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夜伽の国の月光姫  作者: 青野海鳥
【第一部】夜伽の国の月光姫
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第12話:聖王子暗殺計画(前編)

 真っ白なネグリジェ姿のセレネが目を覚ます。あくびを噛み殺しながら伸びをし、ベッドから這い出して、窓の外に広がる青空を仰ぐ。今日も快晴。絶好のスパイ日和だ。


「うん、いい朝」


 久しぶりに早起きしたセレネは満足そうに呟く。既に太陽は一番高く昇っており、世間一般で言うお昼という時間帯なのだが、西日と共に起きるセレネにとっては驚異的な早起きと言える。


 セレネ直属のメイドが明け方に用意しておいてくれる水桶から、清水をコップで飲み、喉を潤す。残った水で顔を洗うと、身支度を整えるために重厚なクローゼットの元へ向かう。


「こんな、いっぱい、いらない……」


 観音開きのクローゼットを開くと、セレネはため息交じりに呟いた。来た当初は何も入っていなかった洋服入れには、色鮮やかなドレスが大量にぶら下がっていた。どれもこれも、ヘリファルテにおいて最高品質のものだ。


 国王一家の晩餐会に呼ばれてから既に二週間経過していたが、セレネはほぼ毎日一緒に夕食を共にしていた。何故か気に入られてしまったらしく、国王夫妻――特に王妃から毎日のように服をプレゼントされていて、巨大な服入れは、既にみっちりと埋め尽くされてしまった。


「いつもので、いいや」


 大量の衣装を前にしても、セレネは迷う様子もなく、一番手前にあった乳白色のゴシックドレスに手を伸ばした。アークイラから移動してくる際に着てきた物だ。若々しいメイドさんが居れば、わざわざ鈴を鳴らして着替えを手伝ってもらうのだが、あいにくおばちゃんメイドなので、セレネは一人でドレスに袖を通す。


「バトラー、いる?」

『もちろんでございます。姫、どこかへお出かけですか?』

「しらべもの」

『私もこの王宮の構造は隅から隅まで調べましたが、いずれ姫の物になるのですから、確かに直接見ておいたほうが良いかもしれませんな』


 セレネがしゃがんで手の平を差し出すと、バトラーが飛び乗る。そのままドレスの胸元を緩め、バトラーを忍び込ませた。セレネにとって、バトラーはいざという時のための頼れる相棒であり、ヘリファルテの内情を探る際は、可能な限り連れて歩くことにしていた。


「きょうから、本気だす」


 身支度が整うと、セレネは一人で気合を入れ直す。明日から本気出すと言い聞かせ、王子の弱点を探ろうとしたものの、大した弱みを見つけられないまま時間だけが経過してしまっていたのを、セレネは内心で焦っていた。


 明日から本気を出す決意は、実際に明日になると今日という日になるので、結果としていつまでも実行されないという事実に気付くのに二週間を要したのだ。その惰性を打ち払うため、セレネは一念発起して早起きを敢行したのだ。


「なるべく、ひっそり、ばれずに……」


 王宮の敷地内であれば、別に移動の制限も監視も無いのだが、やはり後ろめたいことに手を出そうとしていると思うと、どうしても緊張してしまう。なるべく目立たぬよう、抜き足、差し足で、こっそりとドアを開く。


「セーレネッ♪」

「わぁっ!?」


 外に出た瞬間、後ろから何者かに抱きつかれ、セレネは手足をじたばたさせる。

 何という事だ、諜報活動は僅か三秒で終了してしまった。


「……あ、マリーか」

「えへへ、ごめんごめん。珍しい時間にセレネが出てきたのを見かけたから、驚かそうと思って」


 セレネに後ろから抱きついたまま、マリーが耳元で笑いかける。

 吐息が感じられるほどの距離で金髪ロリ姫に抱きつかれているセレネは、締まらない笑みを浮かべる。

 冗談を笑って許してくれた友人の顔を見て、マリーもまた微笑む。


「セレネ、今日は午後の勉強はどうする? 一緒にやる?」

「きょうは、やめる」

「えー! セレネと一緒に出来る時間あんまり無いし、やろうよぉ」


 マリーはセレネから離れると、正面に回りこんで不満げな表情を作る。マリーは王族のたしなみとして教育を受けさせられていたが、セレネもおまけという形で受けて良い事になっていた。とはいえ、セレネは基本日中は寝ているので、授業に間に合わない事がほとんどなのだが。


「ねえ、一緒にやりましょうよ。昼は苦手なんでしょ? せっかく起きられたんだし行こうよ?」

「わたし、べんきょう、きらいだから」


 セレネはやんわりと断る。基本的に彼女は勉強が嫌いなのだ。けれど、マリーはセレネの言葉を遠慮と取った。教育を受けるにはお金が掛かる。それにタダで便乗するのを、思慮深い少女は申し訳ないと思っている。マリーはそう捉えていた。


「でもセレネって凄いわよね。殆ど教育受けた事無かったんでしょ? なのに、すぐに理解しちゃうんだもん」

「としうえだから」

「私のほうがお姉さんなんだけど?」


 いくらセレネでも、現代日本の高等教育までは修了しているのだ。言語を喋る事は苦手だが、人が居て、社会の営みがある以上、算術や地理、科学や衛生といった概念で応用できる部分もあった。


 その点が評価され、教育係は皆、セレネはとても8歳とは思えない才女であると評価していた。マリーと比べて数十年分は人生のアドバンテージを得ているので、大人であるセレネの全力が10歳のマリーより多少上という事であり、総合で見ると圧倒的にマリーのほうが優秀なのだが。知らぬが花というやつである。


 マリーは負けず嫌いだが、セレネに劣等感を抱くことはなかった。王侯貴族の淑女にとって最も大事とされる、美術、舞踊、歌唱といった芸術的なセンスが、セレネには皆無だったからだ。


 絵を描けば、ある意味で近代芸術となり、舞いを躍らせれば、左足に右足を絡ませ転び、天使のような愛らしい声は、聖歌を歌えば破壊音波となる。その点、マリーはセレネより遥かに優秀であった。


 つまり、セレネとマリーでは得意分野がまるで違うのだ。マリーが誇れる部分を引き立て、同時に優秀さも併せ持つ妹分のセレネは、優秀すぎる兄と比較され続けてきたマリーにとって、劣等感を癒す格好の存在だったのだ。


 事実、セレネが来て以来、マリーはよく笑うようになった。嫉妬心のせいで棘のあるやり取りをしていた兄との確執も、少しずつではあるが無くなってきている。


「あ、また襟元がよれよれになってるわよ。ほら、じっとしてて」


 マリーは、セレネのドレスの襟元がはだけているのに気付き、手を伸ばして直してやった。バトラーを懐に収める際に襟元をひっぱるので、服装に無頓着なセレネはそのままにしている事が多い。愛くるしい外見に沿わない無防備な言動も、マリーにとっては庇護欲を掻きたてられるのだ。


「ちゃんと身だしなみはきちんとしないとダメよ。まあ、崩れてたら私が直してあげるけど」

「ありがと」

「で、何で授業に出たくないの? これから何かやることがあるの?」

「……しらべ物」

「調べ物? 何を?」

「王子に、ついて」

「え? 兄さまのこと?」


 不思議そうなマリーだったが、すぐにある考えに至る。客観的に見て、兄は大陸に二人と居ない美丈夫だ。聖王子という渾名は伊達ではない。


 大陸中の幼児から老婆まで、女性で彼に好意を持たないものはいないと吹聴されるほどだ。あながちその噂は間違っておらず、マリーは反発しつつも、それを誇りに思っていた。


「もしかしてセレネって、兄さまに気があるの?」

「ちがうっっ!!」


 セレネは全力で否定した。普段は物静かなセレネが急に大声で否定したので、マリーは逆に「これは図星だ」と判断した。セレネは肌が真っ白なので、興奮すると顔がりんごのように赤くなるので分かりやすい。


「(ま、セレネが兄さまの事を好きになっても無理ないわね)」


 セレネにとって、兄であるミラノは救世主だ。マリーも絵本や芝居などで、囚われの姫が白馬の王子様に救出されるシーンが大好きなのだ。それを自らの身で体験したのだから、惚れてしまっても無理のない話だ。


 それに、どれだけセレネが口で否定しようと、セレネが兄について調べようとしているのは明言しているし、何より、れっきとした証拠がある。


「セレネ、あなたって、いっつもその服ばっかり着てるわよね。なんで?」

「……何となく」


 マリーの言うとおり、セレネは今日も乳白色のゴシックドレスを着ている。マリーはファッションには割とうるさいほうなので、セレネの服も毎日しっかり記憶している。そして、セレネはこの白い服を一番好んできているようだった。


 セレネが王宮に住むようになってからというもの、母がセレネにやたらと服を買い与えているのをマリーは知っている。もちろん、厳選された最高級品ばかりだ。


 なのに、セレネはそれらにあまり袖を通さず、アークイラで突貫で仕立てた服を好んで着ているのだ。決して悪い物ではないが、ヘリファルテ産のものに比べたらやはり劣ると言わざるを得ない。では、何故ずっとそれを着ているのかと考えると、マリーには一つの事しか思い浮かばない。


「(兄さまからの、最初のプレゼントだものね)」


 この服は、想い人から送られた最初の代物なのだ。その服を着ているという事自体、セレネがミラノを特別に思っていることを象徴している。少なくともマリーにはそうとしか考えられなかった。


 実際はまるで違う。セレネは服装に無頓着だったので、着慣れたこの服が一番気に入っているだけだ。というか、服を脱いでメイドに洗濯を頼むと、セレネが寝ている間にまた持ってくるわけだが、クローゼットの空いている手前のスペースに戻すように吊り下げられる。セレネからすると、一番手に取りやすい場所に服がまた来ているので、後はそれを引っ張り出し、それが今日までループしているだけである。


 このドレスが駄目になるまで着続けるだろうし、他の服が手前にあれば、それを手にしただろう。それだけの事だった。もしもクローゼットの高級ドレス全てと、着心地のいいダサいジャージを交換してくれるという取引が出来たなら、セレネは迷わず全てを差し出しただろう。


「兄さまなら、この時間は修練場に行ってるわよ」

「しゅうれんじょう?」

「兵士たちの稽古する場所。王子なのに、兄さまも毎日参加してるのよ。あんな汗臭いところに好き好んでいくんだから、兄さまも変わり者よね」

「かわいそう」

「あ、やっぱりセレネもそう思う? 王子様なんだから、もっと優雅に過ごせばいいのに」


 無論、セレネはミラノの境遇に同情したわけではない。付き合わされる兵士たちに対してだ。上司がいちいち現場までしゃしゃり出てきて監視されていては、息が詰まって仕方ないだろう。


「ねえ、マリー」

「ん? 何?」

「そこ、わたし、行ってへいき?」

「え? 修練場に? 行けない事はないけど、つまんないわよ?」

「いいから、わたし、王子、みてみたい」

「あんな汗臭い場所より、薔薇園に行かない? 私、すっごく立派な薔薇園を持ってるの」

「バラは、きらい」


 マリーの誘いに対し、セレネは首をぶんぶん振って拒絶した。

 セレネの有無を言わさぬ拒否っぷりに、マリーは首を傾げる。


「そう? 私は薔薇大好きだけど。何でそんなに嫌いなの?」

「あつくるしい、くさい」

「えー、私は薔薇の香りって好きだけど。じゃあ、セレネは何が好きなの?」

「ゆり」

「百合ねぇ、百合園は王宮内には無いわ。兄さまなら知ってるかもしれないけど」

「そっかー……」


 セレネは若干がっかりしたようだが、そこで当初の目的を思い出したように、マリーに向き直る。


「ちがう、そうじゃない。王子、会いたい」

「そんなに会いたいの?」

「うん」

「兄さまはかなり厳しく鍛錬してるはずだから、あんまりお話しできないかも」

「かまわない、見てるだけで、いい」


 セレネの表情は真剣だ。そこまで一途に思いつめている妹分の気持ちを、マリーは汲んでやることにした。


「そう、そんなに兄さまの近くに居たいのね。ここから少し離れてるから、移動用の馬車に乗っていきましょ。私は午後の授業は受けないといけないから、案内しか出来ないけど」

「うん!」


 稽古の場所ということは、王子の実力を見られるチャンスだ。もしかしたら、王子の弱点を見つけられるかもしれない。最初マリーに見つかった時は失敗したと思ったが、セレネは思わぬ収穫を得たことにほくそ笑んだ。


 一方、にこにこと笑うセレネを、マリーは微笑ましげに眺めていた。普段はどこか超然としているセレネが、これほど喜びを表す事は珍しい。よほど兄の雄姿を見たいのだろう。


 セレネは身分が低いと聞いているが、自分の父も貧民出身の母と結ばれたのだ。父と母は、年齢差もミラノとセレネと同じだ。ならば二人が可能性は十分にある。少なくとも、隣国の『あれ』に大事な兄を取られるより、セレネと婚約したほうが遥かに良い。


「(応援してるからね、セレネ!)」


 マリーは内心でセレネに声援を送りながら、上機嫌のセレネを馬車乗り場へと連れていった。

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