第89話:可哀想な牛さん達
「断ってよかったんですか?」
ユウとロプス達との話し合いで、未だ喧騒残る冒険者ギルドのロビーでコレットが心配そうに問いかける。
「いいんですよ。
そうだ忘れないうちにこちらを預かって下さい」
ユウはそう言うとコレットに硬貨を30枚渡す。
「ユユ、ユ、ユウさんっこれ白金貨じゃないですか!」
コレットが驚くのも当然で白金貨を見るのも触るのも一般人であればまずないからだ。白金貨は1枚で1,000,000マドカ、コレットには報酬として預入の1%である300,000マドカが支払われる。
この金額はコレットの2ヶ月分の給与と同額。周りの受付嬢が嫉妬の混じった目で羨ましそうにコレットを見詰めるのも当然だった。
「今回は取り敢えずその金額を預けます。あとこれもよかったら皆さんでどうぞ」
アイテムポーチから大量のホットケーキを取り出すとカウンターの上に置く。ホットケーキからは湯気が立ち上り、甘い匂いが辺りに充満する。その様子を受付の仕事をしながら、チラチラ盗み見していた受付嬢達が歓喜する。
「ほら、以前コレットさんが他の受付嬢さん達もホットケーキを食べたがっていたと、言っていたじゃないですか。今回は多めに作ってきたので皆さんで食べて下さい」
「わ~良い匂いです。ありがとうございます」
「本当に良い匂いね」
コレットは背後からの聞き覚えのある声に全身が固まる。恐る恐る後ろを見るとそこには冒険者ギルド2F受付担当のエッダが立っていた。周りの1F受付嬢達が口々に不味いだの秘密がと慌てふためく。
「ユウさん、こういった物は普段から?」
笑みを浮かべるエッダだったが、ユウはエッダから発せられる威圧感に戦闘中でもないのに思わず力が入る。
「はい。こういった差し入れは不味かったでしょうか」
周りの受付嬢達が仕事を放り投げて、とんでもないやいつも感謝していると言った言葉をユウへと伝える。
「いえいえ。不味いのはこのような素晴らしい差し入れを、上司である私に黙って一部の者達だけが独占していたことですわ」
エッダはユウの両手を握り感謝の言葉を伝えると、逃げようとしていたコレットの肩に優しく手を置き、耳元で何事かを囁く。コレットは悲しそうな顔でレベッカや他の受付嬢へ視線を向けると、受付嬢達も悲しそうな顔をして頷く。
大量のホットケーキをエッダは回収すると部屋の奥へと消えて行く。その後ろには悲しそうな顔をしたコレットさんを始め1F受付嬢達がぞろぞろと付いて行く。
「何が起こったんだ……」
「私には難しすぎてわかんないよ~」
「……欲深き者はいつも愚かな最期を迎える」
「これがウードン王国内でも1、2を争う冒険者ギルドとは情けなくなってきますね」
ユウ達はエッダの後ろを黙って付いて行く受付嬢達が消えるまで見届けると、2Fに行きクエストを受注し妖樹園の迷宮へと向かった。
尚この事件により、2時間ほど都市カマー冒険者ギルド1Fの運営が完全に止まってしまったのは余談だ。
「おい、お前なんか甘い匂いをさせておらんか?」
「そんなことありませんよ。髪だけじゃなく鼻まで耄碌したんですか?」
「口の周りに食べ滓が付いとるぞ」
「あらやだ。私としたことが……まぁ冗談はここまでにして、ユウちゃんですが高位の錬金術師か時空魔法の使い手かもしれませんわ」
口元を拭いながら淡々と話すエッダとは裏腹にモーフィスの体が強張る。
「ユウちゃん? 何じゃその呼び名は……いや、それよりどこからそんな突拍子もない話が出て来る」
「あら。ユウちゃんってかわいい呼び名でしょ?
今日わかったんですが、ユウちゃんはよく甘いお菓子を受付嬢に差し入れしてくれていたんですって。良い子ですわ。悪い子達はちゃんとごう――お仕置きしておきました」
エッダの話についていけないモーフィスが何を言っているんじゃとツッコムが、エッダはあの子達は今まで隠して独占していたんですよっと話が止まらない。
「――それでですね。話が逸れてしまいましたわね。ユウちゃんの持って来るお菓子は手作りなんですって」
「話が逸れたままじゃぞ」
「今日、持って来たホットケーキという甘いパンも手作りで、アイテムポーチから取り出したホットケーキはまるでその場で作ったかのように出来たてでしたわ」
「おい、話が――出来たてじゃと?」
「ええ、ユウちゃんのお家から冒険者ギルドまで、どれほどの距離があるかご存知でしょう?」
モーフィスが顎鬚を撫で始める。モーフィスが考え事をする時の癖だ。
「アイテムポーチに遅延の時空魔法が掛かっている可能性があると? ウードン王国内でアイテムポーチに遅延のスキルを付けられる錬金術師は?」
「そうですわね。居ませんわ」
エッダから振った話であったが、居ないというエッダの返答にモーフィスはそうじゃなと頷く。
ウードン王国内最高の錬金術師と呼び声高い『黎明のラーラン』でも創れるアイテムポーチは3級。その性能は重さ3,000kgまでの物を収納できるに留まる。ウードン王国国宝『豊潤の胃袋』と呼ばれるアイテムポーチで2級、性能は40,000kgまでの物の収納、聖ジャーダルクにある国宝『無限の聖袋』が物の状態を維持することができると噂されている。
もし本当にユウが時空魔法の使い手であれば、戦争が起きかねないとモーフィスの頭を過るが、対応策をどうするべきか考えが纏まることがなかった。考えが纏まらないモーフィスがうんうん唸り、そんなモーフィスの頭部を横で立っているエッダが見下ろしながら微笑んでいると、ギルド長室のドアがノックされる。
「失礼致します」
ギルド長室に入って来たのは2F受付担当のバルバラだった。その顔は不機嫌そうで苛立ちを隠していなかった。
「なんですか。その顔は」
「だってエッダさん、あいつ等ムカツクんですよ!
権能のリーフかなんだか知らないけど、威張ってて嫌な奴等なんです!」
「入らせてもらうぜ」
「ちょっと! 許可が出るまで下で待つように言ったでしょう!」
バルバラを押し退けながら冒険者達が、ぞろぞろとギルド長室に入って来る。
横柄な態度にバルバラは顔を真赤にし、エッダはあらあらと言いながらも目を細める。
「ふむ。何のようじゃ?」
「俺は権能のリーフ盟主カロン・バルドデッサだ。用件はエルダのことと言えばわかるよな?」
「エルダ? はて誰じゃそれは。向かいの酒場マリリンの看板娘は……エーデルか儂の秘書はエッダじゃしのぅ」
「しらばっくれんじゃねぇっ!」
モーフィスの態度に激昂したカロンが机に向かって拳を振り下ろす。このままいけばモーフィス愛用の机は木っ端微塵になるところだが。
「あらあら。この机はギルドの備品ですわよ? もし壊したら大変なことになりますわ」
カロンの振り下ろされた拳をエッダが受け止める。エッダは落ちてきたコップを受け止めるかの如く、大して力を入れているとは思えない感じで拳を掌で受け止めている。
その光景に周りのカロンの取り巻き達が動揺する。非力な女エルフがBランク冒険者カロンの拳を受け止めたのだから無理はない。
「てめぇ……まぁいい。俺が聞きたいことはギルドが情報を隠していたことだ!」
「ますますもってわからん」
「新しく発見された迷宮だ! お前等が何らかの情報を隠していたのはわかっているんだ。
じゃなけりゃCランク迷宮如きでエルダが死ぬわけねぇっ!」
ギルド長室を権能のリーフ達の殺気が満ちていく。殺気を向けられているモーフィスは何処吹く風で、エッダの入れた紅茶を美味そうに一口飲む。
「儂はエルダという名など初めて聞いたが、そう言えばギルドが新迷宮を発表する前に、どこからか情報を仕入れた阿呆が無謀な冒険をして死んだとは聞いたな。
冒険者は常に死と隣り合わせ。ギルドが情報を隠していた? そのせいで死んだ? 笑わせるな。
迷宮内は自己責任、死んだのならその冒険者が弱かっただけじゃ。ギルドのせいにするなど以ての外じゃ」
「爺……俺等のバックに居るのが誰かわかっての発言だろうな」
「はて? 誰じゃったかの……エッダ、知っておるか? あと儂は爺じゃない」
「存じ上げませんわね。あと爺ですよ」
モーフィス達の舐めた態度に青筋を浮かべたカロンの血管は千切れんばかりであったが、都市カマーでギルド長を殺せばさすがに財務大臣バリュー・ヴォルィ・ノクスの権力を以ってしても庇いきれない。カロンは一旦落ち着きを取り戻すと、周りの取り巻き達にも落ち着くように声を掛ける。
「後悔することになるぞ?」
「儂は今まで後悔など一度しかしたことはないのぅ」
「ふふ、髪の毛のことですわね」
カロンの全身は激怒のあまり激しく震えている。周りの取り巻き達も各々が武器の柄に手が掛かっていた。
「必ず後悔させてやるぞ……
わかった話を変えよう。新迷宮の情報とユウ・サトウって冒険者の情報を教えろ。勿論、対価は支払う」
「話が変わっておらんが新迷宮の情報なら2F受付で購入するがいい。だがユウ・サトウの情報を何故お主等が知りたがる?」
今まで巫山戯ていたモーフィスが態度を変化させたことに、カロンは満足そうにする。
「へへ。こっちも事情は知らされていないんでな、言えることはねぇな。お前等は黙って冒険者ギルドが持っているユウ・サトウの情報を教えればいいんだよ」
カロンの態度からモーフィスは、冒険者ギルドがギルドカードからステータスの情報を入手していることを確実に知っていると判断する。
「どうした? 金なら出すって言ってるだろう。な~に、冒険者ギルドがギルドカードから冒険者の情報を集めているなんて、高位の冒険者なら誰だって知っている。
そうだ。ついでに住んでる場所も教えて貰おうか」
厭らしい笑みを浮かべながら、カロンは取引に応じなければ冒険者ギルドが冒険者の情報を無断で集めていることを暴露すると、表情が物語っていた。
ニヤニヤと笑みを浮かべながらモーフィスへ迫ってるカロンだったが、ギルド長室の隣部屋――モーフィスが仮眠する為に使用している部屋の扉が開く。
「お~お~、人が気持ち良く眠ってるのにうるせい奴等だな」
欠伸をしながら部屋に入って来たジョゼフは、カロンの取り巻きを一人一人睨みながらゆっくりとモーフィスの元まで来る。2メートルを超える筋骨隆々のジョゼフに睨まれたカロンの取り巻き達は、先程までの殺気漲らせた態度が嘘のように目を逸らし、顔を青くしながら視線を合わせないように下を見る。まるでチンピラだ。
「あんた……ジョゼフ・ヨルムだな。『豪腕』の二つ名は王都まで轟いているぜ。
俺は権能のリーフのカロン・バルドデッサ、知ってるだろう?」
カロンは右手を差し出しながら挨拶をするが――
「知らねぇな」
「そんなわけないだろう。あんたと同じBランクの冒険者だ」
「知らないものは知らねぇな。
でなんだ。ユウ・サトウの情報を寄越せだったか?」
「勘違いしないでくれ。対価は支払う。
ギルドは金を俺達は情報を得る。どちらも損をしない取引だ」
愛想笑いを浮かべながらジョゼフの肩をポンっと軽く叩く。
「こりゃ何の真似だ? 喧嘩売ってんのか」
「違っ――ぐああぁぁぁあぁっ」
ジョゼフはカロンの右手首を掴むと握り締める。ガントレットの上からにもかかわらず、異様な音がギルド長室に響き渡る。
「や、やめろ!」
カロンの取り巻きの1人が叫びながら、カロンの手首からジョゼフの手を外そうとするがびくともしない。他の取り巻き達も慌ててジョゼフの腕に群がるが結果は同じだった。
「なんだよ? お前等も俺に喧嘩売ってんのか」
「なんなんだよ! 俺等が何したっていうんだ! 俺達は権能のリーフだぞ。こんなことをしてどうなるかわかってるんだろうな」
取り巻きが半ば悲鳴に近い声で罵声を浴びせるが、ジョゼフは耳をほじりながら欠伸をする始末だ。
カロンの右手首から先は真っ青に変色しており、ダランとした手首は既に折れている。暫くすると飽きたジョゼフがカロンの手首を解放する。カロンは脂汗をかきながら慌ててギルド長室から逃げるように出て行き、取り巻き達も口汚く罵りながら出て行く。
「ジョゼフ、最初から起きてたな?」
「なんだよ。助けてやったのにお礼の1つもなしかよ。
エッダ、なんか飲み物入れてくれよ」
「はいはい。少し待ってて下さいね」
エッダはカロン達の醜態に満足したのか、嬉しそうに紅茶をカップへ注ぐ。
「ユウ・サトウの名前が出てきたから出て来たんじゃろうが!」
「やだやだ。年取ると卑屈になってやだね~」
「ふふ、本当ですね」
「儂はまだ133歳じゃっ!」