うから、三小隊までしか同時に無電を使うことができない。そっちの方が問題だ」
「ということは、迎撃は中隊単位で敵にぶつけるしかないですか」
「その辺は戦闘詳報が上がってきてから検討だ。俺としたら、現場からやり方を集めて、現場に流して、自分たちがやりやすい方法でやれっていうのが好きだ。変えるとなると教育の奴らにも話を通さないといかんしな」
中尉がにこやかに雑談している。
いつもの中尉じゃない。すごい違和感だ。
表情少なめで感情を表に出さなくて、腹黒いことを考えてそうな中尉じゃない。
俺は中尉の周りから人が居なくなった隙に近づいて聞いてみた。
この日の戦果は約五十機来襲に対して、六十九機で迎撃し三十機撃破、二十機撃墜。被害は六機撃墜、十五機損傷。
撃破とは敵が爆撃前に帰ったり修理が大変なほどの被害を与えることで、撃墜が墜落のことだそうだ。
「けっこう、凄いじゃないか」
「まあ、敵も初の実戦で、怖気づいた奴が多かったんだろう。戦果誤認もあるし、実際落としたのはせいぜい十数機だな。予想はしていたがやはりB-17は硬い。先が思いやられる」
それから中尉はさっきの仕組みも教えてくれた。
管制というのがレーダー施設の人で、防空指揮所が対空砲の指揮をしている所。
それで、戦闘機と管制の間は無線で話してて、それを電話を通してこちらで聞いてる。
管制と防空指揮所、飛行場の間は電話で話していたそうだ。
「なんか良さそう仕組みだな」
「何を言ってるんだ。お前から聞いた早期警戒機の考えを地上に当てはめただけだぞ」
「えっ、そうなのか。でも、なんか違うぞ」
「いいんだよ、お前から聞いたのを今できる技術を組み合わせて作ると、ああなるんだ」
ちなみに、俺が昔、中尉に言ったのは、
「飛行機の背中にレーダーが付いてて、その飛行機が戦闘機に『どこどこに敵がいるから攻撃せよ』って命令したら、戦闘機が『イーグルワン、了解』ってなって、攻撃しに行く」
こんなレベルの説明が、ああなるとは不思議だ。
「そんなことより、重機の初実戦だな」と中尉。
「えっ」
「爆弾で滑走路に空いた穴はブルドーザーで埋めるんじゃないのか」
「おおっ、そうか、そりゃそうだ」
中尉は事前に言ってくれないから頭から抜け落ちてた。
「おそらく、ブルドーザーだから二時間で済むのだろう。直撃弾の数にもよるが人力だと半日はかかりそうだ」
「飛行場にはブルが配備されてるのか」
「主な飛行場には最低でもブルとダンプが一台ずつ配備されてる。
爆弾の穴を塞ぐ以外にもいろいろ使えるからな。ブルは事故機を撤去したり、ダンプはトラック代わりに使ったり。
高雄の飛行場だと、ブルとダンプが各二台、ユンボ、ユニック、ロードローラーが各一台くらいじゃないか」
建設中の飛行場で重機が使われてるのは、もちろん知っていた。俺が手伝ったこともある。
だが、完成後でも配備されてるとは知らなかった。
開戦で急に発注が増えたのは、飛行場配備用も含まれてるのかもしれない。
八月二十六日。
米軍による台湾爆撃の翌日、日本は米国へ正式に宣戦布告した。
そして、その日から日本の反撃が始まった。
第一弾として青島と営口の封鎖作戦が行われた。
青島では、まずは大連の海軍航空隊による爆撃から始まった。
青島にレーダーが無いことは判明している。
大連-青島は約三百キロ。一時間ほどの距離だ。途中山東半島を北から横切る形になるため、完全な奇襲にはならない。
まずは制空隊が制空権を確保し、その間攻撃隊が水平爆撃で飛行場を爆撃。
その後、黄海に展開していた空母艦載機により、飛行場、駐屯地、物資集積所を爆撃。
だいたいの場所は現地諜報員により判明している。
海では青島沖の海底へ潜水艦が機雷を設置した。
敵の被害は分からないが、とりあえずの脅威は除いたと考えられた。
ここを叩いておかないと日本と大連間の物資輸送が危険にさらされる。
機雷設置の事実は予定通り、米軍青島司令部へ通告された。これをやっておかないと、開戦後も残っているかもしれない第三国の船舶に被害が出る恐れがある。
今後は定期的に爆撃を行い、徐々に弱らせていくのだ。
だが、当面青島を攻略する予定は無い。
米軍に遊兵を作らせ、補給に困らせ、救出部隊を送ってこさせるために、わざと攻略しない。
営口では現地潜入員からの報告で米軍及び米国人が脱出していると伝えられていた。
もともと営口は大連兵団の一部により包囲する予定であった。
だが、敵部隊の大部分が撤退したと予想されたため、急遽海軍特別陸戦隊が直接占領することになった。
陸軍部隊は対ソ戦に一兵でも欲しいということで、海軍特別陸戦隊へ下令されたのだ。
陸戦隊は営口近くの海岸へ上陸すると、営口へ陸上移動。その後、米軍営口司令部へ軍使を派遣した。
米軍はほぼ抜け出した後だった。
残っているのは文官、民間人と治安維持もままならないような少数の部隊だけだった。
米軍指揮官は日本軍が治安維持に責任を持つことを降伏条件にした。
対して日本は張作霖へ引き継ぐまでの治安維持を保証し、降伏が成立がした。
こうして日米最初の直接陸戦は始まることなく終了した。
ただ、日本軍内で緊張した兵による誤発砲が何度かあったらしい。
また、封鎖作戦と同日、米領グアム島への攻撃も行われている。
米国グアム守備隊はサイパン島からの空爆、及び陸戦隊の上陸でほとんど抵抗することなく降伏している。
開戦前、中尉が気にしていた西サモアはオーストラリア海軍により救出されていた。
<開戦時の日本海軍編成表>
連合艦隊
直属
戦艦比叡
第一潜水戦隊 潜水母艦一、艦隊随伴型大型潜水艦六
第二潜水戦隊 潜水母艦一、艦隊随伴型大型潜水艦六
第四駆逐戦隊 軽巡一、駆逐艦八
その他:水上機母艦二、揚陸艦二、工作艦二、病院船二 他
第一航空艦隊
第一航空戦隊 空母加賀、土佐、駆逐艦四
第二航空戦隊 空母蒼龍、飛龍、駆逐艦四
第三航空戦隊 空母翔鶴、瑞鶴、駆逐艦四
第一艦隊(主力打撃艦隊)
第一戦隊 戦艦長門、陸奥
第四戦隊 重巡四
第四航空隊 護衛空母一、駆逐艦二
第一駆逐戦隊 軽巡一、駆逐艦八
第三潜水戦隊 潜水母艦一、艦隊随伴型大型潜水艦六
第二艦隊(主力打撃艦隊)
第二戦隊 戦艦金剛、榛名、霧島
第三戦隊 戦艦扶桑、山城、伊勢、日向
第五戦隊 重巡四
第六戦隊 重巡四
第五航空隊 護衛空母一、駆逐艦二
第六航空隊 護衛空母一、駆逐艦二
第二駆逐戦隊 軽巡一、駆逐艦八
第三駆逐戦隊 軽巡一、駆逐艦八
第四潜水戦隊 潜水母艦一、艦隊随伴型大型潜水艦六
第三艦隊(台湾方面担当)
第七戦隊 重巡四
第九戦隊 軽巡二
第四駆逐戦隊 軽巡一、駆逐艦八
第七潜水戦隊 潜水母艦一、近海型中型潜水艦六
第四艦隊(トラック方面担当)
第八戦隊 重巡二
第一〇戦隊 軽巡二
第五駆逐戦隊 軽巡一、駆逐艦八
第八潜水戦隊 潜水母艦一、近海型中型潜水艦六(一隻は建造中)
艦隊直属 水上機母艦二
第五艦隊(樺太、千島方面担当)
第一一戦隊 軽巡二
第六駆逐戦隊 軽巡一、駆逐艦八
第九潜水戦隊 潜水母艦一、近海型中型潜水艦六(一隻は建造中)
護衛艦隊
旗艦 軽巡一
第一護衛戦隊 軽巡一、護衛空母一、駆逐艦四
第二~五護衛戦隊 各(駆逐艦一、護衛空母一、護衛艦四)(護衛艦二隻は建造中)
※一個護衛戦隊で大型輸送船十二隻の護衛を行う
特別護衛戦隊 通商破壊型重巡二、補給艦二
第五潜水戦隊 潜水母艦一、通商破壊型大型潜水艦六(一隻は建造中)
第六潜水戦隊 潜水母艦一、通商破壊型大型潜水艦六(一隻は建造中)
掃海隊、敷設艦他
大本営直属艦艇
特設兵員輸送艦、輸送艦、油槽艦、練習艦、補給艦 等
<開戦時の日本陸軍主要部隊>
近衛師団(東京)
第一~二十六師団
戦車師団(小倉)
自動車師団(小倉)
砲兵第一師団(大阪)
朝鮮駐留軍(京城)
大連兵団(大連)
樺太兵団(豊原)
千島兵団(根室)
南洋兵団
特別空挺団(船橋)
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