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§11 感情的になっても良い時が在るはずだ


 「喜怒哀楽」


 喜楽はともかく、怒と哀を明らさまにすることを憚る文化が日本にはある。確かに怒りを堪え、哀しみに耐える姿には胸打たれるものがある。私にもその覚えはある。


 だが、何事も例外はある。私は不当に親を馬鹿にされたり、友を侮辱されたときは無理に怒りを堪える必要は無いと思っている。


 その報復なり制裁を実行する際には最低限の理性を残す必要を認めるものの、基本的には怒りを露にして良いと思う。むしろ、親しき者を不当に貶められて冷静で居られる人間の方が信用できないと思うのだ。


 特に幼い我が子が大人に苛められている様な時、親は子供の前で怒りを露にした方が良いと思う。普段は自分に厳しい親がイザという時は自分の味方なのだと実感した時、親子の絆は深まるだろうし、その逆は子供の心に傷を残すことになるのだろうからに。


 事故や天災の様な悪意無き理不尽に対して怒りを堪える姿には気高いものを感じるが、悪意ある理不尽に対しては必要以上に感情を抑制する必要は無い。


 自らの身に降り掛かった理不尽に対してその場に居た友の激怒により救われた経験を有するのは何も私だけではないはずだ。


 確かに、感想について多くの作者は不快な内容でも黙って堪えておられる。だから(エッセイの)作者としての私に対するモノであれば、敬服すべき先輩方に倣い慎んで承ろう。


 だが、読者としての私には堪えられない怒りがあるのだ。それは別なのだ。「激情に身を委ね周囲に当り散らすことと正当な怒りの発露は全くの別物だ」と、そう思うことにしよう私のテリトリーに於いては……







 

 感想に於ける「感情的」とのご指摘に対する私の考えを此処に記しました。何故か今回は一寸堅苦しい文体に成ってしまいました(苦笑)。


 お目通し下さりありがとうございました。



(エッセイ本文よりも感想への返信に気合が入っている最近です)


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