第133話:誰が泣かした?
第131話の前書きであと1~2話で終わると書きましたが、あれは嘘だ! あと1話くらい続きそうです。
「ごめ~んね」
ニーナの言葉を合図に、魔力で出来た糸の中へニーナの身体が溶け込むと一瞬にしてタリムの下まで移動する。
タリムの足元からニーナが飛び出すと、そのままタリムに向かって短剣技『シャイニングブロー』を放つ。ニーナが姿を消してから攻撃までの早業を目で追えた者は、ジョゼフ、ヌング、デリッドの他にあと何名居たのか。
「ちっ」
デリッドは舌打ちをすると、冒険者ギルドでニーナの動きを拘束した時と同じように精霊魔法第4位階『拘束する荊棘』を発動する。だが、ニーナの左手に握る黒竜・牙が鋼以上の強度を誇る荊棘を斬り裂く。刃はニーナの魔力でうっすら覆われて切れ味が格段に上昇していた。
デリッドは二度目の舌打ちをすると精霊魔法第5位階『荊棘の盾』を発動する。ニーナとタリムを分断するかのように荊棘の壁が立ち塞がるが、ニーナはお構いなしでシャイニングブローを押し込む。黒竜・爪の切っ先と荊棘の壁と接触する瞬間、信じられないことが起こる。荊棘の壁の一部が消失し、シャイニングブローが荊棘の壁を通り抜けて行く。
(バカなっ! 詠唱失敗!? いや、そんなことありえない!!)
最初、詠唱に失敗したのかと思うデリッドであったが、すぐにあり得ないことに気付く。デリッドはパッシブスキルに『詠唱破棄』を持っているからだ。詠唱せずに魔法を発動出来るデリッドが詠唱に失敗することなどあり得ないのだ。
このままニーナのシャイニングブローがタリムの喉を貫くかと思われたが、デリッドの稼いだ時間が生きることになる。僅かな時間ではあったが、それでもタリムが盾を構えるには十分な時間であった。
ダマスカス鋼で出来た盾とダガーが正面から衝突。普通に考えればダガーがへし折れるのは自明の事実であったが、ニーナの黒竜・爪の刃は鍔まで貫通し、辛うじて鍔が盾に引っ掛かることで止まっていた。
タリムは様々な幸運が重なって死の運命から逃れることが出来ていたことに、タリムを含めこの場に居る誰も気付けずにいた。
一つ、デリッドの稼いだ時間のおかげでタリムが盾を構えることが出来たこと、二つ、ニーナの刺突が盾に鍔が引っ掛かり止まったおかげで攻撃を防ぐことが出来たこと、そして本当にタリムにとって運が良かったのは盾を貫通した黒竜・爪によって腕などに傷が付かなかったことであった。もし僅かにでも傷を負っていれば、黒竜・爪に備わる猛毒によって強力な神経毒、出血毒を併発し、高位の白魔法もしくは神聖魔法の使い手が居なければ数分後には死んでいたであろう。
周りに居た赤き流星の面々が状況を把握し、慌ててニーナを取り押さえようと動き出すが、すでにニーナは次の攻撃の準備に移っていた。正面に居るタリムに背中が見えるほど身体を捻り、両手には逆手に握られた黒竜・牙と黒竜・爪、放たれるのは短剣技『逆手二刀旋回・剛』であったが、ニーナの動きがそこで止まる。赤き流星の団員達は不自然なニーナの行動に戸惑うが、ニーナには短剣技を発動させようとしたその時、音が聞こえていた。その音は優れた聴力を持つダークエルフのデリッドにも聞こえていた。
音の発生した場所はニーナ達の陣営、明らかに呪われていると思われる装備を身に着けている兜で顔を覆われている者の側から、ガラスや瓶が割れたような音が聞こえてきた。
一度、たった一度しか聞いたことのない音であったが、ニーナには決して忘れることの出来ない音であった。あの日聞いた音は今でもニーナの脳裏に焼き付いていたからだ。
「な、なんだ? こいつ急に動かなくなったぞ」
「今の内に取り押さえた方がいいんじゃないか」
「待て、あっちの様子がおかしいぞ」
赤き流星団員の一人がニーナ達の陣営の異変に気付く。固まってニーナ達を応援していた冒険者や傭兵達が散り散りになって武器を構えていたからだ。
ニーナ達の陣営は別の意味で大騒ぎになっていた。噂でしか聞いたことのない門が目の前に出現しようとしているのだ。過去に門が出現したことによって、どれほど多くの被害をもたらされたかは冒険者であれば誰もが知っていた。
空間に走る亀裂がどんどん大きくなり、やがて何もない空間に穴が空く。皆が門の先が安全な場所に繋がっているのを心の底から願っていた。この場で違うことを考えている者は、どこか諦めた顔のムッスに微笑んでいるヌング、珍しそうに門を見詰めるジョゼフ、不快な表情のジョズ、そして門に向かって跪くクロであった。
「出て来るぞ!」
冒険者の一人が叫ぶと、門を囲む者達の武器を握る手は力が入り過ぎ変色していた。
やがて門から手が突き出る。手には本来あるべき肉、皮膚などが全くなく剥き出しの骨であった。その手を見た者達からは、希望から絶望に突き落とされたかのように落胆の声が漏れた。続いて見えるのは骸骨の顔、本来眼球が収まるべきである眼孔には赤色の妖しい光が収まっていた。現れたのはローブを纏った骸骨、エルダーリッチであった。「ああっ……」、冒険者の一人が諦めにも似た声を漏らす。唯でさえ強力な魔物であるエルダーリッチであったが、身に纏っているモノは一目で級の高いモノだとわかったからだ。こんな化物が次々に出て来ると思えば誰がこの冒険者を責められようか。
エルダーリッチは門から出て来ると周囲の冒険者達を睥睨する。それだけでレベルの低い冒険者は、心の臓を手で掴まれたが如く身体中から冷たい汗がどっと吹き出していた。
そしてエルダーリッチの次の行動に周囲が驚いた。エルダーリッチは門に向かって跪いたのである。まるで王に対する臣下のように――
「なんでこんなことになるんだよ」
「知るか! 俺に聞くんじゃねえよ。
それより見ろよ。あのエルダーリッチが跪いているってことは、あれよりもっと強いのが出て来るんじゃねえのか?」
「エルダーリッチより強い魔物が……!? なんだよそれ!」
「魔王とかかもな」
誰が先手を取るかで皆が周りの顔色を窺う。皆の顔に浮かぶのはお前が先手を打てであった。誰しもが捨て駒になるであろう先手になるのを嫌がった。
「マスター、ご安心下さい。周りに居るのは羽虫となんら変わらぬ雑魚ばかりです」
エルダーリッチが人語を話すことは珍しいことではない。高位の魔術師などが秘術によって魔物化し長い年月を経たのがエルダーリッチである。そんな高位の魔物であるエルダーリッチがマスターと呼ぶ存在。どれほどの化物であろうかと戦慄する身体を必死に武者震いと思い込もうとする多くの冒険者達。その中でエルダーリッチと面識のあったラリットが構えを解いた。
「だから言っただろうが、大丈夫だって。お前が大袈裟に言うから」
「マスターに万が一があってはなりません」
「わかったわかった。さっきも言ったけどお前は手を出すなよ」
「……………………かしこまりました」
「なんだよ今の間は? まあいい」
門の中から聞こえて来る少年の声に、ジョゼフの耳がピクリっ、と動き、マリファの全身が震えた。姿が見え始めると離れた場所に立って居たレナの手から杖が離れ、地面に転がる。
「や~い、シロとトーチャーはお留守番~、あっ! シロやめろよ! あっ、あっ……オドノ様、待って! ああっ!!」
門から一人の少年が現れると空間の穴が塞がっていく。その見覚えのある姿に多くの冒険者達から声が漏れる。
「やあ、元気そうだね。レベリングの方は終わったのかな?」
「5~6割ってところだな。それより――」
「ご主人様っ!」
ユウの下へマリファが走り寄るが、遮るようにエルダーリッチが立ち塞がった。
「退きなさい。死にたいのですか」
「役立たずの奴隷にゴブリンが。お前達の役目は終わった。
これからは私がマスターにお仕えし、お護りする。消え失せろ」
「某が役立たずだと? くたばり損ないの骸骨が冥府に送られたいのか?」
「ラス、止めろ。誰がマリファ達と喧嘩しろって言った」
ラスと呼ばれたエルダーリッチとマリファ達の間で殺気が渦巻く。
ユウは三人の争いにさして興味がないのか、ラリットを見付けると。
「ラリット、ニーナとレナはどこに居る?」
「あっちだ。それよりお前、いや何でもねえ」
ニーナ達の方へ歩いて行くユウであったが、途中ドヤ顔のジョゼフと目が合う。ジョゼフはお前との約束は守ったぜ! っと言わんばかりの顔であったが、ユウは無視して歩いて行く。
「おいっ! 俺に何か言うことがあるだろうが!」
ユウはレナの側まで近付くと、レナの全身が震えていることに気付く。パンプキンハットを被っているレナの頭を何回か軽く叩くと。
「あとでな」
その一言で伝わったのかレナの頭が縦に僅かに動いた。
レナの横を通り過ぎ赤き流星達の姿が見えてくると、何か叫びながらタリムがユウに向かって走って来ていた。
「その黒い髪! ユウってガキだな!! お前が逃げ回るから俺はやりたくもねえことを――」
タリムはダマスカスの盾を構え、盾技『シールドチャージ』を放つ。
「愚か者め」
いつの間にかユウの側に控えていたラスが呟く。
ユウとタリムがぶつかったと思った瞬間――皆が空を見上げた。
巨人族のタリム、身長264cm、体重約250kg、全身の装備を加味すればゆうに300kgは超えるであろう巨体が宙に舞っていたからだ。
「あぎゃあ゛あ゛ああっぼえぇぇぇぇ!!」
どれほど高く吹き飛ばされたのか、タリムの叫び声が聞こえてやっと落ちて来ていることに皆が気付いた。
地面に衝突した衝撃で辺りに地響きが起こり、地面に大きな穴が出来上がる。穴の中で虫の息になっているタリムの横には、自慢のダマスカス鋼で出来た盾に拳大の穴が出来て転がっており、ミスリルの鎧には拳の形にへこんだ跡がハッキリと残っていた。
「ちょっと小突いたくらいで大袈裟な奴だな」
Cランク冒険者のそれも頑強で知られる巨人族の盾職の男が、たった一発の恐らく拳撃であろうと思われる攻撃で倒されたことに、赤き流星団員達が唖然とする。
赤き流星団員達の隙間から、先程の姿からは想像出来ないほど弱々しい姿でニーナが出て来る。
「ユウ…………?」
「おう」
「ユウ」
「おう」
「ユウ!」
「なんだよ。何回呼ぶんだよ」
ニーナは何度も確認するかのようにユウの名を呼び確かめる。疑心が確信に変わるかのように歩みが駆け足にそして全力での疾走へと変わる。
「ニーナだ」
「おお、マスターの御友人の……失礼致しました」
全力で走って来るニーナの前に立ちはだかろうとしたラスであったが、ユウの言葉に後ろに控える。
ニーナは余程慌てていたのか何度も足がもつれて転び、レナの魔法で吹き飛ばされた草原が剥き出しの土となっていた為に全身が泥塗れになるが、そんなこと気にもせず立ち上がりユウに飛び付いた。
「うあああああんっ! ユウっ! ユウっ!! うわあああああああーん!! ユ゛ウだっ! ユ゛ウが……帰ってっ……うわあ゛あ゛あああぁぁぁん」
顔を涙と鼻水塗れにしたニーナがユウを抱き締める。その姿に事情を知っている者達はもらい泣きする者や、鼻をすする者などほんわかした雰囲気になる。ならなかったのは事情を知らない赤き流星団員達と――
「どういうことだ? なんでニーナが泣いてんだ?」
この日、クラン設立以来最大の危機が赤き流星に訪れる。