第1話 天の御遣い
「……い……おい」
「ん……」
誰かがオレを揺さぶっている。もう朝なんだろうか……確かに身体が光を感じている。
「おい、大丈夫か?」
心配そうな女性の声……女性?
瞬間、意識が覚醒した。
「え……」
見れば周りには女性が2人。ええとあの……コスプレ?
「えっと……どなたでしょうか?」
「人に名を尋ねる時にはまず自分から名を言うのが礼儀ではないですかな?」
手に槍を持った方が言う。いろいろと疑問はあるがまず槍は置いておこう、うん。言ってることは正論だ。
「あ……そうですね。オレは北郷一刀と言います。改めて、そちらは?」
「私は公孫白珪。幽州の太守をしている者だ」
「某は趙子龍と言う。今は白珪殿の所で客将をしている」
……あり得ない名前と地名―――いや聞いたことは有るんだが―――を聞いた気がする。
「……常山の、趙子龍さんですか?」
「ほう? 某も有名になったものだ……と言いたいところだが、その尋ね方からするとそう言うわけでもなさそうだ」
彼女の目が訝しげに、オレを見定めるようにスッと細められた。
「合ってるのか……」
「噂の人物ならそれも致し方無い。天の知識があれば我らのことも知っているのだろう」
白珪さんと目を合わせ、頷きあう子龍さん。
「噂? 天?」
なんだろうか。不安と期待が入り混じる。
「又聞きだから簡単にだが、天からの遣いがこの乱世に救済の手を差しのべる……とな」
まぁ、と彼女は一拍置いて続ける。
「ここで問答を続けるのも、な。伯珪殿、城へ戻りませんかな?」
「やっとまともに喋れる……ふふふ……うん、では話は城でゆっくり聞こうか。じゃあ馬に、っと、2頭しかいないし後ろに乗ってもらうか」
なんだろう、背後から暗いオーラが……気にしない方向でいこう。うん、それがいい。
あ、馬だ。しかも片方は白馬だよ、白馬! 彼女らに気を取られて全く気付かなかったけど……う~む美しい。
「私の後ろに乗れ」
ええと、どこに手を置くべきか。とりあえず腰を掴んでおこう。
「ひゃっ……こ、こらどこを掴んでる!」
「え、落ちないように腰を掴むべきだと思ったんですが……駄目でした?」
「いや、腰を掴むのはいいんだが、もう少し下を掴んでくれ!」
「あ、ごめんなさい」
城での問答でわかったこと。ここはオレの世界で言う三国志の世界であり、武将が女性になっているということだった。さすがに性転換しているのが全員かどうかはわからない。
考えられるのはタイムスリップかパラレルワールドだが、女性になってるんだから後者か。
「ふむ、家で寝て起きたらあの場にいたと」
「そうですね、しかもスウェット……寝間着に着替えたのにこの服になってましたし」
スウェットと寝間着はイコールじゃないんだけどまぁいいだろう。
しかし、我ながら冷静だな。もう少し取り乱してもいい気もするんだけど……実感が湧かないからかも。
「私たちは噂には半信半疑だったんだがな、突然空が暗くなって光に包まれた何かが落ちてきたから急いで向かったんだ」
「そうだったんですか……ありがとうございます」
「いや礼なんていいさ。こっちも考えがあってのことだし」
考えがなければ興味は示さなかった。そして今巷で噂されるのは『天の御遣い』という存在で、民の希望。
そこから導き出される答えは。
「考え、ですか……『天の御遣い』の名を使って民の支持を得、加えて兵も集まる。ってところですかね」
「ほう。なかなか鋭い御仁ですな」
「少し考えればわかりますよ。苦しむ民には希望となる存在が必要ですから」
中国において皇帝を差し置いて“『天』の御遣い”などという言葉が持て囃されるのだから、王朝の力が衰退し民の信頼を失っているのだろう。聞いた話では黄巾賊が各地で暴れまわっているらしい。
「確かにな。しかし……さっきの話に戻るが未だに信じられないな。お前が来たのは1800年後の未来からで私たちはすっかり有名人の『男』だということを」
「そうですね。特に趙雲さんは常山の昇り龍、後に西方の益州を中心に建国される蜀という国では五虎大将―――つまり国内最強の五武将ということですね―――の1人として名を馳せますから」
「常山の昇り龍か、良い二つ名を聞いた。今後はそう名乗ることにしよう」
「気に入って貰えて嬉しいです。それで今後のことなんですが……」
これからどのように扱われるか、それを聞こうとした時白珪さんに止められる。
「待った北郷、私は私は!?」
言っていいんだろうか。……いいか。うんいいな。
「最初の方に袁紹によって滅ぼされます」
あ、落ち込んだ。
「伯珪殿、それもまた運命ですぞ」
確かにそうなのかも知れない。
「でも……あくまでそれはオレの知っている未来でしかない。オレがこの世界に来た理由……きっとそれはその未来を変えるため。歴史に添って生きるなら、ここに来た意味が無いですよね」
そう、オレがここに来たのにはきっと意味があるはず。当面の目標はそれを理解すること。
「ですから元気だしてください、公孫賛さん。あのままだったら野垂れ死んでたり盗賊に襲われたかもしれないこの命を救って貰ったこと、その恩に報いたいんです」
だから、
「貴女の元で。知識も身体も、オレという人間の総力を挙げて貴女を支えていきましょう。そして……民が安心して日々を送ることの出来る平和な世を」
「北郷……」
「訳も分からずこの地に飛ばされた『天の御遣い』が、この地の民のためになりたい、と。北郷殿……貴方といると知らない何かに出会えそうだ。某が貴方の刃となり『みち』を切り開いて行きましょうぞ」
ま、立場は白珪殿の臣下ですが、と肩を竦めながら趙雲さんが言う。
「っ! 趙雲さん……ありがとう」
「星、と呼んでくだされ。真名と言って信を置ける者にのみ預けるもの。許しなく真名を呼ぶは殺されても文句は言えない、それほど神聖な名です」
真名……真の名、か。現代では諱、つまり忌み名に相当するものだろう。この時代には名とは忌み名であるため他人に呼ばせるものではなかった。しかし、それと同じかそれ以上に神聖なものなのかもしれない。
「……私の真名は白蓮だ。これからよろしくな、北郷」
「一刀、でいいですよ。オレのいた世界には真名という風習はありません。ですから姓は北郷、名は一刀にあたります」
厳密に言えば一刀は真名にあたるのだろうか。親しくない人に名前を呼び捨てに不快な思いをするし。
「なら私に敬語はいらないぞ、一刀。堅苦しいのは苦手なんだよ」
照れくさそうに公孫賛さんが笑う。
「ん……わかったよ白蓮。それと星は立場は白蓮の臣下だ、っていってたけど……それって」
「ええ。何でもお申し付けくだされ。―――もちろん夜伽も構いませんぞ?」
ふふ、と妖艶に微笑む星はすごく魅力的だった。
「は、はは……とりあえず一刀、文字の読み書きは?」
「言葉が通じるから大丈夫そうだけど……一応試しておいたほうがいいかな?」
当然漢文、それも白文だろうし。返り点がほしいなぁ……
「ん、ならちょっと待ってろ」
読めなきゃ……勉強かなぁ。
「読めなかった……」
義務教育に高校と11年学んできただけあって多少の文法はわかる。
けど単語の意味が広かったり、意味は簡単なのに漢字が難しくてわからなかったりと散々だった。
「星には調練があるから読み書きが出来る侍女、もしくは文官でも付けるよ。うちは人手不足だから侍女にいてくれると助かるんだけどなぁ……と、一刀が早く戦力になってくれればもっとありがたいかな」
そんなに足りないのか……早く政務が出来るようになろう。そして三国志の知識を生かして有能な文官も探そう!
遠い目をする白蓮を見て、そう思った。