第14話 戦乱の予兆
幽州に一刀が帰還した。幽州の面々はそれをあたたかく迎える。
しかし、それと同時に董白―――朧(おぼろ、董白の真名)の処遇も決まる。
一刀の下した決断、それは。
朧を姉である月と同じ道―――名前を捨て、真名のみで侍女とすることに決めたのだった。
一刀の朝は早い。
ランニングをはじめとする体力づくりや、筋トレなど基礎力を高めるもの。そして、素振りや対人での鍛錬。さらにそれが終わると政務、という多忙さだ。
しかし、一刀は朝に弱い。そのため侍女に起こしてもらうのが日課となっている。
ただ。夜を共にした女性がいるときはなぜか侍女の力を借りず自分で起きてその女性を起こさないように静かに出ていく。
これも彼の特殊能力だろうか―――ナチュラルに女性を口説くことに加えての。
さて。
昨日帰還した一刀の身体を慮って、幽州の女性陣は閨を共にすることを自重していた。
そのため今日は一人での起床であり。未だに一刀は寝入っている。
と、そこへ一人の侍女が入ってくる。
「……北郷様、朝でございます」
「ん……後、5分……」
「起きてください」
「ううん……」
まだ起きない。
「起きてください」
ゆさゆさと一刀の身体を揺する。
まだ、起きない。
「……起きてください」
まだ。起きない。
「……起きろっつってんでしょうがぁ!」
「へぶっ!?」
侍女におもいきり頬をビンタされた一刀の意識は覚醒し、ようやく起きた。
「い、いってぇ……」
「さっさと起きないあんたが悪いんでしょうが」
「あ……朧? なんで、ってそういえば侍女になったんだったな」
そう、朧は侍女になった。“一刀専属の”侍女に。
「あんたの専属の侍女よ」
「……うぇ」
「あによその顔は。昨日言ったでしょうが」
これからも武将クラスのビンタで起こされるのか、と一刀はげんなりする。
「……なんでもない」
そのまま一刀は起き上がり、服を着替え始める。
(元気になったみたいで、良かった)
「ちょ、何で脱いでんのよ!」
「ん? ああごめん」
普段は脱いだものを侍女がたたむため、脱いだ後は侍女に預けている。そのため一刀は侍女が室内にいるのに慣れてしまっていた。
ちなみに着替えを全部やらせるのはいろんな意味でダメだと一刀が拒否している。
「じゃ、これお願いね」
「あ、うん」
あまりにも自然な感じに脱いだ服を渡され、朧も素直に頷いてしまう。
「いってきます」
「はい、いってらっしゃい……って、あれ? これあたしがたたむの?」
その問いに答える者は誰もいなかった。
鍛錬を終え、汗を流して再びフランチェスカの制服に着替える。ただ、これは新たに仕立て屋のおっちゃんに仕立ててもらったもので、本物はいざという時のためにしまってある。
一刀が増設させたクローゼットにはその他バニー・セーラー・スク水・チアガール・体操服・メイド服(ロング・ショートスカート両方完備)などなど、いろいろなものが入っているが、それについてはいつか。
「大分政務にも慣れたなぁ」
楓(かえで、田豫の真名)の言ってた通りだと、一人心の中で頷く。
しかし、しばらく目の疲れる政務から離れて晴耕雨読を楽しんでいた一刀にとっては大変な作業には変わりなかった。
「ふぅ……」
凝り固まった体をほぐすために伸びをする。
「失礼します」
「あ、はい」
「お茶を、お持ちいたしました」
戸をあけて、私室に朧が入ってくる。お盆にお茶を乗せ、ゆっくりと歩み寄って―――
「あっ」
そして茶碗と水差しが飛んで―――
びちゃっ サクッ
「熱痛ぇ―――!」
お茶が一刀の顔面に、水差しの先(尖っている)が額に刺さった。
「ぐふっ……」
(朧はドジっ娘メイドだったのか……!)
そんなことを呻きながら一刀は必死に痛みに耐えていた。
実際はお盆の上に重さの異なるものが二つ置いてあるため、給仕が初めての朧にとってはバランスを取るのが難しく、足元が疎かになってしまって落ちている本に気付かず躓いてしまったというわけだ。朧にドジっ娘属性は無い。
「ご、ごめん」
「とりあえず水、水!」
火傷を負った部分がしっかりと冷やして政務と再び向き合う。
それも終わり、久々の城下町散歩―――つまり視察に出かける。
「御遣い様!!」「お帰りなさ―――い!」
「うん、ありがとう」
無事に帰ってきた一刀の姿を一目見ようと、町の人々が集まり、人だかりを形成する。
「愛されてるなぁ……」
「女性と一部の男性には性的に、ですな」
「ああ……って星! そしてなんだ今の不穏な言葉!?」
「なんでもござらんよ」
一刀の耳元で言葉を囁いた星はそのまま一刀の傍に立つ。本来は陰から警護しているのだが、人ごみになるとどうしても刺客の判別が遅れるため傍に来たのだった。
「……あれ?」
「どうなさった?」
「いや、なんでも……」
「ならばよろしいが」
ま、小さな子供には人ごみは危ないからいないんだろう、と一刀は結論付けて先に進んでいく。
見えてくるのは変わらない街並み、人々の温かい笑顔。いつもの風景が、広がっている。
(帰って来たんだなぁ……)
幽州を離れていたのは短い日数。だが、今までの―――元の世界では決して味わうことのできないであろう濃い体験を短時間にした。そして、広いと思っていた中国。全ての人が裕福な生活をしているわけではないと思っていた。
思っていたのだが、現実で目にした光景……特に袁術領での民の生活はひどかった。それ故に、一刀は“蜂蜜もどき”を適正価格以下で孫策に売るように蓮華を通して頼んだのだ。
あまりに高い値段で売るとさらに搾取されるから。ついでに言えば、独立した暁には孫策に民の生活改善を要求している。
「北郷様!」
「どうした」
駆け足で走ってくる兵士に、星が応対する。
「こちらを。では、私はこれにて失礼いたします」
「ああ。文か……主、どうぞ」
「うん、……ははっ」
手紙を一通り眺め、一刀は笑みをこぼす。
「何か良い事でもあったのですかな」
「孫呉……って言っていいのかわからないけど、孫策さんたちが袁術に下剋上、独立。資金も貯まったからね、この調子ならあとひと月もすれば旧呉領は全部呉領になってるんじゃないかな」
「いつかはやると思っておりましたが、案外早かったですな。主の帰還は内部抗争に巻き込まないため、と」
「それもあるけどね。怪我は大分良くなったし、ちゃんとお礼も出来たし」
「ならば、それより今は曹操と五胡ですな」
「うん……」
歴史を繰り返させないための、一刀。それにおいて五胡に動きが無いのが不安。単体で来るか、連合で来るか。
白蓮は特に“異民族”という括りに拘っている訳でもなく、偏見も無く普通に接している。
幽州防衛戦では袁紹軍のみが進行してきたが、大敗を喫した次はどうなるかわからない。この世界では果たして袁紹に五胡との繋がりはあるのか。
そもそも曹操軍が袁紹軍を破っていれば何も問題はないのだけど。
「五胡の人は……うちの太守がお人よしだから仲良くできると思うんだけどなぁ」
「……ククッ、相違ない」
星は心底面白いといった様子で笑う。
太守がお人よしだから部下も、民もお人よしになる。
(どこもそんな人たちならなぁ)
頑張ろう。一刀は決意を新たにする。何度目かはわからないが。
陳留、城内の玉座。
一刀が帰還してからひと月が経っていた。
今、魏の重鎮たちが一堂に会している。
「さて……あの男が幽州に戻ったわけだけど」
「はい。加えて軍備もかなり充実してきました。武具、馬、兵糧。何より兵たちの練度は大陸最強を誇るでしょう」
「ふふっ。遂に時が来たわね……」
(劉備を攻めた後に幽州から攻められるのは戦力的に厳しかったから内政と練兵に勤しんだわけだけど)
もうよいでしょう。春蘭も鬱憤がたまっているみたいだし。まずは―――
と曹操は宣戦布告先を臣下に告げる……
「まずは関羽を手に入れるわ。劉備を手中に収めれば裏切りはしないでしょうし。此処まで戦力を整えれば呂布と関羽でも大丈夫でしょう。桂花、徐州に―――」
はずだった。
「失礼します!」
「なんだ! 今は軍議中であるぞ!」
「は、ですが徐州の劉備が民を引き連れて南下しているようです。民は気付かれぬように少しずつ移動していたようで……今残っているのは兵のみ。早馬でも追いつくことは不可能かと……」
「……なんですって?」
(徐州領を放棄するっていうの? 情報が漏れていた? いいえ、今は先手を打たれたことへの対処を考えるべきね)
思考をすぐさま切り替える。
「それとこのような文が」
「ふむ…………やられたわ」
「華琳様、文には何と……?」
「『徐州はあげます。でも民のみんなはどうしてもついていくと聞かないので連れて行きます。劉玄徳』だそうよ。要約すればね。なんでも他に圧政に苦しめられている人々を助けに行くんですって」
一瞬、玉座に沈黙が流れる。
「関羽を逃したのは惜しいけど、徐州が手に入ったから良しとしましょう。関羽はあくまでも保険……頼りにしているわよ、春蘭」
「はいっ! 華琳様のために必ずや!」
(民がいない州、か……どうしたものかしら)
「とりあえず本日は解散ね」
新たな問題に頭を悩まされつつ、玉座を後にするのだった。