第85話:モーフィスの悩み
「む~どうしたものか……」
都市カマー冒険者ギルド、ギルド長室でモーフィスは机の上に並べている願書を見ながら溜息をついていた。都市カマー冒険者ギルドでは年に1回、1F受付から2F受付への願書を受付けている。
元々、冒険者ギルドの受付は人気職の一つだ。低ランクの内から冒険者と懇意になり中堅になる頃に寿退職も珍しくない。2F受付になれば対応する冒険者はCランク以上だ。Bランク以上の冒険者と結婚出来れば、一生を贅沢に遊んで暮らすことが出来るだろう。
しかし今回は勝手が違った。
「ギルド長どうかされましたか?」
2F受付兼ギルド長の秘書も兼ねているエルフのエッダが、うんうん唸っているモーフィスに紅茶を差し出す。
「おお、スマンの」
モーフィスはエッダが淹れた紅茶を飲みながら、普段から愛用している怪しげな液体を頭皮へと塗り込む。その姿を見ながらエッダはどうせ無駄なのにと心の中で呟く。
「この願書なんじゃが動機が困ったもんでの」
「毎年のことじゃありませんか。玉の輿を狙う娘達なんて珍しくもありませんよ」
「違うんじゃ。今年の願書の動機は――」
その時、ギルド長室前の廊下を慌しく走り回る音が聞こえる。足音はギルド長室前の扉で止まると、ノックもせずに勢い良く扉を開ける。
「ギルド長~」
「アデーレ、ノックもせずに何ですか」
「ひゃっエッダさんっご、ごめんなさい。
でも今はそれどころじゃないんです! ギルド長、戻って来ました!」
「戻って来た? 誰がです」
「戻って来たか……エッダ、今回の願書の原因じゃよ」
1F冒険者ギルドロビーは普段から冒険者達で賑わっているが今日は一際賑わっていた。
それもそのはず新しい迷宮が発見されたことは既に知れ渡っており、ユウ達に冒険者が群がっていた。
「ラリット、新しい迷宮に潜ってたそうじゃないか。どうだったんだよ」
「迷宮はどのタイプだったんだ? 銀貨3枚で情報を売ってくれよ」
「エッカルト、案内も兼ねて一緒に行かねぇか?」
「どうせ2~3階で帰って来たんだろ。で、どんな感じだ?」
「マリファちゃん、ハァハァ……」
むさ苦しい冒険者達に囲まれてラリットはうんざりした表情で、エッカルトはニーナ達の盾になるように立っていた。ユウはいつも通り無視して受付へと向かっていた。因みにクロは流石に冒険者ギルドに連れて来てはまずいと判断し、コロとスッケを連れて先に屋敷へ帰らせていた。
「ユウさん、Cランク昇格おめでとうございます!」
「ありがとうございます。コレットさん、どうかされましたか?」
いつも元気一杯のコレットだが、今日はどこか表情が暗かった。
「ふぇっわ、私はこの通り元気一杯ですよ!」
「そうですか。私の勘違いみたいですね。これよかったらどうぞ」
ユウはアイテムポーチから瓶を取り出すとテーブルに置く。中身は迷宮攻略の際にジャイアントビーの巣を見つけて採集した蜂蜜だ。その際にマリファが女王蜂を確保していたので、うまくいけば今後は安定して蜂蜜を手に入れることが出来るかもしれない。
「わぁ~この甘い匂いは蜂蜜ですか。ありがとうございます」
ユウとコレットのやり取りを他の受付嬢達も凝視していた。この蜂蜜もあとで1F受付嬢達で分け合うことになるだろう……女性達にとって甘い食べ物は金より価値がある。糖分の独占は審問会行きになるのだ。
「と、ところでユウさん達はCランクになったので、今後はやっぱり2Fに行かれるんですよね……」
コレットの質問に受付嬢達の耳がピクピクと動く。都市カマー冒険者ギルド1F受付嬢達にとって、ユウの返答次第によっては死活問題になるからだ。
「2F? あぁ、Cランク以上になれば2Fでクエストを受けることができるんですよね。
今後、クエストは2Fで受ける機会もあるかと思いますが、基本的には1Fに居るでしょうね。ここの皆さんには良くして頂いているので」
ユウの言葉にコレットがバンザイをする。よく見れば周りの受付嬢達もガッツポーズをとっている。
「コレットさん……?」
「ハッ……あはは。何でもありません~」
「そうですか。それでは素材の買い取りをお願いしてもいいですか。量が多いので大部屋で鑑定をお願いします」
「わかりました。ではこちらへ――」
「その冒険者の対応は私がするわ」
コレットがユウ達を大部屋へ案内しようと、カウンターから出るところで女性が割り込んで来る。
金色の髪にグラマラスなボディも目を引くが、一番目を引くのは彼女の耳だろう。彼女の耳はエルフやダークエルフとは違った意味で長い。所謂、兎の耳だ。
「初めまして。私は2F受付のバルバラ・バーデ、兎人よ」
「ちょっと、ユウ君はコレットに買い取りを頼んでいるのよ。2F受付のあなたがなんで出しゃばるのよ」
コレットがバルバラの乱入にあたふたしていると、周りで見守っていた他の受付嬢達が加勢に入る。
「ふん。今回、見つかった迷宮はCランク以上よ。なら買い取りも2F受付の私が対応するべきだわ」
バルバラの正論に口を噤むしかない受付嬢達だったが、そこにユウが口を挟んだ。
「私達が手に入れた素材は特に呪いや阻害の魔法も掛かっていません。量も多いのでここに居る皆さんにも手伝って頂く方がいいのでは」
ユウの言葉にバルバラは不快感を表し、コレット達は笑顔を浮かべる。ユウ達は大部屋に移動するとアイテムポーチから採集した素材、宝箱から入手したアイテムを出していくと、瞬く間に大部屋の3分の1を埋め尽くす。
「こ、今回も凄い量ですね」
あまりの多さに他の受付嬢達に応援を頼んで総勢7名で鑑定を始めていく。
2時間ほど鑑定を延々と繰り返すうちに受付嬢達の表情から感情が抜けていく。
「な、なんて量よ……大手クランじゃあるまいしバカじゃないの」
「お、お待たせしました。鑑定結果ですが――」
コレットが鑑定結果を伝えようとした瞬間にバルバラが口を塞ぐ。
「鑑定結果は私から伝えます。ソルジャーアント・ワークアントの甲殻、イエロースライム・グリーンスライムの体液、マッドマンティスの鎌にドラゴンフライの羽にトレント・ブラッディートレントの枝、アネモニノイドの茎、ランク5の魔玉にその他アイテム諸々で金貨634枚、銀貨8枚、半銀貨6枚、銅貨3枚ね」
「すげぇ……6人で割っても1人金貨100枚以上か……ぶっちぎりで過去最高の稼ぎだ」
「オデば迷宮で手に入れだ黒曜鉄の盾をごのまま使いだいがらぞっがら引いでぐれ」
ユウはちらっとコレットに目配せすると、コレットは合ってますよと頷く。
「ちょっと今の目配せはどういう意味? 私の付けた値段を疑っているんじゃないでしょうね」
ユウはめんどくせぇ女だなとバルバラを無視した。
「コレットさん、新しい迷宮の地図や罠等の情報を売りたいんですが」
「その子じゃなく私と話しなさい。情報の内容は?」
「――25層までの地図と罠や自生している植物の情報ですね」
「だから内容は?」
「取引も成立していないのに言うわけないでしょう」
ラリットはそらそうだという顔で頷く。マリファは先程からバルバラのユウに対しての態度が気に食わないのでずっと睨んでいる。ニーナはユウの後ろ髪を弄って話しについていけていない。レナは眠いのかうつらうつらしている。
「金貨10枚ね」
「歩合制にして頂けませんか。地図が1枚売れる毎に銀貨3枚。Cランクからはギルドにお金を預けることができると聞いています。私とラリット、エッカルトにそれぞれ銀貨1枚ずつを振り込んで下さい」
「ぶ、歩合制? 何よそれ。そんな取引は今までにしたことはないわ。それに地図1枚の売上に対して銀貨3枚なんてふざけているわ」
「私がこの周辺の魔物情報にDランク迷宮の情報で金貨5枚を支払いましたよ。今回、見つかった迷宮はCランク以上。ギルドは地図を1枚いくらで売るんでしょうか?」
「少し有望だからって調子に乗らない方がいいわよ。私はCランク以上の冒険者に多くの知り合いが居るわ」
「そうですか。では今回の話は無かったことで」
「その情報はどうする気なのよ」
「知り合いの商人に売ることになるでしょう。先程の条件で喜んで飛びつくでしょうね」
ユウが冒険者ギルドを通さずに商人に売ると言ったので、バルバラは慌てる。
「そんなこと許されると思っているの!」
「ギルドの条約では禁止されていませんよ」
「暗黙の了解があるでしょうがっ! もしそんなことをしたら都市カマーに居れなくなるからね!」
ヒステリーを起こしたバルバラに周りの受付嬢達も引いていた。女性の苦手なエッカルトは既に距離を取っている。
ユウへ罵倒を続けるバルバラへマリファが右手を向ける。中指を親指に当てまるでデコピンでもするかのように、マリファの右手は手首まで黒い手袋のようなもので覆われていた。実際には手袋ではなく――マリファが指を弾こうとしたところで扉を開けて入って来る者が居た。
「バルバラ、いい加減にしなさい。あなたのヒステリックな声が外にまで聞こえていますよ」
「誰よっ! 私にむか……ひっエ、エッダさん」
「ユウさん、ウチの受付が失礼致しました。話は全部聞かせて頂きました」
エッダはユウに向かって微笑むと自慢の耳を撫でる。エッダの後ろにはギルド長モーフィスも来ていた。
「ふむ、儂には何で揉めていたのかは聞こえんかったが、地獄耳のエッダには全て聞こえておるよ」
「あらあら、お爺ちゃんは口が悪いですね」
「だ、誰がお爺ちゃんだ!」
その後、バルバラはエッダに耳を引っ張られながら部屋から連れ出される。事情を聞いたモーフィスは、ユウの条件を了承し先程まであんなに揉めていたにもかかわらず、あっさりと取引が成立した。
「少しでも冒険者の生存率を高めるためじゃ。それに利益も十分に出るしな」
「あんたにしちゃ珍しく役に立ったな」
「お前には少しでも恩を売っといた方が受付嬢達も喜ぶからな」
「今度の迷宮は植物系だから、髪に効く植物でも見付けたら取ってこようか?」
「貴様っ――宜しくお願いします!」