<第十五章 大恐慌>
昭和四(1929)年。
中尉は大尉から少佐になっている。何か変な表現だ。
俺も少し遅れて少佐待遇になっている。
それからカミサンが待望の第二子を懐妊した。これで俺のやる気もさらにパワーアップしている。
世の中は米国の好景気につられて徐々に景気が回復していて最悪の状況は脱している。だが、まだまだ予断を許さない。
一方米国の好景気はまるでバブル。株価は上がり続け、高級品が売れまくってるらしい。
バブルははじけるぞとバブル絶頂の時に生まれた俺はとても言いたい。
そして米国はイケイケムードで中国へ進出している。
バブル時代にアメリカの会社を買いまくった日本みたいだ。
バブルの話は現場のオッサン連中から良く聞かされた。遠い目をしながら『あの頃は凄かった』と話すのだ。
「日給が五万とか十万の時もあった」
「クラブ(飲み屋のほう)を貸し切って、どんちゃん騒ぎ」
「昼は重機を転がして、夜はマンションや外車を転がして副業してるやつも居た」とか。
想像もできないとんでもない時代だったのは分かった。
今のアメリカの好景気はバブルより規模が大きそうだ。さすが金持ちは違う。
中国の米国租界内はアメリカ本土の一部同然になっている。英語が話され、ドルが使える。景気が良いので米国中国の人間が流れ込んでるそうだ。
自動車工場も建てられている。金持ちだけ相手にしてもビジネスが成り立つという考えだろう。
まだ繊維工場は建てられてないので、日本は悪影響を受けていない。
しかし、日本から中国への重要輸出品である綿布を中国国内で作られると大打撃を受けることになる。
米国が中国に繊維工場を作る時、その時が本気で日本を潰そうとしてきた時だと中尉は考えている。
米の支配地域外では、国民党は米独の支援で各地軍閥と権力闘争を続けている。ドイツからは軍事顧問団、米国からは兵器が送られている。おそらく中国国内で米独の利権争いもあるだろう。
中国北西部は共産党が頑強に抵抗しているし、それ以外では米貨排斥運動が起きている。
新聞に載ってて俺が知ってるくらいだから、かなりのものなんだろう。けっして安定してるわけではない。
九月某日。運命の日。
ついにニューヨーク証券取引所で株価が暴落した。
一時的な株価の調整だと多くの人が楽観視する中、株価は下がり続け二か月後には平均株価が三割も下がった。
米国内では深刻な資金不足が発生して倒産が相次いだ。元の世界よりも深刻なのではないだろうか。
昨年から日本が投資を引き揚げた(ドル、金に換えた)こと、米国資本家が中国・満州・日本へ投資していて米国内資金が減少していたことが追い打ちをかけている。
しかも米国資本家は外国から資金を引き揚げない。儲かっているからだ。米国内の損を国外で儲けようとしているみたいだ。
もちろん、そんなことは隠しきれなくて米国内の新聞各社が資本家を叩いている。
さらに問題となるのがアジア系移民だ。
好景気の時は良かった。人手不足の解消に役立った。
だが一旦不景気になると彼らは米国人から職を奪う悪者扱いになる。
実際は米国人がやりたがらない低賃金重労働の仕事を移民がやっているので、アジア系が居なくなっても米国人失業者が納得する仕事を得られる訳ではない。
それでも、新聞社が黄禍論を煽ると、米国市民権の有無にかかわらず外見がアジア系と言うだけで差別がひどくなっていった。
日本でも恐慌当初はパニック売りが発生したが、政府が次々と政策を発表するにつれて徐々に落ち着いていった。
金交換停止、金銀の輸出許可制、空売り規制、赤字国債発行、大規模景気対策……。
貧民救済のためには備蓄食料が緊急放出された。古古米で不味いんだが、失業者にとっては食えれば何でもイイ。背に腹は代えられない。
大規模景気対策も決定された。
大規模工事として、
・各地へ空港建設。既存空港の拡大、舗装化。羽田を結ぶ定期便へ補助金支給
この空港は当初軍管理下で軍民共同利用される。離発着増加に応じて軍民分離を検討する。
・羽田空港の拡張舗装化工事
一部海面埋立ても行い、将来の三千メートル滑走路三本(通常二、横風一)に向けて今から順次拡大する。
・主要港の拡張工事(小樽、仙台、新潟、東京、横浜、名古屋、大阪、神戸、広島、福岡、長崎、鹿児島、台北、高雄)
クレーン・岸壁・桟橋増設、浚渫、鉄道引込線の敷設 等が行われる。
・関門トンネル建設
昭和十三(1938)年度中の完成を目指して工事を行う。
・石油備蓄タンク建設
瀬戸内海の徳島、岩国に石油備蓄基地を建設する。目標は国内使用量三年分の石油。
・大企業の大型設備投資への優遇税制と政府系金融機関からの貸付
既に財閥系の造船会社に一万トン級ドック新設の指示が出ている。
また、軍用車輌の工場新設の計画もある。
陸軍では、
・一個師団(小倉)、二個独立連隊(稚内、釧路)増設
小倉にできるのは以前廃止された第十八師団の流れをくむもので、日本初の完全自動車化師団を目指して設立された。
稚内は宗谷、南樺太を連隊区として南樺太、北海道北部の防衛に当たり、釧路は釧路、根室、網走、河西を連隊区として千島及び北海道北東部の防衛に当たる。
・空挺実験部隊の創設
グライダー搭乗による空挺降下を行う。パラシュート降下は適した旅客機が開発され次第行う。
・トラック、バイク、建設機械の大量購入
バイクは各師団所属の騎兵連隊の一部を置き換えるものとして導入される。
これは俺情報で戦後日本は世界一のバイク生産国になるというところから来ているのかもしれない。
米国製自動二輪の国内ライセンス生産品が使われる。
海軍では、
・横須賀、佐世保海軍工廠のドック増設(五万トン級)
これは戦艦、大型空母が入渠できる大きさ。(佐世保は修理専用)
・軍用輸送船、タンカーの建造
これまで、輸送船、タンカーは必要の都度民間から傭船していたが、軍専用の物を建造する。
これは後の大量建造する標準船の基本形になる。
・護衛実験隊創設
護衛戦術、船団攻撃戦術を研究する専門の隊を創設する。
所属は軽巡1、駆逐艦2、水雷艇3、潜水艦2。
そして陸海軍共に航空部隊の増設。
日本各地に建設される空港を軍民共同利用する。
さらに、日本国内の米国資本撤退時に資産買い取り(買い叩き)もこっそり行われた。
去年中尉が言ってた、もう少し待てはこれのことだったのか。
おかげで建設機械が大いに売れ出した。
俺は嬉しい悲鳴をあげる。ユンボが売れても俺が儲かる訳じゃないが、俺が作ったユンボが認められるのは、めちゃくちゃ嬉しい。
売れれば売れるほど品質は上がるもので、当初は毎日使用後の整備点検が欠かせなかったが、今では油圧用の油の残量さえ気を付ければ一週間は整備無しで動くようになっている。
それに現行の第二世代ユンボが売れて儲かれば、それだけ第三世代の開発が早くなる。
俺は何でも屋として忙しく毎日過ごしている。
重機の改良、新型開発に関わるし、工場も見に行くし、お客さんのところへ行って故障の原因を調べたり、時には苦情の対応もする。
さらに工場拡大の話も出ていて、重機が売れれば売れるほど俺は忙しくなる。
そんなバタバタしてる俺の仕事場へ中尉が数か月ぶりに顔を見せた。
「元気でやってるか」
中尉は忙しすぎるのか、ちょっと年を取った感じだ。
今年でお互い三十六だし、完全なオジサンだ。
でも、おれが冴えないオジサンだとすると、中尉は渋さが増したカッコイイオジサンになってる。
「まあ、それなりに。最近は急に忙しくなって大変だ」
「そうか」
「今日はどうした。何かあったか?」
「ちょっと見て欲しい物があってな」
そう言って中尉は、後ろに居た兵隊さんに大きな荷物を持ってこさせた。
中身を見て、俺は思わず声を出した。
「おぉ、これは……」
懐かしい。アンテナだ。
昔、こっちの世界へ来て間もない頃、中尉にレーダーの話をした時にパラボラアンテナとかの話をしたのは覚えてるが、テレビアンテナの話はしてなかったかもしれない。
「知ってるのか」
「テレビじゃないし、ラジオのアンテナ?」
「大学で開発された新型のアンテナだ」中尉は人払いして言った。
「ふーん、元の世界じゃ、テレビのアンテナがこんな形してて、みんな家の屋根に立ててた」
「そうか、使われていたか」
「日本中で使われてた。地デジ――えっと、新しい種類のテレビ放送が始まる時は、このアンテナの準備で騒いでた」
「どうやって使うんだ」
「どうやってって、屋根の上に立てて、テレビ局……、いや、東京タワー、んっ、スカイツリーだったかな。とにかく東京の方に向けるんだ。東京からテレビ電波が出てるから」
「そうか、分かった。ありがとう」
中尉はそれだけで話を終わらせ帰ろうとする。
それは無いんじゃないの。
「久しぶりに会って、そんだけ。もう、ちょっと話をしてけよ」
それで、大恐慌で気になってることを聞いてみた。
「景気対策で国債を大量に出してるが、大丈夫なのか。俺としては重機が売れて嬉しいが」
関東大震災以来、日本は赤字国債を出し続けていて、大丈夫なんだろうか。心配だ。
すでに国家予算の五倍くらいになってるらしい。
「あぁ、大丈夫だ。日露戦争のときはもっとひどかった。まだまだ、国債を発行するぞ」
国内によくそんなお金があるなと中尉に聞いたら、言いにくそうだが教えてくれた。
「実を言うとだな、S資金というものがある――」
俺の情報を元に儲けたお金が裏金として管理されS資金と呼ばれているそうだ。
今回の米国株価暴落では、そのS資金を使ってさらに儲けた。春から大量の空売りを続けていたので九月までに少し損したが、半年で差引き二割近く儲けたと。
国債消化のためには銀行にも国債を買わせないといけない。だが、物価上昇に比べて国債の利率があまり高くないので買いたがらない。
それで、世間に秘密で利子の補填をするのだが、S資金を表だって使うことはできない。
まずは玉串会のダミー会社が銀行の子会社から割高な価格で製品を購入してお金を流す。ダミー会社が購入した製品は別の銀行子会社に低価格で転売して、また利子補填に利用するということをしている。
ちなみに、俺のユンボ開発にも裏金は使われているそうだ。
たしかに何となくおかしいとは思ってた。
月に十台しか作らないユンボを何年もかけて開発するなんて。俺は初期投資だから我慢してくれてると思ってた。
感謝してて損した。今までの俺の感謝を返せ。
これからは遠慮なく第三世代ユンボを開発してやる。
次章は5/24(土)19時に予約投稿しています。
予告再掲。
感想が多くて返信が大変ですし、書き溜めていたものが減って来ましたので、5/25(日)19時を最後に毎日更新は終わりにして、週二回くらいの更新にしたいと思います。
ご了承願います。