たんぽぽの咲く土手
天を仰いで突き立った竹の葉に穴を穿つかのように降っていた雨は、名残りの飛沫をまきあげながら山腹を駆け上がって去っていった。あまりの勢いに為すすべなく立ち尽くす竹やヒノキは、重そうに葉を垂らしたまま道祖神のように微動だにしない。大自然の営みとはいえ、あまりにも哀れをさそう光景だった。
チカチカと閃光を瞬かせていた黒雲が足早に峰をかすめると、それにつれて紗のカーテンが水しぶきをあげながら山肌を駆け走った。よく見れば、いつも同じところばかりを雨が駆けてゆく。どうやらそこは、雨の通り道となっているようだ。
雪おこしと呼ばれる雷が鳴ったのは一ト月も前のことで、あれに較べれば今日のは子供が遊んでいるようなものだ。ほら、べそをかいたような弱々しい雷鳴がまだ聞こえる。
つい道草をしたネズミの雲が懸命に本体を追いかけてゆくと、だらしなく俯いた木々の葉がさかんに滴を落とした。
陽を遮り、盛大に稲光を明滅させた黒雲だが、山の木々に恵みの雨をもたらしてくれた。
冬の間は枯れたように精彩を欠いていた苔の絨毯が、瑞々しく花を咲かせた。所詮は苔のこと、マチ針の頭の半分もない大きさの花である。ところが、それが一斉に群れ咲くと、まるで緑の絨毯に白ゴマを振り撒いたようになる。この雨は乾いた苔を甦らせ、地面に舞い降りたミストは、苔の上で宝石のような煌めきを放った。
苔は地味な存在だが、赤茶けた土肌が目立つ庭で真っ先に春の到来を報せてくれる。まさに触れ太鼓である。
軒先を伝った雨滴がゆっくりと肥え太り、とうとう支えきれなくなってポトリと落ちた。
雲を一掴みしてきたようなミストは、家々の屋根を葺き掃除しているようなものだ。軒先に滴る雨滴は、わずかに残った湿り気が凝ったもののようだ。
落ちたすぐそばから、ゆっくりゆっくり滴が大きく育ち、またしてもポトリと落ちた。
昨日から続く雨は、そうして集落全体を洗い清めてくれ、眼下の集落の赤瓦は艶やかに磨き上げられた
雨はすっかり止んだのではなく、小糠となっていた。
遠くへ行くのでさえなければ、わざわざ傘を差すまでもない。隣家へ行くくらいの間なら、髪をしっとり濡らす程度の降りだ。とはいえ、濡れた肌に吹き付ける風はまだ冷たく、いとも簡単に肌を粟立たせる。春めいてくると一雨ごとに陽気が和らぐものだが、二日続けて雨が降れば強い風が山あいを駆け抜け、寒が戻ったかのようだ。
春一番はとっくに吹き抜けていった。それに較べれば、今日のはあれほど酷くはない。ときおり一抱えほどの塊になって川面に皺を寄せたり、笹や竹を激しくふるわせる程度だ。そんな風だが、眼下の集落を渡るときにさまざまな表情を見せてくれるのがおもしろい。
この風は昨日降った雨によるものだろうか、絹糸よりもっと細い雨脚を、右へ左へ吹き寄せては山肌を駆け上ってゆく。
ゴワッっと河原の笹原がなぎ倒された。と、次の瞬間には川面に皺を寄せる。川下から上流へと駆け走る皺は形を変えながら視界から消えた。
柿も桜もまだ葉さえ芽吹かせておらず、谷を渡る鉄橋の先にぽっかりと口を開けるトンネルの上でしっとりと濡れた竹林に一本の線を刻んで、風はどこかへ去った。
立ったままでなければ集落の全景が見えないことが難点だが、そうした絵を眺めながらコーヒーを飲むのが私は好きだ。
今しがただって、別の風小僧が庭先へ降りるガラス窓を震わせたところだ。
庭といっても業者にお願いして仕立てたものではない。山から苗木を移しただけの素人庭だ。が、背景に本物の山を配した、贅沢な庭である。ちょっと背伸びをすれば、きらきらと光を撥ね返す流れも見ることができる。とはいえ、花が咲くにはまだ少し寒く、赤茶けた枝を伸ばした木ばかりで、ようやく下生えに若草が混じりだしたところだ。
ところが、対面する山の麓近くまで雲が下り、紗がかかると、一幅の掛け軸を思わせる趣がある。折しも、右奥からマッチ棒の頭のようなものが川筋に沿って近づくのが望見された。
風がおさまり、軒先に白いベールがかかる。が、それも一瞬のことで、ごおっと一塊の風が窓ガラスを震わせた。おもしろいもので、降っていた雨が風に絡め捕られてぼんやりと白い塊になってしまう。と、それが山肌を抉りながら翔け去るのが見えた。
きっとそこここでブワッという音がしているのだろう。
竹林がパカッと割れて濡れた葉が激しく舞い騒ぐ。そして、塊が通り過ぎると反動で竹林全体が震えたように見えた。
それがきっかけだったかのように、薄日が射してきた。軒先からボタボタと滴が滴っているのとは裏腹に、雨は、蜘蛛の糸ほどに細くなっている。傘を差さずに表へ出ても、じっとりするくらいだろう。向かいの山を墨絵のように見せていた雲も、いつの間にか山頂から張り出した庇のように姿を変えていた。
ビョッ……
掠れたホイッスルが短く聞こえた。
「雄二、窓を開けてくれ。トンネルにさしかかったようだ」
ベッドで横になっていた父が、ヒューヒューと咽を鳴らせながら求めている。
確かにあれは、列車がトンネルに侵入する前の警笛だ。緩くカーブするトンネルを抜けるとすぐに谷を渡り、次のトンネルに向けてだらだらと長い登り坂が始まる。父のベッドは、谷を渡る鉄橋と、トンネルの入り口がよく見える位置にある。列車が来るたびにそれを眺めるのが父の楽しみなのだ。
私は、父の胸元まで布団を引き上げてから、窓を開けてやった。
騒々しい音をたてて鉄橋を踏み渡ったすぐ後に、腹に響くエンジンを置き土産に列車が庭木の陰に見えなくなった。それきり音が途絶えて、暫く後に間抜けたような音が伝わってくるのは、山彦だ。
我が家の玄関先を舐める一本道はもう少し高台の家で途切れてしまうが、下ってゆけば小さな踏切を渡る。そこから目と鼻のところに打ち捨てられたように無人駅がある。
まだ自家用車など買うゆとりのない時代は、そここそが集落の者にとって町への玄関口だった。たった一本の短いホームだが、乗降客がめっきり減った今でもきちんとベンチが手入れされている。今の列車もその駅に足を休め、重々しい唸りをあげて坂道を登ってゆくのだ。
ディーゼルエンジンの唸りが微かに響いてきた。
「キハのごーにーだな」
いつの間にかベッドに起き上がった父は両手を前に差し出して、何かを握ってでもいるかのようだ。
左手の指が前方を指した。そして、右手を捻りながら静かに前へ滑らせる。同時に左手は、何もない空間でレバーを入れたのか、小刻みに水平の弧を描く。
じっと耳をそばだてながら、父の手は滑らかに動いていた。
全国で桜の開花が報じられるようになると、山あいの村でも風が温んでくる。春先にありがちな気温の乱高下に苦しんだ父は穏やかな日差しに救われるのか、徐々に庭へ出られるようになってきた。高気圧に覆われる日は特に気分がよさそうだ。
赤茶けていた庭木に若葉が芽吹き、下生えが緑の絨毯になった。間もなく八重の桜が彩りに華を添えてくれるだろう。
「あぁ、いい陽気になった。花が咲き出すと気持ちが浮き立つなぁ」
父は、陽気のよい日には駅へ行き、気のむくままベンチに腰掛けることがあった。じっと線路に目をやり、防腐剤なのか油汚れなのかわからない枕木の一本一本を指で追う。
父は、復員列車に深く関わっている。といっても、たいした立場にあったわけではなく、その機関助手だった。そして、今眺めている線区を毎日運転していたのだ。
ひょいと取っ手を引くと、真っ黒な運転台にぽっかりと口が開く。口の中にはオレンジ色をした火柱でうめつくされていた。そこに二度ばかりスコップで石炭を投入してやると、オレンジ色ばかりだった炎に青が混じる。黄色も混じる。言葉にしがたい色の変化がある。
蒸気機関車の魅力を語るときに重要な要素の一つ、焚き口だ。そここそ、ボッボッと腹に響く音とともに機関車を走らせる源の蒸気をつくるところなのだ。
蒸気機関車は、電気機関車と違って動力源を自ら作り出す乗り物なのだ。
激しく煙突から黒煙を吐き出すのも、力強く列車を索引するのも、みずから作り出した蒸気によっている。頭のてっぺんに突き抜けるような汽笛も、蒸気が音を鳴らせているのだ。
その蒸気を十分に用意する事とともに、汽笛を鳴らすのも助手の務めなのだ。
ガサッと掬った石炭が投炭口に消える。釜の壁に石炭を当てるように投入すると、比較的均等に石炭がばらける。釜に石炭を投入するとすぐ、いくつも並んだバルブを調整して蒸気を無駄にしないよう気配りをしたものだ。
特に大きなゲージは、圧力ゲージだ。見物人は機関車が勇ましく走る姿に心ときめかせるかもしれないが、機関士がレバーを引いている間中ゲージの針が激しく暴れるのだ。そのたびに蓄めた蒸気が減っている。だから補おうとして石炭をくべ、ボイラーに水を張る。当然のことに水温が下がるので蒸気が発生しなくなる。たった二時間の乗務で百回も千回も、それを繰り返すのだ。その間に周囲に注意をはらわねばならないし、早く機関士に昇格したいという野心もある。ということで、一時も気が抜けない。
比較的平坦な区間を走っている今のうちに蒸気を蓄めておかねば、坂の頂点に行き着く前に蒸気を使い果たしてしまう。すでに機関助手は格闘を始めている。
受け持ち区域の路線状況を熟知していればこそ機関士は速度調整に気を使うし、助手は蒸気確保のタイミングを図っていた。
しかし、せっかく苦労して蓄めた蒸気を無駄遣いする機関士もいたそうだ。
もう少しこまめにリーバーを操作してくれればとか、もう絶気運転で大丈夫だろうと思わせる運転士もいたそうだ。
ある運転士と組むと水が減らない。それは、石炭を補給するときに顕著に現れた。
石炭や水の補給量が少なければ作業時間が短くてすむし、燃え殻を投棄するのも楽になる。なにより蒸気を確保するのが勤めの機関助手にとって、経済的な運転を心がける機関士は殊のほかありがたい存在だった。
一方で、石炭を予想以上に使う機関士もいた。そういう人と組むと、発車する前からせっせと火室に石炭を投入させられる。もちろん走行中も気を抜けない。あまりに蒸気を使いすぎるものだからタンクの水が足りなくなり、やっとのことで補給場所にたどり着くことすらあった。
運転台の正面は紅蓮の炎が渦巻くボイラーだ。その暑さたるや、真冬であっても運転台は四十度に達する。ただでさえ暑い中で、息をもつけずに石炭を投げ入れるのは重労働だ。それに、開放された運転台はトンネルに侵入すると地獄に早変わりした。裸電球一個をたよりにゲージを読み、必要な作業をしなければならないのに、情け容赦なく煤煙にまかれて、目も開けられなくなる。鼻と口を袖で覆い、薄目でゲージや前方に目を凝らせたとも語っていた。特に登り坂の途中にあるトンネルは最悪で、上昇しようとする煙が運転台を包み込んで離さないのだそうだ。徐々に酸素が薄くなり、新鮮な空気を求めて最後には床に顔を押し付けるようにして息をしたそうだ。意外なことだが、床のすぐ上に口を開ける投炭口の脇が、一番新鮮な空気を吸える場所だったそうだが、ついには失神することも珍しくはなかったという。そういうときの投炭口は、まさに地獄の釜に思えたそうだ。
しかし戦地から復員した人にとって、鉄道は唯一の足だ。父は秘かな誇りを胸に、毎日罐焚きをしたのだそうだ。
やがて地方の鉄道にも電化の波が押し寄せてきた。
線路脇にずらりと電柱が並び立ち、架線が張られたらしい。父が晴れて機関士に昇格したのは、電化工事が完成する寸前だった。
火を焚かずに列車が走る。それは失神の恐怖からの開放でもあり、煤塵からの開放でもあった。そしてようやく、沿線の景色にも目を向けられるゆとりを得たのだそうだ。
父がまだ機関助士だったとき、煤塵が目に入って酷く痛んだことがあったという。そのとき機関士が手当てをしてくれたそうだが、その方法が揮っている。
煤で真っ黒になった軍手をとった機関士は、父の目蓋をひっくり返すや、そこへ舌を挿しいれたそうだ。あんな分厚いものを挿し入れられたにもかかわらず、ぬるっとした感触しか感じなかった。そして、激痛は嘘のように退いたそうだ。
電車が走るようになると、山間の支線にも準急が投入された。ちょうどこの線は、北と南の幹線同士を連絡するのに都合が良いようで、父はその運転を任されるようになった。
さすがに優等列車ともなれば、車両そのものがモダンである。春を思わせる若草色の車体。窓から下半分は深みのある緑に塗られていて、車体に吊り下げた機器類はきれいに覆われていた。
電車の運転免許しか持たない者が増えたのは、この頃からだ。電気機関車も投入されて、その運転を任される者も機関士を名乗ったそうだが、蒸気機関車からたたき上げた父は、機関士としてのプライドが高かったそうだ。ましてや電車の運転しかできない者がほとんどになると、その腕をみこまれて優等列車の運転を任されていた。流線型をした先頭車のど真ん中が父の仕事場だったそうだ。
「通票四角、閉塞よし。出発、進行」
プラットホームの助役から受け取ったタブレットの覗き窓には、四角い孔が穿たれた砲金の板が見える。蒸気から電気へと変わっても、閉塞区間の確認の仕方は同じだ。
発車時刻を確かめた助役の旗信号でブレーキを解放し、ノッチを投入する。
足元で犬が唸っているような音をひきずりながら、列車は駅を出る。速度が上がるにつれ、イヤイヤをするように小刻みに頭を振って。
その運転席で、父は清潔な服でレバーをとったそうだ。
今でこそ軽トラにも追い抜かれるようなスピードだが、当時としては驚異的な速度だったという。そのとき、淡く霞むような桜よりも、色鮮やかなツツジのほうが記憶に残ったらしい。
そしてまた新しい電車が投入されて、更にスピードアップが図られた。その時の車両は、クリーム色をした車体の下半分が小豆色に塗られていた。
やがて父も定年を迎え、鉄道から離れることになった。機関士一筋の人生だった。
父が最後にハンドルを取っていたのが、キハの52だ。クリーム色の車体で、下半分がオレンジに塗られていた。途中の駅から更に支線へ入ってゆく必要があって、ディーゼル車が使われたらしい。
支線は田園の間を貫いたそうで、線路脇の土手にタンポポが鮮やかだったと遠い目で語る。
だが、多くを語らない父がぽつりとこぼしたことがあった。
蒸気から電気への転換、ディーゼルへの転換。そのたびに苦労して身につけた勘を活かすことができなかったようだ。
蒸気機関車では問題にもならなかった速度制限が、電車になると細かく指示されるようになった。また、動力を得る方法がまったく違うので、機構を覚えるだけでも一苦労だったそうだ。ディーゼルに乗るようになると、せっかく慣れた電車とは走行性能が違いすぎて運行時刻に追いつかない。それに、ブレーキの効きがまったく違うので困り果てたとしょげていたことを覚えている。
それはすべて父の経歴に起因するのだろう。正統な機関士としてハンドルを握った者と、電車やディーゼルなど専門の運転士とでは期待の度合いが天と地ほどに違ったのだろう。とはいえ、その時期の父は、もう少しで鉄道から卒業する時期だったそうだ。それを乗り切って、めでたく定年を迎えたとき、父は塵肺がかなり重症になっていた。
しかし、
「俺は機関士だ。煙くらいなんだ」
酷くむせるくせにタバコを手放さない頑固者でもある。
フワァーーン……
トンネルに侵入する警笛が小さく響いてきた。しかし、現在運行している車両はすべてピッというホイッスルのはずだ。タイフォンを吹鳴する車両など、もう廃止されていた。父の教えのせいか、それくらいは私でも知っている。しかし、決して聞き違えではなくタイフォンだった。
「奴だ、奴の声だ」
ぼんやりと枕木を数えていた父の目に力が甦った。
カカーーン、カカカカーーーーン
継ぎ目を刻む轍が、微かだが甲高い響きとなってレールを伝ってくる。
鉄橋を渡る轟音に気を取られて、轍の音が硬くなっていることに気付かなかった。
ブレーキをきしませながら緑色の電車がすべりこんでくる。
ベンチに腰掛ける父の前に、若草色をした電車が行き足を止めた。
薄緑に塗られた車体は、まるでキャベツの葉にとまるアオムシのようだ。
ドアが一斉に開くと、車体の中央に赤いランプが点り、さらにアオムシそのものだ。しかし車掌が降り立っただけで、誰一人として下車する者はいない。そして乗り込む者も。どうやら不定期に運行している観光用列車のようだが、乗降口が開いたということは、一般客も乗車できることは確かだろう。
床下で音をたてるコンプレッサーに誘われるように父は立ち上がり、一歩また一歩、手を泳がせながらよろめく足を乗降口に運んだ。
この電車こそ、父が運転していた準急なのかもしれない。そう思った私は父を電車に誘い、運転台の真後ろに立たせてやった。
ガタンとひとつ揺れて電車が動き出した。
仕切り壁のない運転台の後ろで父は、自分が機器を操作しているように手を動かしている。
「第二閉塞、進行……」
掠れた声で呼称をし、次いで沿線の土手を指差した。
徐々に速度上げる電車の行く手に切り通しが見える。古い石積みの壁をやりすごすと、右下に蛇行した川が迫ってきた。その先を自動車が軽快に追い抜いてゆく。
線路が左へ大きく弧を描く。曲がりきった正面に小さな黒点があった。
右下を流れる川が急に向きを変えて離れてゆく。国道を追いついてきたトラックも川に沿って去ってゆく。そうして迂回する道路や川を尻目に、線路は山を穿って最短コースをとった。
左手の斜面がなだらかになり、そこに茶畑がつくられている。その裾は、短い下草に覆われた土手となっていた。
そこを父が指している。
目尻に皺をよせて一点を指してはまた次へ、うすく開いた口が声にならない呟きを洩らしていた。
土手にポツンと黄色い染みがあった。鞠のような塊や、鯉のぼりのようなかたまりが次々に現れては去ってゆく。
鉄錆に覆われた道床と、鈍い光を放って延びるレール。雨風にさらされた枕木は、無機質だ。父は長年、ずっとそれを見つめ続けていたのだ。
父の左手がスッと動いて警笛の弁を押した。少し遅れて運転士も同じ動作をする。
……フゥゥゥ、ファン……
短く警笛を鳴らして、列車はトンネルにとびこんだ。
はるか前方に小さな輝きが見える。前照燈のぼんやりとした灯りが照らすトンネル内部には、真っ黒な煤がこびりついている。まさしくそれは父の生きてきた証なのだ。自動車ばかりに頼っている私には縁のない光景だ。
点に見えていた光がジワジワと正面に位置を変えると、馬蹄形に形を変えてどんどん大きくなってくる。
ファーーン
一声放った列車は、眩い光の大地に躍り出た。
「雄二」
振り返った父が線路脇を指差した。
「タンポポ……、きれいだなぁ……」
掠れながらも、柔らかな声だった。