第18話:路地裏
ミラノとセレネ達がヴァルベールに滞在してから数日しか経っていないが、早くも帰国の前日となった。遊学という名目で来訪しているのだから、本来ならもう少し滞在すべきなのだが、ヴァルベールはごく近い隣国であくまで顔見せが目的だし、何より、エンテを苦手としているミラノにとって、長期滞在はあまり望ましい物ではなかったからだ。
しかし今回の訪問を振り返ってみれば、いつもに比べ、ミラノとしては非常に楽であった。というのも、初日にあれだけセレネを罵倒していたエンテが急に温和になり、ミラノがヴァルベールに滞在している間も、殆どセレネにつきっきりで過ごしていたからだ。
影で良からぬ事をしているのではとミラノは不安で仕方がなかったが、別段セレネに対し悪さを働く事も無く、理由をエンテに聞いたところ「初めは田舎者だと思って馬鹿にしていたが、話してみればみるほど、その心の美しさに惹かれてしまった」という事だった。
「セレネには、人を魅了する何かがあるのかもしれないな……」
あのエンテが他人、まして身分の低い者に対し柔和な態度を取るなど、天地がひっくり返っても無いと思っていたミラノは、セレネは本当に、神に何か使命を託されて生まれてきたのではと思ってしまうほどだった。
普段であれば頻繁に絡んでくるエンテの対処に追われ、他の貴族達への挨拶回りに支障をきたすのだが、今回はセレネが囮になってくれたお陰で、非常にスムーズに進めることが出来た。そうして万事順調に物事が進み、ミラノ達は、ヴァルベールでの最後の夜を過ごしていた。
「今日が最後の晩餐となりますが、ミラノ王子、それにセレネ、どうぞ堪能なさいませ」
エンテは初日以降もミラノとセレネだけの夕餉を開いていたが、初日から最も違う点は、エンテとミラノのすぐ傍にセレネが呼ばれている点である。料理も若鶏の骨と皮などという品の無いものではなく、きちんと同じ物が用意されていた。
「どうした?」
「なんこつ、なんこつ……」
セレネは初日以降、夕食の時間になると呪文のように「ナンコツナンコツ」と繰り返すのだ。どうも初日の事が相当トラウマになっているようで、エンテも申し訳無さそうにしていた。
「ごめんなさいね。あの時はちょっと悪戯が過ぎたみたい。でも許して頂戴ね。私達、友達でしょう?」
「うん」
エンテが「友達でしょう」の部分を若干強調して言うと、セレネは素直に頷いた。しかし、相変わらずどこか不満そうなセレネを見かね、ミラノは助け舟を出すことにした。
「エンテ王女、この子は料理長の事を心配している。彼の身がどうなったのか気になって仕方ないのだろう。教えてくれないか? セレネは彼を糾弾するつもりはないようだし、そのように取り計らってもらいたいのだが」
「ああ、それなら問題ないわ。今日の料理も彼が作った物よ。だから心配しないでいいわよ、セレネ」
「もういい」
セレネはため息を一つ吐き、黙々と料理を食べ始める。それを合図に、エンテとミラノも食事を開始する。
どことなく投げやりな感じではあるが、安堵のため息を吐いていたあたり、やはりセレネは料理長の事を思っていたのだろう。ミラノは、セレネの他人を思いやる気持ちに胸が一杯になった。
セレネはというと、何で軟骨が初日しか出ないんだコノヤロウと、やるせない気持ちで一杯であった。どうせ王子が「ワシの子分を侮辱するのは、ワシを侮辱するのも同然じゃ! 死ねえ!」などといらぬいちゃもんを付け、同じ物を出せとでも要求したのだろう。セレネはミラノに対する憎しみカウンターを一つ追加しつつ、目の前の料理をやけ食いしていくのだった。
軟骨揚げが食えないのは悲しいが、今回の結果だけ考えれば、十分に成果を上げることが出来たとセレネは判断していた。最初は飢えたカマキリみたいな女相手にどう仲良くなろうか悩んでいたが、打ち解けてみれば心優しい王女で、初日以降は過剰なまでに優しくしてくれた。もう一ヶ月くらい滞在してもいいくらいだ。
そうして最後の晩餐も滞りなく終了し、翌朝、ミラノとセレネは多数の城の者たちに見送られ帰路へついた。最後に、エンテはセレネと硬い握手を交わし、何があっても自分達は友達だと一言添え、セレネの姿が見えなくなるまで見送ってくれた。
そのまま馬車に揺られていたセレネとミラノ達であったが、城下町を通り、雑多な露店が並ぶ表通りの一角に辿り着くと、ふと何かを思いついたように、ミラノは御者に声を掛けて馬車を留めさせた。
「セレネ、土産物を買っていってはどうだ?」
「おみやげ?」
「あまり観光をしている暇が無かったし、セレネにはエンテの相手をして貰っていたからな。私からの礼だ」
「おかね、ない」
「心配するな。そのくらいは私が出してやる。これで好きな物を買うといい」
そう言って、ミラノはセレネに大鷲の刻印がされた一枚の金貨と、数枚の硬貨を手渡した。ヘリファルテで使われている硬貨はどれも貨幣価値が高く、特に大鷲の金貨は、それ一枚で貴婦人の服が数着買えてしまうほどの価値がある。
「今はあまり持ち合わせが無いが、それでもここの土産物くらいは買えるだろう」
「いいの?」
「ああ、お菓子でもおもちゃでも、好きな物を買うといい」
「やったあ!」
セレネは目を輝かせながらミラノを見上げる。そのあどけない笑顔に、ミラノも頬を緩めた。お金の入った袋を懐に入れると、セレネはスキップしながら近くにある、焼き菓子や子供向けの商品が並んでいる露店の商品を吟味し始める――フリをした。
遠巻きに見守っているミラノが目を離した一瞬の隙を突いて、セレネは素早く、近くの木箱の陰に身を潜めた。そしてそのまま木箱の陰を伝って大通りから逃げるように、薄暗い路地裏へと身を翻す。
『姫、一体どうされたのです? どうやらこの国、表通り以外はあまり治安が良くないようですぞ。深入りはしない方が……』
「きけん、バトラー、まもって」
『無論、このバトラー、そこらの悪党など一捻りでございますが、しかし何故わざわざ……』
「ひみつ」
少女一人で路地裏を歩く事が危険きわまりない事は、さすがのセレネでも理解はしている。しかし、自分には懐刀のバトラーが付いてくれているのだ。彼さえいれば、そこらのごろつきなど目ではない。
降って湧いたこのチャンスのうちに、セレネはどうしても路地裏で仕入れたい物があった。それは武器である。今は健康に悪い食べ物を王子に大量に食わせてはいるが、いかんせん遅効性だ。もう少しパンチの効いた武器が欲しい。できれば暗殺に使える毒の塗ってあるナイフや、危険な毒物が欲しい。
このヴァルベールという国は、旅人が通る表面的な部分は、治安も店も過剰と言えるほどに厳しく管理されているようだが、その反面、道を一本裏に入っただけで、いきなり生活の質が落ちる。それは以前到着した段階で気付いていた。
こういうヤバい場所にこそ、セレネが望む物があるのだ。飴玉や水鉄砲より、丸薬や鉄砲が必要なのだ。そんな物が本当に手に入るか分からないが、少なくとも情報を得ることはできるかもしれない。
そうして暫く、じめじめした薄暗い道を進んでいくと、怪しげな建物が目に付いた。薄暗い路地裏の中でも、ひときわ陰鬱な隠れ家のようなその店は、漏れ出す香りからして、どうやら薬屋のようだった。
「ビンゴ!」
セレネは指を鳴らし、その建物の前まで近づいていく。日当たりの悪い石造りの建物はかなり老朽化が進んでいるようで、黒くカビた壁面はところどころ削れており、店の入り口には、古ぼけた木製の看板がぶら下げてあるものの、名前らしきものは塗料が剥げ、ほとんど判読不能になっていた。
『姫? 一体このような店に何の御用なのですか? 怪しげな匂いがプンプンしますぞ』
「いいから」
強引にバトラーを黙らせ、セレネはその錆びたドアノブを捻る。鍵は掛かっておらず、すんなりとセレネは店内に足を踏み入れることが出来た。
店内は窓一つ無く締め切られており、まるで光を拒絶しているようだった。湿気っぽいのに、同時にひどく埃っぽくもある。明かりはランプ一つのみで非常に薄暗く、狭苦しい店の両脇には、血のような色をした赤黒い液体や、よく分からない黒焼きのような物が所狭しと並べられており、セレネはその胡散臭さに、うむ、と満足げに頷いた。
「ガァー!」
「ひえぇっ!?」
セレネが一歩踏み込むや否や、威嚇するようなだみ声が聞こえてきたので、セレネは飛び上がって驚いた。
「……カラス?」
セレネが恐る恐る声の方向に目を凝らすと、奥に古ぼけた木製の机があり、その上には、暗闇に溶け込むような一羽の大柄なカラスが居た。先ほどの声の主は、これで間違いないらしい。
「コクマル、お客さんかい?」
カラスの鳴き声が呼び鈴代わりになっているのか、机のさらに奥にある部屋から、しわがれた声が聞こえてきた。声のトーンからすると、どうやら老婆のようだ。
「おやまあ、随分と可愛らしいお客さんだこと」
部屋の奥から現れたのは、予想通りしわくちゃの老婆であった。顔が地面に着くんじゃないかというくらい背中は丸まっていて、大きな樫の杖を支えにしていた。ゆったりとした黒いローブに身を包んでいて、まるで魔女のような出で立ちだが、顔立ちは普通の人の良いおばあちゃんという感じだった。
「お嬢ちゃん、ここは見ての通り薬屋だよ? 表通りの方に子供向けの商品が売ってるが、もしかして迷子かえ?」
「ここで、いい」
老婆の疑問をセレネは首を振って否定した。老婆は不思議そうに細い目をぱちぱちと瞬かせたが、枯れ枝のような指を顎に当て、何かを考えるように少し沈黙した後、口を開いた。
「つまり、薬が必要ということかね?」
「うん」
「何故だい? それに、うちのは特別製だから値段が張るよ? 子供のお小遣いじゃとても買えんわい」
「カネは、ある」
そう言うと、セレネは袋の紐を解き、机の上に金をぶちまけた。ぶちまけた理由は特に無い、単にこういうアウトローっぽい店で、有り金全てを出す行為をしたかったからである。どうせ王子の金なのだ。
「へぇ……こりゃヘリファルテの金貨じゃないか! お嬢ちゃん。これだけあれば洋服でもお菓子でも好きなだけ買えるじゃないか。何だって、こんなところで薬なんか買う気になったんだい?」
「わたし、だいじなひと、まもる、ひつよう」
そう、アルエを守るために毒薬は絶対に必要なのだ。何としても、この怪しげなババアからやばい薬を買わねばならない。セレネは使命感に燃えていた。
「しかし、薬といっても色々あるからねぇ。どんな物がご入用かね?」
「やばいの」
「やばい? つまり効果が強力な奴がいいんだね? しかし、子供に売るにはねぇ……」
「おねがい、します!」
セレネは必死に食い下がる。どうやらこの少女は、余程その「大事な人」とやらに何かしてやりたいらしい。その熱意に押されたのか、老婆はにこりと愛想よく笑った。
「じゃあ、とびきり効果の強い薬をあげようじゃないか」
「ほんと!?」
老婆は笑いながら、棚の奥の方にある白い粉末を取り出し、小さな布袋へと詰めてセレネへと渡した。
「なにグスリ?」
「とても強力な体力増強剤さ。用量を守れば劇的な効果があるが、使いすぎると逆に体調を崩すから気をつけるんだよ」
「キケン?」
「そりゃどんな薬でも、使い方を間違えれば大変な事になるさ」
「わかった」
無論セレネに用法用量を守るつもりは微塵も無い。たとえ半分が優しさで出来た風邪薬があったとしても、飲みすぎれば体調を崩す。しかもこれは体力増強剤である。王子の薬に盛り込む大義名分にはもってこいだ。下手に毒薬を買って足が付いても困る。これは弁当に交ぜこむことにしよう、セレネはそう考え、ほくそ笑んだ。
「ばーちゃ、ありがと!」
「いやいや、その大事な人とやらの役に立つといいねぇ」
「うん!」
セレネは救世主であるババアに深々とお辞儀をすると、意気揚々と薄暗い薬屋を出て行った。店を出たところで、不意に胸元のバトラーがセレネに話しかける。
『なるほど、姫はこれを探していたのですな。表通りで売っているのは土産物ばかりでしたからな』
「そんなとこ」
さて、後は懐にこいつを忍び込ませればミッション完了だ。それなりに金が掛かったので、残りのお金で可愛い女の子っぽい土産を買って誤魔化す必要がある。急いで表通りに戻らねばならない。
「セレネっ!」
「げぇっ!?」
しかし、セレネの思惑は一瞬で破綻した。路地の向こう側にミラノが立っていたからだ。相当慌てているのだろうか、髪を振り乱しながらセレネの元へと駆け寄ってくる。
「一体どこへ行っていたんだ! 誰かに連れ去られたのかと心配したぞ!」
「それは、その……」
懐にブツをしまう余裕が無かったセレネは、慌てて後ろ手に袋を隠す。しかしそれを見逃すミラノではない。
「セレネ、今、何を隠した?」
「なんでもない」
「ここは非合法な物も扱っている危険な場所だ。さあ、それを見せるんだ」
有無を言わさぬ勢いで、ミラノはセレネの持っていた小さな袋を取り上げた。セレネもミラノにしがみついて必死に取り返そうとするが、腰元にしがみ付くのが精一杯でどうにもならない。そして袋の紐を解き、中身の白い粉を見たミラノは不思議そうな表情をした。
「この粉末は何だ?」
「こむぎこ」
「嘘を吐くな。これは何かの薬だな?」
「かぜぐすり」
セレネはしらばっくれた。違う、これはただのビタミン剤じゃ。小麦粉か何かだ。
当然、そんな間抜けな言い訳で騙されるほどミラノではない。
「これが何の薬かは分からないが、普通の物ではないな? 何故こんな物を買おうと思ったのだ、教えてくれ」
「それは……」
「それは?」
「その、おうじの、ため」
「僕のため?」
セレネはしどろもどろにそう答えた。生憎セレネの脳みそでは、王子を誤魔化せるほど上手な嘘を瞬時に思いつけなかった。せめて王子のためにという大義名分で、少しでも糾弾されるのを避けるしかない。ミラノはため息を吐いて、薬の入った小袋を自分の腰元に縛り付けた。
「気持ちはありがたいが、ここは危険な物を売っている場所なのだ。この薬が本当に人体に役立つ物か、ヘリファルテで調べさせて貰う。さあ、帰るぞ」
「ううぅ……」
セレネは何故か拳を握り、両腕を並べて差し出したが、ミラノは特に気にせず、片方の手だけを引いて裏通りを出ていった。セレネは警察にしょっぴかれた密売人の如く、うなだれながら従うしかなかった。
「(僕のため、か……健気なことだ)」
せっかく手に入れたヤクを奪われ、絶望のどん底にいるセレネに対し、前を歩くミラノは怒っているようで、実は上機嫌だった。この年頃の娘で好きな物を買えと言われれば、普通は自分のために使ってしまう。少なくともマリーなら9割は自分のために使い、残りの1割を自分や父母のために使う程度だろう。
しかし、セレネは他の全てを差し置いて、自分を第一に考えてくれていた。普段激務に耐えている自分を思い、薬を探して買おうとしたのだろうが、生憎表通りには土産物ばかりだった。
そうして捜し求めているうち、危険だと知らず、このような場所に紛れ込んでしまったのだろう。決して褒められた行動ではないが、その動機は他人を思う、きわめて純粋な気持ちから来たものだ。
危険な行為をした事自体は叱らなければならないが、それ以外はむしろ褒めるべきだろう。自国へ帰ったら、より一層セレネの待遇を良くしてやらねばならない、ミラノはそう考えていた。
そんな中睦まじく歩いていく二人の後ろ姿を、隠れて覗いている一つの影があった。先ほどの老婆だ。店の隙間から少しだけドアを開け、獲物を狙う蛇のような目で凝視していた。
「こりゃ驚いた。あれはヘリファルテの王子様じゃないか。となると……やっぱりあの子に間違いないようだねぇ」
老婆は、先ほどまで浮かべていた柔和な仮面を脱ぎ捨て、厭らしい下卑た笑みを浮かべた。そして胸元から純白の髪の一房を取り出し、先ほど網膜に焼き付けた少女の物と間違いないか再確認する。
『ババア、アイツカ?』
嗤う老婆に対し、たどたどしい口調で老婆に話しかけたのは、人ではない、先ほど部屋の中にいた、コクマルと呼ばれた大きなカラスだった。カラスは部屋から飛び出すと、老婆の肩に止まった。
「ヒッヒ、そうさね。今夜あたりから始めようと思ってたが、実物を見られるとは思わなんだ。仕事を始めようかねぇ。王女様がお待ちかねだ」
『ダリィナァ……』
カラスは気だるげにそう答えたが、老婆はドアを閉じ、暗闇の中、爛々と目を輝かせた。