私はただ話続ける。
暗い室内。静かな空間。自分以外になにもない場所で。
くすくすくす…
あの子の笑い声が聞こえる。私はただそれだけでいい。その笑い声は私を満足させ、さらに話続ける気力をくれるのだ。もっと笑って欲しい。もっと聞いて欲しい。もっと、もっと―――
「それでね、私どうしたと思う?」
くすくすくす…
「まずは爪なの、ふふふ」
くすくすくす…
「その後少し休憩して、次は腕、」
くすくすくす…
「その後はまた休憩。そしてゆっくりじっくり遊んでから、最後に目をやるの、………っふ、くくくっ、ははははは…」
くすくすくす…
*** *** ***
真っ暗な場所で、彼女はただ突っ立っていた。そこはとても狭く、とてもひやりとして、とても臭くて。自分の目の高さにある横長の穴から外の明かりが入り込んでいる。その穴にそって切り取られた光が彼女の鼻から目に かけて横文字にへばり付く。
『くすくすくす…』
外から聞こえた笑い声。ころころと鈴を転がすようなそれが聞こえると、彼女は自分のポケットに突っこんだままの指をかすかに動かし、カチリと中のボタンを押してやる。つい興奮してしまい、急に動かした腕の肘が長細い木製の柄にぶつかった。舌打ちしそうになったが、余計な音はできる限り立てたくなかったので我慢した。ポケットに入れられた指先に残る、重い振動と「カチッ」
という高い音。彼女はただ耳を澄ました。
『くすくすくす…』
聞こえる聞こえる聞こえる聞こえる…。
「馬鹿だよアイツ!!」
「本当、簡単に捕まってやんの、」
「ねぇ、鞄どうする?」
「捨てとけ捨てとけ、ばっちいもん持って帰るとママに叱られちゃうよ?」
「あ!まったまった!!財布はこっちにパス!中のお金ちゃん達がこんな汚い場所嫌だー、って泣いてるから」
放課後の教室で、四人組の女子が腹を抱えて笑っていた。頭数に合わず五つあるスクールバックは、一つだけ異様に大きく口を開かれ、中身が荒れ放題となっていた。
「ねぇ、優、これどーする」
四人の中の一人が、廊下側の一番後ろの席に声をかけた。そこには一人の少女が座っていた。
整った目鼻口、白く滑らかな輪郭。黒く艶やかな黒髪。
優は馬鹿笑いする四人組から離れ、一人小さく笑っていた。
「石鹸できれいに洗ってあげれば?」
くすくすくす…
楽しそうな笑顔。可愛らしさ、美しさの中に見え隠れする淀んだものが彼女にはあった。
「了解!」
優に尋ねた少女は、誰かの携帯を片手に足取り軽やかに廊下へと走って行った。
その折りに、優の真後ろ、教室の後ろ隅に置いてあるロッカーをわざとらしく蹴る。
ガンッ、と大きな音をたててロッカーに凹みが出来た。
「ばっか、ちゃんと加減しろよー」
「また担任の長話聞かされるだろ!」
「大丈夫大丈夫、男子のせいにすりゃバレないって!」
勝手に盛り上がり、馬鹿笑いを続ける四人組を遠目に見ながら、優はさも楽しそうにくすくすくすと笑っていた。
彼女はその様子をロッカーの中から伺う。
何も見えないが、声だけはちゃんと聞こえる。
それだけで彼女は満足だった。
***
辺りは暗く、家庭から漏れるオレンジの明かりに暖かさを感じた。
学校帰り。
遅い帰宅を、母は勉強のせいだと思ってる。家族の誰も、自分が大の仲良しである友人三人と、グループリーダー的存在の優と遊びほうけてる事を知らない。
「ふふふ、」
馬鹿じゃないの。
彼女は一人で小さく笑った。これは思いだし笑い。つい声が漏れてしまう。
学校の、自分達五人を抜いた、六人目の友人への笑い。
アイツ、いてもいなくても同じなのに。何で毎日毎日、懲りずに学校へ来れるんだろ。
だけど、だから、毎日私達は楽しめる。
彼女は満足な笑顔を浮かべながら、一人夜道を歩いた。
夜風が心地よく、彼女はすがすがしい夜気に癒しさへ覚えていた。
「*****、」
「え?」
自分の名前を呼ばれた。彼女が振り返ったのはただそれだけの理由だった。
「―――っ」
いきなりの出来事に声も上げられず、彼女の口からは「ひゅっ」と空気の抜ける音しか出なかった。
***
もっと笑って欲しかった。もっと、もっと私にその綺麗な笑顔を見せて欲しかった。
***
「何よこれ?!!」
私のプレゼントを受け取った彼女は、発狂した様にそう怒鳴った。私は、怒っても綺麗な彼女の顔に目を奪われ、怒鳴ってもどこか歌うように滑らかな声を耳でむさぼりうっとりしていた。
「ふざけないでよ!!奈美はどこ?!紗香はどこ?!奈緒はどこ?!恵はどこ?!」
私は悲しくなった。なぜ笑ってくれないのだろう。いつものあの心地よい笑い声が聞きたいのに。
私はもう疲れたから、だから笑われ役を彼女達に任せただけなのに。
「何で?」
ぼそりと小さな声。彼女のそのかすかな声に、優は肩を揺らしただ喚いた。
「分ってるんだから!!仕返しがしたいんでしょ?!いつもいつもいじめられて、だからこんな場所に私を呼び出して!でも、…でも!」
悪いのはあんたなんだから。
優が一歩踏み出ると、廃墟となったビルにタンッ、という足音が高く響いた。優は長い髪をさらさらと揺らしながら、肩を震わせていた。
きれい。
私は優の全てが好きだった。だから仕返しなんて、そんな事出来るはずが無い。
「プレゼント、見てくれたんでしょ?」
私の言葉で、彼女の目に涙が溜まる。きらきら、きらきら。あぁ。宝石みたい。
「こんな物!!!」
彼女はポケットから1cm位の紙の束を取り出し、床にたたき付ける。叩きつけられたそれらはばらばらと床に散らばった。
それは写真。ある物は全体図。ある物は一部をアップにして。
優は遠慮無くそれを踏み付けた。
「皆を返せぇぇぇ!!!」
発狂した彼女は、一見狂っていた。だが、彼女ほどは歪んでいない。
彼女はなぜ泣いてるの?私は笑って欲しいのに。だから四人をいじめてあげたのに。
優と向き合う少女は表情なしにしゃがんで、床に散らばる中の一枚をひろい上げた。
そこに写っていたのは体の一部。
優の友人奈緒の瞳。
奈緒の瞳は四人の中で一番茶色かった。きれいと思ったのは事実だが、優に比べたらまるでゴミ。だから、私はそんな彼女の瞳をためらいなく傷つける事が出来た。
「くくく…」
肩を震わせて笑う彼女の手から、写真がはらりと落ちる。
大きく見開かれた目に突き刺されたアイススティク。頭がい骨に到達してそうなくらいふかくふかく瞳を貫いたそれ。
茶色い瞳をまるで的であるかのようにきれいに中心を狙い。柔らかい水風船をわってしまわないように、丁寧に、丁寧に、ゆっくり、ゆっくり、突き刺された太い針。
優は写真から目を離した。
見たくない。全部偽者だ。
竹串を爪と肉の間に突き刺され、そのまま放置された友人の手の写真。竹串を抜こうともしなければ、爪を剥がしもしない。ただ指先から長細い物が突き出て来たかのように見えるそれは、刺さった部分が血を吸って、竹の繊維が赤く染まっていた。
嘘だ。
手首の三分の一程までノコギリを侵入させられた友人の写真。手首は完璧に切断される事無く、中途半端に止められて、ノコギリはそのまま肉と肉の切断面に仕切りの様に差し込まれてる。自分の腕から目を逸らし、泣き叫ぶ友人。
嘘だ。
片足を何か大きな物で潰された様な友人の写真。生きたまま片足を砕かれ、先の方は何度もうち潰されたのか、元の形状もなくぐちゃぐちゃになっていた。それでもまだ生きてる様子の彼女は、自分へカメラを向けてくる相手に命乞いする様な顔で見ていた。
嘘だ。
頭の半分を剥された友人の写真。頭の横に剥した皮をきれいに開いて並べられ、もう事切れた目は上を向いていた。まるで自分の剥されて行く皮を惜しむ様に。口は叫び喚いた形で歪み、よく見れば舌が縦に裂かれていた。
優は自分の顔を覆う。
全部嘘だ。作り物だ。
そう思いたい物の、目の前の現状を確信させる経験が自分には幾つもあった。
彼女と彼女は、昔は普通の友人関係にあったのだ。
だが、それは本当に「普通」の?
***
昔、優は猫を飼っていた。拾った猫で、家族に内緒で公園で育てていた。だがある日、目の前の彼女が家へ遊びに来たのだ。
その手には可愛く包まれた箱。
優は頼まれてその場で箱を開けた。
中から出て来たのは、目と口を丁寧に縫い合わされたあの猫だった。
「これならうるさくしないし、餌もいらないよ」
生まれたての赤ちゃんのようによたよたと動くそれは、優にとってはもう「猫」ではなかった。
ただ、他のなにか。
どうせだったら死んでいてほしかった。生きたままの状態であの姿を見たのが本当に衝撃的だった。胸にわだかまる不快感。見たことのない生物への混乱と吐き気。
彼女の笑顔が赤く染まって見え、優は言葉をのんだ。
優は箱を突き返し、家に逃げ込んだ。
母が何を聞いて来ても、答える事が出来なかった。
***
彼女が、彼女に感じてきたのは何?
なぜ彼女が彼女を苛めるようになった?
彼女は加害者?それとも被害者?
それとも―――
じゃあ彼女は何?
***
昔、優に弟が出来たばかりの頃、家に彼女が遊びに来た。
弟を気に入った様子の彼女は、ベッドに眠る天使の様な横顔に見とれてずっと眺めていた。
優が母に呼ばれ飲み物とお菓子を取りに行くと、戻って来た時目にした彼女の行動に恐怖を覚え、同時に慌てた。持ってる盆からジュースが零れ、クッキーが足下に散らばろうが関係なかった。何としても彼女を止めようと、真っ白な頭で必死に地を蹴った。
彼女は片手に玩具のスプーンを持ち、弟の小さくつぶらな瞳に突き立てようとしていたのだ。
優に止められて、彼女は少々がっかりした様子だった。
「天使の瞳は青い方が綺麗なのに、」
その手に握られていたビー玉は、本当に綺麗な青だった。
けどその時は、そのきれいな青がとても恐ろしくて、とても濁って見えた。
***
いつからか彼女を避け始めた優。
いつの間にか出来たいじめる側といじめられる側の関係。
苛めてる内に覚えた優越感と快楽。
優が、彼女をいじめる中で楽しみを覚えていたのは確かだった。だが、今日程彼女を恐ろしく思った事はなかった。
優の桃のような頬を、涙が伝った。許せなかった。自分の周りを壊して行く彼女が憎かった。
「ねぇ、笑って?」
彼女の言葉で優は顔を上げた。
その瞳には決意があり、真っ直ぐとした視線の先には彼女がいた。
そんな瞳も綺麗だな。睨まれた彼女にはそれしか感じなかった。こんな寂れたビルの灰色の世界が、彼女がいるだけで幻想的に見える。彼女という存在が輝いている。彼女という存在が私に光を見せてくれる。
優は持参して来たカッターを握り締め、自分を苦しめて来た相手へと駆け出した。
―――お前さえいなければ。
*** *** ***
くすくすくす…カチッ、ジー……―――
テープが切れて、勝手にまき戻る。
彼女は残念そうにラジカセを見た。そして優を見た。
「ちゃんと、笑ってるね」
優に話しかける彼女の体は、揉めあった後のように乱れていた。所々擦り切れた皮膚は血が滲み、刃物で切られたような傷は、真っ赤な線で彼女に彩りを与えていた。
…カチッ
テープの巻き戻しが完了し、カセットの止まる音が静かなビルの壁を叩いた。彼女がその再生のボタンを押すと、またくすくすと笑いが静かに流れ出す。
その音を聞きながら、彼女は優の顔を見つめた。
やっぱり、やっぱりだ。私の思ったとおり。優には笑顔が一番似合う。
彼女のうっとりとした笑いは、ビルの暗闇のなか、さも暗く黒く澱んで狂っていた。
ワタシノ物ワタシノ物ワタシノ物ワタシノ物ワタシノ物ワタシノ物ワタシノ物………
「ふふふふふ…」
彼女はただ見つめる。満足する。自分の目の前から目を離す事はない。
そこにあったのは優の体。
形のいい唇は糸と針で皮膚をひっぱられ、綺麗な弧を描いていた。胸の上に組まされた両手は白く、赤い。それは腹部から溢れる血によるものだった。優の腹部に開けられた穴には、贓物がてかてかと光っていた。なまめかしいピンクと赤は、彼女の白によく合い、まるで芸術のよう。その間にはラジカセが詰められており、言葉通り腹のそこらか彼女は笑うのだ。
優を前に座る少女は優しくその美しさにほうっと息を着いた。
「また続きを話してあげる」
コレハ作ラレタ幸セノ形。
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