第181話:一騎当千 前編
徐々に見えてくる船影に、港で作業をしていた者達が見張り台の周りへ集まってくる。
「なんだありゃ?」
「あれが船ってやつか? ここからじゃ、どの程度の大きさかわかんねえな」
「おい、ナルモ。お前ならどんくらいでかいのかわかるだろ?」
騒ぐのは獣人の血を引く者達で、堕苦族と魔落族の者達は状況を把握しようと焦る気持ちを落ち着かせ、魔人族の者は静かに武器を手に取った。
「うるさいな。まだ敵って決まったわけじゃないだろうが」
囃し立てる仲間にナルモは落ち着くよう促すが、ナルモ自身も内心は慌てていた。
「んなわけあるか! 敵以外に考えられねえな。それで相手は人族か? 人数は?」
アガフォンが周りの者達を押し退けてナルモに尋ねる。
「人族だな。お揃いの鎧着てるからどっかの国の兵だろ。人数は船上に見えるだけで三百から四百はいるな」
淡々と言い放つナルモであったが、兵という言葉に皆に緊張が走る。
「一隻で三百から四百だと!? 三隻だと……合計で六百以上じゃねえかっ!!」
「バカ野郎っ!! 八百人以上だ!!」
アガフォンが狼人の青年の頭を殴るが。
「バカはアガフォンもだよ。約千人だろうが」
狼人の青年とアガフォンのやり取りに、ナルモがツッコミを入れる。
「そ、それくらいわかってた。ナルモ、ちょっと算数ができるからって調子に乗んなよ! 俺だって勉強してんだよ」
顔を真っ赤にしたアガフォンがナルモの胸ぐらを掴むが、ナルモは相手にせず払い除ける。
「なんだよ。アガフォンも間違ってんじゃねえかよ。そうだ! ナルモ、お前ビーストテイマーになってたよな? アオ使ってあいつら蹴散らしちまえよ」
「ばーか。ビーストテイマーに成り立ての俺が、アオみたいな海竜を使役できるわけないだろうが、それこそ上位職のドラゴンテイマーにでもならなきゃ無理だっつーの。大体アオは王様の言うこと以外聞かないだろうが」
「てめえっ、誰がバカだ! もういっぺん言ってみろっ!!」
名案とばかりに提案した狼人の青年をナルモは鼻で笑う。その態度にキレた狼人の青年が掴みかかろうとするが、ナルモが自分を見ていないことに気づく。いやナルモだけでなく、周囲にいる者達の視線が一点に集まっていた。
「お、王様」
「オドノ様、なに用で?」
先ほどまでバカのように騒いでいたアガフォンが、借りてきた猫のように大人しくなっていた。魔人族の者達は、ラスを伴って現れたユウの前に跪いていた。
「前にも言ったけど、跪くの止めろ。鬱陶しいから」
「はっ! しかし……いえ、かしこまりました」
なにか言いたげな魔人族の者達であったが、ユウの顔が不機嫌なのに気づくと慌てて了承した。
「王様、実は」
「わかってるから。お前らは来んなよ」
「えっ!? でもあいつら千人はいるんですよ!」
「何回も言わすな」
ユウは食い下がるアガフォンを手で制すと、白魔法第5位階『レビテーション』によって宙へ浮くと、そのまま魔導船の方へと向かっていく。そのすぐ後ろをラスが追随する。
三隻の魔導船、中心を担う魔導船の船上で一際目立つ鎧を纏う男が島を凝望していた。
「トライゼン将軍、本当に島がありましたな」
副官の男がトライゼンの横に並び立ち、同じように島を眺める。
「なくては困る。ここに辿り着くまでに決して少なくない犠牲を払っている。三隻の魔導船を動かすために動員した魔導師三百名の内、すでに四十名以上が極度の疲労によってしばらくは使い物にならん。事前に知らされていた航路のおかげで大型の魔物と出会すことはなかったが、それでも度重なる魔物の襲撃によって数十人が死んでいる」
「そうですな。ですが……」
「どうした?」
「いえ、島に近づくに連れ魔物の襲撃が減っているように感じるのが腑に落ちないのですが、私の気のせいでしょう」
「確かに魔物の襲撃は目に見えて減ってはいるな。海の魔物というのは、大地に近づくに連れ生息がし難いのかもしれんな」
船上には武装した兵士が三百名以上、トライゼン将軍の周囲を護衛する兵は、今回の遠征のために用意した三千の兵の中でも選びぬかれた五十の精鋭であった。またトライゼン将軍の周囲には魔導師による結界が常に展開されており、一分の隙も窺えなかった。
「前方より二つの物体が接近!」
物見台の兵より報告が上がると同時に、兵達が流れるように隊列を組んでいく。気負うでもなく訓練のときと同様の動きからも、トライゼン将軍が率いる兵の練兵具合が窺えた。
「確認が取れました! 一つはアンデッド、姿よりエルダーリッチの可能性あり。一つは人族の少年です!」
物見からエルダーリッチの可能性ありという報告に、兵達の全身から発汗による湯気が立ち上る。エルダーリッチに対して恐れるどころか、これから始まるかもしれない戦闘を想像してのものである。
「亜人ではなくアンデッドに人族の少年だと? 間違いないのか?」
「間違いありません」
副官が物見に尋ねるが、物見の返答は変わらなかった。
「亜人と共に少数の人族がいるのは確認できている。アンデッドが、それもエルダーリッチクラスがいるとは聞いてはいなかったがな」
トライゼン将軍は楽しそうに笑みを浮かべ、近づいてくるユウ達を受け入れるかのように甲板に空間を作らせた。
三隻の魔導船は動きを停止させると、それぞれの魔導船を渡しで連結していく。残りの二隻の魔導船へは、通信の魔導具によって伝達済みであった。
「降りてきます」
「総員油断するなよ!」
甲板にユウとラスが降り立つと、兵達が素早く取り囲んだ。
数百の兵に囲まれているにもかかわらず、ユウは意に介さずマリンマの掲げる軍旗に視線を向けると、ラスに尋ねる。
「知ってる旗か?」
「残念ながら記憶にございません」
たった二人で魔導船に乗り込んでおいて、自分達を無視するユウとラスの態度に、トライゼンは感心し副官は怒りを隠さなかった。
「貴様ら、名を名乗らんか!」
「お前らこそ名乗れよ」
「なっ!? お、おの――」
青筋を浮かべた副官が、前方で壁を作る兵を押し退けて前に出ようとするが、トライゼンが手で制する。
「我々はマリンマ王国海軍第一騎士団である。その方達はここから見える島の住人で間違いないな?」
「マリンマ王国? 聞いたことないな。ラス、お前と約束した国の一つか?」
「いえ、マリンマ王国は入っておりません」
「じゃあ帰れ」
「マスター、どうか私を側に……」
「ダメだ。お前と関係ないならこいつらは俺の客だ」
有無も言わさぬユウの言葉に、ラスは八つ当たりするかのように自分達を取り囲む兵を睨みつける。それだけで心の弱い者であれば恐慌状態に陥るのだが、マリンマの兵達は一兵卒たりとも状態異常になることはなかった。魔導船から去っていくラスは、最後まで恨みがましくマリンマの兵達を凝視しながら島へと向かった。
一方、自分達の将であるトライゼンの名乗りと問いかけを無視したユウに対して、マリンマの兵達は表情にこそ出さなかったが怒り心頭であった。
「この無礼者が礼儀も知らぬかっ」
副官の怒声のような言葉に、ユウは笑わせるなと失笑する。
「礼儀? 侵略者に対してどんな敬意を表せってんだよ」
「ほう、我々が侵略者だと?」
「そうだ。お前らの船はネームレス王国の領海に侵入している。一体誰の許可得て領海を侵している?」
「ネームレス王国? 亜人の国か? では誰の許可を得ればいいのだね?」
「俺だ。俺がネームレス王国の王だ」
ユウとトライゼンの会話を静かに見守っていた兵達から、一斉に笑いが起こる。嘲笑する者達の中には副官も混ざっており。先ほどまでの怒りを忘れるかのような大笑いであった。
「静かに」
トライゼンの一言で再び場は静寂を取り戻した。
「私の兵が失礼した」
「気にするな。兵を見ればそれを率いる将がどれほどの奴かもわかる」
場は変わらず静寂であったが、兵達から自分達の将をバカにしたユウに向けて恐るべき数の殺気が叩き込まれる。常人であれば気当たりによって、失神してもおかしくないほどの殺気であったが、ユウは何事もなかったかのように飄々としていた。
「なかなか言うじゃないか。我々の目的はレーム連合国に加盟する国々の条約で保護されているドライアード及び、人類が管理すべき世界樹がある島を不当に占拠する亜人共――失礼。君の王国、名はネームレスだったかな? ネームレス王国からの解放である」
「まるでネームレスがドライアードを監禁しているかのような言い方だな。それに不当に占拠ってなんだよ? あの島には俺ら以外誰もいねえぞ」
「そう言っているのだが? 気を悪くしないでくれ。素直に島を明け渡してくれると、こちらとしては助かる。行く宛がないのであれば、奴隷としてマリンマ王国が責任を持って引き受けようじゃないか」
「断る。あまりの言いがかりに俺を笑わせようとしているのかと思ったが、まずネームレス王国はレーム連合国とやらに加盟していない。ドライアードの保護なんか知ったことか。それに島にいるドライアードは自らの意思でいる。世界樹に関しては、ハハッ。いつから人族が管理することになったんだよ? 笑わせんなよボケ共が」
ユウの言葉でドライアードと世界樹が島にあるという話の信憑性が増したことに、トライゼン将軍の口角が自然と上がった。
「こちらの要求には従えないと?」
「当たり前だ。それより今なら見逃してやるぞ?」
「見逃す? どうやら力関係をわかっていないようだな。我々マリンマ王国は今回の遠征に魔導船三隻、総勢三千の兵を引き連れてきている。この私が鍛え上げた兵だ。どの兵も島にいる亜人なんぞでは太刀打ち出来ぬ兵ばかりだぞ?」
「兵? こいつらが?」
ユウは自分を取り囲む兵達を一瞥し、鼻で笑った。それを強がりと受け取った兵の中から、一人の男が前に出てくる。男が纏う鎧は一般の兵が身に着けている鎧よりも明らかに格上であり、手に持つ斧槍も業物であった。
「そんなに怯えるなよ? 黙って島から去れば、見逃してやるって言ってんだ」
「パオリーノ百長、あんまり虐めたら可哀想ですよ。なにせこう見えても王様らしいですからね」
「おお、そうだったな! 坊主は薄汚い亜人の王子様。いや王様だったか? ガッハハハハッ!!」
兵の囃し立てに乗るように、パオリーノがユウを侮辱した。普段であれば兵のこのような行為を諌める立場のトライゼンであるが、ユウの生意気な態度に内心腹を据えかねていたので止めるでもなく静観した。
「どうした? 怖くて泣いてるのか?」
意地の悪い笑みを浮かべて、ユウの顔を覗き込むパオリーノであったが。
「息が臭えから喋んな」
「こ、このっ! クソガキがっ!!」
目を血走らせたパオリーノが、ユウの首を掴む。パオリーノの握力と腕力は、ビッグボーですら掴めばそのまま首をへし折ることができるほどであった。
「おい、もう一回言ってみろ? なにがネームレス王国だ! 薄汚い亜人共が国を創ろうが所詮ごっこ遊びなんだよ!! 人族のくせに気持ち悪い髪の色しやがって!! トライゼン将軍、こんなクソガキが王様のわけないですよ。さっさと殺して、島の薄汚い亜人共も皆殺しにしましょうやっ!!」
パオリーノはトライゼンの言葉を待たずに、右手に握る自慢の斧槍を振り上げる。それを止める者はこの場には誰もいなかった。むしろこれから起こることを想像し、興奮して煽る者までいた。
ぽちゃん――
海面になにかが落ちる音とともに水飛沫が上がった。嘲笑が支配する船上は、時が止まったかのように一斉に静まり返った。