【番外編】セレネ、夏なので出家する
以前から嫌われていた女王に愛想を尽かされ、セレネがアークイラの監禁部屋に閉じ込められて早三ヶ月が経過した。季節は初夏を迎え、当事者であるセレネはというと、慣れないお姫様を演じる必要性がなくなり、すこぶる快適に過ごしていた。
――いや、一つだけ問題があった。
「うおー! あっちぃー!」
セレネは粗末なベッドに寝転がり、浜辺に打ち上げられたクラゲのように、ぐんにょりと横たわっていた。
「ラーメン、ソーメン……」
ラーメンよりこの季節はソーメンだよな、などとどうでもいい事を考えつつ、セレネは夏の暑さで、ただでさえだらしない生活に、一層拍車を掛けていた。
セレネの押し込められている倉庫は、窓が一つしかないのであまり風通しが良くない。幸い、すぐ横の森から涼しい風が送られてくるし、湿度もそれほどではないので耐えられない程ではないが、それでも夏の日中はやはり暑い。
そんな暑さを少しでも凌ぐため、セレネは夏仕様になっていた。具体的に言うと全裸だった。
どうせ誰も見ていないのだからと、セレネは世話係が食事を持ってきたり、体を拭いたり等、人が来る時以外、殆どの時間を素っ裸で過ごしていた。
幼い子供ならば食べ零しなどで服を汚すはずなのに、セレネの服は全くそういったものが無く、世話係に任命された者達は、確かに女王の言う通り、普通の子供とはまるで違うと思いこんでいたが、そもそも服を着ないのだから汚しようがない。
「髪、じゃま」
身体は全裸で良いとして、セレネは暑さの原因である、自らのさらさらとした長髪に指を通す。王宮で過ごしていた頃は、女性は髪を伸ばすものという風潮があったので、セレネもそれに従わざるを得なかったが、前世は短髪だったセレネからすると、暑苦しいし邪魔臭い。
セレネの髪は、肩甲骨の辺りまで伸びていて、姉のアルエは「セレネの髪は、月の光を溶かし込んだ絹糸みたい」と褒めていた。だが、詩的なセンスなど皆無なセレネは、ソーメンみたいだなとしか思わなかった。この髪がソーメンだったら食えるのに。
「もう、髪、いいや」
今までは王宮のルールを守っていたが、こうして追放された以上、外見に拘る必要もない。髪を切ってさっぱりしよう。セレネはそう思いつき、部屋の隅に置かれた、ひび割れた鏡台の前に立ち、備品として支給されている、あまり切れ味の良くない果物ナイフを取った。
「お客さん、どうしやす?」
「みじかく」
セレネは鏡の前で一人芝居をしながら、果物ナイフを構える。とはいえ、いきなりばっさり髪を切るとアルエが驚いてしまうだろうし、とりあえず少し整えるくらいにして、それから徐々にショートカットにしていこう。セレネは髪を一房掴み、右側から軽く切り取る。
「おわぁ!?」
だが、セレネは不器用だったので、いきなりばっさり切ってしまった。右と左で非対称な、なんとも奇妙な髪型になってしまい、セレネは顔をしかめる。
「ば、バランスを!」
このままではさすがに変だ。今度は左側を切り、長さの調節を試みる。
「うわぁ!?」
今度は左が短すぎる! また右側を揃えねば……そうして右、左、右と切り続けているうちに、いつの間にやらセレネの頭髪は、発狂したウニみたいになっていた。
「う、うおおーっ!」
これはあかん。あかんでぇ。セレネは中身だけではなく、外見まで変になった頭を抱える。だが、悩んだ所で切り散らかした髪が戻るわけでもない。これはまずい。何とかしなければ。
「そ、そうだ!」
ここはコロンブスの卵、発想の転換だ。なまじ中途半端に髪が残っているから悪いのだ。全て切ってしまえばバランスもクソもない。人類が死滅すれば戦争が無くなるみたいな発想だったが、それ以外に対応策が思いつかなかった。
セレネは果物ナイフで髪の毛をじょりじょり切り落とし、数分後には、高校球児に混じっていても違和感の無い髪型と化した。目指せ甲子園。
「よ、よし! 問題、ない!」
問題大有りであるが、セレネは自分にそう言い聞かせ、無かったことにした。それに、鬱陶しい長髪から解放されたこと自体は嬉しい。窓からハゲ頭を突き出すと、爽やかな一陣の風がセレネの丸めた頭を撫でていった。実に爽快な気分だ。
「セレネ、セレネ、今、大丈夫かしら?」
「えっ?」
その時、封印の扉がノックされた。その音と声に、セレネは即座に反応する。最愛の姉である、アルエの声をセレネが聞き逃すはずがないのだ。ここに監禁されてから、アルエと毎日会えなくなったことだけが残念なのだが、こうしてたまに様子を見にきてくれるので、セレネはそれほど気にしていない。
「だいじょ……」
大丈夫、と言いかけて、セレネは慌てて言葉を止める。よく考えたら、今の自分は丸ハゲで、しかも全裸。さすがにこの状態でアルエに会うわけにはいかない。
「ちょ、ま、まって!」
セレネは慌てて服を着込み、床に散乱した髪の毛を適当に纏め、ベッドの下に押し込む。ここまでは良い。問題は頭だ、これを何とかしなければ。しかし、一体どうすればこの窮地を乗り切れるのか。
「あ、あれだ!」
頭を丸めた効果があったのか知らないが、とんち坊主の如く、セレネに妙案が浮かぶ。そして、セレネは即座にその案を実行した。
「ねえさま、いいよ」
それから間もなく、部屋の中から入っていいと聞こえたので、アルエは封印の扉に手をかざす。幾何学的な模様が淡く輝き、扉の鍵が開かれる。
「セレネ、調子はどう? ……って、どうしたの、その頭?」
「お、おあそび」
部屋に入るや否や、アルエは怪訝な表情でセレネを見つめた。セレネは頭をすっぽりと覆う、蔓で編まれたゴミ箱を被っており。虚無僧みたいになっていたからだ。
「ここには遊び道具が無いものね……今度、絵本か何かを持ってきてあげるから、それまで我慢してちょうだいね」
「あ、ありがと……」
普段ならアルエが来ると大喜びのセレネだったが、今だけは早く退出して欲しい。ところが、アルエは上機嫌で何か丸い物を抱えていて、単に様子を見に来ただけではないらしい。
「今日はね、珍しい果物を持ってきたの。一緒に食べようと思って」
「えっ」
セレネがゴミ箱の網目から目を凝らし、アルエの腕を見ると、アルエは梨のような果物を何個か抱えていた。セレネと一緒に食べるため、わざわざ持ってきてくれたのだろう。
「食べたく、ない」
「えっ? どうして? セレネ、果物は好きでしょ?」
「すき、だけど……」
セレネは言葉を濁して曖昧に答える。無論、セレネは食い意地が張っているので、食べたくないわけがない。だが、ゴミ箱を被った虚無僧モードでは食べられない。つまり、「食べたくない」ではなく「食べられない」のだ。
「ひょっとして体調が悪いの? おなかが痛いとか、熱があるとか?」
「ち、ちがう、けど」
「ちょっと熱を測りましょう。それに、そんな物を被ってたら髪が蒸れちゃうわよ」
「あっ!」
セレネを心配したアルエは、果物を体と片手で挟み込み、空いている方の手でセレネの被っていたゴミ箱を取り外し、そして――。
「きゃあああああああああああああああっ!?」
絶叫した。妹のあんなに輝いていた美しい髪はどこにもなく、髪が蒸れるどころかハゲだったのだから無理もない。アルエはあまりの衝撃で意識を失い、ぱたりと倒れた。手にしていた果物が、地面にごろごろと転がる。
「ね、ねえさま! だいじょうぶ!?」
「……ぅ」
幸い、アルエはベッドの方に倒れたので怪我は無いが、セレネは激しく狼狽した。封印の扉が開け放たれたままになっていたので、セレネはそのまま飛び出し、外にいる年老いた庭師に助けを求めた。
庭師は、突如現れた丸坊主のセレネを見て仰天し、監禁部屋に倒れているアルエを見てさらに仰天した。恐らく、長い時間を生きていた庭師にとっても、生涯で一番強烈な瞬間であっただろう。老人が軽く身体を揺すると、アルエはすぐに意識を取り戻したので、庭師とセレネは胸を撫で下ろす。
だが、アルエは軽く頭を振って意識をはっきりさせると、横に居たセレネの腕をがっちりと掴む。
「セレネ、行くわよ!」
「えっ? 行く? どこ?」
「お医者様よ!」
アルエはベッドから飛び起きると、凄まじい勢いでセレネの手を引いて外に飛び出した。セレネを秘匿しろという母親の命令など構っていられない。妹の一大事なのだ。
アルエに引きずられるようにして、セレネは城お抱えの医師に診せられた。本来なら女王に報告、許可を取るべきなのだが、妹は明らかに異常をきたしており、そんな悠長に構えている場合ではない。
医師は、一通りセレネの体調を確認してから、風通しのよい部屋にセレネを寝かしつけ、アルエに診察結果を説明する。
「私の見立てでは、セレネ様は肉体的には何の問題もありません。至って健康体です」
「何の問題も無いわけないじゃないですか! あの子、果物も食べたがらなかったし、自分で髪を全部切ってしまったんですよ! どこか悪いんじゃ……!」
「ふぅむ……身体に問題が無いにも関わらず、食欲不振、自傷行為となると……」
医師はしばらく黙考する。その時間がアルエには不安でたまらない。あんな狭苦しい部屋に何ヶ月も監禁されているのだ、体調を崩してもなんら不思議ではない。
「セレネ様の問題は、ここにあると思われます」
医師はそう言って、人差し指で自分の額を指す。セレネの頭に問題があると言いたいのだろうか。だとしたら、この医師の判断は極めて正確であり、間違いなく名医である。だが、その仕草にアルエは食って掛かる。
「セレネの頭に問題があるっていうんですか!? みんな勘違いしています! あの子は優しくて賢い子です! そんなはずありません!」
「落ち着いて下さいアルエ様、表現が悪かったようですな。つまり、肉体ではなく、精神的なものだと言いたいのです」
「精神的、ですか?」
そう言って、医師はアルエを宥める。名医かと思ったがそうでもなかった医師は、アルエにセレネの「病」を説明する。
「極度のストレスによるものだと思われます。動物ですら、狭い小屋で飼い続けていると、自分の毛を毟ったりするのです。むしろ、あれくらいで済んだのは、セレネ様の精神力の賜物でしょう」
「そ、そんな……」
医師の言葉に、アルエは衝撃を受けた。姫として扱われている自分に比べ、妹はなんと過酷な環境で暮らしているのだろう。女性にとって髪は命だ、それを全て切り刻むほど、セレネは追い詰められている。
だというのに、「お遊び」と称し、顔を隠して見せようとしなかった。自分がゴミ箱を外さなければ、セレネはずっと隠し続けていたに違いない。アルエは、妹の気遣いと、自らの不甲斐なさがない交ぜになり、目尻に涙を浮かべる。
「私、今から母様……女王に進言してきます! このままでは近いうち、セレネが死んでしまうかもしれないわ!」
「分かりました。では、私のほうも出来る限り協力させていただきましょう」
アルエは涙を拭うと、物凄い速さで王宮へ戻っていった。実権は女王が握っているが、このままではセレネがあまりにも可哀想だ。今回は髪で済んだが、その刃を自らの胸に突き立てる日が来るかもしれない。そう思うと、アルエは怒りと焦燥感に掻き立てられ、大股で廊下を歩き、直談判に向かった。
普段温厚なアルエが激昂したのと、髪を全て切り刻んだことは、母である女王にとってもさすがに衝撃的だったのか、セレネは夏の間、王宮の一室にひっそりと監視付きで移動される事になった。
「ごめんなさいね。今はこれくらいしかしてあげられないけれど、私も力を付けて、必ずあなたを助けてあげるから、早く元気になってね」
「気に、しないで」
「セレネ、もう気を遣わないでいいのよ。果物、また持ってくるからね」
「うん!」
セレネとしてはあの部屋から出る必要性は感じなかったが、とりあえず前より涼しい部屋に移れたし、姉が見舞いに来る頻度が増えたしで、結果オーライだった。
丸坊主は二度としないとアルエに誓ったのだが、結局、再発防止のため刃物を没収されることになった。この事件のせいで、セレネは自分で髪を切る事が出来なくなったのだが、暑い部屋で過ごすため、髪を短くしたいという意見は取り入れられ、それ以降、肩の辺りで切り揃えるくらいの髪型となった。
「でも、反省」
とはいえ、アルエに無駄な心配を掛けさせてしまったことも事実であり、その点はセレネも反省していた。そうして秋になり、髪が多少ましになった頃、再びセレネは監禁部屋へ戻されることになった。
アルエは、文句一つ言わず、暗い穴蔵へ押し込められていくセレネの姿を見て、一刻も早く不憫な妹を救わねば、そして、そのための何か大きなきっかけが来る日を、心待ちにするのだった。
――それから二年後、アルエの望む救済、そしてセレネの受難の日々が始まる。