§19 高貴な趣味
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
人ぞ知る明治の文豪、夏目漱石は草枕の冒頭である。
漱石は続ける。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。
人を人に留める力を有するのは芸術であると漱石は述べてゐる。
ネット(に限るわけではないが)小説家(詩人)は尊いのである。
その作品を惜しみなく(無償で)公開するネット作家の行為が善意以外の何物であらうと云ふのか。
草枕は更に続く。
住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である。こまかに云えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧く。着想を紙に落さぬとも※(「王+膠のつくり」、第3水準1-88-22)鏘の音は胸裏に起る。丹青は画架に向って塗抹せんでも五彩の絢爛は自から心眼に映る。ただおのが住む世を、かく観じ得て、霊台方寸のカメラに澆季溷濁の俗界を清くうららかに収め得れば足る。この故に無声の詩人には一句なく、無色の画家には尺※(「糸+賺のつくり」、第3水準1-90-17)(せっけん)なきも、かく人世を観じ得るの点において、かく煩悩を解脱するの点において、かく清浄界に出入し得るの点において、またこの不同不二の乾坤を建立し得るの点において、我利私慾の覊絆を掃蕩するの点において、――千金の子よりも、万乗の君よりも、あらゆる俗界の寵児よりも幸福である。
詩人(作者)は尊き存在なのだ。前述の「作者は神!」も強ち間違ひではあるまい。であるが故に尊き作者の善意を貶める行為は如何とも肯ひ難いのである。
とかくに住みにくいこの人の世に在つて読者としての意地を窮屈でも通して行きたいと、さう思ふのである。
今回は愚生が人生訓とする「草枕」をご紹介した。本来は引用文を当時の仮名遣ひである歴史的仮名遣ひに、愚生の追記を現代仮名遣ひで表記するのが筋なのであるが、正直なところ掲載分だけでも書き直しは厳しい。そこでせめてもの申し訳で、追記の方を歴史的仮名遣ひで綴つてみた次第である。
なお草枕の全文は(今回の引用元でもある)青空文庫にてご覧頂ける。