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夜伽の国の月光姫  作者: 青野海鳥
【第一部】夜伽の国の月光姫
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第45話:夜伽の国の月光姫

 ……さて、何から記したものか。身も凍える真冬の季節になると、心まで寒々しくなったようで、なかなか思考が纏まらない。


 まあ、これは第一稿だ。このままの状態で公開されるものでもない。どうせ検閲されるのだから、まずは気の向くままに筆を動かすことにしようか。


 ――これより私が記すのは、数奇な運命を背負った少女、月光姫セレネについてだ。


 ん? 私が誰かって? 私はヘリファルテの文官の一人。国王より直々の命を受け、彼女の功績をヘリファルテの歴史に刻む、重大な使命を担わされた者さ。まあ、私個人のことなどどうでもいいだろう。


 月光姫セレネほど話題性に富んだ人物は、現在……いや、未来においても見つからないだろう。芝居の脚本、物語を始め、絵本や大衆紙に至るまで、彼女を題材とした書物の数は、今の時点で日に日に増えている。


 だが、その殆どの出版物は、面白おかしく事実を誇張し、歪曲し、セレネ姫の話題性と己の好奇心のみを追求する、愚にも付かない物も多い。


 けれど私は違う。私は国家の事業として直々に任命され、一般の人間が知らない事情も全て把握している。彼女に近しい人々に直接話を伺い、自らの眼で見て、耳で聞き、足で歩き、知識を総動員して情報をかき集めてきたのだ。月光姫セレネについて、私ほど詳しい物書きは、国に二人といないだろう。


 だから、これから私が書くことは全て事実であり、何一つ誇張や嘘偽りがないということを、これを目にする読者諸君は肝に銘じておいてもらいたい。


 月光姫セレネの生い立ちは謎に包まれていた。アークイラの出身であろうということぐらいは推測されているが、全ては憶測に過ぎなかった。


 今ここに、彼女の正体を明かすとしよう。彼女の真の名はセレネ=アークイラ。月光姫というのはただのあだ名ではなく、本物のアークイラの第二王女なのだ。


 彼女は生まれて間もないころから、その異質さにより気味悪がられ、母親から見捨てられ、牢獄のような部屋に監禁されるという悲惨極まりない生い立ちであった。


 にもかかわらず、幼いセレネ姫は泣き言一つ言わず、むしろ姉であるアルエ=アークイラを気遣うような素振りをみせていたというのだから、その精神力は大人顔負けである。


 この情報はまだ一般には公開されていないが、その多大なる功績と、何より、彼女の敬愛するミラノ王子のために命まで投げ出した献身を捨て置いてはならないという、ヘリファルテからの強い要望により、アークイラに情報公開の許可を申請している最中だ。経過は……良好である。


 私の書いている文章が公開される頃には、セレネ姫の生い立ちはヘリファルテ国民全てが知ることになるだろう。その日が待ち遠しくて仕方がない。


 それにしても、アークイラの女王も非人道的な振る舞いをしたものだ。まあ、セレネ姫という人類史に残る存在を産み落としてしまったのだから、小国の女王には少々荷が重かったのかもしれな……おっと、この部分は削除しなければならないな。


 セレネ姫が遺した物は本当に計り知れない。彼女のもっとも優れた功績として挙げられるものは、断絶状態だったエルフとの交流を結び、上流階級のみが使える高額な魔力の品物を、より多くの人間に提供するきっかけを作ったことや、学問への投資のため、私財を全て公共投資に回したことだろう。


 だが、我々ヘリファルテ国民からすると、それよりも重大なものがある。それは、我らが聖王子ミラノ=ヘリファルテを、命を賭して守ったことだ。


 夏の終わりの新月の夜、呪詛吐きという老婆が作った恐るべき怪物を、セレネ姫は敏感に察知し、誰も巻き込まないよう、ただ一人敢然と立ち向かい。見事撃退した――その若き命と引き換えに。


 おぞましき怪物の名は日除蟲(ひよけむし)。呪詛吐きはこの怪物を使い、大陸全ての人間を絶望と恐怖の渦に投げ込もうとしたのだ。


 この計画が明るみに出たのは、ヴァルベールのエンテ王女の自白によるものだ。日除蟲の最初の犠牲者となり、数日間昏睡状態だったエンテ王女は、セレネ姫の死と同時に目を覚まし、涙ながらに自らの過ちを父母に告白したという。


 エンテ王女の豹変ぶりは凄まじく、配下の者はもちろんのこと、彼女の父母ですら困惑するほどだったらしい。まるで邪悪な感情を何かに吸い取られてしまったかのようで、傲慢さは消えさり、さめざめと泣き崩れる様は、か弱き乙女にしか見えなかったという。


 エンテ王女は現在、彼女自身が望んだこともあり、ヘリファルテに身柄を引き渡され、裁判に掛けられている。彼女の供述によると、この大事件の発端は、ミラノ王子の寵愛を受けたセレネ姫に対する嫉妬心から来たものらしい。


 恋焦がれる感情を、邪悪な老婆にまんまと利用されたという情状酌量の余地が無いわけではない。だが、罪を犯したのは事実。エンテ王女への判決がどのようなものになるか、私には判断しかねるが、恐らく来春には彼女の処罰は決まるだろう。


 さて、エンテ王女について書くついでに、ヴァルベールのその後についても記しておきたい。そうなると、もう一つ重大な事を併記することになる。神罰の代行者、世界の支配者である、偉大なる赤竜の怒りと、諸悪の根源、呪詛吐きの哀れなる末路についてだ。


 セレネ姫が亡くなってから数日後、赤竜はヘリファルテ城に舞い降りた。竜は、彼の慕うセレネ姫の姿が見られないことと、嘆き悲しむ人間の姿を見て、セレネ姫が何者かによって暗殺されたことを知ったのだろう。凄まじい咆哮を上げ、突風を巻き起こしながら飛び去った。


 その数日後、ヘリファルテにある一報が届く。ヴァルベールの王都が、突如現れた竜の襲撃を受け、半壊状態に陥ったというものだ。竜が戯れに人の街を破壊するという記録は残されているが、竜が敵意をむき出しに攻め込むというものは聞いたことがない。


 それから少しして、私も現地に出向き、聞き込み調査を開始した。その時のヴァルベール中心街の様相は、まさに天の裁きを受けたと表現するに相応しい有様だった。


 もっとも、ヴァルベールは貧富の格差が激しく、被害を受けたのはもっぱら成金達で、多くの貧しい国民達は、むしろ胸のすく思いだったようだが……おっと、この部分も後で削除しないとならないな。


 人とは比べ物にならないほど魔力を蓄えた竜は、優れた鼻を持つ猟犬のようなものだ。僅かに残された日除蟲の残滓(ざんし)から、呪詛吐きの魔力を探知するなど造作も無かったのだろう。


 自らの主を傷つけた者に対し、竜はその強大な力で仇討ちに向かったのだろう。その巨体で呪詛吐きを捜し歩いた結果、ヴァルベールが半壊状態になったというほうが正しいのかもしれない。


 いくら呪詛吐きが優れた術師であろうが、竜に睨まれてはどうしようもない。現場を目にした者の証言を聞くことが出来たが、老婆は半狂乱になって逃げ回り、終いにはペットのカラスにまで助けを求めるほど錯乱していたらしい。


 当然、鳥に人間の言葉が理解出来るわけがなく、あっさりと飛び去ってしまったのだとか。そのまま呪詛吐きは竜に一飲みにされ、その呪われた生涯を終えた。陰謀を企てた老婆の夢は、見果てぬままで潰えたのだ。


 ここで再びセレネ姫の話題に戻ろう。あの夜、ミラノ王子の部屋に向かったセレネ姫は、魔力の刃を怪物に突き立て、ミラノ王子の体内に巣食う呪いを祓った。これは紛れもない事実である。


 だが、世の中には、セレネ姫の悲壮な決意を嘲笑う冷笑家も存在する。偉大な人物というものは、いつの時代も、無知な者たちにいわれなき誹謗や中傷を受けるものなのだ。


 その中で最も侮辱的なものは「セレネ姫がミラノ王子を刺したのは、痴情のもつれによるものではないか」という、下劣極まりない言説だ。


 つまり、セレネ姫とミラノ王子の間に何らかの愛憎劇があり、怒り狂ったセレネ姫がミラノ王子に凶刃を振るい、結果として日除蟲が死んだのではという、荒唐無稽な考えだ。


 史実を記述する者として、セレネ姫の名誉は守らなければならない。下種の勘ぐりを相手にするのも馬鹿馬鹿しいが、この点に関して、私のほうから反論させていただこう。セレネ姫の身の潔白を証明する根拠は、いくつも残されているのだ。


 まず一つは、セレネ姫がアークイラで過ごした最後の夜だ。この時、セレネ姫は姉であるアルエ姫に対し、「必ず守る」と宣言をしたという。その言葉どおり、セレネ姫は恩人であるミラノ王子を、身を呈して守りぬいたというわけだ。


 それだけではない。ミラノ王子に短刀を突き刺す直前、セレネ姫はミラノ王子に「お別れ」を告げたという。これは、自らの最期を覚悟し、今生の別れを告げる宣言に他ならないだろう。


 これだけ事実が揃っているのにもかかわらず、前者はまだしも、その「お別れ」こそがミラノ王子に対する殺害宣言ではないかと、執拗に食い下がる輩もいるであろう。ならばもう一つ、だめ押しで証拠を記しておこうではないか。


 ――それは、マリーベル王女の指輪が解かれていたことだ。


 少女達に伝わるおまじないに、「お互いの髪を交換し合い、装飾品を作ることで、永遠の友情を誓う」というものがあることは、有名な話なので皆が知っているであろう。


 セレネ姫も、マリーベル王女とこの誓いを交わしていた。にもかかわらず、セレネ姫が亡くなったあの日、彼女はその指輪を解き、枕元に置いていたのだ。当然、少女同士のおまじないの指輪と、ミラノ王子は全く関係性がない。


 ということは、これはミラノ王子以外に残された伝言だということだ。では誰に対する、どんな意味が篭められているのか。それは、マリーベル王女への決別の証であると推測される。


 永遠の友情と言えば聞こえはいいが、片方が死んでしまえば、生き残った者を哀しみで縛り続ける呪いとなる。セレネ姫は死を覚悟していた。親友であるマリーベル王女を思うが故に、彼女の髪で出来た指輪――永遠の友情の誓約を解き、自分を忘れるようにというメッセージを残したのだろう。


 なんと清廉で高潔な精神であろうか。自らが死地に赴くというのに、死の直前まで、セレネ姫は他者を思い続けたのだ。この精神を愛憎劇などと結びつけるなど、言語道断(ごんごどうだん)である。


 我らが聖王子を守り、ヘリファルテを……いや、大陸の未来を守り抜いたセレネ姫の聖骸(せいがい)は、彼女が愛した百合の花園に建造中の、聖セレネ霊廟(れいびょう)の棺の中、静かに眠っている。


 あの場所は、セレネ姫がエルフ達と出会うきっかけとなった地でもあり、距離的にも、人間とエルフ、両方が参拝しやすい理想の土地だ。まさに和平の象徴と呼ぶに相応しい場所である。


 現在は基礎部分のみの状態だが、それを差し引いても荘厳な建物である。歴史に名を残す建物になることは間違いない。完成までは相当な歳月が掛かるだろうが、春になり、セレネ姫が満開の花園を誰よりも先に見られるようにというミラノ王子の要望により、一足早く納棺されることになったのだ。


 不思議なことに、セレネ姫の聖骸は死後も全く腐る様子が無く、まるで眠っているようで、今にも目を覚ますのではと思うほどだったらしい。月光姫セレネは天から遣わされた使者である、という夢見がちな詩人の歌も、あながち嘘ではないのかもしれない。


 まだ建造途中、そして真冬の最中(さなか)だというのに、連日多くの参拝者が来ている。その参拝者の中には、赤竜もいるというのだから驚きだ。竜は、まるで主人の前で伏せをする犬のように、数時間セレネ姫の棺の前に鎮座し、そして飛び去っていく。これが連日続いているらしい。


 やはり、彼女には竜を従える能力があるのだろう。私自身、半信半疑ではあったが、セレネ姫がエルフ達から竜の巫女と呼ばれているのは事実だったというわけだ。


 ……そういえば、彼女の飼っていた不思議な鼠は、今も棺に寄り添っているのだろうか。白黒の毛皮に、赤いリボンを結んだ執事のような出で立ちの鼠は、主同様、とても賢い鼠であった。


 彼女が亡くなった後も、主人の(むくろ)の上から微動だにせず、片時も傍を離れようとしない。忠犬という言葉は聞いたことあるが、忠鼠(ちゅうそ)という言葉は聞いた事がない。だが、恐らくは今も、眠るセレネ姫に、影のごとく寄り添っているのだろう。


 あまりにも早すぎる、非業の死を遂げたセレネ姫。彼女の死に対し、ヘリファルテの国民、エルフ達、皆が皆、嘆き哀しんだ。祝福の国ヘリファルテは、瞬く間に夜伽の国へと化してしまったのだ。


 だが、幾ら嘆き悲しもうが、セレネ姫が生き返るわけではない。今は厳寒の冬だが、季節は巡り、いつか暖かな日の差す春がやってくるのだ。


 願いを叶える流れ星が一瞬で燃え尽きるように、閃光の如く、しかし燦然(さんぜん)と輝く人生を生き抜いたセレネ姫。


 死せる彼女が遺した物は、生きる我らが継いでいかねばならない。そして、未来永劫忘れてはならない。我々人間とエルフと奇跡の交流を結び、民草たちの未来を守り、今は遠い月へと帰っていった、月光姫セレネ=アークイラを……。

夜伽(よとぎ)

・男女が夜の共寝をすること

通夜(つや)

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