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机の上のノート

作者:raki &竜司
 机の上のノート


                        作:竜司

 机の上に一冊のノートが在る。
 私は椅子に座り、ぐったりと宙を見据えた。祖父が亡くなった時に私が引き取ったこの椅子は、私のような端くれ社員には向かない、肘置きも付いていて社長が座るに相応しいといった具合の風格である。今日もぎぎぎぎと音を立て仕事帰りの私を迎えた。
 ここは私の部屋であり、唯一のプライベート空間だ。この部屋がなくては――深く考えたことはないが――私は落ち着けないことだろう。高校を卒業し上京してからというもの、この部屋は時間が止まったままだ。東京での一人暮らしでは善い職に恵まれなかったので、四年ほどで実家に戻った。大学には行っていない。裕福な身分だと思う。高卒の怠け者が都会の一人暮らしなど、周りでは聞いたことがない。父親が普通でないから、私にたった一人で生きるという経験をさせたいとかそんな意味合いが含まれて、実現するに至る金には困らなかった。父には感謝している。
 私はひとしきりぼーっとした後、ようやく机の上に目を向けた。部屋に入った時からその存在には気が付いていたが、ちょっと頭を空にさせたくて、敢えて無視していた。机の上に置かれていたノートを手に取る。間違いなくこれは私の日記帳だ。私は中学生の頃から日記を書き続けている。もう今年で十年かそこらになるのだろうか。だいぶ書いたものだ。ノートは二十冊目に突入していた。私はノートの外観を見回してから、パラパラと捲ってみた。実は少し緊張している。何故なら、机の上にノートがあるということは、家族の誰かに発見されたということに他ならないからだ。記憶に間違いがなければ、ノートは引き出しに仕舞ってあった筈だ。ノートがひとりでに机上へと移動でもしない限り、悪い予感は的中する。ノートの内容は非常にプライベートなものだ。自分以外の誰にも知られたくないようなことばかりが書いてある。他人に読まれたら恥ずかしくて生きていけないようなこともわんさかと書いてある。よりによって家族に見られたとなると、これからの人生に多大な影響を及ぼす可能性もある。中から「このノートの内容は見させてもらった。あとで来い」などと書かれた紙が落ちてきやしないか。何か書き込まれるという可能性は低いだろう。これは腐っても私の私物だ。
 何も出てこなかった。
 私は少しほっとしたが、このノートが引き出しから取り出されて机の上に置かれた点については、依然として事実だ。何故こんなことが起こった。やったとしたら誰か。今、寝室で眠っている父か母のどちらかだろうか。姉――は考えにくい。姉は見たとしてもちゃんと引き出しに戻すタイプだ。これはどういった暗示なのか。明日の朝――否、もう零時を回っているから今日の朝か――父か母のどちらか、もしくは二人から何か言われるのだろうか。恐ろしい。
 私は今日の分の日記を書くと眠りに就いた。朝になっても特に両親に変わった様子はなく、私は普通に出社した。そしていつもと変わらず帰り、日記を書いて寝た。ノートが机に出ていた日も何週間か前の出来事となったある日、またもノートが机の上に置かれるという事案が発生した。――悪ふざけだ、と思った。両親はこんな真似をしない。ならば――。
「お姉ちゃん」
「ん?」
「何であんなことするの」
「は?」
「ノート」
「え?」
 姉はとぼけていた。しかし――仮に両親でなくても、だからといって姉がやるとも思えない。だが三人のうち誰かがやっているのは確実なのだ。だとしたら一番可能性が高いのは姉である。だが――様子を見るに、本当に身に覚えがなさそうだ。一体、今、私の身に何が起こっているのか……。
 ノートを机の上に出すという行為に意味はない。何のメッセージも感じられない。なのに、この悪ふざけはしばしば起こった。半年の間で六回くらいあった。私ももう何とも思わなくなった。日記の内容には自らが犯した犯罪行為についても記されている。このノートが証拠に警察に捕まる可能性は否定できないから、三回目くらいまではビクビクしていたが、全く以って変わり映えのない日常が送られている故、気にしなくなった。実害がないのなら放っておけばいい。心地は悪いが何の損もない。ならば別に善い。
 季節は巡り八月の終わり頃か。七回目の悪ふざけ。私は暑くてそれどころではなく、仕事も大変だったりで不審に思うこともなく、さっさと日記を書いて寝てしまおうと思い引き出しを開けた。
「……!」
 まさか。
 私はハッとして机上のノートに目を遣った。
 お前は……。
「もしかして、私を出迎えてくれたの……?」
 椅子がぎぎぎと不協和音を奏でた。
 考えてみれば、妙な符号があった。特別疲れているときなどは、引き出しを開けるのも面倒だ。だから書かないで眠ってしまう日も多かった。だがこの悪ふざけ始まった日からというもの、私は一日も忘れることなく日記を書いている。いや――馬鹿馬鹿しい。そんなわけがない。だったら何故あのタイミングでこの悪ふざけが始まったのか。そこに意味がなければなるまい。いや――。
 私はノートを捲る。過去のページ。どこだ、どこにある――見つ――けた。
 十月二十九日月曜日。日付に間違いはない。この日が、最初の悪ふざけの前日。長々と書いてあり、最後にこう書かれていた。
『思えば、このノートについて深く考えたことはなかった。
 何気なく存在しているが、このノートは既に、私にとって切っても切れぬ関係である。
 嬉しいことがあった日、悲しいことがあった日、いつでも私を受け入れてくるのは、このノートだけであった。他人には見せられないようなことも書かれている。このノートは私の人生そのものなのだ。過言ではない。
 これからもよろしくな。』
 ノートに対して呼びかけたのは、これが初めてだった。
 悪ふざけが始まったのはそれからだ。
 私は何だか嬉しくなった。物であるノートが、私の気持ちにちゃんと応えてくれている。半ば本気でそう思い、まさに今が奇跡体験の真っ最中と興奮して、軽くノートにキスをした。それから日記を書きノートを引き出しに仕舞い、私は夢の世界へと旅立った。
「由香ァ、朝だよ」
 姉の声で目が覚めた。
 ついでにぎぎぎぎという不協和音も声に重なっており、何だか善い目覚めとは言えなかった。姉は祖父が残した椅子に座り、欠伸をしていた。
「勝手に部屋に入らないでよ」
「いいじゃない。だって時計見なさいよ。朝ごはん作っといたよ」
「ぅわっ!」
 目覚まし時計は鳴らなかったのか。急がないと遅刻する時間だった。何でもっと早く起こしてくれないのかと心中で毒づきながら、私は急いで支度を始めた。だが今日は、いつもはしないことをしてみた。奇跡体験とはいえ、どうやってノートが引き出しから出てくるのか気になる。だから私はこっそりと隠しカメラを仕掛けたのだ。
 会社の同僚にこのことを話してみた。ねぇねぇ凄いことが起こってるの、なになに聞かせて――。私は子供のように昨夜の体験を語った。同僚は鼻で笑った。変なの、それ家族の悪ふざけか由香が出しっぱなしにしてるだけだよ、そんなことないよ――。そんなことはない筈。だが私も馬鹿ではない。昨夜はちょっと妙な符号を感じて舞い上がったが、冷静になればなるほど、隠しカメラの映像が気になる。
「もしもノートがひとりでに出てくるのが撮れたらアタシにも見せてよ」
「うん」
 映像には何も映っていなかった。夜になると部屋は真っ暗なので何かあっても映像には変わりはない。そもそもにおいて今日は机の上にノートは置かれていなかった。一応確認したが、机の中にちゃんと仕舞ってあった。由香ァー、ご飯よォー。母の声が階下から聞こえた。午後八時。もう夕飯の時間だ。
「最近どうだ」
「ん?」
「仕事は」
「あぁ、順調だよ。大変な時はほんと辛いけどね」
「ふぅん」
 父は寡黙だ。味噌汁を啜ったきり、会話は途絶えて、母と姉がテレビの話を始めた。今思えば、私も随分と家族の前では寡黙な方かもしれない。
 それから毎日、朝に隠しカメラを仕掛けた。だが一向に決定的瞬間は映らず、というより机上にノートがそもそも現れず、数か月が過ぎた。考えてみれば、ペース的には一年で十回ない程度なのだ。毎日仕掛けるのも怠くなり、偶に仕掛けるようになり、ノートには「出てきてください」などとも書くようにもなった。もう姉でも両親でもいい。気にならないといえば気にならないが、気になるのだ。論理的に破綻しているが、悶々としているのは確かである。
 もう寒い季節となった。時間の進みが早く感じるのは、毎日が似たり寄ったりで忙しいからに違いない。久方振りにカメラを仕掛けて出社した。もはや惰性で仕掛けたようなものだ。もしかしたら、こんなことをする私に、ノートは失望したのかもしれない。私は疲れたように笑い、車に乗り込んだ。
 今日は朝から晩まで似たようなことをやらされた。簡単にいうと書類に誤字脱字がないかなどを確認する、不備を見つけたら報告して新しい書類を受け取り繰り返し――このエンドレス。この会社は結構大手で、普通、取り柄のない高卒を雇うようなことはしない。だが何故か面接で好評化され、働くことを許された。周りに問うとありきたりな答えが返ってくるが、唯一本心で話せる同僚によると、容姿が善いというのが大きなアドバンテージになっているだろうとのことだ。確かに昔から奇麗だとは言われる。しかし回された仕事は所詮こんなものなのだ。遣り甲斐はない。だが給料は悪くない。だから惰性で働いているといって過言ではない。高卒であることは若干の劣等感を生む。
桑崎くわさきィ、ちょっと今日、これもやってくれ」
 もう帰る時間だというのに、仕事を押し付けられた。無能な割に真面目だからこきつかわれる。その点については自覚している。久方振りに帰りが遅くなりそうだ。積まれた書類を見て私は不敵な笑みを浮かべた。同僚がこっそりと「手伝ってやるよ」と言ってくれて、少し救われた。
 苦しいときはあのノートだ。思いをぶちまけろ――。
 家に帰ると、既に夜中の零時半だった。朝は早いと言うのに――まぁいい。こんな生活を毎日強いられる人も世の中にはいる。彼らに比べればなんと恵まれたものか。夜ご飯は会社で済ませてきた。こういうときは予め母に夕飯はいらないとメールしておくので、当然、何も用意はされていない。
 真っ暗なリビングの明かりを点けて、冷蔵庫から水を取り出す。私は水道水は好まない。
 歯を磨いてシャワーを浴びて、化粧水やら乳液やらを顔に馴染ませて、二階の自室に向かった。ドアを開ける。キぃ~という音が静まった廊下に響く。もう皆寝ていて、誰もおかえりとは言ってくれないけれど、寂しくはない。私にはこのノートがある。
「ただいまー」
 机の上に置かれたノートを見て、私はそう呟いた。
 確か今日は――大丈夫だ。仕掛けてある。
 鼓動が一気に高まった。パソコンに機器を接続し、隠しカメラの映像を再生した。いつだ。いつ出てきた。誰がやった。まさか本当にひとりでに出てきたのか。そんな馬鹿な話はない。やはりか――。
 時間にして、ほんの一時間ほど前。真っ暗な部屋の扉が開き、何者かが侵入した。そして電気を点けた。映像には、姉の姿がきちんと映っていた。一体何をしにきた。決まっている。姉は引き出しを開けてノートを取り出すと、中を見たりせず、ぽいっと机の上に出して部屋の電気を消し、部屋から出ていきドアを閉めた。
 私は鳩が豆鉄砲でも喰らったような顔をして、何度か映像を巻き戻し、悪ふざけの実態を確認した。姉。姉がやっていたのである。だがどうにも不可思議だ。摩訶不思議。何故こんなことをするのか。意味がわからない。
 そして私は途方に暮れた。このことを姉に言うべきか。それとも黙っておくか。しかしどうにも疲れていたから、私は早々に日記を書いて、複雑な気分で眠り浸った。
「由香ァ、朝だよ……起きなッ」
 姉の声で目が覚めた。ついでにぎぎぎぎという不協和音も混じっていて、あまり気持ちの善い目覚めではなかった。
 昨夜のこともある。私は言葉に詰まり、何も言えなかった。
「朝ごはん作っといたからね」
 姉は私が起きたのを確認するとぎぎぎぎぎぎぎと音を立てて立ち上がり、部屋から出て行こうとした。今――今、聞きたい。
「ねぇ」
「ん?」
「何であんなことしたの」
「は?」
「ほら、あの、ノート。日記」
「……」
 姉は開けっ放しだったドアを閉め、再度椅子に座った。ぎぎぎぎぎという音が五月蠅い。
 姉はくうを見つめて、さてどうしたものかと考え事をする表情になった。
 そして私を見てきた。
「気付いちゃったか」
「昨日気付いた。隠しカメラ仕掛けたの。気になってたから」
「あらそう」
 由美ィ~~由香起きたァ~? という母の声が階下から響いた。姉はドアを開けて起きたよーと返してドアを閉めた。そして語り始めた。
「中学生の頃から知ってたんだよね、由香が日記書いてたの」
「うん……」
「それでまぁ、たまに見てたわ」
「……」
「うん。そこは謝るね。ごめん」
「……うん」
「でさっ由香の気持ちとか全部わかるわけで、なんか最近仕事辛いだろうなとか思ってたの。それでね、帰りが遅いときは、引き出しから出す手間を省いてあげようと思って」
「……え……?」
「そんだけなんだけどね。てゆうか、いや、嘘です。本当は、最初は普通にミスっただけなの。引き出しに入れるの忘れちゃって、なんか日記読んでる途中で仕事の電話きて凄い焦ってそのまま机の上に置いたままにしちゃったんだわ」
 姉は少しだけ笑った。私は笑えなかった。
「そしたらなんか、次の日の日記で、奇跡だとか書いてあったから、あぁ喜んでるなと思って、続けてたの。てかやめるにやめられなくなったの。突然やめてしまったら、由香がかわいそうだと思ったから」
 なるほど。それで続けていたのか。最低限の整合性は取り繕っている。私の帰りが遅くなった時のみにしかノートを机の上に置かない。確かにノートが机の上に在ったのは私の帰りが遅い時だけだったと思う。
 姉は気が付いて欲しかったに違いない。私の奇跡を願う気持ちを踏みにじりたくないが、このまま続けても私にとって謎は謎のままなのだ。だからある法則性を持たせて行為に及んだが、隠しカメラという姉にとっては思いもよらない方法で悪ふざけは暴かれた。
 姉にとっては実に複雑な状況だろう。だがこれでもう姉は開放された。
「そっか。まぁ、うん……日記を見てた件については、どうしようか」
「そうだね。ごめん。なんか買ってあげるし、誰にも書かれた内容については言わないから、許して」
 全く困った姉である。だがしかし――。
「あ、ほら、もう時間だよ。時計見てみ」
 面倒見は善い。帰りが遅い時は、疲れて目覚まし時計でも起きない私を起こしに来てくれるのだから。仕方ない。
 許してやろう。
「あぁ、もう七時半じゃんっ!」
 私は変にすっきりした心地で急いで支度を始めた。




 読了ありがとうございます。raki&竜司のrakiではない方です。久しぶりの投稿となりました。私自身日記を書いているので楽しく書けました。

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